手ほどきのお時間

 ◇

「なあー、今回こそ参加しようぜ?」
 ホームルームが終わった直後、隣のクラスから合コンの誘いに来た藤沢に、俺はため息を吐く。
 いつもなら、部活が終わるまで誘ってこないはずなのに、今日は例外だった。
「やだっつってんだろ」
「どうせ、好きな子ともうまくいってねぇんだろ?」
「関係ねぇし」
 鞄をひったくるように持って席を立つと、ガシッと肩を掴まれる。今日は一段としつこい。
「放せよ」
「今回はマジなんだよ。頼む」
「つか、なんで俺? 他当たれば?」
 ほかに飢えてるようなやつなんて、この男子校にはごまんといるだろうし。
「……顔のいい奴が欲しい」
「は?」
 藤沢が呟いた突拍子もない理由に、眉を寄せる。今度は両肩を掴まれて、俺は目をひん剥いた。
「顔が良くて、それでいてあんまり女子に興味ないやつ!」
「はぁ?」
「一見不利に思えるだろ? でも、実はすげぇ効果あんだよ」
「なんの効果だよ」
「理央に票が集まれば、女子たちはピリピリする。そこを狙う」
 焦っている女子を、健気に諭して大人の余裕を演出する――などという、くだらない作戦を熱弁されて、心底呆れた。その頭を少しは勉強に使ったらどうだ。
「だから頼む! 後生だから~」
「やーだーっつってんだろ」
「このままだとクリぼっち確定演出なんだよ~」
 藤沢は情けない声でひっついてくる。周りにいるやつらも、おもしろがって眺めているだけ。
「――お前、マジいい加減にしとけよ」
 そんななか、俺と藤沢を引き裂いてくれたのは、他の誰でもない。統真だった。
「いででででっ」
「天瀬、今のうち」
 藤沢の額を強引に押しやって、統真は言う。俺はすぐ、その救世主の背中に身を隠した。
「ありがと、統真」
「ん」
 短く返事をする背中に、視界がチカチカする。統真がいまどんな顔をしているのか、見てみたい。
「わーがっだ、もうさそわねぇがらやめでっ!」
 喉を焼かれたような声で叫ぶ藤沢に、統真はようやく手を緩める。
「言ったな? ぜってぇ誘うなよ」
「ハイ、わかりました」
 なんで運動部でもない統真に、力で負けてんだよ。
 従順に返事をした藤沢が情けない。やっぱり、身長差には抗えないってことか。
「良かったな。もう誘わねぇって」
 振り返った統真は、したり顔で笑った。
「あ……おう。助かった」
「次はなに奢ってもらおっかなー」
「ちょっ、勘弁しろよ」
「冗談だよ」
 ククッと喉を鳴らした統真に、胸を撫で下ろす。パーカーを買ってしまったのもあって、今月はギリギリだった。
 背後でハッと息を呑む音が聴こえたのは、そのときだ。
「……おい、木崎」
「え、なに」
「次はお前でいいから、俺を救ってくれ……!」
 ターゲットを統真に変えて、藤沢は縋りつく。だけどものの数秒で、突っぱねられていた。
「俺も無理」
「んだよ、もしかして彼女いんのか?!」
「ちげぇよ」
 その瞬間、ぐいっと肩を引き寄せられる。あまりにも唐突で、俺は目を瞬いた。
「と、統真……?」
 引き寄せた相手を見上げると、その顔はにやりと綻ぶ。
「今週末、天瀬と遊ぶ予定だから。な?」
 ――え。
 触れあった肩から、統真の体温がやけにはっきりと伝わる。頭が真っ白になって、口をキュッと結んだ。

『お前、いっつもサッカー部とつるんでるからなー』
『なかなか声掛けにくかったわ』

 カフェで何気なく言われた、その言葉を思い出す。別に、だからどうってわけじゃないけど。
 ――でも、なんか得意げに見えるのは、気のせいじゃない……よな?
 鳴り止まない鼓動を抱えながら、俺はただ頷くことしかできなかった。

 ◇

 まさか、寝坊するなんて。
 約束をした週末、統真からの電話で飛び起きた俺は、ろくな準備もせず数分で家をでた。おかげで、新しいパーカーの下は汗に塗れている。
「ハァッ……」
 急いで待ち合わせ場所に向かうと、とんでもないイケメンが立っていた。
 グレーのチェスターコートから生える、長い脚。黒いフードがいいアクセントになっていて、伊達メガネもよく似合う。芸能人だと言われても、信じてしまいそうだ。
「統真……!」
 白い息を吐きながら駆け寄ると、俺を見つけた統真がふわりと笑う。
 ……あ、なんかヤバい。
 心臓に、甘い痺れが走った。
「よー、寝坊助」
「マジ、ほんっとにごめん!」
 手を合わせて謝ると、統真はケタケタ声を上げる。楽しみで眠れなかったと白状したら、もっと笑われそうだ。
「つーか、思ってたより早かったな」
「あー……髪とか、なんもしてねぇから」
「それで帽子か。珍しいと思った」
 寝癖を隠すためにかぶってきたニット帽を、ポンポンと撫でられる。
「でもいいじゃん。似合ってる」
「うっ、サンキュ……」
 ストレートに褒められて、俺は帽子のふちを引っ張った。
「……で、どこ行くの?」
「まずは飯だな。腹減ってんだろ?」
 頷くと、統真は先導して歩き始めた。

 駅ビルのレストランフロアで食べたランチは、かなり美味しかった。
 俺を待っている間にリサーチしてくれていたようで、「超うまい」と言うと、嬉しそうに笑う統真がかわいかった。
 学校では見られない統真を、最近はたくさん知れる。それが嬉しくて堪らない。
「そのパーカー、やっぱ似合ってんな」
 突然、思い出すように言われて、息を呑んだ。
「あとで行ってみるか。あの古着屋」
「えっ」
「店員さん、気になんだろ?」
 あの日、とっさに吐いた嘘。あのときは、どうしてあんなことを言ったのか、俺自身もわからなかった。
 でも、今はなんとなくわかる――統真とあの人が仲良くなるのが、嫌だったんだ。
「……うん」
 絞り出すような返事に、統真は満足げに頷いた。
「よし、じゃあ行くか」
 抵抗する理由は、どこにもない。
 俺は重い足を動かして、再びあの店へと向かった。

 カランコロン、と。
 気だるげに開けたドアの向こうで、見慣れたアンティークの照明が揺れた。
「いらっしゃいませー」
 カウンターからひょいと顔を出した店員さんに、脈が沈む。彼女は俺たちの姿を認めるなり、パッと顔を輝かせた。
「また来てくれたんですねー!」
 小さな体を揺らしてやってくる、可愛い女の人。
 嬉しそうなのは、統真がいるからじゃないのか。そんな思考が過って、必死に打ち消した。
「もしかして、中に着てくれてるの……」
 アウターのなかを覗かれて、俺はとっさに作り笑いを貼りつける。
「前、買ったやつです」
「やっぱり超お似合いですね。合わせ方もばっちり!」
「ありがとう、ございます」
「じゃあ、ごゆっくり見ていってくださいね」
 にこやかに戻っていく店員さんに、ほっと安堵の息を吐く。だけど、統真は不満げに俺を振り向いた。
「硬すぎ」
「え?」
「さっき俺と話してたみたいに、リラックス」
 ……だって、あの人は統真じゃねぇし。
「そんな簡単にできねぇよ」
 不満を返すと、統真はしばらく唸った。
 俺はべつに、あの人と仲良くなりたいわけじゃない。そう込めた不満は、別の意味に捉えられたようだった。
「まずは、名前を聞く」
「名前?」
「そ。今日のミッションな」
「えー……できっかな」
「『ただ会話をするより、名前を呼び合うと親密度がアップします』」
「なんだ急に」
「さっき、本屋で読んだ」
 ピースサインを掲げる統真は、呑気に笑う。
 真剣にアドバイスをしてくれるのも、藤沢から俺を庇ってくれたのも、全部――統真が本当に、俺に恋愛をさせようとしているからだ。
 そう思うと、なぜか苛立ちがこみ上げて、俺は「じゃあ」と統真を見上げた。
「ちゃんとできたら……統真も俺のこと、名前で呼んで」
「は?」
「親密度、アップしたいから」
 勢いで、こぼれ落ちる。
 俺は目を丸くしたままの統真を置いて、店員さんのもとへ駆け寄った。

 彼女の名前は、愛莉沙(えりさ)さん――。
 それだけ聞いて戻ると、統真は俺を睨むようにして立っていた。イケメンの眼力は、さすがに強力だ。
「聞いてきた」
「……おう。つーか、なに? さっきの」
 こめかみを掻きながら、統真は言う。
「名前で呼ばれたいから」
「呼んでんじゃん」
「じゃなくて、下の名前」
 ぐいっと詰め寄ると、統真はさらに顔を歪める。珍しいその反応がうれしくて、俺は統真の腕をぎゅっと掴んだ。
「知ってるよな? 俺の名前」
「……そりゃあな」
「なに? いまさら恥ずかしがってんのかよ」
 本当は、けしかけている俺のほうが、どうにかなりそうだ。
 さっきから、心臓がうるさい。
「……お」
「ん?」
「——理央」
 そっか……こんな音、なのか。
 統真が俺の名前を呼ぶ声音。それと、恋に落ちる音。
 ふたつを同時に聴いた瞬間、唐突に理解して、息の吸い方さえ忘れてしまった。

 ——俺は、統真が好きだ。