昨日よりも空にはだいぶ重い雲が広がっている。でも、この雲の向こうには必ず太陽が存在する。曇りという天気を変えられなくても、僕にはこの雲の塊を小さくする使命がある。
まだ朝のホームルームまではいくらか時間があった。なので、彼女がいるであろう西館裏へ向かった。いるであろうなんていう言葉で片付けてしまったけれど、西館裏は彼女にとっては数少ない居場所の一つなのかもしれない。
「あれ、今日は朝からお出迎えしてくれるのか?」
未雲は僕の予想通り西館裏にいた。他の友達はまだ来ていないのか、教室では使わなくなって放置されていた机で一人で勉強をしているようだった。姿はこうであるのに、朝早くから来て勉強とは僕よりも優等生なのかもしれない。
「まあ、顔を見たくなったのもあるかな」
「おー、このこの」
未雲はいじるように僕のお腹の辺りをツンツンと突いてくる。こう見ると小鳥のようで案外かわいいようにも思える。ただ、昨日のバッティングセンターのせいか体中がズキズキと痛み始めている。これ以上されたら死にそうだ。
「あとは、今日の出席状況を聞こうかと」
「今日か。今日は五時間だよな。流石に二日連続はやばいから二時間目の数学と、三時間目の日本史は出ようかな」
表ではしっかりと答えてくれているものの、その奥ではそういう質問は嫌いなんだというかのようにして気持ちを押し殺しているのは僕にもわかった。
「少しは出てくれるんだな」
「まあ、昨日はどうもやる気が出なかったから一日行かなかったけど、いつもはいくつかは参加してるからな」
「五時間目のロングホームルームは? ほら、クラス対抗のクイズ大会だよ。未雲は勉強できるから戦力になりそうだけど」
「邪魔者扱いされるだけだと思うけどな」
「そんなことないよ」
五時間目、彼女がクラスで輝けるのはこの時間だと思っている。だから、僕はなんとしてでも彼女をそこに連れて行きたいと思っていた。ただ、強引に連れて行くのは違う。何か策を考えなければいけなさそうだ。
「じゃあ、僕は朝のホームルームがあるから戻るから」
「ああ、じゃあな」
時計を確認すると、ホームルームの時間まで五分ほどに迫っていたので、未雲の元を後にすることにした。
教室に戻ると僕は異様な光景を目にした。月希が昨日トラブルになった三人組と机を挟んで向かい合いあい、何かを話していたのだ。再びトラブルかと思ったが、そういうのとは形が違った。
「昨日はごめんなさい、少し言いすぎてしまって」
月希は三人組に向かって昨日はできなかったお詫びをしていた。一日過ぎて頭を冷やすことができたのだろう。周囲のクラスメートも昨日のことなので一部の視線はその周辺に向けられていた。月希はそれを恐れずに正しいと思うことを実行したのだ。
「謝るのは勝手だけど、私たちは悪いと思ってないから」
「そうだよ、私たちは正しいと思っている」
「結局、あんたが謝ろうが私たちは立場を変えないから。席に戻ろう」
ただ、三人組は更生した様子はなく、月希に対し突っぱねた様子で席に戻っていった。月希は謝ったからといって状況は改善されないことなど分かっていたからか、謝れたこと自体に気持ちが少し晴れたのだろう。頭を上げたときの顔は怪訝なものとはかけ離れた表情をしていた。
「月希は間違ってない。よくできたな」
「……なんだ、空斗か。でしょ」
子どものように見えてしまった月希を僕はそう言いながら頭をなでた。月希は嫌がるかなと思ったけれどそんなことはなく、むしろニコッと笑っていた。
今日も朝のホームルームには未雲の姿はない。そのことを誰一人として不思議に思う様子はなく、それが当たり前であるかのように皆が受け入れていた。僕らのクラスにとっては当たり前ではあるけれど、それを当たり前にするということはとても恐ろしいことなのかもしれない。
一時間目は未雲が言っていた通り教室には現れなかったものの、一時間目が終わってから一分ほど経ったときに未雲がまるで他人の家に入るかのようにゆっくりと後ろのドアを開けてこの教室に入ってきた。僕といるときのような威勢は全く感じられない。そして、一直線に彼女は自分の席に座った。
彼女の記憶のない僕は、クラスに来た未雲とどう接するのかという術は全くもって知らない。ただ、未雲の場合特に間違えてはいけないのはたしかだ。月希が早く教室に戻ってくることを願うが、先ほどトイレに行ったばかりなのでもう少し時間がかかるであろう。未雲の周りは、まるでバリアでもあるかのように誰一人として近寄るようなことはなかった。近寄ったら感電してしまうなんてことはないのに。それを見ると、未雲が思っていることが何となく理解せざるを得ない。
休憩時間が残り五分ほどのところで月希が教室に戻ってきてくれた。そして、僕の予想通り、まるで導かれたかのように未雲に声をかけに行った。僕はその様子を体を斜めにして見つつ横目で見ていた。月希が僕に向かって手招きしているのを見ると、ようやく未雲のいる席に行くことができた。
「未雲、これ授業のやつね」
「ああ、いつも助かるよ、月希、ありがとうな」
月希は未雲に授業のノートなどをコピーした書類が入ったクリアケースを渡した。お礼のつもりなのか、月希にキャラメルをあげていた。
「今日は何時間目の参加?」
「二と三時間目かな」
「おー、そうかそうか。頑張ろうね。五時間目もできたらいてよ」
「んー、空斗もそう言ってくれたしまあ、考えておくよ」
僕が来たのはいいけれど、月希と未雲の会話が続いてしまい僕の入る余地がない。そろそろどこかで入らないといけない。昨日はあんな派手なことをしたのに、僕はどちらかというと内向的なのだなと思わされる。
「そういえば、高校にいるウサギ、今年度いっぱいでいなくなっちゃうとかいう噂を聞いたけど、本当かな?」
「あー、なんか聞いたことあるかも」
ここでようやく僕が一言発することができた。そんな噂をどこか小耳に挟んだことはある。近年の環境を考えれば無理もない話だろう。
「そうらしいな。でも、よく休み時間に覗いてるから悲しいな。かわいいしな」
「ねっ、私も前にうさちゃん抱っこしたことある! 餌もあげられたよね」
「私もなー、かなり懐いてくれたよ。日頃から見てるから仲間だと思ってくれたのかもな。でも、空斗の場合は避けられそうだな」
「そんなことはないと思うけど」
この学校のウサギには触れあえる日時があるので二人はそこで触れ合ったのだろう。ただ、僕はそのようなことをした覚えはない。とはいえ、未雲の皮肉めいた言葉にはどのような意図が隠されているのだろうか。
皆が座り始めた音がしたため、僕と月希は未雲に手を振り自分たちの席に着いた。二時間目の数学は基本的には講義授業のため隣の人と関わることはない。未雲にとってはそう負担にならないはずだ。
「白山」
「はい」
昨日行った小テストが返却される。小テストを先生から受け取った直後に席にいた未雲と目が合った。おそらく熱心に黒板に板書されたメモを取っていたのだろう。未雲はこうやって勉強をしたいのかもしれないけれど、このクラスを居場所だと思うことは四則演算の問題より何倍も難しい。
「まあ、そこそこか」
陽と勉強した成果もあってか、これまでの小テストは二十点満点中十五点ほどでキープされていたが今回は一問ミスの十七点。いい方ではあるが、陽にはいささか申し訳ない。一方でいつもは半分いけば奇跡の月希も十二点と健闘しているようであった。ただ、一瞬ちらりと見えた最終問題の回答欄には『イケメン先生』と書いてあったが大きなバツがついていた。
「えー、今回の平均点も前回とほぼ変わらず十三点。分からない部分は回答をアップしておくので各自復習するように。あと、回答欄に問題が解けなかったのか『イケメン先生』と書いてる奴がいたが、たしかに先生は『イケメン先生』かもしれないけど、バツをつけるのは息苦しいから今度したら零点な」
先生がそう笑いを誘っている間にも未雲はその空気に流されることなく小テストの問題を自主的に解いているようだった。
三時間目の日本史は、少しの時間ペア活動がある。この教科担当の先生は毎回中盤に今日ここまでで学んだことを隣の人に説明するという活動を設けている。僕は隣の人とうまくこなしたが、未雲はできただろうか。僕が終わった頃にはすでに終えていたみたいだったので確認することはできなかった。
三時間目が終わると、未雲は事前に言っていたように教室を後にしていった。まだ遊んでいたいのに友達が「そろそろ帰らないと」と言って夕焼けの中、立ち去ってしまうような寂しさはどうしても感じてしまう。
四時間目が終わると西館裏に向かったが、今日は四時間目の授業中に友達と食べてしまったという連絡が来たので引き返して、教室で風人と食べた。
風人とお弁当を食べ終えると、五時間目は例の授業なので再度未雲に声をかけてみるため西館裏へと向かった。しかし、未雲の姿は西館裏にはなかった。校庭ではサッカーなどをして遊んでいる人の姿がちらほらとあったが、未雲の姿を見つけることはまだできない。でも、飼育小屋の近くで未雲の姿を見つけた。
「未雲、ここにいたのか」
「ああ、ウサギに挨拶だ」
先ほど月希と話していた時にも未雲は時々飼育小屋に時々顔を出していると言っていた。ウサギは未雲の近くに寄っており、そんなウサギを未雲は我が子かのように見つめる。
「その左手にある袋は?」
「あ、これか?」
ただ僕は未雲を見てもう一つ気になったことがあった。左手にはゴミ袋が握られており、その中にはゴミがいくつか入っていた。わざわざゴミ袋を持ちながらここまで来るだろうか。さらに袋の大きさや、ペットボトルが三本も入っていたところがなんだか普通ではない怪しさを覚えた。
「まさか、誰かににゴミを……!?」
昨日いたあの友達にいじめられているのではないかと思ってしまったのだ。ただ、未雲は早とちりだよという風に手を横に振る。
「いや、そうじゃないそうじゃない。手持無沙汰だったからゴミを拾ってただけだよ。ゴミが捨てられているとほおっておけなくて勝手に」
そうなのか。そういう人なのか。彼女は善意の行動を他人に評価してもらうとかそういう意図ではなく、自己的な理由で僕らでは当たり前ではない大きなことをこなしてしまうのだろう。
「僕も手伝うよ。同じく僕もゴミだらけの学校は嫌だしね」
「ありがとうな」
まだ昼休みはいくらか時間があるので、僕も未雲の活動に参加することにした。未雲はよくゴミがあるスポットを教えてくれてそこを重点的に拾った。
「いつもしてるの?」
「時々だよ。時々」
「誰か知ってくれてる? 先生とか」
「おそらく知らないんじゃないかなー」
「そうなのか」
校庭にはいくつかのゴミが無造作に捨てられていた。特に多かったのはお菓子の袋のゴミだ。この中のいくつかが意図的に捨てられたと思うと心が痛む。
「ひゃあっ!」
どこから出したんだというような変な声が出てしまったが、名前もわからない虫が僕の制服に飛びついてきたのだ。小さい頃からどうも虫だけは苦手なのだ。足をバタバタさせながら払おうとした。
「なんだ虫か。空斗、止まって」
「未雲は怖くないの?」
「全然怖くないよ」
未雲はその虫を近くにあった木の枝の上に乗せてみせた。僕とは対照的だ。そして、かわいいじゃないかと言ってその虫を安全な場所に戻す。未雲はクラスの中で認められていない分、こうやって認めてくれるそのものを大切にしているのかもしれない。
「ありがとうな。……一応聞くが、何かしてほしいことはあるか?」
一通りのゴミを集め終えると、未雲はゴミ袋を固く縛った。そして、そんなことを聞いてくる。
「やっぱり五時間目来てほしいな」
元々はそういうお願いをしたいからという意図で未雲と一緒にやったわけではないけれど、こういう展開になったのであればお願いすることは一つしかない。そこで活躍して未雲自身の判断で今後を決めてほしい。
「わかったよ、空斗がそこまで言うのなら。でも、クラスで関わるようなイベントごとは全て避けてきた。そんな私なのに、本当に大丈夫なのかな?」
今の僕は知らないが、彼女はおそらく運動会、文化祭などの他人と関わる行事は全て避けてきたのだろう。だからこそ、ずっと暮らしてきた国を離れて知らない国に行かなければならないような不安を感じるのは僕にもわかる。
「ありがとう。絶対に大丈夫だから、それは僕が保証する。きっと気づいてくれるよ」
僕のお願いには乗ってくれた未雲ではあったけれど、心配な部分は拭えていないようだった。そんな未雲に僕はできるだけ安心できるような強い言葉を述べた。そして、両肩に手をそっと置いた。
五時間目、未雲は僕と一緒に教室に入った。五時間目は予定通り、クラス対抗のクイズ大会。出されるものは高校二年生までに学習したものやそれに関連する知識だ。去年も行われたが、未雲はもちろん出ていないそう。
一クラス四から五人程度の班を自由に最大六つまで作って、正誤や四択の一斉回答、早押しなどがある。未雲が輝けるとしたら早押しの部分だと思う。そして、六クラスの中で優勝したクラスにはアイスがもらえる。昨年は僕のクラスは二位で敗れたけれどかなり盛り上がっていた。僕らは月希と風人とともに四人の班を作ることにした。
「未雲、来てくれたんだー」
「まあな。月希、そんな抱き着くなよ」
月希は未雲が来てくれたことがそんなに嬉しかったのか、未雲を抱きしめていた。未雲はくすぐったそうにしていたが、それを我慢しながら笑顔を見せた。
「よく呼べたな」
「まあな」
風人からそんなことを言われたが、これは僕の推測に過ぎないけれど未雲は最初から来るつもりだったのではないかと思っている。僕の呼びかけはきっとあの時よりも前に届いていたのだろう。
僕らは一番端の方に集まったが、陸の孤島のように他の班とは離れてしまった。ここから、皆のところへ行けるような橋を作るのが僕の役目なのだ。
先生が各班にタブレットを配り始める。そして、先生の説明が終わればスタートだ。
まずは、正誤の一斉回答。
『第一問 πは無理数 〇×』
最初は簡単な数学の問題だ。流石にこれぐらいなら僕でもわかる。高校数学の最初でやったし、何なら中学生でもやった。
「月希、分かるか?」
「風人こそわかるのー?」
「ああ。じゃあ、第一問は月希が答えてくれ」
「朝飯前だよ」
風人は平均的な学力を有しているが、月希は勉強会や小テストの点数からもご察しの通り下から数えた方が早い。そんな人でもわかるぐらいならば第一問は楽勝だろう。月希は〇を押した。制限時間が来ると一斉に採点されて、教室の黒板側にあるモニターにクラスごとの得点が表示される。第一問はもちろん〇が正解だ。全クラスのほぼ全チームが正解したようだ。
『第二問 原子番号九はネオン 〇×』
二問目は化学だ。クラスの皆が一斉に「水兵リーベ、僕の家」という高校生なら一度は覚えさせられるであろう呪文を唱え始める。
「バツだ」
「マルだよ」
二問目にして風人と月希の回答が早くも割れる。僕はこのぐらいまでならまだまだ余裕だ。
「空斗は余裕そうだな。押してくれ」
未雲もまだまだ余裕そうだ。紙パックの牛乳をストローを介してチューチューと飲んでいた。僕は✕を押した。原子番号九はネオンではなくフッ素だ。先ほどと同じように自動採点される。ここで、文系組で集まった班を中心に不正解となったチームが増えてくる。
この後も僕と未雲を中心に○✕一斉回答の問題の計十問をクリアしていった。僕も多少つまずいた問題があったが、未雲はまるで四則演算かのように簡単に正解していった。ここまで僕の班はノーミス。クラス得点も現在三位と健闘していた。
次も一斉回答だが、今度は四択になる。最初の方は難なくクリアできたが途中からは難しい問題が一気に増えていく。
『第十四問 日本で二番目に長い川の長さとして一番近いのは ①約二百六十km ②約三百二十km ③約三百六十km ④約四百二十km』
第十四問。〇×ではなんとか乗り越えやすかったが、学校では習うことがほぼない問題はあてずっぽうでいくしかない。流石に未雲であっても厳しい壁だと認識しているはず。
「二番目の川でしょ、利根川っていうのは私知ってるよ」
「ただ長さは知らないな。でも大抵こういうのって一番長いのじゃない?」
「僕もこれはわからない。僕も四かな? 未雲はわかる?」
「んー、利根川だろー」
未雲は二番を選択した。僕は四番もしくは三番だと思っていたので未雲の回答は違うと思っていた。しかし、正解は二番だった。さらに、前のモニターにはクラスの正解としてこの班だけが表示されていた。そういうこともあってか、皆が一斉にこちらを向く。ただ、これを正解させたのが未雲だとは思っていないようで、その視線は僕に集中した。でも、僕は不正解している。
四択一斉回答問題も十問が終わり、これであわせて二十問が終わったことになる。残りは早押しのみだ。
「お、クラス二位!」
「優勝いける範囲じゃん!」
「早押し、誰の班でもいいからいこうな」
「でも、クラスのどこかの班かがお手つきしちゃうとそのクラスは一回お休みみたいだから注意ね」
どうやら僕らのクラスは現在二位につけているようで、一位のクラスとも逆転は可能な差でもあるようだ。最後は早押し。ただし、どこかの班がお手つきをしてしまうとそのクラスは一回お休みというペナルティー付きだ。
アイスがもらえる優勝圏内にいる僕らのクラスの熱気はかなり帯びているようだった。早押しは全部で六問。タブレットに回答を書いてボタンを押せば回答したことになる。
『第二十一問 九色ある色鉛筆から四色選ぶ方法は何通りか』
数学の並び替えの問題だ。僕も計算式ならすぐに思い浮かんだが答えを出すのには時間がかかる。しかし、すぐに三位のクラスの誰かが回答を押した。その人が出した答えは五十六通りだった。正解のマークが表示され、二位である僕らとのクラスの点差が縮まった。
「今の未雲はできたか?」
「一応答えは出たよ」
「そうか。早押しはじゃあ未雲にタブレットを託そうかな。それでいいか?」
「いいと思う」
「頭悪い私じゃ役に立てないし」
「わかった、じゃあやるよ」
未雲もすでに解けていたようだ。しかし、机の真ん中にタブレットを置くと未雲が回答を書くのにロスが発生すると思い、僕らは残り五問、未雲にすべて託すことにした。
『第二十二問 英語が公用語の国を十か国書きなさい』
第二十二問は四位のクラスの班がいち早く回答した。そして、正解と表示される。僕らのクラスからは「あ-」という声が漏れるが、未雲もすでに九か国は書き終わっているようだった。そのうちの二か国は僕も回答に加担した。
「あ、ごめん!」
第二十三問目、物理の問題でこのクラスの別の班が回答権を手にした。しかし、不正解のアラームが響き渡った。ここで、このクラスはこの問題での回答権を失った。ここでも未雲はすでに答えを書いておりあとは送信するだけの状態だった。しかし、回答権のない僕らはそれを答えることができず、一位のクラスがその五秒後に回答して正解した。
一位のクラスが今後何点を取るかにもよるがここから一位を奪うには、仮にこの後一位のクラスが全て取れなかった場合でも二十四から二十六問目で二問以上正解しなければ優勝はないという厳しい状況だ。未雲もいい線まではいっているが得点には結びついていない。
『第二十四問 部首【したごころ】の漢字を十個書きなさい』
ここでまた複数書くシリーズだ。「そもそも、したごころってどんな部首?」なんて声も聞こえてくる。恥ずかしながら僕もそのステージにいる。しかし、未雲を見ると『思・慕・恩』などの漢字が書き並べられていた。あと、一つ。まだ誰も回答権を得ていない。未雲は十個目の『恋』を書き終えるとボタンを押し、回答権を得た。判定後、この問題は未雲が正解した。
「えっ、今の誰?」
「班を見ると、あの四人の中?」
「でも、タブレットを持ってるのって……」
ここでの救世主に、先ほどよりも大きな視線が集まる。タブレットを持っている未雲が解いたのではないかと言われているが、その通りだ。このクラスの多くの人は、未雲の力を知らない。不良のようなサボり魔なんて風に思っている人もいるだろう。でも、本来の未雲はそんな風ではないのだ。
未雲に集まる視線がほんの少し輝いているように見えたのは錯覚だろうか。いや、違う。おそらく本当だ。
第二十五問は生物の問題。未雲は生物はあまり得意ではないのか、それとも先ほど浴びた視線が堪えたのか、手が止まっているように見えた。しかし、他のクラスもまだ回答権は得ていない。未雲ができたのか、回答権を押した。しかし、その手は小刻みに震えていた。だから、僕の手を上から被せた。でも、不正解の音が鳴った。そして、その直後四位のクラスが正解をした。
「大丈夫、大丈夫」
「まだ次がある!」
「四位のクラスが取ったから可能性はまだあるよ」
その後浴びせられた言葉は棘のあるものではなかった。未雲のことを避けていたクラスメートたちが未雲を応援している。もしかしたら、未雲を避けていたのは本当は一部であり、ただそう見えてしまっただけなのかもしれない。先ほど震えていた未雲の手はゆっくりといつもの温かい未雲の手に戻っていく。
未雲は大きく深呼吸する。未雲も今不思議な気分だろう。こんなにプラスの意味でクラスメートに注目されていることに。マイナスは慣れていてもプラスは彼女にとっては見たことがない景色だから。
最終問題へ進んでいく。クラスメートが言っていたように、現在二位の僕らのクラスは次の問題に正解すれば一位のクラスを逆転することができる。
『第二十六問 11223344の正の約数は全部で何個か答えよ』
最終問題が提示された。未雲が得意な数学だ。問題自体は難易度は高くはない高校数学の範囲だ。しかし、数字が大きいので単純な計算のスピードが求められる。
未雲は僕には追いつけないであろうスピードで答えへの道を作っていく。そして、ついに回答権を得た。一位の隣のクラスも押すことはできていたのか「おしいー」という声がこっちのクラスまで聞こえてきた。タッチの差で未雲が回答権を得た。
「いけー!」
さっきまでは邪魔をしないために静かにしていたクラス内も送信後はまるで体育祭のリレーのアンカーが直線コーナーに入ってきたときのような熱狂を帯びていた。
未雲の答えは四十。
「おー!」
僕らのクラスには正解の音よりも喜びの歓声の方が大きかった。一方未雲は喜びよりもほっとしたような安心感の方が大きかったみたいだ。
「未雲ちゃん! ハイタッチ」
「ありがとうー! 盛り上がったよ」
「すごい活躍だったよ」
全二十六問全てが終了すると、今日のMVPであるのは疑う余地もないが、アイドルのように皆が未雲の席に来て未雲にハイタッチを求めてきた。これではもう居場所がないという言い訳はできないだろう。今後どうするかは、未雲次第だ。僕はできることをやったつもりだ。
数分経って担任の先生たちがアイスを持ってきてくれた。暖房がガンガンに効いており、クラスの熱気で暑苦しいぐらいのこの教室で食べるアイスは格別なのかもしれない。
「なあ、私、少しずつ授業に出る回数増やそうかな」
「そうか、いいんじゃないか」
顔にバニラアイスがついている未雲は、そのバニラアイスを食べながら僕にそう嬉しい報告をしてくる。僕は未雲の顔についたバニラアイスをティッシュで拭いてあげつつ歓迎した。
「未雲の場合、強みがあるんだからその強みを生かして関わるんだよ。ここまで皆が未雲を見てくれるとは僕も想定外だったけど」
「たしかにな。最初からこうすればよかったのかもな」
最初から教えることはなかったが、未雲のように居場所が見つからない場合は、強みを皆の前で見せることが大切だと思ったのだ。そして、その作戦を実行した。
放課後も未雲へ関わってみたい人が未雲の周りへやってきた。未雲は今までのことを謝りつつ、このクラスでの生活も残り多いわけではないけれど、今後はこのクラスにできるだけいたいということを言っていた。なぜそう話していたことを知っているのかと問われれば、皆との会話を僕は少し離れたところから見守っていたからだ。
「友達……? と言っていいのかわからないけど、クラスの子からこの後カラオケとか行かないかって誘われたんだけど行ってもいいかな?」
「いいんじゃないか? 嬉しそうだしね。僕のことは気にせず遊んできたらいいよ。きっと楽しいから」
「じゃあ、また明日な。明日は四時間目以外は来るから」
「数学は来ないんかい!」
「へへっ」
未雲はそう言ってから僕の下を去ると女の子たちと教室を後にしていった。雛が旅立つ時はてこんな気持ちなのだろうか。寂しいような、応援したいような。
「あれー、振られちゃったか」
「月希か。ちげーよ、見つけただけだよ、もう一つの居場所を」
月希はそう言いながら僕をからかう。でも、おかげでもしかしたらもうすぐ泣きそうだったかもしれない僕が、泣くシーンになることはなかった。
「私はそんな空斗と帰ってあげたいと思ったけど、あいにく部活がね。その代わり、風人が後ろでそっと誘われるのを待ってるよ」
「……いつの間に。風人、じゃあ帰るか」
いつも帰る人は皆、自分の役割を持ってしまったので、風人しか残っていなかった。そんな風人と思えば久しぶりに帰ったかもしれない。風人とは未雲の活躍を称賛しながら、今日の問題を解けたかなんて話していた。
この大地で叫べば雲を突き破ることはできるのだろうか。



