春を待つ雪 〜男子高校生ふたりが、秘密のSNSアカウントを作る話〜

 四月も終わりに近づき、大型連休が待ち望まれる頃。

「すげ〜、もうすぐ四桁いくじゃん!」
 教室の真ん中から甲高い声が上がった。

 定位置となりつつある、クラスの一軍たちの溜まり場からだ。
 休み時間になると、机がひとりでに寄って、島を作る。

 椅子を跨いで座る女子のスカートは短く、机の上に腰かけて長い足を組む長身男子は学校指定外のシャツを着ているし、その周りを囲んでいる生徒たち数人も、ネクタイをリボンのように結んだり、第二ボタンまでシャツを開けている。

 時おり跳ねる笑い声は、教室のどこにいても届いた。黒板の前を通る優等生タイプの生徒たちは、自然と机の島を避けて歩く。

「ほんとだ、すごーい」
 一軍たちはスマートフォンの画面を見せあって、口々に数字を出し合う。

「フォローしてね♪」とクラスのメッセージグループに貼られたアカウントを、春希は見たことがあるが、学校での自撮り、ファストフード店でポテトを囲んでいる写真、ダンスのような何か、空を背景に愚痴なのかポエムなのか分からないテキストの羅列――と、何が面白くてこれをフォローするんだと疑問に思うものであった。

(他人の数字や顔がそんなに気になるか)
 春希は窓の外へ目を逃がした。

 校庭に生徒の姿はない。隅で掃除をしている用務員の竹箒が、一定の幅で砂をかいている。それを眺めることにした。

 極力、教室側へ顔を傾けないように意識する。自分と世界が違う存在は、最初から意識に入れなければ、煩わしいと思うこともない。

「あ、きた、うちのアイドル」
 誰かの声の直後、教室の後ろの扉が引かれた。入ってきたのは、遠野雪。
 室内のざわめきが、その瞬間だけ途切れる。

 廊下の光を背負った逆光のシルエットだけでも、遠野のスタイルの良さが分かる。
 木枠の扉が、額縁に見えた。

「遠野君〜!」
 逆向きにした椅子に跨って座っていた女子が、扉のほうへ手を振る。
「え」と、遠野がたじろいだ。

「遠野君、見てみて〜。フォロワー、もうすぐ千いきそうなんだ!」
「そ、そうなんだ……すごい、ね……?」
 遠野の席は彼らの作った島に飲み込まれていて、着席できずにオロオロしている。

(相変わらず、バイトの時と全然違う)
 あれから数回、春希はスーパーで遠野を見かけた。

 セルフレジのヘルプに立っていた日は、機械の前で固まった高齢者に寄り添い、丁寧に会計を補助していた。

「遠野君、スマホはまだ持たせてもらえなさそ?」
 女子が、SNSの画面を映したスマートフォンをひらひらと振る。遠野をSNSレースに巻き込む野望は、まだ捨てていないらしい。

「うち厳しくて……」
「しゃーないしゃーない」
 目を伏せる遠野の背中を、机の上に腰掛けた日焼けの長身男子が、ばしばしと叩いた。軽い体が左右によろめく。

「スマホなくても、うちらが撮影とか編集とかできるし、大丈夫だよ」
「遠野君いっしょに撮ろうよー、お願い!」
「え」
「遠野君、LUMiNEUXのシオンとか、NocTUNEのミナトとかに似てて可愛いし、絶対に女子が好きな顔だよ」

 聞こえてきた名前を、春希は机の下でスマートフォンに打ち込んだ。
(似てる……か?)

 いずれもK-popのアイドルグループとそのメンバー名だった。共通しているのは、グループ最年少の童顔で、体つきが華奢なところぐらいだ。

「ごめん……僕、そういうのは……」
 遠野は両手を弱々しく振る。
 女子たちはすでに遠野へカメラを向けて、角度と光の当たり方を探り始めていた。

「えっと、あの……」
 遠野が、眩しい光を避けるように片腕で顔を庇う。

「あ、そのちょっとおでこ出す感じも、可愛い!」
 どう断っても、全部が「可愛い」に変換されて戻ってくる。

「……」
 春希は腹の底に、黒いタールのような苛立ちが溜まっていくのを感じた。
 しつこい女子たちに対しても、はっきり断らない遠野に対しても。

 顔を庇う腕の隙間から、こちらを見る黒い瞳とかち合った。

「――牧野君……っ」
「え」

 唐突に名前を呼ばれて、春希は反射的に立ち上がった。
 輪の中から、泣き出す直前の子どものような双眸が、春希を見ている。
 そこにいる全員の目が、値踏みするように春希へ向いた。

 教室を、奇妙な沈黙が通り抜ける。

「あー、えーーっと」
 春希は泳ぐ目を、机の引き出しへ落とした。

「そうだ、これ、約束してたやつ、持ってきたけど」
 中から適当に引っ張り出した文庫本を、遠野へ掲げる。

 もちろん、約束なんかしていない。

「ごめん、僕、これで……」
 遠野は細い肩をさらに縮め、椅子と机の隙間を抜けて春希の席へ駆け寄ってきた。一軍グループに背を向けたまま、震えて立ち尽くす。

「ありがとう……ごめんね……」
 掠れた呟きが、春希の胸元あたりから聞こえた。細い肩の向こうに見える島の面々の顔は「邪魔するな」と言いたげだ。

「ほら。『約束』の」
 春希は文庫本を遠野に差し出した。
 表紙には、傘を広げた赤い茸の写真がひとつと、『毒キノコの世界』と、白抜きの明朝で刷られている。

「――ふふっ」
 遠野が、堪えきれずに笑った。
 甘い果物のような唇から、白い前歯が覗く。

「そこは笑うとこじゃないから」
 つられて、春希も口の端を上げる。

 島からの関心が、少しずつ剥がれていった。
 一限目の予鈴が鳴った。



 昼休みを告げるチャイムが鳴り、春希が席から立ち上がったところで、体重の軽い足音が近づいてきた。

「あの……牧野君」
「ん?」

 白い指先が視界の下から入ってくる。顔を上げると、遠野が正面にいた。

「お昼……一緒に食べよ?」
「……」

 ひとりで食べていると決めつけられている気がして、少し引っかかる。
 が、それより先に春希の口から出たのは、
「あー、おけ」
 だった。

「俺、よく中庭いくけど、そこでいい?」
「うん。いっしょにいく」
「ちょっとロッカー、寄る」
「うん」

 廊下に出ても、誰かしらの視線はつきまとった。
 階段の手前で、前を歩いていた女子の二人組が振り返った。
 教室から出てきた男子が足を止めた。
 売店へ向かう列の横を通り抜けるときにも、学年を問わず、好奇の目が追いかけてきた。

(こんな……見られる?)
 春希は歩幅を変えないよう努めて、廊下を進んだ。

 いつもなら、教室から中庭までの道のりを、毎日ひとりで歩いていた。
 そのあいだに誰かと目が合った記憶はない。

 傍らの遠野を見れば、俯いた顔が、そのまま地面に落ちてしまいそうだ。

(俺はちょうどいい盾って感じか)
 急に名前を呼んできたのも、昼食に誘ったのも、しつこいSNS勧誘から逃れるため。

 そうと分かっていても、学校では身を縮めて下を向くしかない遠野を、突き放そうという考えが、春希には浮かばなかった。

「あそこから、回り込んでく」
 春希は弁当袋と財布を持った手で、渡り廊下を指差した。
「うん」

 半分ほど進んで、
「こっち」
 と春希は右手の踏み石へ折れた。

 中庭に入ると、急に学校の音が遠くなった。
 四方を校舎に囲まれた中央に楠が一本あって、四月の終わりの葉が、地面に濃い影を落としている。

 その周りに、四人掛けのベンチが二脚。
 どちらも塗装が剥げて、木肌が灰色になっている。
 年中薄暗いこの場所を気味悪がって、近づく生徒は少ない。

 管楽器の音が小雨のように降る中、春希は片側のベンチに弁当袋を置いた。

「ここ?」
 そして遠野は、弁当袋の隣にちょこんと浅く腰掛けた。

「……」
 春希は中腰のまま動きを止めた。
 てっきり、遠野は隣のベンチに座るものと思っていたのに。

「?」
 遠野が不思議そうに、首を傾げて春希を見上げた。

「……あぁ……」
 一つ分のスペースを空けて、春希も同じベンチに腰を下ろす。

 遠野の膝には、コンビニ袋が載っていた。
 中身は三角の卵サンドイッチが一袋。それと、いちごミルクの紙パック。

 一方の春希の弁当は、二段重ね。
 一段目は白米の上にゴマ。二段目は鶏の照り焼きと、ブロッコリーと、ミニトマトと、卵焼きが詰まっている。

「遠野、昼それだけ?」
「僕、お弁当作れなくて」
「……」

 春希は口を噤んだ。
 毎朝、母親から当然のように持たされる二段弁当の重みが、急に気まずくなる。
 部活に入らず、スーパーでバイトをしている事情が、遠野にはある。

 しばらく、どちらも黙っていた。
 校舎の窓から降ってくる管楽器の音が、同じところで同じように外れる。

「キノコの本……」
 遠野の声が、忍び足で斜め下から近づいてくる。

「本当に借りてもいい?」
「ん? ああ、いいけど――興味あんの、キノコ」

 我ながら間の抜けた質問だ。案の定、遠野が「ふふっ」と歯を見せる。
 野生の小動物が心を開いてくれたような、妙な達成感があった。

「色が綺麗だなって思って」
「キレイなものは毒があるって言うよな、あ」
「?」
「――いや、うん、借りてっていいよ」
「ありがと……」

 遠野は小さな口で、サンドイッチにかぶりついた。
 パンの端が、微笑みの形にちぎられる。

 また、少し沈黙が落ちた。
 楠の葉が風に擦れて、頭の上で低く鳴る。
 上の階の窓から、笑い声の塊が落ちてきた。
 遠野の手の中で、コンビニ袋が乾いた音をたてる。

「……あのさ。僕のこと、雪って呼んで」
 ゴミをまとめて袋を結びながら、遠野はぽつりと呟いた。

「ん?」
 困惑して声を裏返らせた春希の反応に、遠野のほうも肩をびくつかせる。

「僕、……遠野雪、だから……」
「でも」
「僕も牧野君のこと……春希って呼ぶから……大丈夫」
「あ、決定事項なんだ」

 何が大丈夫なのか。
 いつもより、弁当の味が薄く感じた。