あっちでも女の話。こっちでも女の話。でも、向こうはちょっと違う。
昼休み、いつも通りサッカー部のメンツに囲まれて、俺はパンを頬張っていた。その合間に、こっそり別のグループを眺める。統真がいるグループだ。
「なあ、コレ見た? 昨日あがったショート動画」
「え、知らん。見して」
「絶対最後まで見ろよ。マジで笑い転げるから」
「ハードルあげすぎじゃね?」
一人のスマホを、統真ともう一人が覗き込む。すこし漏れて聞こえてくるのは、いまバズっているピン芸人の声。
あ、それ。俺も昨日見た。オチが最高なんだよな。
思い出し笑いしそうになって、ぐふっ、と噴き出しかける。
「おい、なにむせてんだよ」
「大丈夫か?」
「けほっ……悪い、サンキュ」
むせながら答えると、部員たちはすぐ女の話に戻った。
かなりレベルは高かったけど、惨敗。
そんな話を聞き流しながら、意識はまた統真のグループに飛んでいた。
てゆーか、統真って笑うと結構かわいいな。一緒にバカになって騒ぐこともあるけど、じっくり観察したことはなかったから、新発見。
……あ。
ふと、画面から顔をあげた統真と目が合う。固まっていると、統真は黙ったまま、廊下のほうをツンツンと指差した。
俺は黙って頷き、残りのパンを大急ぎで頬張る。またむせて、背中を擦られてしまった。
「悪い。食べ途中だった?」
アイコンタクトに従って廊下に出ると、統真は片手を軽く立てた。
「いや、だいじょ……っけほ」
「あーもう。無理にぶっこむから」
大丈夫かー? と背中を擦られながら、息を整える。
「……で、なに?」
口を拭って仕切り直すと、統真にちょいちょい、と手招きされた。壁にもたれる姿まで、妙にサマになっている。
「昨日の、追求されなかった?」
「え?」
「『心に決めた人』のハナシ」
耳元で強調されたそのフレーズに、肩が跳ねる。トーンを抑えられても、破壊力は抜群だ。
「おまっ、その言い方やめろ」
「©天瀬じゃん」
「やーめーろー!」
「ふっ……わかったわかった」
統真は口元を手で覆った。眉が下がって、目がきゅっと狭くなる。さっき見たのと同じ笑顔だ。
やっぱり、かわいい。
「で、純情ボーイは無事だった?」
この、からかうクセさえなければ。
俺もトーンを落として答えた。
「全然、無事だった。つーか、また合コン誘われたし」
「なんでまた」
「片想いなら行けんじゃん、って。ほんと野獣だわ、アイツら」
「付き合ってるわけじゃないなら、まあそうなるか」
「え……そういうもん?」
「そういうもんだろ」
目を瞬くと、統真はぐっと顔の距離を詰めてくる。探るように見つめられて、思わず一歩下がった。
「な、なに?」
「なんか、天然記念物を見てる感じ」
「は?」
「うん。やっぱお前、このままじゃ危ねぇわ」
「危ないって、なにがだよ」
「純情すぎると痛い目見んぞ、ってこと」
「……俺べつに、純情とかじゃねぇし」
統真は「ふーん」と鼻を鳴らしながら、口角を持ち上げる。
「じゃあ、試しに会ってみる?」
「会う? 誰にだよ」
「俺に手ほどき、してほしいんだろ?」
笑った顔が可愛いとは思ったけど、その笑顔は可愛くない。
眉を顰めると、統真は取り出したスマホを耳に当てる。わずかに漏れたコールの合間に、統真はピースサインを掲げた。
「俺に任せなさい」
だから、何をだ。
電話がつながると、ひらひらと手を振ってその場を離れていってしまう。遠ざかる背中を見送りながら、俺はしばらく首を傾けていた。
◇
部活のあと、俺は指定されたカフェの扉を開いた。店に一歩踏み入れると、ふわっと漂ってきたコーヒーの匂いに、外で冷やされた体がほぐれていく。
店内を見渡すと、窓際のテーブル席からひょっこりと顔をだした統真が、俺を手招きした。
「おつかれ。意外と早かったじゃん」
「おう。てゆーか、急に呼び出してなんだよ」
会ってもらいたい人がいる。
統真からそう連絡をもらってここ来た。一応シャワーは浴びてきたけど、急だったからほぼ烏の行水だ。
自分の体をくんくんと嗅いでいると、統真は笑った。
「臭くないから心配すんな。急で悪かった」
「まあ、いいけど」
「あと、天瀬は俺の隣な」
正面に座ろうとした俺に統真は、
「ほら。こっちおいで」
と、ソファを叩く。言われるまま移動すると、ブレザー越しに肩が触れて落ち着かない。
「なんか、変な感じ」
「ん? なにが?」
「いや。統真と学校以外で会ってんのがさ」
注文を済ませたあと、俺は背をもたれて統真の横顔を眺める。この角度、やっぱり新鮮だ。
「俺は前から、天瀬と遊んでみたいと思ってたけど」
「えっ、そうなの?」
「お前、いっつもサッカー部でつるんでるからなー」
統真は、左耳に埋められたピアスをいじりながら「なかなか声掛けにくかったわ」と零した。
なんとなく、胸の奥がくすぐったい。でも、統真の言葉は素直にうれしかった。
「……俺も。統真と、もっと話したいと思ってた」
「社交辞令?」
ストレートに打ち明けると、疑り深い瞳が覗き込む。俺は口を窄めて、統真を睨んだ。
「んなわけねぇじゃんっ」
「そ? じゃあ、サンキュ」
隣で頬杖をつく姿が、妙にサマになっている。礼を言ったその横顔を眺めていると、心臓が小さく音を立てた。
カランコロン。
そのとき、入り口のベルが鳴り響く。統真の視線を奪われて、俺はわかりやすく肩を落とした。
もう少し、二人で話したかったのに。
「あ、いたいた」
軽やかな声とともに、ソファにふわりと影が落ちる。
顔を上げると、艶やかな黒髪を揺らす綺麗な女性が立っていた。モノトーンに纏められた服装が、スラリとした体型を際立てている。
「サンキューな」
「うん。てゆーか、友だち連れて来ちゃったけど、いいよね?」
「え、」
綺麗な女の人の後ろから、もう一人の女性がひょっこりと顔を出す。統真が固まっている横で、俺は軽く頭を下げた。
「そういうことなら先に連絡入れろよ」
「なんでよ」
「こっちにも都合があんの」
「あんたが急に呼び出したくせに」
「姉貴が、今日しか空いてねぇって言うからだろ」
「えっ、姉貴?」
統真と女性は言い合いをやめて、俺を見る。統真のお姉さんとやらは、正面のソファに座りながらにこりと笑った。
「こんにちは。天瀬くん、だよね?」
統真と話していたのとはまるで違うトーンだ。なぜか、背筋がピンと張る。
「こ、こんにちは。天瀬理央、です」
「聞いてるよ。面接の練習したいんだって?」
「面接?」
首を傾げると、統真が俺の脇腹を軽く小突いた。
――痛っ。なんだよ。
抗議しようと隣を睨めば、統真は「そうそう」と相槌を打つ。
「こいつバイト始めたいらしいんだけど、緊張しいだから」
「そっか。まぁ、私で良ければ付き合うけど」
お姉さんは目を細める。隣に座る友人さんも「私も協力するよ~」と優しく微笑んだ。
バイトを始めたい? 俺、そんなこと頼んだっけ?
頭のなかにハテナを散らしていると、統真がすっと立ち上がる。
「ちょっと注文追加してくる。……天瀬、お前も来い」
「え? 俺も?」
「いいから」
有無を言わせない口調に、俺はわけも分からないまま統真のあとに続いた。
向かったのは、店内の奥。客席から離れたそこでは、さっきまで流れていたジャズが遠くに聴こえた。
「……なんも察せてなさそうだから、言っとくけど」
統真は俺の背中をスッと壁に押しつけ、呆れたように言う。その気迫に、喉を鳴らした。
「これ、レッスンの一環な」
「へ?」
「恋愛に必要なのは、まずコミュニケーション。女子に慣れてないなら、慣れろ」
ああ、例の手ほどきか。いまさら気がついて、俺はコクコクと頷いた。
「わ、わかった。でも、面接ってなんだよ?」
「だってお前、嫌なんじゃねぇの?」
「嫌って?」
「俺に教わってんのがバレること」
「え?」
「俺が口硬いから、頼ってきたんだろ」
たしかに、そんなことを言った気がする。自分ですら忘れていたのに、統真はそれを守ってくれていたのか。
「統真って、意外と優しいの?」
首を傾げると、統真はそっぽを向いて左耳のピアスを触る。ちょっとだけ、耳の縁が赤い。
「別に普通だろ。てゆーか、そろそろ行くぞ」
「あ、ちょっと待って」
引き留めると、統真は「ん?」と俺に合わせて屈んでくれた。サッカー部の連中には感じたことはなかったけど、統真の高さは安心する。
「俺、マジで慣れてなくて。何話していいかわかんねぇっつうか……」
「とりあえず、受け答えに集中すればいい。あとは俺がフォローするから」
「ほんと?」
「おう。まあ、友だち連れてくんのは予定外だったけどな」
統真は「悪い」と眉を下げた。
「なんで謝んの?」
「二対二って、お前が嫌いな合コンっぽいじゃん」
言われてみれば、そうかもしれない。そのうちの一組は姉弟だけど。
「緊張はするけど、嫌ではないかな」
「そうなん?」
「だって、統真がいるし。フォローしてくれんだろ?」
そう笑うと、統真は一瞬、息を呑んだように目を瞠むた。
「統真?」
「……なんでもない。行くぞ」
そっと肩を叩かれて、背筋を伸ばす。
前を行く統真の耳は、さっきよりも赤く染まっていた。
「それで、天瀬くんはなんのバイト始めたいの?」
席に戻ると、統真のお姉さんがすかさず身を乗り出す。俺が頼んだアールグレイの香りに紛れて、甘い香水の匂いが漂った。
「えっと……やっぱり飲食、ですかね」
「飲食かぁ、なんで?」
「接客とか、やってみたいです。できたら、こういう落ち着いた店で」
さっき咄嗟に考えた設定だけど、嘘じゃない。
「ここ? なら、面接練なんていらなくない?」
「え?」
「だって、統真のバイト先だよ、ここ」
紹介してあげなよ。と言うお姉さんに、統真は苦笑を浮かべる。
てゆーか、全然知らなかった。たしかに統真なら、あの制服も似合いそうだけど。
「それは……」
「いやっ、でも俺、統真に頼ってばっかいられないんで」
せっかくチャンスを作ってくれたのに、活かさなくてどうする。
統真の言葉を遮るように言うと、隣からほっとしたような息が聞こえた。
「偉いね。天瀬くんって、意外と骨あるんだ」
「ありがとうございますっ!」
「おー、元気」
にこにこと微笑むお姉さんの目元は、少しだけ統真に似てる。おかげで、そのあとの面接練習もスムーズに進んだ。
「うん、余裕で突破できそうじゃん」
「ほんとっすか」
「うちの弟より愛嬌あるし、受け答えもちゃんとしてるし」
「どうせ俺は愛嬌ねーよ」
拗ねたように言う統真がおかしくて、笑みが零れた。
「……?」
そのとき、妙な視線を感じて顔を上げる。ほとんど口を開くことのなかったお姉さんの友人が、じっと俺を見ていた。
「ねえ」
彼女は身を乗り出して、顔を近づけてきた。
「天瀬理央くん、だっけ」
「はい?」
「甘いものとか、好き?」
ハキハキとしたお姉さんとは違う、ゆったりとした話し方。甘い香水はこの人から匂っていたのだと、いまさら気が付く。
「えっと……普通に好き、ですけど」
「ほんと? じゃあ、私のバイト先とかどうかなぁ」
「え……」
「こじんまりとしたケーキ屋さんなんだけど、イートインもあってね」
「そう、なんですか」
「天瀬くん、顔もかわいいからすぐ採用されちゃうと思うな~」
ぐいっと顔を近づけられて、体が強張る。
うまく話せたと思っていたけど、やっぱり気のせいだったのか。冗談とも本気ともつかない言葉ひとつで、とたんに居心地が悪くなる。
――でも、ここで日和ったら今までと同じだ。
俺は膝の上で、ぎゅっと拳を握りしめた。
「あっ、ありがとうございます。そう言ってもらえると、うれしいです」
絞り出した声と、貼りつけた笑顔。やばい、ひきつりそうだ。
「ほんと、かわいい。私、年下の子って好きだなぁ」
「年下……で、よかったっす」
「ね。甘いの好きなら、コレ食べる?」
はい。あーん。
フォークに刺さったケーキが、俺の口元へと差し出される。突然の展開に、頭のなかがショートした。
――……やっぱり、苦手だ。
息を呑んで、固まる。
「すんません、それはちょっと」
でも、そう言ったのは俺じゃない。
差し出されたフォークと俺の間に、統真の腕が割って入っていた。
「なに? 何か問題ある?」
「こいつ、慣れてないんで。そういうのやめてもらえます?」
淡々とした統真の調子に、女の人は口を尖らせる。
「勧誘してるだけじゃん」
「じゃあ、本人が断れば文句ないっすよね」
統真は俺を振り向いて「どう?」と訊いてくる。気づけば、統真の体にすっかり庇われていた。
「……遠慮、しときます」
震える声で吐き出すと、統真は笑う。
「らしいです」
彼女にそう放った声も、わずかに弾んでいた。
「ふう……緊張した……」
秋の夜風を浴びながら、俺は大きく息を吐く。あのあとは結局気まずくて、統真と二人でカフェを出た。
「とんだ災難だったな。いきなり狙われるなんて」
隣からうっすら、笑い声が聞こえる。
「俺、獣は男だけかと思ってたけど、違うんだな」
「けもの?」
「サッカー部のやつらとかさ」
「ああ。見境ないってやつ?」
「あの女の人にも、似たような匂い感じたわ」
怖かった。そう呟くと、ぽんぽんと頭を撫でられて、肩をすくめた。
「よく頑張りました」
「え?」
「しゃべんの、頑張ってたじゃん」
見上げれば、統真はいつになく穏やかな目をしている。初めて見るその表情が、ちょっと落ち着かない。
「……でも、統真がいないと無理かも」
「なんだよそれ」
「だって、俺がもう無理!ってなった瞬間に助けてくれんだもん。そんなんできるの、統真しかいねぇし」
思ったままに伝えると、統真はピタリと足を止める。そして、額に手を当てながらため息を吐いた。これまでにないくらい、盛大に。
「なに? どうした?」
「……調子狂うわ、ほんと」
「え?」
「いいから、早く帰んぞ」
ぶっきらぼうに歩き出した背中に、走って追いつく。
隣に並べば、俺の歩幅に合わせて緩められる足音。その優しさに、胸の奥がじんわりと満たされていった。
昼休み、いつも通りサッカー部のメンツに囲まれて、俺はパンを頬張っていた。その合間に、こっそり別のグループを眺める。統真がいるグループだ。
「なあ、コレ見た? 昨日あがったショート動画」
「え、知らん。見して」
「絶対最後まで見ろよ。マジで笑い転げるから」
「ハードルあげすぎじゃね?」
一人のスマホを、統真ともう一人が覗き込む。すこし漏れて聞こえてくるのは、いまバズっているピン芸人の声。
あ、それ。俺も昨日見た。オチが最高なんだよな。
思い出し笑いしそうになって、ぐふっ、と噴き出しかける。
「おい、なにむせてんだよ」
「大丈夫か?」
「けほっ……悪い、サンキュ」
むせながら答えると、部員たちはすぐ女の話に戻った。
かなりレベルは高かったけど、惨敗。
そんな話を聞き流しながら、意識はまた統真のグループに飛んでいた。
てゆーか、統真って笑うと結構かわいいな。一緒にバカになって騒ぐこともあるけど、じっくり観察したことはなかったから、新発見。
……あ。
ふと、画面から顔をあげた統真と目が合う。固まっていると、統真は黙ったまま、廊下のほうをツンツンと指差した。
俺は黙って頷き、残りのパンを大急ぎで頬張る。またむせて、背中を擦られてしまった。
「悪い。食べ途中だった?」
アイコンタクトに従って廊下に出ると、統真は片手を軽く立てた。
「いや、だいじょ……っけほ」
「あーもう。無理にぶっこむから」
大丈夫かー? と背中を擦られながら、息を整える。
「……で、なに?」
口を拭って仕切り直すと、統真にちょいちょい、と手招きされた。壁にもたれる姿まで、妙にサマになっている。
「昨日の、追求されなかった?」
「え?」
「『心に決めた人』のハナシ」
耳元で強調されたそのフレーズに、肩が跳ねる。トーンを抑えられても、破壊力は抜群だ。
「おまっ、その言い方やめろ」
「©天瀬じゃん」
「やーめーろー!」
「ふっ……わかったわかった」
統真は口元を手で覆った。眉が下がって、目がきゅっと狭くなる。さっき見たのと同じ笑顔だ。
やっぱり、かわいい。
「で、純情ボーイは無事だった?」
この、からかうクセさえなければ。
俺もトーンを落として答えた。
「全然、無事だった。つーか、また合コン誘われたし」
「なんでまた」
「片想いなら行けんじゃん、って。ほんと野獣だわ、アイツら」
「付き合ってるわけじゃないなら、まあそうなるか」
「え……そういうもん?」
「そういうもんだろ」
目を瞬くと、統真はぐっと顔の距離を詰めてくる。探るように見つめられて、思わず一歩下がった。
「な、なに?」
「なんか、天然記念物を見てる感じ」
「は?」
「うん。やっぱお前、このままじゃ危ねぇわ」
「危ないって、なにがだよ」
「純情すぎると痛い目見んぞ、ってこと」
「……俺べつに、純情とかじゃねぇし」
統真は「ふーん」と鼻を鳴らしながら、口角を持ち上げる。
「じゃあ、試しに会ってみる?」
「会う? 誰にだよ」
「俺に手ほどき、してほしいんだろ?」
笑った顔が可愛いとは思ったけど、その笑顔は可愛くない。
眉を顰めると、統真は取り出したスマホを耳に当てる。わずかに漏れたコールの合間に、統真はピースサインを掲げた。
「俺に任せなさい」
だから、何をだ。
電話がつながると、ひらひらと手を振ってその場を離れていってしまう。遠ざかる背中を見送りながら、俺はしばらく首を傾けていた。
◇
部活のあと、俺は指定されたカフェの扉を開いた。店に一歩踏み入れると、ふわっと漂ってきたコーヒーの匂いに、外で冷やされた体がほぐれていく。
店内を見渡すと、窓際のテーブル席からひょっこりと顔をだした統真が、俺を手招きした。
「おつかれ。意外と早かったじゃん」
「おう。てゆーか、急に呼び出してなんだよ」
会ってもらいたい人がいる。
統真からそう連絡をもらってここ来た。一応シャワーは浴びてきたけど、急だったからほぼ烏の行水だ。
自分の体をくんくんと嗅いでいると、統真は笑った。
「臭くないから心配すんな。急で悪かった」
「まあ、いいけど」
「あと、天瀬は俺の隣な」
正面に座ろうとした俺に統真は、
「ほら。こっちおいで」
と、ソファを叩く。言われるまま移動すると、ブレザー越しに肩が触れて落ち着かない。
「なんか、変な感じ」
「ん? なにが?」
「いや。統真と学校以外で会ってんのがさ」
注文を済ませたあと、俺は背をもたれて統真の横顔を眺める。この角度、やっぱり新鮮だ。
「俺は前から、天瀬と遊んでみたいと思ってたけど」
「えっ、そうなの?」
「お前、いっつもサッカー部でつるんでるからなー」
統真は、左耳に埋められたピアスをいじりながら「なかなか声掛けにくかったわ」と零した。
なんとなく、胸の奥がくすぐったい。でも、統真の言葉は素直にうれしかった。
「……俺も。統真と、もっと話したいと思ってた」
「社交辞令?」
ストレートに打ち明けると、疑り深い瞳が覗き込む。俺は口を窄めて、統真を睨んだ。
「んなわけねぇじゃんっ」
「そ? じゃあ、サンキュ」
隣で頬杖をつく姿が、妙にサマになっている。礼を言ったその横顔を眺めていると、心臓が小さく音を立てた。
カランコロン。
そのとき、入り口のベルが鳴り響く。統真の視線を奪われて、俺はわかりやすく肩を落とした。
もう少し、二人で話したかったのに。
「あ、いたいた」
軽やかな声とともに、ソファにふわりと影が落ちる。
顔を上げると、艶やかな黒髪を揺らす綺麗な女性が立っていた。モノトーンに纏められた服装が、スラリとした体型を際立てている。
「サンキューな」
「うん。てゆーか、友だち連れて来ちゃったけど、いいよね?」
「え、」
綺麗な女の人の後ろから、もう一人の女性がひょっこりと顔を出す。統真が固まっている横で、俺は軽く頭を下げた。
「そういうことなら先に連絡入れろよ」
「なんでよ」
「こっちにも都合があんの」
「あんたが急に呼び出したくせに」
「姉貴が、今日しか空いてねぇって言うからだろ」
「えっ、姉貴?」
統真と女性は言い合いをやめて、俺を見る。統真のお姉さんとやらは、正面のソファに座りながらにこりと笑った。
「こんにちは。天瀬くん、だよね?」
統真と話していたのとはまるで違うトーンだ。なぜか、背筋がピンと張る。
「こ、こんにちは。天瀬理央、です」
「聞いてるよ。面接の練習したいんだって?」
「面接?」
首を傾げると、統真が俺の脇腹を軽く小突いた。
――痛っ。なんだよ。
抗議しようと隣を睨めば、統真は「そうそう」と相槌を打つ。
「こいつバイト始めたいらしいんだけど、緊張しいだから」
「そっか。まぁ、私で良ければ付き合うけど」
お姉さんは目を細める。隣に座る友人さんも「私も協力するよ~」と優しく微笑んだ。
バイトを始めたい? 俺、そんなこと頼んだっけ?
頭のなかにハテナを散らしていると、統真がすっと立ち上がる。
「ちょっと注文追加してくる。……天瀬、お前も来い」
「え? 俺も?」
「いいから」
有無を言わせない口調に、俺はわけも分からないまま統真のあとに続いた。
向かったのは、店内の奥。客席から離れたそこでは、さっきまで流れていたジャズが遠くに聴こえた。
「……なんも察せてなさそうだから、言っとくけど」
統真は俺の背中をスッと壁に押しつけ、呆れたように言う。その気迫に、喉を鳴らした。
「これ、レッスンの一環な」
「へ?」
「恋愛に必要なのは、まずコミュニケーション。女子に慣れてないなら、慣れろ」
ああ、例の手ほどきか。いまさら気がついて、俺はコクコクと頷いた。
「わ、わかった。でも、面接ってなんだよ?」
「だってお前、嫌なんじゃねぇの?」
「嫌って?」
「俺に教わってんのがバレること」
「え?」
「俺が口硬いから、頼ってきたんだろ」
たしかに、そんなことを言った気がする。自分ですら忘れていたのに、統真はそれを守ってくれていたのか。
「統真って、意外と優しいの?」
首を傾げると、統真はそっぽを向いて左耳のピアスを触る。ちょっとだけ、耳の縁が赤い。
「別に普通だろ。てゆーか、そろそろ行くぞ」
「あ、ちょっと待って」
引き留めると、統真は「ん?」と俺に合わせて屈んでくれた。サッカー部の連中には感じたことはなかったけど、統真の高さは安心する。
「俺、マジで慣れてなくて。何話していいかわかんねぇっつうか……」
「とりあえず、受け答えに集中すればいい。あとは俺がフォローするから」
「ほんと?」
「おう。まあ、友だち連れてくんのは予定外だったけどな」
統真は「悪い」と眉を下げた。
「なんで謝んの?」
「二対二って、お前が嫌いな合コンっぽいじゃん」
言われてみれば、そうかもしれない。そのうちの一組は姉弟だけど。
「緊張はするけど、嫌ではないかな」
「そうなん?」
「だって、統真がいるし。フォローしてくれんだろ?」
そう笑うと、統真は一瞬、息を呑んだように目を瞠むた。
「統真?」
「……なんでもない。行くぞ」
そっと肩を叩かれて、背筋を伸ばす。
前を行く統真の耳は、さっきよりも赤く染まっていた。
「それで、天瀬くんはなんのバイト始めたいの?」
席に戻ると、統真のお姉さんがすかさず身を乗り出す。俺が頼んだアールグレイの香りに紛れて、甘い香水の匂いが漂った。
「えっと……やっぱり飲食、ですかね」
「飲食かぁ、なんで?」
「接客とか、やってみたいです。できたら、こういう落ち着いた店で」
さっき咄嗟に考えた設定だけど、嘘じゃない。
「ここ? なら、面接練なんていらなくない?」
「え?」
「だって、統真のバイト先だよ、ここ」
紹介してあげなよ。と言うお姉さんに、統真は苦笑を浮かべる。
てゆーか、全然知らなかった。たしかに統真なら、あの制服も似合いそうだけど。
「それは……」
「いやっ、でも俺、統真に頼ってばっかいられないんで」
せっかくチャンスを作ってくれたのに、活かさなくてどうする。
統真の言葉を遮るように言うと、隣からほっとしたような息が聞こえた。
「偉いね。天瀬くんって、意外と骨あるんだ」
「ありがとうございますっ!」
「おー、元気」
にこにこと微笑むお姉さんの目元は、少しだけ統真に似てる。おかげで、そのあとの面接練習もスムーズに進んだ。
「うん、余裕で突破できそうじゃん」
「ほんとっすか」
「うちの弟より愛嬌あるし、受け答えもちゃんとしてるし」
「どうせ俺は愛嬌ねーよ」
拗ねたように言う統真がおかしくて、笑みが零れた。
「……?」
そのとき、妙な視線を感じて顔を上げる。ほとんど口を開くことのなかったお姉さんの友人が、じっと俺を見ていた。
「ねえ」
彼女は身を乗り出して、顔を近づけてきた。
「天瀬理央くん、だっけ」
「はい?」
「甘いものとか、好き?」
ハキハキとしたお姉さんとは違う、ゆったりとした話し方。甘い香水はこの人から匂っていたのだと、いまさら気が付く。
「えっと……普通に好き、ですけど」
「ほんと? じゃあ、私のバイト先とかどうかなぁ」
「え……」
「こじんまりとしたケーキ屋さんなんだけど、イートインもあってね」
「そう、なんですか」
「天瀬くん、顔もかわいいからすぐ採用されちゃうと思うな~」
ぐいっと顔を近づけられて、体が強張る。
うまく話せたと思っていたけど、やっぱり気のせいだったのか。冗談とも本気ともつかない言葉ひとつで、とたんに居心地が悪くなる。
――でも、ここで日和ったら今までと同じだ。
俺は膝の上で、ぎゅっと拳を握りしめた。
「あっ、ありがとうございます。そう言ってもらえると、うれしいです」
絞り出した声と、貼りつけた笑顔。やばい、ひきつりそうだ。
「ほんと、かわいい。私、年下の子って好きだなぁ」
「年下……で、よかったっす」
「ね。甘いの好きなら、コレ食べる?」
はい。あーん。
フォークに刺さったケーキが、俺の口元へと差し出される。突然の展開に、頭のなかがショートした。
――……やっぱり、苦手だ。
息を呑んで、固まる。
「すんません、それはちょっと」
でも、そう言ったのは俺じゃない。
差し出されたフォークと俺の間に、統真の腕が割って入っていた。
「なに? 何か問題ある?」
「こいつ、慣れてないんで。そういうのやめてもらえます?」
淡々とした統真の調子に、女の人は口を尖らせる。
「勧誘してるだけじゃん」
「じゃあ、本人が断れば文句ないっすよね」
統真は俺を振り向いて「どう?」と訊いてくる。気づけば、統真の体にすっかり庇われていた。
「……遠慮、しときます」
震える声で吐き出すと、統真は笑う。
「らしいです」
彼女にそう放った声も、わずかに弾んでいた。
「ふう……緊張した……」
秋の夜風を浴びながら、俺は大きく息を吐く。あのあとは結局気まずくて、統真と二人でカフェを出た。
「とんだ災難だったな。いきなり狙われるなんて」
隣からうっすら、笑い声が聞こえる。
「俺、獣は男だけかと思ってたけど、違うんだな」
「けもの?」
「サッカー部のやつらとかさ」
「ああ。見境ないってやつ?」
「あの女の人にも、似たような匂い感じたわ」
怖かった。そう呟くと、ぽんぽんと頭を撫でられて、肩をすくめた。
「よく頑張りました」
「え?」
「しゃべんの、頑張ってたじゃん」
見上げれば、統真はいつになく穏やかな目をしている。初めて見るその表情が、ちょっと落ち着かない。
「……でも、統真がいないと無理かも」
「なんだよそれ」
「だって、俺がもう無理!ってなった瞬間に助けてくれんだもん。そんなんできるの、統真しかいねぇし」
思ったままに伝えると、統真はピタリと足を止める。そして、額に手を当てながらため息を吐いた。これまでにないくらい、盛大に。
「なに? どうした?」
「……調子狂うわ、ほんと」
「え?」
「いいから、早く帰んぞ」
ぶっきらぼうに歩き出した背中に、走って追いつく。
隣に並べば、俺の歩幅に合わせて緩められる足音。その優しさに、胸の奥がじんわりと満たされていった。


