手ほどきのお時間

​「おーっす、統真っ!」
 翌朝。教室に入るなり、俺は一番後ろに座る背中をバシンッと叩いた。
「いって、なにすん……理央?」
 お、びっくりしてる。つーか、昨日の今日で何やってんだ? って顔だな、それ。
「はよ。今日もいい天気だなー」
「おう……だな」
​ 統真は昨日の気まずさを引きずったまま、怪訝そうに俺を見上げる。
 だけど、それで良かった。
 俺が本当に統真を好きだって証明するためには、統真にも変わってもらわないと困る。俺のことを、ただのクラスメートだなんて思わないでほしいから。

 ——“勘違いだろ”
 授業中、こっそり振り返った先で、統真がくわぁっと欠伸をする。あんな冷たいことを言ったやつとは思えない、その間抜け面に、いまは少し笑えた。
 やっぱり俺……どう考えても、お前が好きだよ。
 心のなかで呟いた、その瞬間だった。
「……っ!」
 統真の視界に捉えられる。眠気にとろんと垂れた瞳と、視線が絡む。
「(なに?)」
 声を出さずに言う統真は、頬杖を突いていた。
 ほんと、悔しいくらい格好いい。
「(すき)」
 口を窄めて、次に歯を見せる。大袈裟に、わかりやすくしてやったはずなのに、統真は眉を寄せた。
「(……は?)」
「(とうま、すき)」
 呆れた顔。くだらねえって逸らされる瞳。……だけど、少しだけ赤くなる耳の縁。
 むさ苦しいこの教室で、俺にだけ向けられているその反応だけが、たまらなく愛おしかった。

 昼休みは、いつも一緒に飯を食っているサッカー部を置いて、統真を追った。
「な、俺も一緒にいい?」
 パンを持って駆け寄ると、目の前の瞳が大きく見開く。
「……いいけど、サッカー部は?」
「統真と食べたい」
「お前さ、……いや、なんでもない」
 統真は何かを言いかけて、やめる。その代わりに、左耳のピアスをカリカリと触りながら、グループのところへ連れて行ってくれた。
「今日、こいつも一緒にいい?」
「お、天瀬じゃんっ。もちろん」
「めずらし〜。いいよ」
 いつも視界の端に映っていた、統真のグループに加わる。同じ教室のはずなのに、まるで違う空間にいるみたいだ。
 統真とは何度も一緒に出かけたけど、こういうのは新鮮だった。グループのなかで、こっそり目が合う。それだけで、胸がくすぐったい。
「そういえば、お前ら最近仲良いのな」
 唐突に、グループの一人が、隣り合う統真と俺を指して言う。
「そう? 前と変わんなくね?」
 だけど、統真は平然としていた。それどころか、前と変わんないって……絶対、そんなことないのに。
「俺は、仲良くなったと思うけど」
「おい、」
 拗ねたように言うと、統真は咎めるように俺を睨む。でも、なぜか止まらなかった。
「前より、遊ぶようになったし」
「ほー、そうなん?」
「ピアスも、統真の真似してあけた」
「マジ?」
「つーか天瀬、すでに空いてんのかと思ってたわ」
 ——ああ、自慢か、これ。
 注目が集まるのを感じながら、俺は気がつく。
 統真とよく一緒にいるこいつらに、知らせたかった。俺らは、仲が良いんだってこと。
「てことは、今つけてんのってファーストピアス?」
 頷くと、向かいに座っていたクラスメートの手が「どれ、見して」と髪に伸びてくる。
 ただ、ピアスを覗かれるだけだとわかっているのに、俺は思わず身構えた。
「やめろよ」
 触れられなかったのは、統真の手が直前に割り込んできたからだ。それは、俺のほうに伸びてきた手首を、ガシッと鷲掴んでいた。
 宙で止まった手を眺めて、俺は目を瞬く。周りも呆気にとられていた。
「統真? どうし、」
「こいつ、いま膿んでるから見られたくないって」
 統真が放った突拍子もない嘘に、頬張っていたパンを詰まらせる。
 なんだ、膿んでるって。膿んでねぇよ。今日も最高に決まってるよ、俺のピアス。
「あー、そうなのか。悪い」
 手を引っ込めたクラスメートは、気まずそうに手を合わせる。
 統真の真似をして開けた、とびきり大事なファーストピアスに、不名誉なレッテルを貼られることになった。
 全部、統真のせいで。


「お前さ、どういうつもり?」
 その日のホームルームが終わった後、俺は統真の手に引き留められた。
「なにがだよ?」
「様子おかしかっただろ、今日」
 咎めるように言われて、目を伏せる。
 すっかり生徒たちのいなくなった教室には、夕方の冷気が静かに満ちていた。廊下をバタバタと駆ける足音や、こだまする笑い声が、遠くに聴こえる。
「授業中に邪魔してきたり、昼に押し掛けてきたり」
「……いいじゃん、べつに」
「つーか、いつの間にピアス空けたんだよ。知らなかったんだけど」
 統真の手が、耳元に伸びてくる。
 やっぱり嫌じゃない。統真に触られるのは、全然嫌じゃない。
 そう思っていたのに、ぎゅっと目を瞑って待っていても、触れられることはなかった。
「俺の真似って、なんで?」
 目を開けると、統真は寸前で手を引っ込めた。
「統真が、教えてくれたから。……好きな人と、同じものを使うといいって」
 いま、気のせいだろうか。統真の瞳が、ふるりと揺れた。
「なに、バカなこと言ってんだよ」
「バカじゃねえよ。本気だし」
「はぁ?」
「つーか、俺が変だっていうなら統真もじゃん」
「俺?」
「ここ、膿んでねぇんだけど。変な誤解生むなし」
 髪をかき上げて、完璧に埋め込まれたピアスを見せる。すると、統真は気まずそうに目を逸らした。
「……それは、悪い」
「別にいーけどさ。なんだったんだよ、アレ」
 覗き込もうとすると、また避けられる。
「あれは……まえが、かんたんに――」
 とか、なんとか。もごもごと言っていたけど、うまく聞き取れない。
「まあいーけど。これ、大事なピアスホールなんだからな」
「大事って」
「だって、統真とおそろいだし」
 いま、顔真っ赤になってねぇかな、俺。てゆーか、ここまでストレートに伝えるのって、恋愛的にどうなんだ。
 ――駆け引きなんて、出来ない。
 俺にできるのは、統真に教わったことくらいだ。
「お前、ほんとにわかってんのかよ」
「なにが?」
「俺は男だし、お前も男。これ、わかってんの?」
 そんなのとっくに知ってる。いくら恋愛初心者だからって、舐めんな。
「俺だって……恋愛すんなら普通に女の子とって、思ってたわ」
「今からでも遅くないんじゃねぇの」
「無理。統真以外のこと好きになるとか、考えらんない」
 放った瞬間、自分の声だけが、やけに大きく教室に響いた。ストレートに伝えるしか能がない、そんな自分に辟易する。
「……じゃあ、俺、もう部活だから」
「は? おい、理央」
 気恥ずかしさに頭が沸騰しそうになって、俺は教室を飛び出した。
 でも、違う……恥ずかしいだけじゃなくて、もっと、なんていうか。
「――こわい……」
 気持ちを信じてもらえたとして、そのあと、統真に拒絶されたら……?
 俺は息を荒らげながら、顔を覆う。 
「だからって……、このままじゃダメだろ」
 後のことなんて、またそんときに考えればいい。もしも、この気持ちを終わらせなければいけないのなら……そのときはまた、統真に教えてもらえばいい。
 俺は火照った両頬を叩いて、熱い息を吐き出した。

 ◇

 それから数日間、俺はアタックを続けた。
 朝は統真に合わせて登校したり、教室でも今まで以上に話しかけたり。今日も部活中に、グラウンドから統真を呼び止めた。
「統真っ!」
「おま……目ぇいいな」
 フェンス越しに、統真は呆れたように笑う。
 俺があまりにも嬉しそうに駆け寄るから、サッカー部のやつらに「犬みてぇ」なんて言われたけど、どうでもいい。尻尾くらい、いくらでも振ってやる。
「いま帰り?」
「おー、これからバイト」
「あっ、そっか。大変だな」
「まあな。今日は混むだろうし」
 言いながら、統真は苦笑を浮かべた。
「そうなの? あのカフェ?」
 たしか統真が働いているカフェで、お姉さんたちと会ったんだっけ。なんだか、随分前のことみたいだ。
「クリスマス限定スイーツが出んの」
「あー、なるほどな」
 そういえば、今日はクリスマスイブだ。サッカー部のやつらが、春山女子の子たちを招いて『二十五(あした)はクリパだぞ!』って、朝から騒いでた。
 俺はもちろん、不参加だけど。
「じゃ、行くわ。部活がんばれよ」
「う、うんっ! 統真も!」
 ひらひらと手を振って、統真の背中を見送る。
 ――……バイト、か。
「理央のやつ、まーた尻尾振ってるよ」
 部員たちの声が聞こえても、俺はしばらく、フェンスに張り付いていた。


 ぐるぐると巻き付けたマフラーに、鼻先まですっぽりと埋める。じっと突っ立っているうちに、足のつま先からじわじわと体が冷えていく。
 部活の後、俺は統真のバイト先まで訪れていた。
 店に入れたら良かったのだけど、あいにく俺の財布はすっからかん。だからこうして、カフェの影に隠れてバイトが終わるのを待っていた。
「さむー……」
 ポケットのなかに手を突っ込んで、カフェのガラス戸を見据える。忙しなく出入りする客の隙間から、エプロン姿の統真の横顔がちらりと見えた。
 こんな状況でもときめいちゃうとか……やっぱ立派に恋してんじゃん。
 働いている統真は、教室にいるときより大人っぽい。
「はぁー……」
 金欠じゃなければ、もっと近くで見れたのに。
 カバンのなかに入った、小さな箱に触れる。この、統真へのクリスマスプレゼントを買って、俺の貯金はついに底をつきたのだ。
「……早く、終わんねぇかな」
 寒さに身を縮めながら、俺は静かに店の灯りを眺めていた。

​ それから、どれくらい待っただろう。
 店の明かりが少しずつ落とされ、裏口のドアが開く。コートを羽織り、マフラーを首に巻きながら出てきた統真が、寒そうに息を吐いた。
​「……統真」
「うおっ!?」
​ 物陰からひょっこり顔を出した俺を見て、統真は後ろに飛び退く。そして、これ以上ないくらい瞠目していた。
​「理央……?」
 そんな怖がんなよ、お化けじゃないんだから。
 恐る恐る、ゆっくり近づいてくる統真に、笑みが漏れる。
「ごめん、驚かせて」
「いや、いいけど……つーかお前、」
​ 統真の手が、俺の頬にするりと触れる。その温かさが気持ちよくて目を瞑ると、統真が小さく、息を呑む音がした。
「……まさか、ずっと外で待ってた?」
「うん」
「なんで……」
「統真に、どうしても会いたくて」
 添えられた手に、自分の手を重ねる。ぴくりと、統真の反応が伝わった。
「たくさん会えば好きになってくれる、かもしんねぇし」
「っ、忠実に実践しすぎだろ」
 だって、統真がそうやって教えたから。
 わずかに口を窄めると、統真の手にほんの少しだけ力が籠った。触れられた頰が、じりじりと熱い。
「マジでばか……や、とりあえずどっか入るか。ファミレスなら近くにあるし」
「いや、いい。すぐ終わるし、金ねぇから」
「安定の金欠かよ」
 統真は呆れたように息を吐く。それから辺りを見回すと、俺の腕を強引に引っ張った。
「えっ、統真?」
「いいから、来い」
 ​連れていかれたのは、カフェと隣のビルの間に挟まれた、小さな路地裏だった。これまで無防備に夜風に晒されていた体が、わずかに体温を取り戻す。
 さらに統真は、自分のマフラーを広げて俺の頭を覆った。統真の、いい匂いがする。
「これで、少しはマシだろ」
「……ありがと」
 どうしよう。めちゃくちゃ好きだ。
 黙ったまま、俺はマフラーの端をぎゅうっと掴んだ。
「で、どうしたんだよ」
「え?」
「なんか用あったんだろ」
 言われて、俺はカバンを探る。取り出したのは、リボンの掛かった小箱だ。
「これ、渡したくて」
 ​押し付けるように胸元へ突き出すと、統真は困惑したように目を瞬いた。
「クリスマスプレゼント。お人好しの、サンタから」
 覚えてる? お前が言ったんだよ。俺からのプレゼントがほしいって。
 統真は受け取ると、静かにリボンを解く。ゆっくりと開かれた箱のなかで、二粒のシルバーが光った。
「ピアス?」
「うん」
「……着けていい?」
 大きく頷くと、統真はふっと笑みを零す。統真の耳に埋め込まれたそのシルバーは、わずかな街灯を吸い込んで、静かに瞬いた。
「どう? イケてる?」
「超イケてる!」
 即答すると、統真は指先で何度もピアスの存在を確かめる。その仕草が愛おしくて、俺は思わず呟いた。
「……やっぱり、好き」
 もう、あふれる気持ちを抑えられない。
「統真、好き」
 たった一言を伝えるだけで、涙があふれそうだなんて。怖いのに伝えたいなんて、自分でもおかしいと思う。でも、統真が与えてくれたもの全部、恋だったらいいなと思ってる。
 一歩近づいて見上げると、統真は耳たぶをいじりながら、視線を逃した。
「また、それかよ」
「お前こそ。まだ信じらんねぇのかよ」
「強情」
「統真もな」
「……ったく、もう」
 統真は大きなため息を吐いて、乱暴に前髪をかき上げる。
「ほんと……調子狂う」
 そばにいても拾えないくらい、小さな声で放ったかと思えば、視界がぐらりと揺れる。
​「っ……!?」
​ 統真に引き寄せられたのだとわかったとき、俺はすでに腕のなかに居た。その体に倒れ込んだ俺を、統真は優しく抱き留める。
 上から降ってくる吐息が、コートの内側で鳴っている心音が、わずかに鼓膜を揺らす。
 心臓が、潰れそうだ。
「と、統真……」
「勘違いだって言ったのに」
「え……?」
「こんなに吸収早いとは、思わなかった」
 なんの話だ?
 訊こうと体を動かせば、ぎゅうっとより強い力で抱きすくめられる。
 声もなく制する。
 初めて覚えさせられる、その強引さに、頭がクラクラした。
「全部、効果てきめんだったわ」
「……こうか?」
「ピアスおそろいとか、さすがに盲点……かわいすぎ」
 かわいい、なんて。俺、男だし。全然うれしくないはずなのに。でも、統真の言葉は特別だった。
 抱き締め返してしまうほど、のぼせ上がった。
「っ、俺のこと、信じてくれんの」
 やばい。本当に泣きそうだ。
 統真の背中を締めつけると「うっ」と苦しそうな声があがる。力を緩めれば、久しぶりに目が合った。
 暗がりのなかでも、その瞳が揺れているのが分かる。
「正直、まだ疑ってる」
「えっ、この流れで!?」
 やっぱり、統真のほうが強情じゃん。
「だってお前、恋愛経験なんもねーじゃん」
「そ、そりゃそうだけど……」
「初恋が男って、かなりハードル高いけど。ヘーキ?」
​ 覗き込んできた統真の口元が、にやりと吊り上がる。だけど、そんなんじゃ屈しない。
「俺は、初めてが統真で、良かったと思ってるけど」
 はっきり言い放つと、統真はパチパチと目を瞬いて、それから盛大に笑った。
「語弊を生む言い方すんな」
「ごへい?」
「あー……わかんねぇならいいです」
 突き放されてムッとしていれば、また頬に触れられる。今度は体温を確かめるためじゃないことくらい、俺にもわかった。
「ほんとに、後悔しない?」
「しねぇよ」
「ふーん。なら、まあいっか」
 軽すぎるその答えに、文句を言おうとした瞬間だった。
 頬に触れていた統真の手が、後ろ首を包み込むようにすっと回り込む。統真の顔が目前に迫って、俺はぎゅっと目を瞑った。
​「っ、」
​ 言葉を吐き出す隙間なんて、最初からなかった。
 ——これ、キス……?
 冷たい唇を塞がれて、熱い吐息が漏れる。頭を覆っていた統真のマフラーが、ふわりと肩に落ちる。
​「ん……っ」
 離れたかと思えば、もう一度。
 初めてだからって、容赦はしない——そうして笑う統真の幻覚が、頭に浮かぶ。腰が砕けそうになれば、それを予知していたかのように統真の腕が支えてくれた。
「と、ま……」
 こんなの、聞いてない。ドキドキしすぎて、死にそうだ。
 少しぼやけた視界が、統真でいっぱいになる。縋るようにその腕を掴むと、統真も熱い息を零した。
「……信じるよ、お前の気持ち」
​ 腰を支える腕は力強いのに、吐き出されたのは驚くほど甘い声。
 そのギャップに、眩暈がした。