出張。私はそれをご馳走旅と読む。

「すみません。生卵を一つお願いします」
 ほどなくして運ばれてきた生卵を、私は救いを求めるような気持ちで激辛スープの中に落とした。
 念入りにスープと絡め、恐る恐るもう一口。
「あ……」
 今度はちゃんと味がした。
 痛いくらいの辛さは相変わらずなのに、その奥にひき肉の旨味がある。ニラの香りも分かる。そして、強烈なニンニク。
 辛さばかりが暴れていたさっきとは違う。ちゃんと料理になった。いや、最初から料理だったのだろうけれど。
 汗と鼻水と涙を拭きながら、なんとか食べきるとふぅと息を吐く。
 食べられないわけではなかったけれど、私には少々刺激が強すぎた。
 仮に今、「もう一杯いきますか?」と聞かれたら、全力で首を横に振るだろう。
 けれど、しばらくしたらまた食べてみたくなるのかもしれない。
 そんな予感を抱かせる不思議な一杯だった。
 ヒリヒリする口の中をお冷で落ち着かせてから、私は店を後にした。
 この後は名古屋店の視察だ。
 店舗へ到着すると、まずは客として店内を一巡する。
 入口付近の販促物。商品の陳列状況。通路の動線。
 買い物客に紛れて店内確認をしながら、私はさりげなく周囲へ目を向ける。
 専門書を見比べている人。子どもに絵本を見せている人。友人に漫画をすすめている人。
 客層に偏りはなく、さまざまな年代の人が思い思いにこの場所を楽しんでいる。
 賑わう売場からは、この店がきちんと地域の日常の中に溶け込んでいることがわかる。
 売場の様子を確認し、店長に挨拶とヒアリングを軽く行えば、今回の仕事は終わりとなる。
 あとは東京へ帰るだけ。
 けれど、その前に今回の出張で最後に回収しなければならない場所がある。
 名古屋駅ホームのきしめん屋。
 改札を抜け、ホームへ向かう。
 階段を上がった途端ふわりと漂ってくる、かつお出汁の香り。
「あぁ……」
 思わず頬が緩む。
 この匂いだ。名古屋へ来るたび、いつも私を誘惑していた匂い。
 これまで一度も立ち寄ることができなかったけれど、今日は違う。
 私は迷わず店へ向かった。
 立ち食いのカウンターには数人の客の背中が見える。
 出張帰りらしいスーツ姿の男性。
 旅行客らしい夫婦。
 足元に大きな荷物を置いている人が多い。
 皆、名古屋を離れる前に、もう一度この土地の味を確かめたい。
 そんなふうに見える。
 小さな店舗の入口からは数人の待ち客の列ができていた。
 私は食券を買い、列の最後尾につく。
 立ち食い店らしく、店の回転は早い。程なくして店内に入ることができた。