また合コンに誘われた。
「なあ、頼むって。人数ひとり足りねえんだよ」
「だから、無理だって」
汗と制汗剤の香りに塗れた、部活終わりの更衣室。俺が呆れた声を返すと、鏡越しに藤沢と目が合った。
「えー、ノリ悪ぃなぁ」
お前らこそ、女の子の尻ばっか追いかけてないで、もうちょい部活に精を入れたらどうだ。
今年も地区予選で敗退したサッカー部員たちに、眉をひそめる。
「理央さ、いま彼女いないんだろー? ならいいじゃん」
そういう問題じゃないんだよなぁ。
強引に肩を組んできた藤沢に対して、鏡に映る俺は苦笑を浮かべていた。
「だから前から言ってんじゃん。俺は恋愛とかよくわかんねぇの」
「うわー、不健全なこと言ってる」
「その見た目で童貞だったら笑う」
好きなだけ笑え。大体、人は見た目に寄らないっていうじゃんか。
ふわりと跳ねる飴色の髪、くっきりとした目鼻立ち。たまにハーフだと間違えられることもある俺、天瀬理央は、この外見のせいで恋愛に慣れていると思われがちだ。
でも実際は、高二になった今もろくな恋愛経験がない。中学では恋愛トラブルに巻き込まれて、散々な目にあった。
だから、男子校を選んだ。色恋沙汰とは無縁の平和な高校生活を送れると思ったからだ。
でも蓋を開けてみれば、ここは飢えた獣の集まり。進んで他校と合コンを組んでくる野獣がゴロゴロいた。
「理央って、一回も参加したことなくね?」
「だよなぁ。しかも、今回は超レベル高いってのに」
「宝の持ち腐れだぞー。な? 一回来てみろって」
あーもう、しつこい。言いたいだけ言わせておこうと思ったけど、さすがにこれじゃあキリがない。
ありったけの息を吸い込んで、俺は放った。
「心に決めた人がいるから行かねえの!!」
シーン、と静まり返った更衣室。この部屋に充満していた熱気が、一瞬で冷めていく。
……あ。やばい。やっちまった。
「え、マジ!?」
「なんだよ、そういうことなら早く言えよ!」
「写真は⁉︎ かわいい系!? きれい系!?」
こうなることをなんで予想できなかったんだ、バカか俺は。つーか、写真なんてないに決まってんだろ。いまとっさに吐き出した嘘なんだから。
「——おいサッカー部、うるせぇぞー」
ドアがガラリと開いて、低めの声が割り込んできたのはそのときだった。
センター分けの黒髪に、スラリと伸びた背丈。片耳に二つ空いているピアスが、西日に照らされてキラリと光る。
「廊下まで丸聞こえだっつーの」
クラスメートの木崎 統真は、呆れた様子で息を吐いた。
つーか……助かった。
「おー、わりぃわりぃ」
「いまさ、理央に好きな女がいるって盛り上がっ——」
「わー! ちょ、勝手に言うな!」
大声で遮った俺は、鞄を引ったくるように取って統真のもとへ駆け寄る。これ以上、嘘をばらまくわけにはいかない。
「じゃあ、俺こいつと帰る約束してっから!」
「は? なに言って……」
「じゃあな!」
ピシャンッ。
ドアを勢いよく閉めた俺は、そのまま統真の腕を引っ掴んでダッシュする。
後ろから「あ、おい理央!」「逃げんなよー!」と野獣どもの叫び声が追いかけてきたけれど、構わず階段を駆け下りた。
「はぁ、はぁ……っ」
昇降口までたどり着いたところで、ようやく足を緩める。膝に手を突いて、荒い息を吐き出した。
「……おい」
頭上から、さっきよりも低い声が降ってくる。理由も言わず強引に引っ張ってきたんだ。怒るのも無理はない。
「なんなのお前、急に拉致るなよ」
「ごめ……緊急事態で……とりあえず、どっか隠れよ」
統真は袖口を整えながら、睨むように俺を見下ろした。
「だから、なんでだよ」
「あいつら、絶対すぐ追いかけてくるから。そうだ、旧校舎行こ」
「お前一人で行けって」
「やだよ。旧校舎怖ぇもん」
「はぁ?」
「なっ、お願い。今度なんか奢るから!」
両手をすりすりと合わせれば、呆れたため息が聞こえる。たぶん、もう一押し。
「予算ごひゃ……三百円内で! なんとか!」
「お前……相変わらず金欠だな」
しょうがないだろ、統真みたいにバイトしてるわけじゃないんだし。
どうにか三百円で買収された統真を連れて、俺は旧校舎へ向かった。
本校舎よりも薄暗い建物に入れば、切れかけの蛍光灯がジジッと鳴く。適当に見つけた空き教室のなかは、いかにも何か出そうな雰囲気。
ひとりじゃなくて、本当に良かった。
「で、俺は何時まで拉致られてればいいんだよ」
「アイツらが帰ったのを見届けたら」
「なに、なんか揉め事?」
窓際の机に腰掛けた統真は、観念したように鞄を置く。
「揉めてはねぇけど、まあ、ちょっと面倒なことに……」
「へえ、めずらし」
「なにが?」
「天瀬がそんなこと言うの、めずらしいじゃん」
そう言われて、言葉に詰まる。
部活の仲間とつるむことが多い俺は、クラスでは統真と別のグループにいる。だけど普段からノリも合うし、よく他愛もない話をする仲でもあった。
「誰にも言わないって、約束する?」
「まあ、いいけど」
統真が頷くのを見て、息を吸い込む。面倒ごとの経緯を話し終えると、統真はケラケラと笑い出した。
「おいっ、こっちは大真面目なんだぞ」
「わかってるわかってる。災難だなぁと思って」
ご愁傷さま。と笑う顔を見ていると、笑い飛ばされたほうがマシか、と思えてくるから不思議だ。
「そりゃあ、変な嘘ついたとは思うけどさぁ……」
「別に変だとは思わねぇよ。けど、言い方がさ」
「言い方?」
「『心に決めた人がいるから』って、童貞丸出しじゃん」
「ど……っ、べつに、どうだっていいだろ」
「なに? 本当に童貞なの?」
「……そういうの、よくわかんないって言ったじゃんか」
俺がおかしいことなんて分かってる。野獣に見えるアイツらのほうが健全だってことくらい、分かってる。
しゃがみこんで、うずくまる。
しばらくそうしていると、頭の上をぽんぽんと優しく撫でられた。火照ったままの顔を上げれば、統真がまたクツクツと喉を鳴らしている。
「だから、笑うなってば」
「いやいや。合コンに誘われまくってる純情男子がかわいそうで」
「同情かよ」
「だって、ホントのこと言っても、信じてもらえねぇんだろ?」
めちゃくちゃ可哀想じゃん。お前。
さっきまでからかうように笑っていた表情が、いまはふわりと綻んでいる。統真がイケメンだということを、たったいま思い出した。
「なあ、統真」
「ん?」
「俺に、恋愛教えてくんない?」
「……は?」
訝しげに首をもたげた統真は、ピタリと動きを止める。
「いつまでも嘘つくわけにもいかねぇし、だったら本当に恋しちゃえばよくね?」
「そんくらいなんとかなんだろ」
「俺だって、恋のひとつやふたつ知りたいお年頃なんだよっ」
好きな人すらできたことがない。
その事実を養分に、コンプレックスと好奇心だけはすくすくと育っていった。安寧を求めて男子校を選んだはずなのに、それが消える気配はない。
むしろ好奇心のほうは、サッカー部のやつらのせいで膨れ上がっている。
「なんで俺なんだよ」
「統真、モテんじゃん」
「ここ、男子校ですけど?」
「今年も春山女子の子からチョコもらってただろー」
「見てたの? エッチ」
「恋愛経験もふつうにあんだろ?」
「普通にな」
「それに、口も硬いし」
にっ、と歯を見せた俺に、統真は唸る。
だけど、こういう話を誰かに言いふらすようなやつじゃないということは、二年の付き合いでよく分かっていた。
「お願い!」
「えー」
「可哀想な俺を助けてくれよ。な、頼む!」
正座をして、手を合わせて、必死の懇願。上目遣い。
統真が折れてくれたのは、案外早かった。
「まー、いいけど。なんか楽しそうだし」
「えっ、マジ!?」
「その代わり、うまくいかなくても保障しないからな」
「っしゃ! ありがと統真ー!」
「バカ、あぶねっ……」
しゃがんだままの体に飛びつくと、体勢はぐらりと揺れる。統真の手が支えてくれなければ、二人して床に倒れ込んでいたと思う。
「急に抱きついてくんなよ、気持ち悪ぃ」
「統真くんひどーい」
そう嘆くと、頭を軽く小突かれる。俺は渋々、体を剥がした。
窓の外へ目をやると、いつの間にか日は沈んでいて、群青色の空が降りていた。
「やべ、もうこんな時間か」
「アイツらも、流石に帰ったろ」
統真は窓の外を確認して、鞄を肩に掛ける。今日のところは、なんとか逃げ切れたらしい。
「じゃ、帰るか」
「おう。……あ、そうだ統真」
「ん?」
教室の扉に手をかけた統真が振り返る。俺はポケットの小銭をチャリと鳴らした。
「明日、なんか奢るわ」
「なけなしの三百円、な」
クスッと片方の口角を上げて、統真は笑う。その耳に埋められた二つのピアスは、暗がりでもひそかに瞬いていた。
「なあ、頼むって。人数ひとり足りねえんだよ」
「だから、無理だって」
汗と制汗剤の香りに塗れた、部活終わりの更衣室。俺が呆れた声を返すと、鏡越しに藤沢と目が合った。
「えー、ノリ悪ぃなぁ」
お前らこそ、女の子の尻ばっか追いかけてないで、もうちょい部活に精を入れたらどうだ。
今年も地区予選で敗退したサッカー部員たちに、眉をひそめる。
「理央さ、いま彼女いないんだろー? ならいいじゃん」
そういう問題じゃないんだよなぁ。
強引に肩を組んできた藤沢に対して、鏡に映る俺は苦笑を浮かべていた。
「だから前から言ってんじゃん。俺は恋愛とかよくわかんねぇの」
「うわー、不健全なこと言ってる」
「その見た目で童貞だったら笑う」
好きなだけ笑え。大体、人は見た目に寄らないっていうじゃんか。
ふわりと跳ねる飴色の髪、くっきりとした目鼻立ち。たまにハーフだと間違えられることもある俺、天瀬理央は、この外見のせいで恋愛に慣れていると思われがちだ。
でも実際は、高二になった今もろくな恋愛経験がない。中学では恋愛トラブルに巻き込まれて、散々な目にあった。
だから、男子校を選んだ。色恋沙汰とは無縁の平和な高校生活を送れると思ったからだ。
でも蓋を開けてみれば、ここは飢えた獣の集まり。進んで他校と合コンを組んでくる野獣がゴロゴロいた。
「理央って、一回も参加したことなくね?」
「だよなぁ。しかも、今回は超レベル高いってのに」
「宝の持ち腐れだぞー。な? 一回来てみろって」
あーもう、しつこい。言いたいだけ言わせておこうと思ったけど、さすがにこれじゃあキリがない。
ありったけの息を吸い込んで、俺は放った。
「心に決めた人がいるから行かねえの!!」
シーン、と静まり返った更衣室。この部屋に充満していた熱気が、一瞬で冷めていく。
……あ。やばい。やっちまった。
「え、マジ!?」
「なんだよ、そういうことなら早く言えよ!」
「写真は⁉︎ かわいい系!? きれい系!?」
こうなることをなんで予想できなかったんだ、バカか俺は。つーか、写真なんてないに決まってんだろ。いまとっさに吐き出した嘘なんだから。
「——おいサッカー部、うるせぇぞー」
ドアがガラリと開いて、低めの声が割り込んできたのはそのときだった。
センター分けの黒髪に、スラリと伸びた背丈。片耳に二つ空いているピアスが、西日に照らされてキラリと光る。
「廊下まで丸聞こえだっつーの」
クラスメートの木崎 統真は、呆れた様子で息を吐いた。
つーか……助かった。
「おー、わりぃわりぃ」
「いまさ、理央に好きな女がいるって盛り上がっ——」
「わー! ちょ、勝手に言うな!」
大声で遮った俺は、鞄を引ったくるように取って統真のもとへ駆け寄る。これ以上、嘘をばらまくわけにはいかない。
「じゃあ、俺こいつと帰る約束してっから!」
「は? なに言って……」
「じゃあな!」
ピシャンッ。
ドアを勢いよく閉めた俺は、そのまま統真の腕を引っ掴んでダッシュする。
後ろから「あ、おい理央!」「逃げんなよー!」と野獣どもの叫び声が追いかけてきたけれど、構わず階段を駆け下りた。
「はぁ、はぁ……っ」
昇降口までたどり着いたところで、ようやく足を緩める。膝に手を突いて、荒い息を吐き出した。
「……おい」
頭上から、さっきよりも低い声が降ってくる。理由も言わず強引に引っ張ってきたんだ。怒るのも無理はない。
「なんなのお前、急に拉致るなよ」
「ごめ……緊急事態で……とりあえず、どっか隠れよ」
統真は袖口を整えながら、睨むように俺を見下ろした。
「だから、なんでだよ」
「あいつら、絶対すぐ追いかけてくるから。そうだ、旧校舎行こ」
「お前一人で行けって」
「やだよ。旧校舎怖ぇもん」
「はぁ?」
「なっ、お願い。今度なんか奢るから!」
両手をすりすりと合わせれば、呆れたため息が聞こえる。たぶん、もう一押し。
「予算ごひゃ……三百円内で! なんとか!」
「お前……相変わらず金欠だな」
しょうがないだろ、統真みたいにバイトしてるわけじゃないんだし。
どうにか三百円で買収された統真を連れて、俺は旧校舎へ向かった。
本校舎よりも薄暗い建物に入れば、切れかけの蛍光灯がジジッと鳴く。適当に見つけた空き教室のなかは、いかにも何か出そうな雰囲気。
ひとりじゃなくて、本当に良かった。
「で、俺は何時まで拉致られてればいいんだよ」
「アイツらが帰ったのを見届けたら」
「なに、なんか揉め事?」
窓際の机に腰掛けた統真は、観念したように鞄を置く。
「揉めてはねぇけど、まあ、ちょっと面倒なことに……」
「へえ、めずらし」
「なにが?」
「天瀬がそんなこと言うの、めずらしいじゃん」
そう言われて、言葉に詰まる。
部活の仲間とつるむことが多い俺は、クラスでは統真と別のグループにいる。だけど普段からノリも合うし、よく他愛もない話をする仲でもあった。
「誰にも言わないって、約束する?」
「まあ、いいけど」
統真が頷くのを見て、息を吸い込む。面倒ごとの経緯を話し終えると、統真はケラケラと笑い出した。
「おいっ、こっちは大真面目なんだぞ」
「わかってるわかってる。災難だなぁと思って」
ご愁傷さま。と笑う顔を見ていると、笑い飛ばされたほうがマシか、と思えてくるから不思議だ。
「そりゃあ、変な嘘ついたとは思うけどさぁ……」
「別に変だとは思わねぇよ。けど、言い方がさ」
「言い方?」
「『心に決めた人がいるから』って、童貞丸出しじゃん」
「ど……っ、べつに、どうだっていいだろ」
「なに? 本当に童貞なの?」
「……そういうの、よくわかんないって言ったじゃんか」
俺がおかしいことなんて分かってる。野獣に見えるアイツらのほうが健全だってことくらい、分かってる。
しゃがみこんで、うずくまる。
しばらくそうしていると、頭の上をぽんぽんと優しく撫でられた。火照ったままの顔を上げれば、統真がまたクツクツと喉を鳴らしている。
「だから、笑うなってば」
「いやいや。合コンに誘われまくってる純情男子がかわいそうで」
「同情かよ」
「だって、ホントのこと言っても、信じてもらえねぇんだろ?」
めちゃくちゃ可哀想じゃん。お前。
さっきまでからかうように笑っていた表情が、いまはふわりと綻んでいる。統真がイケメンだということを、たったいま思い出した。
「なあ、統真」
「ん?」
「俺に、恋愛教えてくんない?」
「……は?」
訝しげに首をもたげた統真は、ピタリと動きを止める。
「いつまでも嘘つくわけにもいかねぇし、だったら本当に恋しちゃえばよくね?」
「そんくらいなんとかなんだろ」
「俺だって、恋のひとつやふたつ知りたいお年頃なんだよっ」
好きな人すらできたことがない。
その事実を養分に、コンプレックスと好奇心だけはすくすくと育っていった。安寧を求めて男子校を選んだはずなのに、それが消える気配はない。
むしろ好奇心のほうは、サッカー部のやつらのせいで膨れ上がっている。
「なんで俺なんだよ」
「統真、モテんじゃん」
「ここ、男子校ですけど?」
「今年も春山女子の子からチョコもらってただろー」
「見てたの? エッチ」
「恋愛経験もふつうにあんだろ?」
「普通にな」
「それに、口も硬いし」
にっ、と歯を見せた俺に、統真は唸る。
だけど、こういう話を誰かに言いふらすようなやつじゃないということは、二年の付き合いでよく分かっていた。
「お願い!」
「えー」
「可哀想な俺を助けてくれよ。な、頼む!」
正座をして、手を合わせて、必死の懇願。上目遣い。
統真が折れてくれたのは、案外早かった。
「まー、いいけど。なんか楽しそうだし」
「えっ、マジ!?」
「その代わり、うまくいかなくても保障しないからな」
「っしゃ! ありがと統真ー!」
「バカ、あぶねっ……」
しゃがんだままの体に飛びつくと、体勢はぐらりと揺れる。統真の手が支えてくれなければ、二人して床に倒れ込んでいたと思う。
「急に抱きついてくんなよ、気持ち悪ぃ」
「統真くんひどーい」
そう嘆くと、頭を軽く小突かれる。俺は渋々、体を剥がした。
窓の外へ目をやると、いつの間にか日は沈んでいて、群青色の空が降りていた。
「やべ、もうこんな時間か」
「アイツらも、流石に帰ったろ」
統真は窓の外を確認して、鞄を肩に掛ける。今日のところは、なんとか逃げ切れたらしい。
「じゃ、帰るか」
「おう。……あ、そうだ統真」
「ん?」
教室の扉に手をかけた統真が振り返る。俺はポケットの小銭をチャリと鳴らした。
「明日、なんか奢るわ」
「なけなしの三百円、な」
クスッと片方の口角を上げて、統真は笑う。その耳に埋められた二つのピアスは、暗がりでもひそかに瞬いていた。


