――予報通り、朝、カーテンを開けた窓から見える街は、かすかに銀世界になっていた。そして、雪は未だに降り続いている。きっとこの雪は僕の心を冷やすためだけに降るものではないのだろう。
『沙雪の家でするクリスマスパーティー、楽しみだね――』
スマホを開くと誰かから連絡が来ていた。この世界の彼女からかと思ったが、どこの世界でも僕の世界の形を少しづつ変えていく月希からだった。そういえば、僕、月希、風人そして僕の彼女とクリスマスパーティーをすることを約束していた。僕はケーキの予約をして当日受け取りに行く担当。
『――それはそうとして、沙雪が学校前の公園で一人でいたよ。私は用事があったから話しかけられなかったんだけど……』
『わかった、ありがとう。ちょっと行ってみるよ』
この世界の彼女は、一人が好き? でも一人が好きだったら、わざわざ冬休みの日に外に出ずに温かい家にいればいいのに。じゃあ、家族関係がよくない? そうしたら彼女の家でクリスマスパーティーなんていうものはできないはず。じゃあ、元気な性格のため誰か雪合戦してくれる人を待っている? そうしたら、彼氏の僕を真っ先に呼ぶはず。
どういう彼女なのかは分からない。あいにくの雪だから相棒の自転車で向かうのも危なそうだ。大きな傘をさして、途中でバスを拾い学校近くの公園へ向かった。
公園にある木でできた屋根付きの小さなベンチには一人の少女が「ここは自分だけの世界なんだ」と主張しているかのようにそこに座っていた。ただ、なぜだか独りぼっちのような寂しさは見当たらない。僕の彼女なのだろうけれど、雪が降る中でそこにただ静かに座る美しい姿に声をかけるのはためらわれた。
でも、僕は段々と近づいていった。積もった雪が足を重くする。そして、ギュッギュッと音を鳴らす。彼女はまだ気づいていないのだろうか、下を向いたまま動じない。もしくは、気づいているけれどそうやって自分の世界にあるものだけを見ているのだろうか。
「さゆ?」
疑問形。僕はなんて弱い人なんだと思った。でも、彼女はそんなことを気にしていないかのように、ゆっくりと顔を上げてにっこりと笑顔を向けた。そして、少し横にずれて、僕に座るように手招きした。
「空斗、おはよう」
「おはよう。どうしたの、こんなところで?」
「それより、どうしてここにいるって気づいたの?」
「月希が教えてくれたよ」
「あの子らしいや。見つけちゃったんだね。なんだか少しだけ一人になりたくて。いつものように色々な人から話しかけてくれるのも嬉しいけれど、時々そういうことあるでしょ?」
今までの彼女の中で一番落ち着いていて、一番大人らしいと思った。雪という特殊な環境でも全く動じない太い意思を持っているかのよう。
彼女の声から考えるに、今までの彼女たちの悩みとも大きく違いそうだと思った。明日が雪だろうが、最終期限は今日。僕は沙雪の悩みをこの手で解決しなければいけない。
「そうだね。あの、僕、邪魔だった……?」
「いや、空斗は邪魔じゃないよ。むしろ……求めていたかも」
僕が沙雪の手元に視線を移してみると、クリアファイルに入った進路希望調査票が入っていた。昨日、先生から冬休みの課題の一つとして渡されたものだ。僕は無難にこの大学から行く人が多い大学で興味があるところを三つほど挙げて書いた。沙雪の進路希望調査票には何回か消した跡があるが、今は全て空白。そこに存在するものは何もない。
「まさか、進路悩んでる?」
「――迷ってるんだ、私。何を大切にすればいいのか」
どこかで聞いたことがあるような声。僕の頭の奥の世界で、本当の彼女の叫びのような声として、僕だけに伝えられた言葉。
「まだ二年生だし、深くは決めなくてもいいんじゃないかな。僕だって本当に行きたいかどうかも分からない大学しか書いてないよ」
「私は、どこに行きたいのかすらも分からないんだ」
彼女の悩みはおそらくこれで決定だ。進路の悩み。ただ、大学はどこにするとかいうものではなく、沙雪は大学に行きたいのか、専門学校に行きたいのか、就職したいのか、留学したいのかすらもわからない、と。他の三人とは違い悩みはすぐに分かったものの、進路は今後の未来に関わる重要なもの。安易にアドバイスすることで、僕が彼女の人生の橋を崩してしまう可能性だってある。
――高校生なら誰もが悩むことである。同時に一番難しい悩みでもある。
「ちなみに、第一希望とかも?」
「うん。もし、第一希望に君の『お嫁さん』って書いたら、それを叶えてくれるのかな?」
「……まあ、うん、叶えられるように努力はするよ」
さっき、僕が弱い人とわかったばかりなのに、また弱い僕をさらしてしまった。そこは、はっきり「うん」と言わなければいけないのに。とはいえ、他の世界の彼女三人のことも考えると、決めていない今の僕が無責任なことを言えないと思ったのだろう。
「ごめん、ごめん冗談だよ。でも、私自身の進路希望調査票はそうかもね」
またにっこりと笑う。そう笑ってくれているのは僕にとっては救いだ。
「僕の今がアドバイスできるなら、とりあえず、まずは全て流してから考えよう。手袋、持ってきたから」
「そうだね、楽しい楽しい雪合戦だ」
僕はカバンに入れていた二つの手袋を取り出した。沙雪もゆっくり立ち上がった。
月希がしたこととほとんど同じだ。雨の世界で月希が僕とバドミントン対決を申し込んできた。それは僕がどこか悩んでいるようだったから。でも、この世界では僕が悩んでいる沙雪に対して対決を申し込まなければならない。
「私、手加減しないからね」
「僕も本気で行くからな。ハンデあげようか?」
「いらないよ。正々堂々とやりたいから」
力強い言葉を聞いて僕はそれを受け入れた。お互いが手袋をはめ、小さな雪玉をいくつか作れば雪合戦の開始だ。
よーい、どん――!
女の子だからという理由で手加減はしてあげない。それは僕の敵は沙雪だからだ。手加減をする方が沙雪にとっては悪なのだ。とはいえ、僕の力で投げた雪玉は次々と命中していく。あっという間に沙雪のコートが真っ白になった。でも、沙雪も負けていない。頭を巧みに使いながら段々と的が定まってきたのか、僕のコートも少しづつ白色に染めていく。僕のコートは本来は黒色のはずなのに。
「なかなかやるな」
「私は大器晩成型。これからだよ」
「おりゃー」
「こっちだって!」
白熱した高校生同士の戦い。近くを歩く大人やパトロール中の警察官に見られても僕らは全く手を止めない。僕らが今いるのは、僕らの世界なのだから。
沙雪は自分のことを大器晩成型と言ったように時間が経つごとに僕に命中する数も増えてきた。作戦の立て方も上達している。雪玉を増やすのも一苦労なほどに。
「……あっ、ごめん」
勝負も大詰めになってきたところで、決してわざとではないがいくらか大きな雪玉が沙雪の顔面に直撃してしまった。沙雪は立ち止まったまま何も言わない。流石にこれは怒らせてしまっただろうか。僕は謝まりながら沙雪の元にゆっくり近づく。
――ドサッ。
沙雪はいきなり右手に持っていた握り拳ぐらいの大きな雪玉を僕の顔面めがけて投げてきた。そしてその雪玉は見事僕の顔面を直撃した。僕の視界は一気に白くなる。
「お返しだよ」
怒ってはいなかったみたいだが、仕返しの心はあったみたいだ。僕は雪を払った。沙雪も雪を払っていたみたいだ。でも、お互い笑ってしまった。おそらく四人の彼女の中で一番大きな笑顔を見られたのは沙雪なのではないか。
そして、行儀悪いかと思い好奇心はあってもできなかったことを沙雪はし始めた。雪の積もった絨毯に大の字になり寝そべることだ。気持ちよさそうな沙雪の姿を見て僕も真似してみる。
「なんだか、子どもみたいだな」
「まだまだ私は子どもだよ。将来を決められないんだから」
「そんなこと言ったら僕もだよ」
吐き出したかった言葉かのように、自分のことを子どもだと言う。それに僕も続いた。大人でも迷うことなんてたくさんある。でも、子どもだったらその迷いがほんの少しだけ許されることもあるのかもしれない。
「昨日ね、親と少し話したんだ。親の希望はこうだった。中堅大学以上は出とけって。たしかにそれが一番いいのかもね。私たちの高校、自称進学校じゃん? ほとんどの人が大学に進む。でも、専門学校や短大もありだとどこか思ってるんだよね」
沙雪は寝返りを打って僕との距離を縮める。もうすでに片手が当たっている。
「親は厳しいの?」
「そういうわけではないけれど、ここまで育ててくれたのは親だし私だけの人生ではないから。とはいえ――理想を求めるのが正しいのかな?」
「そうだよね、一度きりの人生、自分がしたいようにやることも大切だと思うよ」
「ただ、やりたいことをやって現実はそう上手くいくものではないし、たくさん失敗しようとか言うけれど、その失敗が取り返しのつかないことになるときもあるんだよ」
正論だと思う。たしかに大人は、青春のうちはたくさん失敗しようとかいう言葉を並べて挑戦を促す。でも、それはその立場だから言えることも多いし、取り返しのつかなくなることだってある。いくらか美化されているのだ。
「なあ、図書館行ってみないか? 情報の宝庫だよ。もしかしたら道筋ぐらいは見つけられるかも」
まだ迷子の沙雪のヒントになりそうなところはないか、そう思って情報がたくさんそろっていそうな図書館を挙げてみた。
「……図書館か、行くの久しぶり。ついてきてくれる?」
「もちろん」
僕も図書館に入るのは小学校の自由研究のために行ったのが最後。協力してお互いの雪を払い、公園の自販機で温かいココアを買って、それを飲みながら図書館に向かった。チョコレートのように甘いココアは僕らの知らない間に冷えていた体を温めてくれた。僕にはできないようなことをココアはしてしまってずるいと思う。
図書館が見えると、近くにあったゴミ箱にココアの缶を投げ捨てた。僕も沙雪も見事にゴールイン。
図書館に入ると、入口にあった分類表を見て沙雪を案内した
奥へ進むと、大学やキャリアについての本がところ狭しと並んでいた。沙雪はその本の中から何かヒントになりそうなものを手に取った。僕も何かヒントになるようなものがないかと手に取ってページをめくってみた。クリスマスということもあるのか人はまばらであり、多少なりとも小声で沙雪と会話する分には問題なさそうだった。いくつかの本を集めると、テーブルにそれを持っていき読みあさった。
「同じ分野でも、大学、短大それに専門学校。視点は違うとはいえ、どれでも目指せるんだね」
「そうだね。看護師とかは大学以外でもいけるね」
沙雪が言ったように同じようなジャンルでもその選択肢はいくつかあることも多い。その例が僕も挙げた看護師や他にもデザイナーなどがある。
「まだ遠い未来の話だと思ってからそのこと全然知らなかったな。進路希望調査票が配られて急に焦っちゃって」
「その気持ちわかるよ。僕もテスト範囲表が配られると焦るもん」
「なんとなくわかるかも。でも、空斗、意外と学力は高いじゃん」
沙雪は気づいたことを持ってきたノートにメモをしていた。僕がアドバイスできることは少ないかもしれないけれど、気づいたことは補足した。気づけば、僕も勉強になっていたのかもしれない。大学志望の僕でもどんなところに注目すればいいのかや、いつ頃から入試に向けた対策は必要かなどのスケジュールが記されていた本は特に勉強になった。
分厚い本や一度見ただけでは物足りないほど役に立ちそうな本は図書カードを更新して貸し出しをした。
そして、インターネットスペースがあるようなので二階に向かった。インターネットスペースを借りると、イスを並べて高校卒業後にどのような人生を歩んだのかというインタビュー記事などを読みあさった。やはり、大学とは違い短大は就職が難しくなりやすく、専門学校はその時点で大まかな進路が決まっているようなもので、他の進路となると弊害が伴う。
「短大を除いた大学に進学する割合が六割。私たちの学校に限れば九割強」
かつて大学に行く人が少なかった時代から比べると、大学の進学率は大きく上がっており今や二人に一人以上は大学に進学している。都市部ではさらにその割合が高い。大学以外の高等教育に行く人の割合も調べてみると八割台だそうだ。
「たしかに、割合でいえば多いけど、六割なら十人に四人は大学進学ではないとも言い換えられる。僕らの高校も大学以外の人が十人強はいるし、その進路を選ぶのが間違っていることはないよ」
「どの進路を選んでもそれが正解だったという人もいれば、違うという人もいる。どの進路に進んでも結局は自分がそこでどうその世界を描くかが大事なんだろうね」
「そうだね」
インターネットに転がっている様々な進路を選んだ人のインタビュー記事では、どう思うかは人それぞれで、どの進路にもそれなりのメリットやデメリットがありそうだった。唯一の正解はもちろんない。おそらくその人にとっての正解も見つけることは一生かかっても不可能だ。正解を見つける前に答えを出さなければいけない。ある意味で残酷だ。
「私、本当にそれになりたいのかはまだわからないけど、一つ考えてるのがあるんだ――いや、まだちゃんとは決めてないから言わない方がいいかな。これを言っちゃうと、その方向に進むんだと勝手に心が決めちゃう気がする」
「それなら教えなくていいよ。あくまで僕は沙雪の障害にはなりたくないから」
「じゃあ、まだ私の胸の内には閉まっておくよ。ただ、意味のある時間だった。進路についてこんなに調べたのは初めてだったかも。この高校に入ったことを後悔したことはないけど、その時の私はなんとなくで決めちゃったから。こうやって向き合う時間は必要だね」
「今日は色々口出ししたけど、正直僕も自分の進路はよく考えてないから。でも、沙雪の行ったように進路を調べるだけでなく、自分と向き合うのも必要だね」
今必要な情報を吸収し終えると図書館を出る。雨雲レーダーを見ても先ほどまでが雪のピークだったらしい。ちょうどよい時間に出れたのではないか。まだパーティーまでには時間があるので、一度沙雪の家に寄ることにした。
「沙雪……お帰り。お母さん、ヘルプで病院行くことになっちゃったから」
「ありがとう。クリスマスなのに大変だね」
「看護師にクリスマスもないからね。でも、やりがいはある仕事だから……。あっ、その子が彼氏?」
「はじめまして、空斗といいます」
僕らが沙雪の家に着いたところで玄関から沙雪のお母さんが出てきた。彼女のお母さんは看護師のようだ。今まで会ったことはなかったので、名前を名乗って軽く会釈した。
「じゃあ空斗くん、パーティー楽しんで」
「はい。ありがとうございます」
沙雪は僕を自室に連れて行く。部屋は冷蔵庫の中のように冷えていたため、すぐにエアコンをつけてくれた。お母さんのいない時に彼女の家に来たことはあるので、自然と家の構造は覚えている。
「何か出そうか?」
「いいよ、そこまで気を遣う関係でもないだろ」
「それもそうだね」
僕は先ほどの続きと題して、沙雪にマインドマップを作ることを提案してみた。マインドマップとは、中心のテーマから放射線状に枝分かれさせていく思考整理の方法だ。例えば、動物という中心テーマからウザギやネコに枝分れさせて、さらにウサギからピンクやかわいいなどのように連想できるものを枝分かれさせていく。これにより自分がどんなものに興味があるのかを掴むことができる。
沙雪がマインドマップを作っている間、持ってきていた昨日学校の図書館で借りた小説の残りを読んでいた。昨日の夜も読んでいて残りが少しだったこともあり、気づけば結末まで辿りついていた。長い旅を終えたかのように本を閉じる。たしかに、スパイスが効いた最後。まるで今の僕の人生そのものだ。
「空斗、できたよ」
「おっ……どんなのかな」
沙雪は大きな紙いっぱいに言葉を書いており、沙雪の脳内の一部が抜き取られたようだった。ただ、どこか偏っているようにも思えた。本人が気づいているのかはわからないけれど、もしかしたら沙雪はそこを目指したいのではないのかと何となく思ってしまう。
「何か分かった?」
「沙雪、おそらく君は――」
ピンポーンとチャイム音が鳴った。沙雪のお母さんが忘れ物でもして取りに来たのだろうか。沙雪は玄関のドアを開けるため、一度話を切り上げて玄関へ向かった。僕は出るという理由もないので、その場にとどまってマインドマップをもう少し覗いてみた。
ただ、数分ほど沙雪は戻ってこなかった。ここからでは玄関の声は聞こえないので、何が起きているかは分からない。
ようやく部屋に戻ってくると、沙雪の右手には男の手が握られていた。
「何で」と思っていると、沙雪はほんの少しばかり困った顔をした。
「その子、どうしたの?」
沙雪の手を握っていた男の子は幼稚園生ぐらいの子だった。流石に僕がそれを見て「僕以外にも彼氏が?」と思うはずはない。
「隣の家の子なんだけど、どうやらこの子の妹がアレルギー症状出ちゃったみたいで、今から近くにある日曜でもやっている病院に行くんだって。だから、この子を見ててくれないかって。お母さんがいると思っていたらしいけど、さっきいっちゃったから。でも、そのまま返すのは悪いし私が預かることにしたんだ」
どうやらインターフォンを鳴らしたのは沙雪のお母さんではなく、近所の人みたいだ。そこで、病院に行くから子どもを預かってきたということだろう。日曜はやっている病院が少ないし、おそらく帰ってくるまで一時間以上はかかる。とはいえ、僕はあまり子どものお世話は得意ではない。
「この子の名前は?」
「竜大」
沙雪に聞いたつもりだったが、男の子が自ら答えた。全く面識のない僕にもそう答えてくれたということは、おそらく人見知りという感じではないのだろう。
「竜大くんか。よろしく」
「沙雪お姉ちゃんと、このお兄さんはどういう関係?」
「……大切な友達かな。竜大くんも幼稚園にお友達いるでしょ?」
僕だってわかってる。沙雪が僕のことを恋人と紹介できない人物としているのではなく、幼稚園生に言っても伝わるかは分からないし、伝わったところでことが複雑になるだけだということは。でも、手を振っても気づいてもらえなかったような寂しさは押し殺せない。そう思ってると竜大くんのお腹からグーッと音が鳴った。
「お腹空いちゃった。何か食べるものない?」
「クッキーならあるけど、それでもいいかな?」
「うん。ありがとう」
おねだりをしてきたけれど、命令口調ではなくお願い口調であるし案外僕でも手がつけられることかもしれない。僕らはクッキーがある一階のキッチンへ向かった。沙雪はクッキーを準備している間に竜大くんに「お手てを洗っておくんだよ」と声かけをした。竜大くんはそれを聞いて石鹸を付けて丁寧に手洗いをした。僕も小さな子どもが見ている手前、簡単にやることはできず丁寧に洗ってタオルできちんと拭き取る。我ながら恥ずかしいが、こんなに丁寧に手を洗ったのは久しぶりだ。
クッキーが並べられたお皿と僕ら用には温かい紅茶を、竜大くん用にはオレンジジュースをコップに入れて二階へ持って行く。竜大くんと沙雪が「いただきます」と手を合わせていたので僕もそれに続く。
「あちっ!」
「ごめん、熱かった?」
「いや、僕が猫舌なだけだから」
まずは温かい紅茶で体を温めようかと思ったが、湯気が止まらないティーカップに入った紅茶は鉄球のように熱かった。ただでさえ沙雪は竜大くんの世話をしているというのに、僕の世話まですることになったらたまったもんじゃないだろう。今度は「ふーふー」を十分にしてから少しづつ紅茶を飲んだ。
「僕もふーふー」
「竜大くんのは冷たいオレンジジュースだよ」
「知ってるよ。でも、ふーふー」
子どもはよく真似したがるという。おそらくこれは僕の真似だろう。
竜大くんはお皿からクッキーの粉が落ちないようにきれいに食べる。僕が子どもの頃よりもだいぶ利口だ。クッキーを食べ終わると、沙雪はなにで遊びたいかと尋ね、竜大くんはお絵描きをしたいと答えた。
「じゃあ、ただのお絵かきだけだとおもしろくないから絵しりとりもしない?」
「絵しりとり?」
「しりとりはわかる?」
「うん。たとえば『し』から始まるとしたら、しお、おに、にんぎょう……みたいなやつでしょ?」
「うん、それを言葉じゃなくて絵で表すの。この絵はなにかを言っちゃだめだからちょっと難しいよ」
「でも、おもしろそう!」
僕の彼女だけあってそういうのをすぐに思いつく。たしかに、絵を描くのも楽しいけれど、それだけだと手持無沙汰ですぐに終わってしまう。
絵しりとりの最初の文字は「あ」にして、沙雪、竜大くん、僕の順番で行うことになった。沙雪が大きな紙と、クレヨンを用意するとゲームスタートだ。色があれば難易度は下げられるだろうという小さな工夫なのだろう。
「よーい、スタート!」
沙雪が最初に書いたのはキャンディーのようなものだった。つまり「あめ」だ。竜大くんもすぐにそれを理解したのか、何やら魚のようなものを描いた。これはおそらく「めだか」だろう。となると、僕が描くのは「か」だ。カラスにしようと思い、黒色のクレヨンで鳥のようなものを描いた。
「なに、これ……? もう、空斗困るな」
意外と力作だとは思ったが、沙雪は困ったような表情を見せた。これ、僕が悪いのだろうか。それとも、沙雪の読解力に問題があるのだろうか。竜大くんは一回首をかしげたが、すぐにそれが何かに気づいてくれたようだ。沙雪も気づいたのか、緑色で丸い果物を描いた。「すいか」だ。
その後も、順調に四周目まで絵しりとりを進めていった。途中から解釈違いであろうところも出てきたが、最後までとりあえずつなぐことはできた。ここから答え合わせ。それぞれが描いたものを順番に発表していき、つながったかどうかを確認していく。
「じゃあ、最初から確認していくよ。あめ」
「めだか」
「カラス」
「すいか」
「柿」
「菊」
「クジラ」
「ラッパ」
「パンケーキ」
三周目までは順調だ。問題はそれ以降。沙雪が僕の絵をパンケーキと解読できたか否か。
「ルビー。……ごめん、何か分からなかったから、空斗のパイナップルにしちゃった」
やっぱりか。これは僕もパンケーキと気づいてくれるかは五分五分だと思っていた。ここで、しりとりはつながらなかったので失敗になってしまったが、とりあえず最後に竜大くんが何を描いたのかを聞いた。
「イグアナだよ」
竜大くんの最後の絵もなんだかわからなかったがけれど、たしかに沙雪がルビーを描いたのだとしたら「い」でつなぐ必要があるため、イグアナで正解。とはいえ、イグアナがどんなものなのかあまり想像がつかない。
「竜大くん、難しい動物知ってるね」
「幼稚園にある動物図鑑で初めて知ったから描いてみた」
「へー、すごい」
人間は誉めて伸びるというし、特に小さい子どもはその効果が大きい。僕も褒めてやった方がいいかと思ったが、後出しじゃんけんのようになりそうだったのでやめておいた。
もう少しお絵描きをしたいということなので今度は各自のお絵かきタイムということになった。僕も何か描こうと沙雪の部屋を見渡したが、沙雪に「恥ずかしいからそんなに部屋をじろじろ見ないで」と言われてしまった。たしかに、女の子の部屋を見るのは無防備な姿を見られているのと同じようなことなのだろう。
僕は一旦目をつぶり、何かないかと題材を探した。
――なんだろう、この景色。
過去の景色のようなものが見えた。でも、一瞬で見えなくなってしまった。
でも、僕の手はなぜだか覚えているようでそれを紙に勢いよく描き始めた。先ほどまで手が止まっていた僕が急に覚醒したわけだから、沙雪はどうしたんだという目をして驚いていた。
おそらく僕が描いているのは本当の過去の記憶だ。
「お姉ちゃんたちトイレ行ってくるー」
「場所分かる?」
「うん」
竜大くんは完成まじかであろうところまで描き終わると、トイレに行くといい一旦お絵描きを中断した。トイレの場所まで把握しているということは、何度か来ているのだろう。
「ねえ、竜大くんは気づいてなさそうだったけど、さっきクレヨンで少し床に描いちゃってなかった?」
僕は竜大くんがトイレに行ったことを確認すると、沙雪に向かって報告する。
「うん、知ってるよ」
沙雪も気づいていたようで、ほんの少しクレヨンがついてしまっている床を指す。こういうのは時間が経てばたつほど落としにくくなるのですぐにでも取り掛からなければならない。
「落とした方がいいよね」
「そうだね。薄めた中性洗剤を含んだ布で拭くとたしか落ちやすかった気がする」
僕がスマホで床についたクレヨンの汚れを検索し終える前に沙雪はそう言いながら準備に取り掛かった。沙雪は中性洗剤を含んだ布を持ってくると、汚れたところを拭き始める。ほぼ同時にトイレに行っていた竜大くんも戻ってきた。
「お姉ちゃん、何してるの?」
「床が汚いのが少し気になってね」
「手伝う!」
「じゃあ、ここを十秒ぐらいゴシゴシしてみて」
竜大くんの好奇心を逆手に使って沙雪は竜大くんにそうお願いした。竜大くんが小さな手で十秒ほど床をゴシゴシすると、ほとんどきれいに消えていた。最後に沙雪が仕上げとして拭き終えれば元通り。
「できた!」
「私も。空斗は?」
「……僕も、うん!」
僕らの絵はほとんど同時に完成した。
「じゃあ、見せあいっこする? まずは私からね」
「きれーい」
「これ、あそこだ」
「夜景と観覧車の絵だよ」
――夜、静かに光輝く景色。
沙雪が描いたのは、この辺りにある粉雪公園の観覧車だ。遊園地にあるような大きな観覧車ではないけれど、この辺りの人なら一度は乗ったことある特別な場所だ。観覧車の一番上からは皆が住んでいることを教えてくれるような優しいオレンジ色の光で創られた夜景を見ることができる。最後に行ったのは、いつだろうか。
「じゃあ、次は僕の!」
「おー、上手」
「うん、うまい」
「雪の中の絵」
竜大くんが描いたのは、雪の中を駆け巡るウサギの絵だ。ウサギは未雲の時と雨月の時に出てきたが、いずれの天気も雪ではない。
「僕のも見るの? 上手くないけどな」
この流れに逆らうことはできず、僕も描いた絵を二人に見せることにした。
僕が描いたのは脳裏から生まれたものだった。一年前の十二月のとある日。その日は今日と同じように雪が降っていた。ただ、そんな予報ではなかったから僕は傘を持っていなかった。委員会の仕事を終えた時にはもう僕の友達はすでに帰っており、頼れそうな風人もいなかった。止むまで空を見上げていようなんて思ったけれど、突然僕の視界には一つの傘が映った。横を向くと隣の席のクラスの女の子が立っていた。その子に「入って」なんてやや強引に言われて僕の家まで相合傘をしながら一緒に帰ったのだ。それが彼女と心を通わせる大きなきっかけになったのだと思う。
そんな日の一部分を切り取って描いてみた。僕の家の目の前で「普通なら男の僕がこういうのするんだろうけど、ごめんね」なんていうと、彼女は「――理想を求めるのが正しいのかな? なんてね」と言いながらその日は連絡先を交換して別れたのだった。
「何か懐かしいような」
「どういう絵? でも、なんか上手」
沙雪はその絵を僕の瞳を見つめるように見て、竜大くんもなんだかわからないような僕の落書きに評価をくれた。
お絵描きの後は、折り紙をして鶴などを折って遊んでいた。僕も手裏剣を折って竜大くんにプレゼントしてあげようかと思ったが、折り方を忘れていた。なので、沙雪にヒントを求めたけれど、結局沙雪がほとんど作ってしまった。
そして、遊び疲れたのかはたまた体内時計が起動したのかは分からないけれど、竜大くんは沙雪の膝の上で眠ってしまった。僕だって少なくとも今日は沙雪の膝枕を堪能していないというのに、小さな子どもはずるい。
「持ってきたよ」
小さな敵に塩を送る形にはなってしまうけれど、僕は沙雪に頼まれてブランケットを持ってきた。そのブランケットにはイグアナの絵がプリントされていた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「なんだよ、お姉ちゃん」
急なお兄ちゃん呼び。ならばと思って僕も沙雪のことをお姉ちゃん呼びしてみた。お姉ちゃんこと沙雪は僕の持ってきたブランケットを竜大くんにそっとかけた。竜大くんの寝顔は誰かに襲われてしまわないかと思うほど愛おしい。もし、何かがあっても僕はきっと盾になる。
「……竜大くんを見て思い出しちゃった。だいたい一年前、私たちが仲良くなって付き合う直前の話。遊園地で、竜大くんぐらいの年齢の子が迷子になってて一緒にお母さんを探したよね。探してたから遊園地で結局乗ったのは最後の観覧車だけ。ご厚意でチケット代をいただいたけどね」
「そんなこと、あったような気がする」
沙雪は竜大くんの頭を優しくなでながら、過去の思い出話を始める。そんなことがあったのか。沙雪の性格からすれば迷子センターに子どもを届けたとはいえ、そのまま放っておくことなど到底できなかったのだろう。
「なんか私、小さい子と関わる機会が多いような気がするな。一年生の時は学級委員長として代表で幼稚園を訪問をしたり、二年生の時は友達が忙しくて子ども英会話教室の手伝いをしたなんてこともあったし」
沙雪は皆のことを思い、誰かを支えている。それが仮に知らない人だとしても。そう思うのは僕だけかどうか。
ピンポーン。竜大くんが寝始めてから三十分ほど経った頃だろうか、再びインターフォンが鳴った。時間的にも竜大くんのお母さんが迎えに来たのだろう。まだ沙雪の膝を竜大くんが占領していたため、僕が代わりに出た。やはり竜大くんのお母さんだったので、竜大くんを呼びに行く。そして、沙雪は竜大くんを静かにおぶってお母さんの所にお届けした。ちょうどそのとき竜大くんは目を覚まして自分の足で立った。まだ眠いようで目をこすっていた。
「寝てたのね。竜大、おはよう」
「お母さん、おはよう」
「どうも、本当にお世話になりました」
「もう帰るの?」
「うん。二人も忙しいからね帰ろう」
「お姉ちゃんお兄ちゃん、また遊んでね」
竜大くんは手を振り、竜大くんのお母さんはペコリと頭を下げた。そして、竜大くんのお母さんはつまらないものですがという定番の前置き言葉を使ってクッキーの入った缶を渡してきた。沙雪はお礼を言いながらそれをもらう。竜大くんたちはいつの間にか沙雪の家を後にしていた。
そろそろ僕らもクリスマスパーティーに向けた準備の時間だ。まずは、ケーキを取りに行こう。僕について来てなんて偉そうなことを言いながら外へ出た。
「私、さっきの話、一つ考えてることがあるんだ。――短大に行ってその後、保育士か幼稚園の教諭になりたいなって」
「いいんじゃないかな」
「そうなんだ」
先ほどのマインドマップからもそういう方向に行きたいのだろうということはなんとなくわかっていた。ほんの少しの時間ではあったけれど、幼稚園生の竜大くんと関わることや、僕との付き合う前後のことを振り返ったことでそれを再確認することができたのだろう。子どもと関わる仕事に就きたいんだと。
「驚かないの?」
「なんとなくわかっていたから。でも、大学じゃない理由は?」
「大学よりもすぐに社会に出れるし、実践的なことを取り込みやすいから」
「ただ、それだとお母さんの意見とは違うものになるけど……」
「そうだね。でも、沙雪のお母さんも、沙雪のことは尊重してくれると思うよ。あとは、もっと近道。……僕が今何を考えているかわかる? ヒント、近くに存在するよ」
直接答えは教えない。沙雪は僕が考えていることを読み取ってしまい、当然のように答えてしまうと思ったから。答えを教えないこともまた答えだ。
「んー、……身近な友達に相談してみる、とか?」
「そう。友達は、助け求めるためにいるっていうのもあるだろ」
身近な友達というのはもちろん僕も含まれるだろうし、月希や風人のことも。第三者に話を聞くのも大事だけれど、もっと身近には自分のことを理解してくれた上で相談に乗ってくれる人がいる。この一週間で学んだこととして様々な解決方法がある中、やはり一番の糸口は身近な人への相談なのかもしれないと思ったのだ。僕が知らない世界の彼女と無事に過ごせたのも、その世界の彼女、風人、そして月希の支えがあってこそだと思っている。
「ところで、何ケーキにしたの?」
「それはお楽しみに」
ケーキ屋さんはこの角を曲がればすぐだ。どこもクリスマス一色。ジングルベルの曲もこの商店街全体に流れている。僕の下手な歌声を彼女のいる前で歌うことははばかられたので、鼻歌で我慢した。でも、その鼻歌も苦笑いされてしまった。
「いらっしゃいませ」
サンタクロースの帽子を被った店員さんが迎えてくれる。ここも変わらずクリスマスの装飾。一番上に大きな星の飾りがあるクリスマスツリーが僕たちの目に留まった。
「ケーキを注文した白山です」
「白山様ですね、お待ちしておりました。少々お待ちください」
「はい」
待っている間いくつものケーキが美しく並んでいるショーケースを眺めていた。どの彼女なのかははっきり分からないけれど、僕は前にZの法則を教えてもらったことがある。視線がZの文字を描くように移動するというものだ。つまり、左上に人気商品が置かれることが多い。今回左上に置かれていたのは、ブッシュドノエルという切り株のようなケーキだ。
「こちらのチョコレートケーキでお間違えないでしょうか?」
「大丈夫です」
僕が注文したのはチョコレートケーキ。ケーキ担当は僕なので自分の好きなものを選ばせてもらった。隣にいた沙雪も一瞬驚いたような表情をした後に、ダイヤモンドダストを見るかのようなキラキラした目でチョコレートケーキを見ていた。チョコプレートには四人の名前のイニシャルが描かれている。
「では、袋にお入れいたしますね」
「あ、あと追加でブッシュドノエルもいいですか?」
「はい、かしこまりました」
店員さんは愛想のいい笑顔を見せてくれた後に追加で注文したブッシュドノエルも丁寧に箱に入れてくれた。会計まで済ますと外に出る。今から沙雪の家に向かえばちょうどいい時間になるだろう。落としたり傾けないように細心の注意をはらいながら一番いい持ち方を試行錯誤して沙雪の家に向かった。
「チョコケーキ、一番好き」
「それはよかった。タルトとかよりも?」
「タルトも好きだけど、私はチョコケーキが一番かな」
雨の世界の雨月は一番好きなケーキがフルーツタルトだったような気がする。でも、雪の世界の沙雪は僕と同じくチョコケーキが好みなのか。なのであれば、ブッシュドノエルを買ったのも正解だった。ただ、月希は一番はモンブランが好きなのを知っているのでほんの少しだけ文句が出るかもしれない。
「メリークリスマス!」
その掛け声の後にクラッカーの紐を勢いよく引っ張る。バーン! と大きな音がすると、床は一瞬でカラーテープで埋め尽くされた。
そして、オシャレにもワイングラスに入れたシャンパンを持って四人で乾杯する。カチン! といういい音が響く。
「今年はホワイトクリスマスなんてロマンチックだよね」
月希が窓の外を覗きながら感傷に浸るようにそう言う。小さな雪にはなっているけれど、まだまだ道路には雪が積もっている。ケーキ屋からここに来るまでもいくつも小さな雪だるまが僕らにこんにちはと挨拶を交わしてくれた。
「この街でホワイトクリスマスになるなんて十年ぶりぐらいじゃないかな」
「たしかに、小学生の時ぐらいかも」
テーブルの上にはオードブルが並ぶ。沙雪が事前に用意していたものだけではなく、二人もここに来るまでに買ってきてくれたり作ってきてくれたようだ。いただきますをすると戦場のように料理の取り合いが始まった。とはいっても、大半が月希と風人の一騎打ち。僕と沙雪は僕らのペースで食べる。でも、このオードブルの唐揚げはなかなかの絶品。何度も手が伸びてしまう。
「これおいしいよー。私が作ったんだから」
月希は自画自賛しながらポテトサラダを皆に勧める。まだそのポテトサラダには手を伸ばしていなかった。食べてみるとたしかに意外といける味。とはいえ、あまり褒めすぎても調子に乗るだろうから「そこそこいけるよ」と控えめに褒めておいた。
食べながらクリスマスといえばのサンタさんに関する話題を話した。あとで四人でプレゼント交換もある。とはいえ、僕は彼女が誰なのかわからないまま買うことになったので、昨日雑貨店に籠って決めていた。もしかしたら、店員さんたちは何時間もいた僕を不審者扱いしていたのかもしれない。
「私の家はね、お父さんサンタさんに頼むんだけど、毎年難しいものを頼んでてお父さんを困らせてたな」
「月希らしいや」
「お父さん、相当困っただろうね」
「たしか、『愛』がほしいとかお願いしたことがあるんだっけ?」
「そうそう、沙雪には話したこともあるよね。『愛』をお願いしたときは、お父さんからのハグだった」
「なんだそれ。俺の家は、真夜中に俺が起きて、お母さんがプレゼントを置いているところを見ちゃったからか翌年からサンタさん制度終わった」
「えっ、何やってるの!」
「見つけなければ翌年もプレゼントくれたってことか」
「そういう時は寝たふりがいいんじゃないかな」
月希と風人が面白いエピソードによって盛り上がった。「空斗が一番欲しいプレゼントは?」と風人に聞かれたので、表向きの答えの判断力と答えた。でも、僕が今一番望むプレゼントは僕のすべての天気の彼女全員の幸せだろう。
「そろそろケーキの番では?」
サンタさんトークをしながら料理を片手でつまんでいたこともありほとんどの料理が視界から姿を消すと、月希はメインのケーキを求めて僕の目を凝視してくる。ならば、そろそろ第二のお楽しみの解禁だ。
「そうだな。月希が駄々をこねる前に持ってくるよ」
「ケーキ待ってました!」
僕が持ってくると言って立ち上がると月希は拍手をした。月希だけでなく風人も、そして沙雪も真似をし始めた。
沙雪と一緒にケーキを取りに行き、それを持ってくると部屋で待っていた二人からは先ほどよりもさらに大きな拍手が送られた。僕が持っていた二つの箱をテーブルに置く。僕と沙雪はどんなケーキか知っているので、代表して風人が箱を開けることになった。まずは小さい方からだ。宝箱を開けるかのように慎重になっている風人を見て笑みが漏れてしまう。
「おー、よく見るやつだ」
「ブッシュ……なんとかだっけ?」
「ブッシュ? それは大統領じゃね」
昔の大統領でそういう名前の人はいた気がするが、もちろんその人とは関係ない。
「いや、最初の方は月希のであってるよ」
でもブッシュから始まるケーキはあるためそうやってヒントを与えた。
「えっ、私やっぱ天才!? でも、それ以上はわからないや」
「俺も」
「ブッシュドノエルね」
話をまとめるかのように、沙雪は答えを発表した。二人はへーと頷く。次に大きい箱に入っているケーキだ。ケーキが見えると今度は二人もわかると頷き、チョコケーキと即答した。二人にも気にってもらえたようで、さっそく四等分していく。包丁を構えてみるが、月希の「食べ物の恨みは怖いぞー! 均等にね」などと脅され、あまり自信が湧いてこなかったので、分けるのは沙雪にお願いすることにした。
沙雪は迷うことなく四等分にし、それもほとんど同じ大きさであって誰からも文句は出なかった。とはいえ、クリームが多いなどの多少の誤差はあるためじゃんけんをして順番を決めることになった。正直どれでもいいと思うのは僕だけだろうか。じゃんけんの結果、沙雪、僕、風人、月希の順で選ぶことになり、全員が選び終えるとようやくケーキにありつける。皆のイニシャルが描かれたチョコレートも四等分してそれぞれに分けた。先ほど竜大くんのお母さんからお礼として頂いたクッキーもここで登場だ。
「ちょうどいい甘さ。空斗いい仕事してくれたな!」
「うん、このクッキーと合うね。空斗ありがとう」
「おいしい! けどやっぱ私はモンブラン派だな」
「たしかにこれはおいしいな。また来年も皆で食べたいな」
このチョコケーキはおおむね好評のようだった。とはいえやはり、月希はモンブランの方がのようなことを言い出す。また来年もあるとしたら次はモンブランにしてあげよう。
「じゃあ、今日最後のお楽しみのプレゼント交換の時間です」
ケーキも食べ終わると最後のお楽しみだ。月希は立ち上がって手をマイクにしながらプレゼント交換会の開始を宣言する。
「私のはそんな期待しないで」
「僕のも過度な期待はしないでね」
「俺のはほんの少しだけ期待してくれ」
プレゼント交換の方法は名前を書いた紙を引いてその紙に書かれている人のプレゼントをもらうということにした。ただし、自分の名前が出たらもう一度引く。また、最後の人が自分の名前を引いてしまったらもう一度最初からやり直しだ。
先ほどとケーキのときに決めたじゃんけんの結果とは逆の月希、風人、僕、沙雪の順で名前の書かれた紙を引くことになった。
「私は風人のだ」
「俺は月希のか」
「沙雪のだ」
「空斗のだね」
一番いい収まりになったのではないか。月希と風人、沙雪と僕。持ってきたプレゼントをそれぞれ交換相手に渡した。
「紅茶の詰め合わせだね。風人にしてはましだね。ありがとね」
「そこそこいい値段したんだぞ。そういう月希のは入浴剤か。意外とセンスあるじゃん」
二人はプレゼントを交換するなり早くも中を開けてみたようだ。おそらく二人は照れながらも相手を褒めている。多少ツンデレを隠せていない言葉だが。
「これは……手編みのマフラー?」
僕ももらったものも開けてみようと、赤いリボンをほどく。沙雪のプレゼントは手編みのマフラーだった。白色を基調として、いいアクセントとなるように様々な暖色系の色が使われている。少し首に巻いてみたがそれだけでかなり温かい。そして、ふわふわとした感触が癖になる。
「うん。若干粗があるけどね。空斗のは何かな……充電式カイロだね」
どの彼女になってもいいように実用的なものを選んだ。もしかしたら、あの時は今日雪が降るなんて気づいてもいなかったけれど、体だけは少なからずわかっていたのかもしれない。
無事にプレゼント交換が終えると、もうそろそろクリスマス会もお開きだ。とはいえ、まだ沙雪には二人に話してないことがある。そのきっかけをフリートークの中で探しているようだった。雨月と比較してどのようなことでも言い出せないような性格ではないだろうが、内容が内容であるからか慎重になっているのだろう。
「そうだよね。……あのさ、話変わっちゃうんだけど、二人は高校卒業後、どういう進路を歩もうとしてる? この前進路希望調査表が配られたから」
ようやく切り口を見つけたのか、沙雪が進路の話を始めた。僕が手を差し出すまでもなかった。やっぱりこの世界の彼女は強い。
「んー、そうだな。まだ全然決めてないし、そもそも大人になれるのかすらイメージがついてないけど、私は体育系に興味があったりするんだよねー」
「俺もまだまだ階段を上がれてないけど、IT系に興味があって。でも、大学なのか専門学校なのかとかそういうのは全く決めてないけどな」
「そうなんだ。ちゃんと考えててすごいな。……クリスマスにこういう相談していいのかは分からないけど、私さ、進路に悩んでて。少しだけ相談に乗ってもらってもいいかな?」
「もちのろん。沙雪のならいつでも!」
「俺ももちろんいいよ」
二人がそう言うと、沙雪はよかったという風にほほ笑む。風人は「お前もな」と僕を引きずり込んだ。僕の仕事は先ほどまででほとんど済ませたつもりだが、そう言われては仕方がない。
沙雪は僕に話してくれたように二人にも、親は大学に出た方がいいと言うが自分は大学以外の選択肢も悩んでいることや、一つ目星をつけているのは短大に行ってそのあと保育士か幼稚園の教諭になることを考えていると話した。二人は終始頷きながら、沙雪の大事な話を適宜質問も挟みながら聞いていた。
「私としてはまだ一年間あるし、今すぐ決める必要はないというのが前提になると思う。それを踏まえてだけど、たしかにお母さんの意志も大事だけど、沙雪の場合はちゃんと自立できる能力はあるから自分を信じてみな。もし、一人じゃできなくても沙雪には私たちがいるからさ!」
「俺も月希とほとんど同じ考えかな。まだまだ一年あるから視野は広がると思う。でも、必ずしも正解不正解がない問いなら自分自身を信じるしかないと思うな」
二人の考え方はほとんど似ていた。一つ目は、まだ一年という期間がある中、今決めることは必ずしも必要ではないこと。二つ目は、信じるのは自分自身だということ。二人の意見も聞いてさらに自信がついたのか、沙雪は今日図書館で見つけた保育士や幼稚園の教諭の資格が取れる短大を紙に力強く書いた。二番目も同じくそれに関する短大だ。
「三番目は冬休み、ゆっくり考えようかな。皆、ありがとう」
「おめでとう。でも、沙雪は保育士とか幼稚園の先生似合いそう。私の子どもが出来たらそこに預けるね」
「その前に、月希は結婚できなそうだけどな」
「そんなことないよ!」
風人と月希の口喧嘩が始まりそうになったので、僕と沙雪は急いで止めに入った。もう二人でつながればいいじゃないかと思っている。
「じゃあなー。また冬休み会おうな」
「スキーとか行きたいね。いや、沙雪の着物見たいから初詣とかもいいね」
「じゃあ、二人ともバイバイ」
「また今度」
クリスマス会もお開きとなり、先に月希と風人は小雪の降る中、沙雪の家を後にしていった。二人になったところで、散らかった沙雪の部屋をきれいに掃除する。お皿などはあとで洗うからと言われて、水洗いだけをしてキッチンに置いた。
「ねえ、僕に少し時間をくれない? 行きたい場所があって」
時計を見るとちょうどいい時間だと思い、僕は沙雪にあることをするためのお願いをした。もしここで断られたら僕の計画は破綻すると思ったが、なぜだかその未来は見えなかった。
「私はいいけど、どこに行くの……?」
「粉雪公園、観覧車がある」
「粉雪公園か、懐かしいね。いいよ、行こう」
僕は先ほど沙雪が絵にも描いていた観覧車がある粉雪公園へと誘った。もう少し一緒にいたかったからという理由もあるのかもしれない。でも、僕が決断するにはちょうどいい時間なのだ。僕は沙雪からもらったマフラーを首に巻いて、沙雪は僕があげた電子カイロをポケットに入れて外に出る。この家の近くにあるバス停に止まるバスに乗れば十分ほどで着く。雪のため五分ほど遅れていたが、まだ時間があることを時計を見て確認した。
バスで粉雪公園最寄りのバス停に着くと、まだ終点ではないのに、まるでそこが終点であるかのように全員が降りていった。その大半がカップルのような人たちだった。もちろん僕らも例外ではないけれど、恥ずかしさを覚える。でも、僕らも手を繋いだ。その手はきっとあの写真で見た――。
「わー、綺麗だね」
「だね。冬ならではの景色だ」
木が光り輝いていた。ライトアップだ。そして、小さいながらも観覧車が僕らの視線の先にはある。もちろん、遊園地で見るような観覧車に比べればおもちゃのようなサイズだろう。でも、僕らにはこれで十分すぎるぐらいだった。
「何かしたいことでもあるの?」
「観覧車に乗ろう」
「わーい」
沙雪は小さく喜んだ。観覧車の近くの券売機で大人二人分の乗車券を買った。そして、その一枚を沙雪に渡す。もちろん僕からのプレゼントだ。
列に並び始め、先頭になった時に、観覧車の近くにある時計台が大きな音でカーンカーンと鳴った。午後九時になったことをここにいる皆に知らせる。
ほぼ同時に、黒いネコと白いネコの二匹のネコがやってきた。
――約束の時間だ。
僕は誰を選ぶかもうすでに決めてある。その答えはもちろんたった一つ。
ネコたちは魔法をかけるようにしてこの空間の時間を止めた。だけれども、僕とネコたちだけはそれに逆らうように動いている。魔法にかかっていない僕にとっては不思議な感覚だ。
「お待たせ、君の答えを聞く時間だよ」
ここで答え合わせ。白いネコがそう言って覚悟が決まった僕の目を見てきた。白いネコはその目を見て安心したようだった。そうだ、きっと今の僕は白いネコから見てもそう見えるのだろう。
「ちゃんと決めたのか?」
「ああ、もちろん。決めたよ」
黒いネコは相変わらず嫌な奴としか思えないが、こいつとももうすぐおさらばだと思うと少しぐらい話に乗ってやろうと思える。
「じゃあ、答えを教えて」
「僕は、僕は――」
陽。
未雲。
雨月。
沙雪。
四人とは短い時間でたくさんの思い出を作ることができた。でも、この中から誰か一人を選ばなければいけない。そう、たった一人だけを。それ以外の選択肢は存在しない。
「――沙雪を選ぶ」
――僕は、雪の世界で今後の人生を歩みます。
その声は僕とネコたちしか動いていない空間に響き渡った。僕の耳にも返ってきた。
もちろん、他の世界の彼女たちが嫌いなわけじゃない。むしろ、僕に大切なことを教えてくれたし、全員といることができばどんなに幸せなんだろうと思う。でも、僕が生きられる世界は一つしかない。陽、未雲、雨月も大好きだ。ありがとう。でも、ごめん、さようなら。
「雪の世界の沙雪を選ぶんだね」
「うん、間違いなく僕の彼女は沙雪。世界でたった一人の彼女だ。今日一日で他の世界にいる時に思い出した本当の彼女の声と沙雪の声は一緒なんだって気づいたんだ」
「本当の彼女でなくてもいいのに、か?」
「うん。沙雪でいいんだ。沙雪のことを見守りたい。一生に成長したい。沙雪の選ぶ進路をこの目で見たい――いや、見なきゃいけないんだ。そう思ったから」
「ファイナルアンサー?」
おそらくこの黒いネコの質問に答えたら逆戻りはできない。でも僕の覚悟が揺らぐことなどこの世界が破壊されてもおそらくないのだろう。
「うん、ファイナルアンサー。これで間違いない」
僕は唾を飲み込んだ後にそう答えた。
「……答えを言う必要があるのかもわからないが、君の本当の彼女は沙雪で間違いない」
黒いネコは初めて僕を嘲るような目以外で見てきた。これが間違いないとわかっていたはずなのに、胸をなでおろさずにはいられなかった。どこか力が抜けた。でも、僕はこの地面に足をつけ続ける。
「そうか」
「そんな君に一つ教えてあげよう。実は、俺らは未来から来たんだ。君は沙雪の悩みに気づかず、沙雪は一人で迷子になる。そして、二人の距離も離れていく。だから、空斗にはそうなる前に沙雪を助けてほしいと思ってね。とはいえ神様がこういう形じゃないと許してくれなくて……」
「えっ……」
僕はあんなにも黒いネコは嫌いなはずだったのに。敵なんだと認識していたはずなのに。性格が曲がっているだけで、本当は黒いネコも僕の味方だったのだ。そう信実を知ると、どんなことを考えればいいのかわからなくなった。ただ、これだけは言える。僕と沙雪の糸を繋いでくれてありがとう。
「じゃあ、私からも。きっとこのまま去れば君には少なくとも心残りができてしまうはず。少しだけだけど、他の世界の彼女とも会わせてあげるよ」
「本当に?」
「うん、相手からの返答はないがな。最後のプレゼントだよ」
今度は白いネコが映像で三人の姿を映すと言い出した。それが終わればこの三人の存在はそもそもなかったことになってしまうが、きっと君の思いはどこかでは届くはずと教えてくれた。
まずは、晴れの世界の陽。陽が映像に出てきた。
「陽、僕だ。太陽のように明るくて皆のことをちゃんと見てくれる陽と過ごした二日間とても楽しかった。完璧じゃなくていいからな。今後も自分らしく精一杯生きてくれ。もし、また今度会えたら僕に似合いそうな髪型でも考えてくれ」
次に、曇りの世界の未雲。
「未雲、僕だ。最初は不良みたいなやつが……なんて思ってたけど、根は真面目でそして頼りがいがある未雲と過ごした二日間はとても勉強になった。すぐにクラスになじむことは難しいかもしれない。でも、少しずつ友達を増やしていけよ。もし、また今度会えたらバッティングセンターでリベンジだ!」
最後に、雨の世界の雨月。
「雨月、僕だ。実は会った時から本当の彼女は雨月なんだと思ってた。動物と触れ合ったり、美術作品を鑑賞したり雨月と過ごした二日間はたくさんの発見があったよ。自分だけの利益にしかならないなんて考えずに沢山挑戦していけ。雨月がオススメしてくれた本、今度図書室で借りてくるよ。もし、また今度会えたら美術部の皆で完成させた作品、僕にも見せてくれ!」
三人はネコが作り出した架空の存在だ。本当に存在するわけではない。それなのに、どうしてここまでしてしまうのだろう。さよならが悲しいと思ってしまうのだろう。
本当は皆とも過ごしたかった。でも、それはできなかった。だって、
――僕には、沙雪を幸せにする使命があるのだ。
ネコたちは再び魔法を解いて時間をもとに戻した。先ほどまで止まっていた人たちも何もなかったかのように再び動き出した。おそらくこの人たちは時間が止まっていたことにはまったく気づいていないのだろう。
そして、僕にも変化が起きた。一気に本当の彼女の記憶が戻ってきたのだ。もう沙雪を離すことはない。それをこの心に誓う。
沙雪も何も疑うことはないように乗車券を係の人に渡した。
「沙雪、一緒に行こう」
「うん」
僕が先に観覧車に足を踏み入れると、沙雪に向かって手を伸ばした。沙雪は僕の手を掴み、二人で観覧車に乗り込んだ。スタッフの人が鍵をかけてくれればそこはもう二人だけの世界。大きな遊園地にある観覧車に比べれば小さな旅かもしれない。でも、僕らにとってはとってもとっても大きな旅なのだ。
およそ一年前のバレンタインの日、僕はこの観覧車で君に告白したのだ。「僕たち、付き合わない?」とまるで誰かがその言葉を授けてくれたようなそんな言葉に、彼女は「うん」と答えてくれたのだ。その日から恋人としての関係が始まった。
でも、まだまだ君のことを知りたい。
君のためになりたい。
君の人生を一緒に創りたい。
一緒に幸せになりたい。
観覧車はいよいよ一番高い天辺に到着する。
恋の告白はもうとっくの昔に終えている。でも、僕は君にもう一度告白をしたいと思った。そこに「好き」という言葉が入っていない告白であっても。
僕は沙雪の手を取った。沙雪の手は、雪の降る日でもまるで僕を包むためでもあるかのように温かい。沙雪はそのまま僕に手を預けた。そして、僕はその手をそっと持ち上げて、君の瞳に映る景色を覗き込む。
「――これからもよろしく。待っていてくれてありがとう」
そうして僕はそんな告白をするのだ。この先いつまで君が恋人なのかはわからない。でも、きっと、ずっと途切れずに続いてしまうのだろう。
「私こそ、これからもよろしく。――見つけてくれてありがとう」
沙雪、こんな僕だけどこれからもよろしく。
待っていてくれてありがとう。



