手ほどきのお時間

 学校から三駅先の、どこか垢抜けた街の雰囲気。
 ホームルームの後、「課外授業だ」と言う統真にのこのこ着いてきた俺は、すこし後悔していた。だって、あきらかに気後れする。
「なにビビってんだよ」
「び、ビビってねぇし。ちょっと落ち着かないだけで」
 気を紛らわすように、リュックの紐をぎゅっと握る。
 見渡す限り、おしゃれな古着屋やカフェばかり。それなのに、隣を歩く統真はすっかり街に馴染んでいた。
​「こういうとこ来ねぇの?」
「来ねぇって! 男同士で来る場所じゃないだろ、どう考えても」
 女子高生、カップル、女子大生、カップル、おしゃれなお兄さん。すれ違う人たちを見ればわかる。場違いだ。
「そう? 別によくね?」
「統真は、そりゃあ似合ってるし、いいかもしんねぇけど……」
「街に似合うも似合わないもねぇだろ」
「あるって。統真、見た目は大人っぽいし」
「見た目は、って余計だな」
「中身はちゃんとガキじゃん」
「旧校舎も一人では入れないような子に言われたくありませーん」
「なっ、あれはしょうがないだろっ」
 ムキになって睨むと、統真は笑う。いたずらっ子のようなその表情を見ていたら、いつの間にか肩の力が抜けていた。
「とりあえず、どっか店入るか」
 言われるまま統真についていく。
 小洒落たカフェだったらどうしようかと思ったけど、着いたのは馴染みのあるハンバーガーチェーンだった。

「なあ、課外授業ってなにすんの?」
 窓際のカウンター席に着くと、テーブルには俺のメロンソーダと統真のホットコーヒーが並んだ。
「前は、色々すっ飛ばしすぎたと思って」
 なんだ、それ。
 首を傾げると、統真はカップの蓋をパチッと開ける。小さなその穴から、湯気がするりと立ちのぼった。
「会話に慣れる以前に、好きな人ができないことには意味ねぇじゃん」
「そうなの?」
「そーなの」
 ふーんと相槌を打って、メロンソーダを流し込む。暖かい店内で飲む、この爽快感がいい。
「けどさ、会話ができなきゃ交流も生まれなくね?」
 そう訊くと、統真はじとっと目を細めた。
「会話したいと思ったか?」
「え?」
「興味のない相手にグイグイ来られて、あのまま話したいと思った?」
 誰のことかはすぐに分かった。カフェで会った、統真のお姉さんの友だちのことだ。
「……思いませんでした」
「素直でよろしい」
 視界の端で、統真の口角がにやりと持ち上がる。
「だからまずは、話したいと思える相手をつくる」
「なるほど?」
「つってもウチは野郎だらけだし、ここまで出てきたってわけ」
 どうよ、この作戦。とでも言いたげなしたり顔。コーヒーカップを傾けて「あちッ」と肩を弾いた統真に、俺は笑みを零した。
「なーに笑ってんだよ」
「いや。めちゃくちゃ真剣に考えてくれんだなーと思って」
「ん?」
「すげぇ嬉しいわ。ありがとな」
「……礼は、好きな子見つけてから言えよ」
「照れんなってー」
「うるせ」
 統真はそっぽを向いて、左耳のピアスをカリカリと爪で弄り始める。窓ガラスに映ったその表情に、小さく胸が鳴った。
「なあ、統真」
「今度はなんだよ」
「作戦はわかったんだけど、気になる子ってどうやって見つけんの?」
 外を眺めてみたけど、反射したお前の顔しか入ってこない——なんてことは、なんとなく言ってはいけない気がして、口を噤む。
 統真はしばらく唸ってから、口を開いた。
「恋愛モードに切り替える」
「恋愛モード?」
「そ。目に留まった人がいたら、イメージすんだよ」
「え、どんな?」
「その人の隣で歩いたり、話したり」
「へえ……統真もよくやってんの?」
「やるわけんねぇだろ」
 やんねぇのかよ。
 突っ込もうとしたところで、統真は「でも」と続けた。
「そうやって、好きになろうとしたことはある」
「え、まじ?」
「告白されて、顔が好みだったからなんとなくOKして」
「うわ、サイテー」
「案外そんなもんだって」
 そうなのか。俺はもっと、恋人って、長い時間をかけて惹かれ合った二人がなるもんだと思ってた。
「本気で好きになれたらいい、って思ったんだよ」
「好きだから付き合う、じゃなくて?」
「二人ともそうなら、奇跡だな」
 モテる統真がそこまで言うほど、難しいもんなのか。
 俺は口に入れたストローを強く噛んだ。
「奇跡かー……」
 氷を、カラリと揺らす。
 ぼんやりと外を眺めていると、正面の店から出てきた女性に目が留まった。
 歩道で立ち止まり、あたりをキョロキョロと見渡している。何度か店を振り返って、それから困ったように額へ手を当てた。
「なんか……困ってんのかな」
 気になって、おもむろに立ち上がる。
「天瀬?」
「ごめん。ちょっと、待ってて」
 統真の返事を聞くより先に、俺は店を飛び出していた。

 ◇
 
「ほんっとーに、ありがとうございましたっ!」
 古着屋の前で、女性は深々と頭を下げる。
 店番中にお客がスマホを忘れていってしまい、店先で途方に暮れていた。俺が声をかけると、彼女は震えた声でそう説明した。
「良かったっす、見つかって」
 代わりにスマホを届けた俺は、へらりと笑う。
 実際、そのお客を見つけてくれたのは統真で、俺は呼び止めただけだけど。
「いま店にひとりだったので、本当に助かりました。何かお礼を……」
「いや、いいっすよ」
「そうだっ! 気になる服とかあれば、割引しますよ」
「えっ」
「ね? お二人とも、良かったら中入ってください!」
 俺と統真は、断る隙も与えられず古着屋へ放り込まれる。大人しそうに見えて、この店員、かなりやり手だ。
 店内に足を踏み入れると、外の明るさが遮断されて、目がチカチカする。
 アンティークの照明からこぼれる、オレンジ色の光。香辛料と甘さを足したような、独特な匂い。木製のラックには、古着が雑多に並んでいた。
「へぇ、いいっすね」
「でしょ? 気になったら声掛けてくださいね」
「ありがとうございます」
 にっこりとお礼を言う統真は、すんなり店に溶け込んでいる。
 やっぱり、慣れてんのか。
「一目惚れでもしたのかと思った」
 古着を物色しながら言う統真に、俺は目を瞬く。
「一目惚れ?」
「いきなり走って出ていくからさ」
「あー……ごめん」
「まさか、ただのお節介とはねー」
 悪かったな、お節介で。
 呆れたような笑みにそっぽを向いて、俺も服を物色する。オシャレには見えるけど、似合うかどうかはさっぱり分からない。
「どう? 良さげなのあった?」
 いきなり覗き込まれて、「うぉっ」と肩を弾く。統真は声を殺すように笑った。
「……わかんねぇ。私服とか、あんま着ねぇし」
「部活忙しいもんなー」
「統真は? 古着屋とかもよく来んの?」
「たまに」
「へぇ……なんか、私服とかおしゃれそう」
「おしゃれですよ」
「自分で言うな」
 ツッコミを軽くいなした統真は、涼しい顔でハンガーをスライドさせる。
「好きな映画とかねえの?」
「映画?」
「ビンテージって、昔の映画をモチーフにしてんの多いから」
 薄々気づいてはいたけれど、統真が見ている世界は俺とは違う気がする。ノリが合うだけのやつだと思ってたけど、そうじゃないんだよな。
 知識も、センスも、雰囲気も。
 初めて知る一面ばかりなのに、不思議と嫌じゃなかった。
「じゃあさ、」
 そばに寄って、好きな映画のタイトルを言ってみる。統真は「いいね」と声を弾ませながら、古着を漁った。
「俺もそれ好き」
「えっ、マジ? いいよな?」
「うん。リメイクもいいけど、俺はオリジナル派」
「わかる。曲もさ、めっちゃよくね?」
「むしろ、あの曲あっての名作だろ」
 知らなかった一面が、また増える。
 同じものを、同じように好きだと思えることが、たまらなく嬉しかった。 胸の奥がふわりと軽くなって、笑みが零れる。
 俺たちはしばらく、古着探しもそっちのけになって話していた。


 試着室に入って、手渡されたパーカーを前にかざす。
 あのあと、統真が店員さんを呼んで、例の映画モチーフの服を探しだしてくれたのだ。
「……どう?」
 カーテンを開けると、そこには統真と店員さんが並んで立っている。そのツーショットから、なぜか目を逸らしたくなった。
「どう思います?」
 統真は、店員さんに尋ねる。
「とってもお似合いです! サイズもいい感じですし」
「だってさ。良かったじゃん」
 良かったじゃん、じゃねえよ。統真に訊いたのに。
 俺はなんとなく居心地の悪さを抱えたまま、試着室へと引っ込んだ。
「実はあのシリーズ、めちゃくちゃ人気なんですよ」
「名作ですもんね」
「私も激推ししてます!」
「あははっ、それは買いっすね」
 カーテン越しに聴こえる、二人の笑い声。
 映画の話で盛り上がった時は、あんなに楽しかったはずなのに。急に世界から取り残されたような気分になる。
「……っ」
 俺は乱暴に、ブレザーのボタンを留めた。

「またお待ちしてまーす!」
 店員さんに見送られて、店を出る。結局あのパーカーは、割引も手伝って買ってしまった。
 だけど、なんとなく気分は晴れなくて。ぴゅうっと吹いた冷たい風が、ささくれ立った心を冷やしていく。
「良かったじゃん。いいの手に入って」
 そう言ってくれる統真にも、ろくに返事ができない。さっきから、店員さんと話す統真の顔が離れない。
 女子と話すとき、あんなに優しい顔をするなんて、知らなかった。……知りたくなかった。
「天瀬ー、訊いてる?」
「あ……ごめん」
 うまく目が合わせられなくて、そっと俯く。すると、ふいに長い影が重なった。
「どうした、さっきからぼーっとして」
「いや……ちょっと、考えごと」
 カフェから帰るときと同じ。統真は俺に合わせて、さりげなく歩幅を緩めてくれる。
 きっと、こういうところなんだろうな。統真がモテるのって。
「まあいいけど。誘ったの、無視されたのかと思ったわ」
「誘った?」
 なにそれ、聞いてない。
 弾かれたように顔を上げると、統真はパーカーの入った紙袋を指して言った。
「今度、それ着て遊び行こうぜ」
「え?」
「お前と、もうちょいゆっくり出かけたい」
 その言葉を、嬉しいと思うのに。本当は女の子とデートがしたいんじゃないのか、なんて邪念がよぎる。
 口ごもっている俺に、統真は眉を寄せた。
「んだよ、嫌なの?」
「い、嫌じゃない」
「じゃ、決まりな」
 首を振れば、統真はふわりと頬を緩める。さっき、あの店員さんに向けていたのと同じ、優しい笑顔。
「……あのさ、統真」
 呼び止めた俺は、紙袋をぎゅっと握りしめる。胸の奥が、無性に苦しい。
 なにがなんだか自分でも分からないまま、俺は口を開いていた。
「俺、あの店員さんのこと――気になるかも」
 沈みかけの夕日が、街を茜色に染め上げる。眩しさに目を細めたせいか、統真の表情は見えなかった。