桜の花が、咲いたなら —鈍感な彼がくれた〝三つ〟のチョコレート— 【短編】


 受験本番を目前に控え、とにかく緊張していた。

 おまけに、寝不足で頭にもやもやとした痛みまである。
 少しでもしゃっきりしようと、いつも通りに、いつものコンビニで眠気覚ましドリンクをセルフレジで購入した。
 有人レジは基本使わない。たかだか飲み物一つのために、無駄な会話をしたくないから。

 信号待ちの間にドリンクを飲もうとしたら……ない。
 どうやら、セルフレジに置き去りにしたまま店を出てしまったようだ。
 やっちまったと思った時には、すでにコンビニからまあまあ離れたところまで来ていた。
 ……諦めよう。
 息を吐き、青に変わった信号を渡ろうとした瞬間、

「待ってえええ……!」

 随分とくたびれた男の声が、背後から聞こえてきた。
 振り返ると、先ほど立ち寄ったコンビニの制服を着た男が、レジ袋片手にこちらに手を振っていた。
 日頃運動をしていないのか、珍妙なフォームで走ってきた男は俺に追いつくなり、胸に手を当て呼吸を整えはじめた。

「へあっ、はあ、……おぇっ」

 今、『おぇ』って言ったよ、この人。

「……大丈夫すか」
「あまり、だいじょばないけど……っ、買った商品、忘れていってるのに、気付いて……。
 さっきまで、レジ、混んでたから、声掛けるのが遅くなって、すみません。これ……」

 そう言って渡されたレジ袋の中には、先程置き忘れた眠気覚ましドリンク……とは別に、お菓子と思しき小さな赤い箱が入っていた。

「俺、ドリンクしか買ってないです」
「ああ……これは、しがないコンビニ店長の私からの、プレゼントです」
「……へ?」
「その紺色のネクタイ……多摩響東(たまゆらひがし)高の三年生ですよね?」

 俺の高校は学年ごとにネクタイの色が変わる。よく知ってるなというより、なんで知ってるんだという警戒心で身が強張る。
 その警戒が伝わったのか、男はハッとした表情で、しどろもどろに語りはじめた。

「ええと、別に、ストーカーではないのでご安心を。
 私も、そこのOBで……いつも店に来てくれてたから、勝手な親近感から『後輩だ』って覚えてただけで。
 行き先は完全に当てずっぽうだったけど、追いつけてよかった。
 受験、大変だと思うけど……応援してます」

 躊躇いがちにはにかんだ男の口元から、白い八重歯が覗き見えた。

 その瞬間——まるで、八重歯に甘噛みされたように。
 淡い刺激が胸に走り、なにかが芽吹いて、膨らんだ。

「えっ……、あ。あの」
「ではこれで。またのご来店をお待ちしてます!」

 俺の呼びかけに応じることなく、男はひらひらと手を振って走り去っていった。
 青信号は、再び赤に変わっていた。

 レジ袋から赤い箱を取り出すと、それは必勝アイテムとして定番の、中にサクサクのウエハースが入ったチョコレートで。
 箱の裏に、右上がりの流麗な文字で書かれたメッセージを見つけた途端、芽吹いた蕾が一気に開き、咲きこぼれていく心地がした。

『あなたに桜が咲きますように』

 桜の花が舞う幻覚の中、淡い刺激の輪郭をはっきりと認識した俺は、箱に入った三つのパッケージの一つを開けるやいなや、半分に割ることなく頬張った。
 口いっぱいに広がるチョコレートの甘味に、心も身体も満たされながら、青になった信号を駆け足で渡っていった。



「——店長。このカフェラテ、百個も発注かけるんすか」
「へぁ?! ……あああ、ごめん。十個の間違いです。気付いてくれてありがとう」

 あの日から、約半年後。
 俺は、あの男が雇われ店長をしているコンビニで、学生バイトとして働いている。
 

 第一志望の大学に合格し、受験を終えた日。
 俺は真っ先にあのコンビニに足を運んだ。
 そこに男はいなかったが、店内にアルバイト募集の広告を見つけて、履歴書を買って帰った。

 帰宅後、俺は机の中にしまい込んでいた赤い箱を取り出して、

『桜、咲いたよ』

 三つ入っていたチョコレートの二つめを開封すると、あの日と同じように一口で食べ切った。



「——マジで、しっかりしてくださいよ。店長」
「うう、面目ないです……。
 しかし、大丈夫なの? 私はとっても助かってるけど、自分が大学一年だった時は、早朝からアルバイトしてる余裕なんてなかったよ」

 全然余裕ねえよ。クソ眠い上に、なるべく一限に授業を入れないように時間割組むのも至難の業だった。
 それもこれも、あんたが早朝にばっかシフト入ってるからだろ。

「大丈夫です。遊ぶ金欲しさに頑張ってますんで」
「ええっ、そんな悪人の犯行動機みたいな理由でうちに来たの? 履歴書にはもっと高尚な理由書いてた気がするんだけど」
「あんなの、馬鹿正直に本当の事書くわけないじゃないっすか」

 本当の志望動機は、遊ぶ金欲しさじゃない。
 本当に欲しいのは、遊ぶ金なんかじゃない。

 三つめのチョコレートを開けるのは、桜の花(俺の恋)が実を結んだ時と決めているから。

 商品の発注確認を終えた俺は、今度は陳列作業に入った。

「……ったく、もうすぐ賞味期限が来ちまうじゃねえか」
「あ、廃棄し忘れてるおにぎりあった? ごめんね」

 おにぎりの陳列をしていると、斜め後ろから声を掛けられた。

「そうじゃねえっす。……早く食べてえなって思っただけっすよ」
「もったいないと思うだろうけど、廃棄のおにぎりは持ち帰っちゃダメだよ。食べたいのあったら後で私が買ってあげるから」
「だからそうじゃねえって…………鈍感め」
「え? なんで私今ディスられたの??」

 なんでかって?

「あんたがいつまでも気付かないからだろ」

 俺の気持ちに。

「? ……あああ! ごめん、ズボンのチャック、全開になってた!!
 大変お見苦しい姿を晒してしまい、失礼しました。——(みのる)君」

 まじかよ、気付かなかったよ……見たかったし。

 危うく百個のカフェラテで埋め尽くされそうになったチルド飲料コーナーを背に、ペコペコと頭を下げる様子がおかしくて、思わずふっと笑みがこぼれた。

「……早く、開けさせてくれよ」
「チャックを!?」
「ちげえよ!!」

 三つめのチョコレートを、だよ——佐倉(さくら)店長。



 おしまい ❀


最後までお読み頂きありがとうございました!
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