朝月芽衣子、三十を越えてもうすぐ一年が経とうとしている。
あだ名は『トトロちゃん』。
どちらかといえば見た目はやせ形のため、体格が似ているからというより、名前のせいなのだと思っている。
彼氏はなし。
『トトロちゃんは強いから』と長年付き合った恋人に別れを告げられてから早三年。
おひとりさまと呼ばれる生活をしているけど特に不自由はない。
趣味といった趣味も特になく、習い事をしているわけでもなければ、ジムに通うこともない。
唯一行っている運動といえば、一駅ほど歩く職場までの往復距離の散歩である。
休日は家で過ごすことが多く、下手すれば誰とも話すことなく過ぎる日がほとんどで、もちろん、週末に女子会に誘ってくれる友人もいない。
様々な人が行き来する賑わった街に住みながらもまったく華やかさとは程遠い、平凡で変わりばえのない日々を過ごしているが、本人はなかなか満足……しているつもりだ。
地元では名の知れた商社の営業マンとして働くようになって早くも十年近くなりつつある今、ひとつだけ決めていることがある。
どんなときでも、しっかり食べようということ。
それが、わたしの生きがいであり、強みなのだから。
◇◇◇
「さてと」
小倉駅を出て十五分。
JRに乗車中、電車の明かりが突然消えたり、そのまま真っ暗闇に突入したりと思いのほか慣れない環境にそわそわしながらたどり着いたのは、本州最果ての地、山口県下関市。
ここは、数々の歴史が動いた場所。
もっとも動くことのなくなった人間が、北九州出張を機に足を踏み入れたのだった。
「行きますか」
誰に言うわけでともなく、自分自身に言い聞かせ、改札を目指す。
雲ひとつない青空の下、天候にだけは恵まれたなと幸先の良さを感じる。
新緑が芽吹くこの季節は特に景色がキラキラと輝いて見える。
小倉駅すぐに位置したお馴染みのホテルに手荷物は預けてきたため、身軽にポシェットひとつで颯爽と足を進める。
改札に向かう途中、足元に赤と青のラインが引かれており、『JR九州』『JR西日本』に分かれている。
どうやら九州から来たか、本州から来たかで出られる改札が分かれているらしく、迷わず本州の文字が印字された青色のラインに沿って歩き、改札前でICカードをかざした途端、盛大なブザー音が鳴り響いた。
「あ、小倉から来たんだった」
などと思ったときには時すでに遅し。
本州から新幹線で北九州に降り立ち、そこからまた本州の最南端にやってきたばかりの人間は、このあと駅員さんに多大なるご迷惑をおかけすることになった。
本州のど真ん中で生まれ育った身としては、どうも九州から来たという感覚に慣れないのだ……という話にならない言い訳をさせてほしい。
すみませんすみません、と何度も頭を下げるわたしに笑顔を見せてくれた駅員さんは悟ったことだろう。
その姿はまるで社会人としての限られた世界の中で培うしかなかったしぐさであることを。
幸先の良さどころか、すべてもの入口から拒絶された気がしたけど、気のせいということにしよう。
ふと思い浮かんだネガティブな気持ちをいちいち気にしていたら、身が持たない。
後ろでまたブザー音が聞こえ、大きなリュックを背負った外国人が困惑した声をあげたのが目に入り、その姿がさきほどの自分と重なり、人知れず溜め息をついた。
今年になって、プロジェクトマネージャーに任命され、その代表として小倉支社に顔を出すことになった『キャリア女史』と影で噂される人間のプライベートはあまりにもポンコツすぎて嫌になる。
『お疲れさまでした』と会社を出た途端、別人のように鉄壁の鎧が剥げ、一気に力が抜けていくのだ。
だからこそ、出張に出るときは前乗りをしたり後ろに休暇を取り、その地をまわり、名物を堪能することに決めた。
与えられた業務の他にも何か別の目標を持たないと今にも立ち上がれなくなってしまうのではないかと心配になったからだ。
意識をして始めたのは三十になってからだけど、なかなかいい。
北海道、岩手、東京、岐阜、三重、京都、そして大阪などなど、滞在した先で深い歴史とともに親しまれた食材を楽しんできた。
改札を出てすぐに見えたスーパーのガラスに大量にポテトチップスの袋が貼り付けられており、そのパッケージには教科書かなにかで見たことのある吉田松陰の肖像画の顔面部分が描かれている。
山口県産のゆず塩が使用されているという文言が目に入り、この地はゆず塩の産地であることを知る。
同時に天ぷらや野菜炒めに使用するのも美味しそうだ、などと思い浮かんだものの、少なからず十は並んだ吉田松陰の顔があまりにインパクトある光景だったため、それらの思考はすぐに消える。
そのためか、ある意味熱烈な歓迎を受けたと脳内を切り替えることができたのだった。
長州藩の一員でのちの明治維新や近代日本のリーダーとなる人材を育てた人なのだとガイドブックにも記されていた人物がまさかお菓子パッケージになるほどこの街ではは推されていることにいささか驚いてしまったのは事実なのだけど。
今日は下関市の歴史の詰まった場所を訪れたかったため、想像よりも早い遭遇ができたことを喜ぶべきなのだろう。
出張で小倉へやってくるのは二度目で、山口県下関市へ足を延ばしたもそのとき以来である。
一度目は小倉をまわり、そのまま同じ北九州市内である門司港へ訪れた際、関門海峡を挟んだ先に見えた下関市に対し、こんなにも近くに存在するものなのかと驚いたものだ。
船で五分先の距離にあるということで、好奇心のあまり福岡県にある門司港から下関市にある唐戸市場まで渡ってみたのが一度目の滞在だった。
門司港観光を終えた後のわずか二時間弱のひとときで、ほとんどお店はしまっていたのだけど、船で渡ったことも影響しているのかちょっとした達成感があった。
そのときふらりと立ち寄った飲み屋で飲んだフグの汁物に胃袋を捕まれ、またそのときに話しかけてくれた地元の方々のお話が忘れられず、次にまたこちらに来る機会があるのならまたこの地を訪れようと決めていた。
何という飲み屋だったかさえ覚えていないのだけど駅前からバスに乗り込んですぐ、何度もフグの置物や飾りつけをいくつか見たし、バスの椅子だってフグの模様が描かれていて、また下関市に戻ってきたことを実感させられた。
下関駅からまず向かったのは、唐戸市場で、前回とは違い午前中に立ち寄ったこともあり、市場という名にふさわしい賑わいを感じられた。
土日祝日は市場で新鮮な海の幸を直接購入し、食べることができると聞いたいたため、楽しみにしていた。
実費で前乗りをし、なおかつ始発の新幹線に飛び乗ったのもこのためである。
活気づいた空間に思わず足を踏み入れずにはいられなかった。
市場内をぐるりと周り、フグの味噌汁と中トロとサーモンの握りを購入し、ほくほくした気持ちで海沿いのウッドデッキへ向かう。
胸が踊るこの瞬間がたまらない。
すでにいくつかの家族連れや観光客がいて、みんな関門海峡を眺めながら話に花を咲かせている。
ちょうど良い場所に隙間を見つけ、腰を下ろす。
見渡す限り、ここもまたフグの飾りつけがあちこちに施されていて、面白い。
膝の上にハンカチを乗せ、落とさないよう気を付け、握りの入ったプラスチック容器を開き、続いて味噌汁の蓋もあける。
まずは味噌汁に箸をつけ、口に含むとまろやかな白味噌がゆっくり体内を徐々に満たしていき、ほっこり息をつく。
コクのある赤だしで育った人間なのだけど、白だしの優しい味わいをこうしてたまに欲することもある。
空腹で悲鳴を上げていた胃袋が満たされていくのを感じる。
持ち帰り用の醤油を少量握りにつけ、まずは中トロから堪能する。
柔らかい歯応えと新鮮でじゅわっとした食感が口内に広がり、舌鼓を打つ。
同様にサーモンも口に含み、とろけるような滑らかさとしっとりとした柔らかい食感に思わず唸りたくなる。
自由で快適なおひとりさまでの食事も、こういうときに感情を全快に表現できないのが残念なところではある。
持参してきた緑茶のペットボトルを開き、豪快に飲み干した。
大変胃袋が満足状態に陥り、ぼんやり見つめた先に以前渡ってきた門司港が見えた。
この前は夜の時間帯だったため、オレンジがかった街灯の明かりに照らされた夜景が美しかった印象が強いが、昼間に見るその様子はまた別のものに見えた。
本州と九州。
地図で見ていたときはずいぶん離れているものだと思っていたのに、実際は思いのほか近くて驚かされる。
少し先に進んだ場所にある壇之浦古戦場跡付近から門司港までは海底トンネルを通じて歩いても渡ることができるのだと聞いている。
右の方には宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った巌流島があり、唐戸市場からも船で渡ることができる。
1185年 壇之浦の戦い
(源平合戦終焉)
1212年 巌流島の戦い
(宮本武蔵と佐々木小次郎の決戦)
1550年 フランシスコ・ザビエル上陸
(長崎に到着したのはその一年前である)
1865年 功山寺挙兵
(長州藩士 高杉晋作によるクーデター)
ガイドブックに目を通すだけでもざっくりこれだけの内容は確認することができる。
どれもこれも教科書で目にしたことのあるものばかりで、歴史が大きく動いた場所として知られるこの地に滞在していることが不思議な心境にさせられ、同時に面白いなと感じた。
ひとりで食事を楽しむことで興味深いのは、様々な会話が心地よくBGMのごとく耳に届くことだ。
がっつり聞き耳を立てるつもりはないけど、普段にはない場所で聞きなれない方言を耳にすると知らない土地に来たことを実感させられる。
そういえば、この地では『フグ』を『フク』と呼ぶのだと教えてもらった。
食べながら考えるのもなんだが、毒があると知られているのにそれでも食べようと試みたかつての人々は何を思ってこの食材と向き合ってきたのだろうか。
命だっていくつ落としたかわからない。
こうして白味噌に混ざり、贅沢感溢れる食べ物として食するのであれば喜んでいただきたいものだけど、毒がありますよと事前に知らされ、提供されたらとてもじゃないけど口に含む勇気はない。
朝鮮出兵の際に下関に集まった兵士たちが食べて中毒死した事件をきっかけに豊臣秀吉によって禁じられたフグことフクは、明治時代に老舗の料亭にて食した伊藤博文が絶賛したことにより食用が解禁されたのだという。
魚が取れず、困った女将が罰を覚悟で禁じられていたフクを提供したことがきっかけだったのだという。
窮地の事態で首覚悟だったとはいえ、禁制の食材を客人に提供する恐ろしさよ……といろいろとつっこみたいところは山ほどあるけど、山口県令に働きかけて再び食材のひとつにするよう呼び掛けた初代総理大臣の迅速な働きかけもなかなかである。
数々の研究を重ね、歴史が塗り替えられた今、この美味な食べ物に巡り合えたことを嬉しく思い、最後の一口をゆっくり舌で堪能しながら飲み込んだ。
胃も満たされたところで、徒歩で赤間神宮まで向かう。
ちょうど良いお散歩である。
下関にやってきたら一度ここを訪れたいと思っていた。
関門海峡を背に、真っ赤な宮殿を思わせる造りの神社は子どもの頃に読んだ浦島太郎の竜宮城を思わせた。
それもそのはず、源平合戦の末、破れた平家が入水をはかるなか、当時わずか六歳だった安徳天皇にその祖母である『二位の尼(平時子)』が『水の下にも都はある』とつげ、怖がる孫をなだめ、水の中に飛び込んだのだというが、たしかに境内から眺める景色は海の中に建つお城のように見えた。
もっといろんな景色を見て、おいしいものも食べたかっただろうのに。
歴代もっとも若くして亡くなった天皇が水の下の宮殿で安らかに眠りにつけますようにと願わずにはいられない。
勝つか負けるか、そんなことで生死が決まってしまうのは、恐ろしいことだなとしみじみ思う。
しんどくて苦しいときの方が多いけど、ディベートで破れて案件が通らなかったり、些細なミスが膨らんで取引先の方々に頭を下げることも少なくなかったが、命を取られるほどのことはない。
今回、初めて任された大きな大役に、空回りばかりだった。
北九州に休日を返上して一日早くやってきたのは、心がどこか落ち着かなかったからというのもある。
遠くはなれたこの地の支社の人たちは自分を受け入れてくれるだろうか。
いつもは上司の後ろについて歩いていただけだったけど今回はそうもいかない。
とはいえ、
「命あれば、何でもできる……か」
どんな結末を向かえたって最悪命を取られることもない。
何だかんだで守られた時代に生きている。
そう思うと少しだけ気持ちが楽になった気がした。
目の前に広がる関門海峡には何隻もの船が行き交う。
見ていたらあっという間に時間が過ぎていってしまいそうだ。
ぼんやりしていたら時を忘れそうだ。
立ち止まり、自分の考えを巡らせるのはいつぶりだろうか。
目まぐるしい日々の中、動き続けることが正義だと思い始めたのはいつからだっただろうか。
三十を目前にした頃、友人たちのほとんどは家庭をもち、気軽に合うことが難しくなった。
年頃になれば当たり前に運命の人に出会い、適齢期に家族を持つものだと思っていたけどそうではないらしい。
人並みの人生を生きなければいけない、そう思っていた。
だからこそ二十代最後の一年は何かに追われているようで一番余裕のなかった一年に思うものの、三十を越えたら何に悩んでいたのかとそんな悩みさえもちっぽけなものに感じられた。
それからは、何に怯えることなく、自由に自分の時間を使って生活することが増え、生きることが楽になった。
ひとりで生きることにもずいぶん慣れた。
ひとりでカフェやレストランに入ることができることがすごいね、と言われることも増えたが、行く相手がいるわけでもないので仕方がないのだと内心思う。
ずいぶんたくましくなった自身を本当は少し誇らしく思っている。
好きなときに好きなものを食べて何が悪い。
この生き方が正解なのかはわからないけど、自身が一瞬でも幸せに感じられる時間があるのならそれは正解なのだと信じたい。
おいしいものを口にしたとき、わたしはどんな場面でも頬が緩むのを感じる。
腹ごしらえは戦への備えだと思っている。
備えあれば憂いなし。
楽しみがあるからまた前を向ける。
朝月芽衣子という、朝か夜かわからない名字と重複して名前に含まれた五月の意味を持つフルネームのとおり、学生の頃から優柔不断でつかみどころのない人間だったけど、自分なりの攻略法は身につけたつもりだ。
関門海峡沿いを歩き、大きく聳え立つ関門橋に圧倒される。
考えていることが考えていることだっただけに自身のちっぽけさを改めて考えさせられた。
ひとりで過ごすことは嫌いではない。
たまにちょっと考えが迷宮入りしかけてしまうだけだ。
自身でコントロールできるようになればなんともない。
関門海峡を右手に、この『風波のクロスロード』と呼ばれる道をまっすぐ進むと壇之浦古戦場跡に続き、長府エリアにたどり着く。
長府エリアは長州藩士 高杉晋作によってクーデターが行われた高山寺がある。
源平合戦合戦が行われていたり、長州藩士がこの地を駆け巡っていたと考えると胸が弾む。
あのころからしっかり今に向かって時代という名のバトンが渡され続けてきているからだ。
わたしは歴史に残ることなくひっそり自分史に終止符を打つことになるのだろうけど、食事をし、街を眺めることでその当時の様子が想像できるのが好きだ。
壇之浦古戦場跡にたどり着き、近くの売店から香る香ばしい匂いに誘われる。
『トトロちゃんは、強い子だからね』
いつかに言われた言葉を思い返す。
年々鎧をまとい、強くなっていっただけなのだけど。
おでんを注文し、待機する。
アゴ出汁という見出しにどうしても抗えなかった。
おひとりさまだからこそできる自由な選択と行動である。
いつもいつも、大人になってからずっと楽しいことを探すことが得意になった。
生き方が不器用になった分、特にだ。
外にでない日は増えたけど、こうして出張のたびに街を知り、自身を見つめ直す時間ができることは良いことだと思っている。
少しずつ心が弾むのを感じた。
ふつふつ沸き上がるこの感情は、スタートラインに立つまでの助走段階に突入したことを意味する。
この気持ちに到達してからのわたしは強い。
明日からもまた、わたしがわたしらしくなれるよう、今日もまた自身にチャージしていく。
あだ名は『トトロちゃん』。
どちらかといえば見た目はやせ形のため、体格が似ているからというより、名前のせいなのだと思っている。
彼氏はなし。
『トトロちゃんは強いから』と長年付き合った恋人に別れを告げられてから早三年。
おひとりさまと呼ばれる生活をしているけど特に不自由はない。
趣味といった趣味も特になく、習い事をしているわけでもなければ、ジムに通うこともない。
唯一行っている運動といえば、一駅ほど歩く職場までの往復距離の散歩である。
休日は家で過ごすことが多く、下手すれば誰とも話すことなく過ぎる日がほとんどで、もちろん、週末に女子会に誘ってくれる友人もいない。
様々な人が行き来する賑わった街に住みながらもまったく華やかさとは程遠い、平凡で変わりばえのない日々を過ごしているが、本人はなかなか満足……しているつもりだ。
地元では名の知れた商社の営業マンとして働くようになって早くも十年近くなりつつある今、ひとつだけ決めていることがある。
どんなときでも、しっかり食べようということ。
それが、わたしの生きがいであり、強みなのだから。
◇◇◇
「さてと」
小倉駅を出て十五分。
JRに乗車中、電車の明かりが突然消えたり、そのまま真っ暗闇に突入したりと思いのほか慣れない環境にそわそわしながらたどり着いたのは、本州最果ての地、山口県下関市。
ここは、数々の歴史が動いた場所。
もっとも動くことのなくなった人間が、北九州出張を機に足を踏み入れたのだった。
「行きますか」
誰に言うわけでともなく、自分自身に言い聞かせ、改札を目指す。
雲ひとつない青空の下、天候にだけは恵まれたなと幸先の良さを感じる。
新緑が芽吹くこの季節は特に景色がキラキラと輝いて見える。
小倉駅すぐに位置したお馴染みのホテルに手荷物は預けてきたため、身軽にポシェットひとつで颯爽と足を進める。
改札に向かう途中、足元に赤と青のラインが引かれており、『JR九州』『JR西日本』に分かれている。
どうやら九州から来たか、本州から来たかで出られる改札が分かれているらしく、迷わず本州の文字が印字された青色のラインに沿って歩き、改札前でICカードをかざした途端、盛大なブザー音が鳴り響いた。
「あ、小倉から来たんだった」
などと思ったときには時すでに遅し。
本州から新幹線で北九州に降り立ち、そこからまた本州の最南端にやってきたばかりの人間は、このあと駅員さんに多大なるご迷惑をおかけすることになった。
本州のど真ん中で生まれ育った身としては、どうも九州から来たという感覚に慣れないのだ……という話にならない言い訳をさせてほしい。
すみませんすみません、と何度も頭を下げるわたしに笑顔を見せてくれた駅員さんは悟ったことだろう。
その姿はまるで社会人としての限られた世界の中で培うしかなかったしぐさであることを。
幸先の良さどころか、すべてもの入口から拒絶された気がしたけど、気のせいということにしよう。
ふと思い浮かんだネガティブな気持ちをいちいち気にしていたら、身が持たない。
後ろでまたブザー音が聞こえ、大きなリュックを背負った外国人が困惑した声をあげたのが目に入り、その姿がさきほどの自分と重なり、人知れず溜め息をついた。
今年になって、プロジェクトマネージャーに任命され、その代表として小倉支社に顔を出すことになった『キャリア女史』と影で噂される人間のプライベートはあまりにもポンコツすぎて嫌になる。
『お疲れさまでした』と会社を出た途端、別人のように鉄壁の鎧が剥げ、一気に力が抜けていくのだ。
だからこそ、出張に出るときは前乗りをしたり後ろに休暇を取り、その地をまわり、名物を堪能することに決めた。
与えられた業務の他にも何か別の目標を持たないと今にも立ち上がれなくなってしまうのではないかと心配になったからだ。
意識をして始めたのは三十になってからだけど、なかなかいい。
北海道、岩手、東京、岐阜、三重、京都、そして大阪などなど、滞在した先で深い歴史とともに親しまれた食材を楽しんできた。
改札を出てすぐに見えたスーパーのガラスに大量にポテトチップスの袋が貼り付けられており、そのパッケージには教科書かなにかで見たことのある吉田松陰の肖像画の顔面部分が描かれている。
山口県産のゆず塩が使用されているという文言が目に入り、この地はゆず塩の産地であることを知る。
同時に天ぷらや野菜炒めに使用するのも美味しそうだ、などと思い浮かんだものの、少なからず十は並んだ吉田松陰の顔があまりにインパクトある光景だったため、それらの思考はすぐに消える。
そのためか、ある意味熱烈な歓迎を受けたと脳内を切り替えることができたのだった。
長州藩の一員でのちの明治維新や近代日本のリーダーとなる人材を育てた人なのだとガイドブックにも記されていた人物がまさかお菓子パッケージになるほどこの街ではは推されていることにいささか驚いてしまったのは事実なのだけど。
今日は下関市の歴史の詰まった場所を訪れたかったため、想像よりも早い遭遇ができたことを喜ぶべきなのだろう。
出張で小倉へやってくるのは二度目で、山口県下関市へ足を延ばしたもそのとき以来である。
一度目は小倉をまわり、そのまま同じ北九州市内である門司港へ訪れた際、関門海峡を挟んだ先に見えた下関市に対し、こんなにも近くに存在するものなのかと驚いたものだ。
船で五分先の距離にあるということで、好奇心のあまり福岡県にある門司港から下関市にある唐戸市場まで渡ってみたのが一度目の滞在だった。
門司港観光を終えた後のわずか二時間弱のひとときで、ほとんどお店はしまっていたのだけど、船で渡ったことも影響しているのかちょっとした達成感があった。
そのときふらりと立ち寄った飲み屋で飲んだフグの汁物に胃袋を捕まれ、またそのときに話しかけてくれた地元の方々のお話が忘れられず、次にまたこちらに来る機会があるのならまたこの地を訪れようと決めていた。
何という飲み屋だったかさえ覚えていないのだけど駅前からバスに乗り込んですぐ、何度もフグの置物や飾りつけをいくつか見たし、バスの椅子だってフグの模様が描かれていて、また下関市に戻ってきたことを実感させられた。
下関駅からまず向かったのは、唐戸市場で、前回とは違い午前中に立ち寄ったこともあり、市場という名にふさわしい賑わいを感じられた。
土日祝日は市場で新鮮な海の幸を直接購入し、食べることができると聞いたいたため、楽しみにしていた。
実費で前乗りをし、なおかつ始発の新幹線に飛び乗ったのもこのためである。
活気づいた空間に思わず足を踏み入れずにはいられなかった。
市場内をぐるりと周り、フグの味噌汁と中トロとサーモンの握りを購入し、ほくほくした気持ちで海沿いのウッドデッキへ向かう。
胸が踊るこの瞬間がたまらない。
すでにいくつかの家族連れや観光客がいて、みんな関門海峡を眺めながら話に花を咲かせている。
ちょうど良い場所に隙間を見つけ、腰を下ろす。
見渡す限り、ここもまたフグの飾りつけがあちこちに施されていて、面白い。
膝の上にハンカチを乗せ、落とさないよう気を付け、握りの入ったプラスチック容器を開き、続いて味噌汁の蓋もあける。
まずは味噌汁に箸をつけ、口に含むとまろやかな白味噌がゆっくり体内を徐々に満たしていき、ほっこり息をつく。
コクのある赤だしで育った人間なのだけど、白だしの優しい味わいをこうしてたまに欲することもある。
空腹で悲鳴を上げていた胃袋が満たされていくのを感じる。
持ち帰り用の醤油を少量握りにつけ、まずは中トロから堪能する。
柔らかい歯応えと新鮮でじゅわっとした食感が口内に広がり、舌鼓を打つ。
同様にサーモンも口に含み、とろけるような滑らかさとしっとりとした柔らかい食感に思わず唸りたくなる。
自由で快適なおひとりさまでの食事も、こういうときに感情を全快に表現できないのが残念なところではある。
持参してきた緑茶のペットボトルを開き、豪快に飲み干した。
大変胃袋が満足状態に陥り、ぼんやり見つめた先に以前渡ってきた門司港が見えた。
この前は夜の時間帯だったため、オレンジがかった街灯の明かりに照らされた夜景が美しかった印象が強いが、昼間に見るその様子はまた別のものに見えた。
本州と九州。
地図で見ていたときはずいぶん離れているものだと思っていたのに、実際は思いのほか近くて驚かされる。
少し先に進んだ場所にある壇之浦古戦場跡付近から門司港までは海底トンネルを通じて歩いても渡ることができるのだと聞いている。
右の方には宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った巌流島があり、唐戸市場からも船で渡ることができる。
1185年 壇之浦の戦い
(源平合戦終焉)
1212年 巌流島の戦い
(宮本武蔵と佐々木小次郎の決戦)
1550年 フランシスコ・ザビエル上陸
(長崎に到着したのはその一年前である)
1865年 功山寺挙兵
(長州藩士 高杉晋作によるクーデター)
ガイドブックに目を通すだけでもざっくりこれだけの内容は確認することができる。
どれもこれも教科書で目にしたことのあるものばかりで、歴史が大きく動いた場所として知られるこの地に滞在していることが不思議な心境にさせられ、同時に面白いなと感じた。
ひとりで食事を楽しむことで興味深いのは、様々な会話が心地よくBGMのごとく耳に届くことだ。
がっつり聞き耳を立てるつもりはないけど、普段にはない場所で聞きなれない方言を耳にすると知らない土地に来たことを実感させられる。
そういえば、この地では『フグ』を『フク』と呼ぶのだと教えてもらった。
食べながら考えるのもなんだが、毒があると知られているのにそれでも食べようと試みたかつての人々は何を思ってこの食材と向き合ってきたのだろうか。
命だっていくつ落としたかわからない。
こうして白味噌に混ざり、贅沢感溢れる食べ物として食するのであれば喜んでいただきたいものだけど、毒がありますよと事前に知らされ、提供されたらとてもじゃないけど口に含む勇気はない。
朝鮮出兵の際に下関に集まった兵士たちが食べて中毒死した事件をきっかけに豊臣秀吉によって禁じられたフグことフクは、明治時代に老舗の料亭にて食した伊藤博文が絶賛したことにより食用が解禁されたのだという。
魚が取れず、困った女将が罰を覚悟で禁じられていたフクを提供したことがきっかけだったのだという。
窮地の事態で首覚悟だったとはいえ、禁制の食材を客人に提供する恐ろしさよ……といろいろとつっこみたいところは山ほどあるけど、山口県令に働きかけて再び食材のひとつにするよう呼び掛けた初代総理大臣の迅速な働きかけもなかなかである。
数々の研究を重ね、歴史が塗り替えられた今、この美味な食べ物に巡り合えたことを嬉しく思い、最後の一口をゆっくり舌で堪能しながら飲み込んだ。
胃も満たされたところで、徒歩で赤間神宮まで向かう。
ちょうど良いお散歩である。
下関にやってきたら一度ここを訪れたいと思っていた。
関門海峡を背に、真っ赤な宮殿を思わせる造りの神社は子どもの頃に読んだ浦島太郎の竜宮城を思わせた。
それもそのはず、源平合戦の末、破れた平家が入水をはかるなか、当時わずか六歳だった安徳天皇にその祖母である『二位の尼(平時子)』が『水の下にも都はある』とつげ、怖がる孫をなだめ、水の中に飛び込んだのだというが、たしかに境内から眺める景色は海の中に建つお城のように見えた。
もっといろんな景色を見て、おいしいものも食べたかっただろうのに。
歴代もっとも若くして亡くなった天皇が水の下の宮殿で安らかに眠りにつけますようにと願わずにはいられない。
勝つか負けるか、そんなことで生死が決まってしまうのは、恐ろしいことだなとしみじみ思う。
しんどくて苦しいときの方が多いけど、ディベートで破れて案件が通らなかったり、些細なミスが膨らんで取引先の方々に頭を下げることも少なくなかったが、命を取られるほどのことはない。
今回、初めて任された大きな大役に、空回りばかりだった。
北九州に休日を返上して一日早くやってきたのは、心がどこか落ち着かなかったからというのもある。
遠くはなれたこの地の支社の人たちは自分を受け入れてくれるだろうか。
いつもは上司の後ろについて歩いていただけだったけど今回はそうもいかない。
とはいえ、
「命あれば、何でもできる……か」
どんな結末を向かえたって最悪命を取られることもない。
何だかんだで守られた時代に生きている。
そう思うと少しだけ気持ちが楽になった気がした。
目の前に広がる関門海峡には何隻もの船が行き交う。
見ていたらあっという間に時間が過ぎていってしまいそうだ。
ぼんやりしていたら時を忘れそうだ。
立ち止まり、自分の考えを巡らせるのはいつぶりだろうか。
目まぐるしい日々の中、動き続けることが正義だと思い始めたのはいつからだっただろうか。
三十を目前にした頃、友人たちのほとんどは家庭をもち、気軽に合うことが難しくなった。
年頃になれば当たり前に運命の人に出会い、適齢期に家族を持つものだと思っていたけどそうではないらしい。
人並みの人生を生きなければいけない、そう思っていた。
だからこそ二十代最後の一年は何かに追われているようで一番余裕のなかった一年に思うものの、三十を越えたら何に悩んでいたのかとそんな悩みさえもちっぽけなものに感じられた。
それからは、何に怯えることなく、自由に自分の時間を使って生活することが増え、生きることが楽になった。
ひとりで生きることにもずいぶん慣れた。
ひとりでカフェやレストランに入ることができることがすごいね、と言われることも増えたが、行く相手がいるわけでもないので仕方がないのだと内心思う。
ずいぶんたくましくなった自身を本当は少し誇らしく思っている。
好きなときに好きなものを食べて何が悪い。
この生き方が正解なのかはわからないけど、自身が一瞬でも幸せに感じられる時間があるのならそれは正解なのだと信じたい。
おいしいものを口にしたとき、わたしはどんな場面でも頬が緩むのを感じる。
腹ごしらえは戦への備えだと思っている。
備えあれば憂いなし。
楽しみがあるからまた前を向ける。
朝月芽衣子という、朝か夜かわからない名字と重複して名前に含まれた五月の意味を持つフルネームのとおり、学生の頃から優柔不断でつかみどころのない人間だったけど、自分なりの攻略法は身につけたつもりだ。
関門海峡沿いを歩き、大きく聳え立つ関門橋に圧倒される。
考えていることが考えていることだっただけに自身のちっぽけさを改めて考えさせられた。
ひとりで過ごすことは嫌いではない。
たまにちょっと考えが迷宮入りしかけてしまうだけだ。
自身でコントロールできるようになればなんともない。
関門海峡を右手に、この『風波のクロスロード』と呼ばれる道をまっすぐ進むと壇之浦古戦場跡に続き、長府エリアにたどり着く。
長府エリアは長州藩士 高杉晋作によってクーデターが行われた高山寺がある。
源平合戦合戦が行われていたり、長州藩士がこの地を駆け巡っていたと考えると胸が弾む。
あのころからしっかり今に向かって時代という名のバトンが渡され続けてきているからだ。
わたしは歴史に残ることなくひっそり自分史に終止符を打つことになるのだろうけど、食事をし、街を眺めることでその当時の様子が想像できるのが好きだ。
壇之浦古戦場跡にたどり着き、近くの売店から香る香ばしい匂いに誘われる。
『トトロちゃんは、強い子だからね』
いつかに言われた言葉を思い返す。
年々鎧をまとい、強くなっていっただけなのだけど。
おでんを注文し、待機する。
アゴ出汁という見出しにどうしても抗えなかった。
おひとりさまだからこそできる自由な選択と行動である。
いつもいつも、大人になってからずっと楽しいことを探すことが得意になった。
生き方が不器用になった分、特にだ。
外にでない日は増えたけど、こうして出張のたびに街を知り、自身を見つめ直す時間ができることは良いことだと思っている。
少しずつ心が弾むのを感じた。
ふつふつ沸き上がるこの感情は、スタートラインに立つまでの助走段階に突入したことを意味する。
この気持ちに到達してからのわたしは強い。
明日からもまた、わたしがわたしらしくなれるよう、今日もまた自身にチャージしていく。



