手ほどきのお時間

 また合コンに誘われた。
「なあ、頼むって。人数ひとり足りねえんだよ」
「やー、無理だって」
 汗と制汗剤の香りに塗れた、部活終わりの更衣室。とてもいい匂いとは言えないその空間で、俺はジャージの袖に腕を通しながら答えた。
「えー、ノリ悪ぃなぁ」
 お前らこそ、女の子の尻ばっか追いかけてないで、もうちょい部活に精を入れたらどうだ。
 今年も地区予選で敗退したサッカー部のメンバーに、眉をひそめる。
理央(りお)さ、いま彼女いないんだろー? ならいいじゃん」
 そういう問題じゃないんだよなぁ。
 肩を組んできた藤沢に苦笑を浮かべる。
「だから前から言ってんじゃん。俺は恋愛とかよくわかんねぇの」
「うわー、不健全なこと言ってる」
「その見た目で童貞だったら笑う」
 好きなだけ笑え。大体、人は見た目に寄らないっていうじゃんか。ただ派手に見られる外見なだけで、経験が豊富とは限らないんだよ。
 俺は十七になった今でも、恋愛とはかなり縁遠い。わざわざ男子校を選んだのだって、色恋沙汰に巻き込まれず、平和に過ごせそうだったからだ。
 でも、蓋を開けてみればここは、飢えた獣の集まり。
 女子高生どころか、女子大生とも合コンを組んでくるとんでもない野獣がゴロゴロいた。
「つーか、理央って一回も参加したことなくね?」
「だよなぁ。しかも、今回は超レベル高いってのに。もったいねぇ」
「宝の持ち腐れだぞー。な? 一回来てみろって」
 あーもう、さすがにしつこい。言いたいだけ言わせておこうと思ったけど、さすがにこれじゃあキリがない。
 ありったけの息を吸い込んで、俺は放った。
「心に決めた人がいるから行かねえの!!」
 ​シーン、と静まり返った更衣室。この部屋に充満していた熱気が、一瞬で冷めていく。
 ……あ。やばい。やっちまった。
「え、マジ!?」
「なんだよ、そういうことなら早く言えよ!」
「だれだれ? 春山女子の子?」
「つーか写真は!? かわいい系!? きれい系!?」
 こうなることをなんで予想できなかったんだ、バカか俺は。
 写真なんてないに決まってんだろ。いまとっさに吐き出した嘘なんだから。
「おーいサッカー部、うるせぇぞー」
 そのとき、ドアがガラリと開いて、低めの声が割り込んでくる。
 センター分けの黒髪に、スラリと伸びた背丈。片耳に二つ空いているピアスが、西日に照らされてキラリと光る。
「廊下まで丸聞こえだっつーの」
 クラスメートの木崎(きざき) 統真(とうま)は、呆れた様子で息を吐いた。
 つーか……助かった。
「おー、わりぃわりぃ」
「いまさ、理央に好きな女がいるって盛り上がっ——」
「わー!!!ちょ、勝手に言うな!」
 大声で遮った俺は、鞄を引ったくるように取って統真のもとに駆け寄る。これ以上、嘘をばらまくわけにはいかない。
「じゃあ、俺こいつと帰る約束してっから!」
「は? なに言って……」
「じゃあな!」
 ピシャンッ。
 更衣室のドアを勢いよく閉め、そのまま統真の腕を引っ張ってダッシュした。
 後ろから「あ、おい理央!」「逃げんなよー!」と野獣どもの叫び声が追いかけてきたけれど、構わず階段を駆け下りる。
​「……はぁ、はぁ……っ」
 昇降口までたどり着いたところで、ようやく足を緩める。膝に手を突いて、荒い息を吐き出した。
 冷や汗と走ったせいで、心臓がバクバク言っている。
​「……おい」
 頭上から、さっきよりも低い声が降ってきた。
「なんなのお前、急に拉致るなよ」
「ごめ……緊急事態で……とりあえず、どっか隠れよ」
 統真は腕の袖口を整えながら、睨むように俺を見下ろす。
「だからなんでだよ」
「あいつら、絶対すぐ追いかけてくるから。そうだ、旧校舎行こ」
「お前一人で行けって」
「やだよ。旧校舎怖ぇもん」
「はぁ?」
「なっ、お願い。今度なんか奢るから!」
「えー」
「予算ごひゃ……三百円内で! なんとか!」
「お前……相変わらず金欠だな」
 しょうがないだろ、統真みたいにバイトしてるわけじゃないんだし。
 どうにか三百円で買収されてくれた統真を、俺は旧校舎まで引っ張る。本校舎よりも薄暗い建物に入って、心底ひとりじゃなくて良かったと思う。
 適当に見つけた空き教室も、なにか出そうな雰囲気がある。
「で、俺は何時まで拉致られてればいいんだよ」
「アイツらが帰ったのを見届けたら」
 窓からは、校門までの道がしっかり見える。ちょっと時間を潰していれば、この不気味な校舎からも出られるだろう。
「なんか揉め事?」
 窓際の机に腰掛けた統真は、観念したように鞄を置く。
「揉めてはねぇけど、まあ、ちょっと面倒なことに……」
「へえ、めずらし」
「なにが?」
天瀬(あませ)がそんなこと言うの、めずらしいじゃん」
 そう言われて、言葉に詰まる。
 部活の仲間とつるむことが多い俺は、クラスでは統真と別のグループにいる。だけど普段からノリも合うし、よく他愛もない話をする仲だった。
 だから、そんな俺が頭を抱えているのが、統真には意外だったのかもしれない。
「誰にも言わないって、約束する?」
「まあ、いいけど」
 統真が頷くのを見て、息を吐く。
 そのまま『面倒ごと』の経緯を話すと、統真はケラケラと笑い出した。
「おいっ、こっちは大真面目なんだぞ」
「わかってるわかってる。災難だなぁと思って」
 ご愁傷さま。と笑う顔を見ていると、笑い飛ばされたほうがマシか、と思えてくるから不思議だ。
「そりゃあ、変な嘘ついたとは思うけどさぁ……」
「別に変だとは思わねぇよ。けど、言い方がさ」
「言い方?」
「『心に決めた人がいるから』って、童貞丸出しじゃん」
「ど……っ、べつに、どうだっていいだろ」
「なに? 本当に童貞なの?」
「……そういうの、よくわかんないって言ったじゃんか」
 俺がおかしいことなんて分かってる。野獣に見えるアイツらのほうが健全だってことくらい、分かってる。
 しゃがみこんで、顔を覆ってうずくまる。
 しばらくそうしていると、頭の上をぽんぽんと優しく撫でられた。
 火照ったままの顔を上げれば、統真がまたクツクツと喉を鳴らしている。
「だから、笑うなってば」
「いやいや。合コンに誘われまくってる純情男子がかわいそうで」
「同情かよ」
「同情もするわ」
「は?」
「ホントのこと言っても、信じてもらえねぇんだろ?」
 めちゃくちゃ可哀想じゃん。お前。
 さっきまでからかうように笑っていた表情が、いまはふわりと綻んでいる。
 統真がイケメンだということを、たったいま思い出した。
「なあ、統真」
「ん?」
「俺に、恋愛教えてくんない?」
「……は?」
 訝しげに首をもたげた統真は、頭から手を離す。
「いつまでも嘘つくわけにもいかねぇし、だったら本当に恋しちゃえばよくね?」
「そんくらいなんとかなんだろ」
「俺だって、恋のひとつやふたつ知りたいお年頃なんだよっ」
 好きな人すらできたことがない。
 そのことに対してすくすくと成長した、コンプレックスと好奇心。安寧を求めて男子校を選んだはずなのに、それらが消えることはなかった。
 好奇心についてはむしろ、サッカー部のやつらのせいで増長している。
「それで、なんで俺が教えんだよ」
「統真、モテんじゃん」
「ここ、男子校ですけど?」
「今年も春山女子の子からチョコもらってただろー」
「見てたの? エッチ」
「恋愛経験もふつうにあんだろ?」
「ふつうにな」
「それに、口も硬いし」
 にっ、と歯を見せた俺に、統真は唸る。
「お願い! お前にしか頼めないんだよ」
「えー」
「可哀想な俺を助けてくれよ。な、頼む!」
 正座をして、手を合わせて、必死の懇願。上目遣い。
 統真が折れたのは、案外早かった。
「まー、いいけど。なんか楽しそうだし」
「えっ、マジ!?」
「その代わり、うまくいかなくても保障しないからな」
「よっしゃ! ありがと統真ー!」
「バカあぶね……っ」
 しゃがんだままの体に飛びつくと、体勢はぐらりと揺れる。統真の手が支えてくれなければ、二人して床に倒れ込んでいたと思う。
「急に抱きついてくんなよ、気持ち悪ぃ」
「統真くんひどーい」
 そう嘆くと、統真に頭を小突かれる。俺は渋々、体を離した。

 ふと窓の外へ目をやると、いつの間にか日は沈んでいて、群青色の空が降りていた。
​「やべ、もうこんな時間か」
「アイツらも、流石に帰ったろ」
​ 統真は窓の外を確認して、鞄を肩に掛ける。今日のところは、なんとか逃げ切れたらしい。
​「じゃ、帰るか」
「おう。……あ、そうだ統真」
「ん?」
​ 教室の扉に手をかけた統真が振り返る。俺はポケットの小銭をチャリと鳴らした。
​「明日、なんか奢るわ」
「なけなしの三百円、な」
​ クスッと片方の口角を上げて、統真は笑う。その耳元に埋められた二つのピアスは、暗がりでもひそかに光っていた。