恋じゃないふりをして

 翌朝。
 ひよりは部屋のカーテンを開け、分厚い雲に覆われた曇天の空を見上げた。
 今にも雨が降り出しそうだが、予報では午後から晴れるらしい。
 隼人が選んでくれた服に着替え、卓上鏡を取り出す。
 あまり寝付けなかったせいで、目の下にうっすら隈があり、顔色は良くない。
 髪も化粧も服装も完璧に整えているあかりが思い浮かぶ。
 ひよりは首を横に振って、ポニーテールに結んだ。
 
「私とあかりは違う。これが私だから」

鏡をしまい、スマホの画面を開く。
 隼人に送った「大丈夫?」のメッセージは既読がついているが、返事はない。
 無言の拒絶にひよりは怖気づきそうになる。
 
 会いたい。
 そう送ったら、ブロックされるかもしれない。
 会いに行ったら、帰れって追い返されるかもしれない。
 でも。

 ひよりは指を動かしてメッセージを打ち込む。
 何度も読み直しては書き直し、ようやく手を止める。
 

【ひより】:隼人に伝えたいことがあるの。会って話がしたい。

 覚悟を決めて送信ボタンを押した。

 
 一方。
 隼人は、麗香に渡された濃紺のスーツに着替え、全身鏡の前でネクタイを締めながらしかめっ面をしていた。
 ベッドの上に置いたスマホが震えるが、隼人は気付かない。
 
「隼人、準備できた?」

部屋の外から麗香に問いかけられ、隼人は何も言わずドアを開けた。
 
「あら、似合うじゃない。お父さん、待ってるわ。早く行きましょう」
「……ああ」

隼人はドアを閉め、麗香の後に続いて階段を下りていった。
 ベッドの上に置きっぱなしのスマホに気付かないまま——。

 
 ひよりは何度もスマホの通知を確認するが、いくら待っても既読にすらならない。
 
 このまま、待ってるだけじゃだめだ。
 会いに行かなきゃ。
 
 ショルダーバックにスマホを入れ、覚悟を決めて玄関扉を開けた。

 ひよりはうろ覚えながらも、なんとか隼人の家に辿り着いた。
 緊張の面持ちで、隼人の家のインターフォンを押す。

 ピンポーン。

「はーい。どちらさまでしょうか?」

インターフォン越しに柔らかい声が聞こえた。

「私、隼人くんの……クラスメイトなんですけど」
「少々お待ちくださいね」

すぐに玄関が開き、田名が出てきた。
 ひよりの顔を見た途端、目を丸くした。
 
「あら、まあ。もしかして、双葉ひよりさん?」
「あ、はい。そうです。えっと……」
「家政婦の田名です。隼人様からひよりさんのお話をよく聞いていたんです。写真も見せてもらったことがありまして」
「そうだったんですね。あの、隼人はいますか?」

田名は申し訳なさそうに身を縮こまらせた。

「それが、隼人様はご家族で出かけておりまして。私が留守を預かっているんです」
「そう、ですか」

……隼人はいない。
 面と向かって拒絶されたわけじゃないけど、会うなって言われてるみたいで、辛い。

 田名のエプロンのポケットが震え、バイブ音が鳴る。
 
「ちょっと、失礼します」

田名はひよりに背を向けて、スマホを耳に当てた。

「もしもし。奥様、どうかなさいましたか? ……それは大変。すぐにお届けします。……はい、失礼致します」

田名はスマホをポケットにしまう。玄関の前で立ちすくんでいるひよりをじっと見て、パチンと両手を打ち鳴らした。
 
「どうしたんですか?」

ひよりが驚いて尋ねると、田名は芝居がかった口調で眉尻を下げた。

「それが、ちょっと困ってしまって。隼人様がスマホを置いて行かれたみたいで。届けてほしいと頼まれたんですよ。でも、私仕事がたくさんあって手が離せなくて。どうしましょう」

ちらちらとひよりに視線を送る。
 ひよりは困惑しながら問いかけてみた。
 
「……私が、届けましょうか?」
「いいんですか? 助かりますわ。今、スマホお持ちしますから、お待ち下さい」
 
田名はにんまりと笑ってすぐに隼人のスマホを持ってきた。

「隼人様は、みなとみらいのホテルに向かっておられます」
「ホテル、ですか?」
「ご家族のプライベートをお話することはできかねますので、これ以上お伝えできないのですが」

田名はそう言うと、声を潜めてぶつぶつ呟いた。

「隼人様は、最上階のレストランでお見合いをすると言っていたわね」
「え……?」
 
 隼人が、お見合い?
 
 ひよりは愕然として固まる。
 
「あらやだ、私ったら独り言を言ってしまったわ。もう年だからつい。聞こえてませんでしたよね?」
 
田名はウィンクをして、隼人のスマホをひよりに渡した。

「では、お願いしますね。……隼人様のことも」

田名の温かい指先がひよりに触れる。固まっていたひよりは田名の温度に溶かされ、瞳に強い光を宿した。
 
「……はい! ありがとうございます!」

ひよりは頭を下げて、駅に向かって走り出した。

「わざとらしかったかしら」

田名はふふっと笑いながら、遠ざかるひよりの背中を見送った。

 
 約束の時間通りに両家は集い、レストランの個室で顔を合わせた。
 料理に舌鼓を打ちながら、隼人以外は和やかに会話をしている。
 隼人は溶けるような肉を口に放り込み、冷めた表情で窓の外を眺める。
 ぽつぽつと雨が降り出し、歩いている人々が傘を開いたり、走ったりしている。

「隼人さんは、高校ではどんな部活をされているんですか?」

最上級の着物に身を包み、しっかりとしたメイクに隙のない笑顔を浮かべる見合い相手に隼人は目もくれず、肉をナイフで切りながら素っ気なく答えた。

「別に、何も」
「そう、ですか」
 
見合い相手は俯き、その両親の笑顔が引きつる。
 正蔵は眉を寄せ、麗香は慌ててフォローに回った。

「ごめんなさいね、この子ちょっと緊張してるみたいで」
「いえ。私も緊張していて、上手く話せなくて。こんなに格好いい方、お目にかかったことありませんもの」

見合い相手は頬を赤らめて隼人を見る。
 隼人はナイフを動かす手を止め、顔を歪める。

 そんな顔で見るな。外見しか見ていないくせに。

 思わず口をついて出そうになる。
 窓ガラスに映る自分の顔が目に入る。
 仏頂面で、王子の面影はどこにもない。
 ふと、ひよりに言われたことが思い浮かぶ。
 
 『私の前では素でいたらいいじゃん』
 
 また、ひよりのこと考えてる……。
 ひよりを守るために、自分で終わりにしたくせに。
 いつまでも未練たらしく忘れられない。
 情けない。
 
 隼人は自嘲して、肉をフォークで突き刺した。


 ひよりは地下鉄を降りて、はやる気持ちを抑えてホテルに急いだ。
 迷いながらもホテルに着き、最上階のレストランへ向かう。

「ご予約はされてますか?」

中に入ろうとして、ウェイターに止められた。

「忘れ物を届けに来ただけで。鵜野森、さんはいますか?」
「少々お待ちください」

ウェイターがカウンターの下で紙をめくり、すぐに顔を上げた。
 
「鵜野森様でしたら、先ほどお帰りになりました」
「えっ。そんな……」
「もしかしたらまだ、館内にいらっしゃるかもしれません」
「ありがとうございます。探してみます!」

ひよりは急いでエレベーターに飛び乗り、1階に降りる。
 
 どこにいるの、隼人。
 まだ、ホテルにいるよね……?

 ひよりはロビーやカフェを必死に探し回る。
 だが、隼人の姿はどこにもない。

 
 食事の後、正蔵の提案で、隼人は見合い相手と2人きりにさせられた。
 雨が上がった中庭を、見合い相手と並んで歩く隼人の肌に、じっとりと湿った空気がまとわりつく。
 
「ここのお食事、おいしかったですね。隼人さんはどんなお料理が好きですか?」
「俺は……、卵焼きが好きです」
「卵焼き、ですか? ずいぶんと庶民派なんですね。他に好きなものはありますか?」

見合い相手は微笑んで首を傾げる。
 隼人は見合い相手を正面から見据える。
 
「……はっきりと伝えておきます」
「はい?」
「俺はあなたと婚約するつもりはありません。他の人を探してください」

隼人は頭を下げ、踵を返す。

「待ってください! 私では、だめなんですか?」

隼人は振り向いて、頷く。
 
「俺は、あいつ以外、誰のことも好きにならないから」
「……え?」

見合い相手は呆然として、隼人の腕を掴む力を緩める。

「隼人」

遠くの方で名前を呼ばれた気がした。
 幻聴まで聞こえるようになったかと、隼人は肩をすくめる。

「隼人!」

今度ははっきりと声が聞こえる。
 辺りを見回す。
 ホテルから中庭に出る扉の方から走ってくるひよりが、目に飛び込んできた。

「……ひより?」

隼人は瞬きを繰り返す。
 見合い相手の腕をほどき、走り出した。