――やばい、学校!
そう思ったのは、僕が目を覚ましたときにはすでに朝の八時半を過ぎていたからだ。目覚まし時計はなぜ鳴らなかったのかと時計を揺すって確認したが特に問題なさそうだ。そもそも鳴らさなかったのかもしれない。
体を起こしてカレンダーを見ると、今日から冬休みだということを完全に忘れていたことに気づいた。
雨月は今日も午前に委員会が、そして午後からは部活があるらしく、すでに学校へ向かっているはず。明日もまだ読めない天気ということもあり、今日中に雨の世界の問題を解決しなければいけない。洗面台に行って顔を洗った。今日も水は氷のように冷たい。僕の手が驚いて震えが直るまで数分かかった。
とはいえ、僕は何かを忘れている気がする。そのことを昨日ベッドに入ってひたすら考えていたが、何か分かったかといわれればそんなことはなかった。おそらく僕は彼女を探す手がかりを何か知っているのに、それをどこかで拒んでいるのかもしれない。
『ねえ、空斗くん、ちょっと手伝ってくれないかな?』
そんな電話がきたのは、午前九時頃。何があったのかを聞くと、今日はウサギとのふれあいができる日らしい。担当は彼女以外にもいるのだが、あのさぼり組が今日も逃げたため人手が足りないということだ。
僕は分かったと言うと、彼女の元へ向かうことにした。今日の彼女が雨月であるから致し方ないのだが、このままもうやむことはないのではないかと思うほどしきりに雨が降り続いている。昨日から一日中降っているため水たまりが小さな湖のようになっていて、バス停まで行く間に大きな水しぶきが上がり、僕のズボンに向かってピシャリと水がはねた。今日はタオルを持っていて助かった。
学校に着くと冬休み初日にもかかわらず、飼育小屋に向かって短い列ができていた。このふれあいは地域の人でも参加できるらしく、列には小さな子どもの姿やおじいちゃんおばあちゃんの姿もあった。
「おー、昨日の。手伝いにきてくれたんだよな? 裏切者が今日も出ちゃって、助かるよ」
飼育委員会兼美術部顧問でもある白衣の先生が僕の姿を見るなりこっちだと手招きして強引に手伝いに来たんだと決めつけてくる。実際のところそうなのだが、僕への期待値が高くないか。もとはといえば顧問の人選ミスなのに。この先生、果たしていい先生なのか判断しかねる。
「まあ、そうですけど」
僕はため息をついたように答えた。
「ほら、彼女は中で頑張ってるよ」
はいはいと頷きながら体験希望者の間を縫って中に入った。二匹のウサギのうち一匹は二人が担当しているようだが、もう一匹は彼女一人で担当していた。あの先生は一応誘導係の役目をはたしているようだ。
「雨月、待たせてごめんな」
「ううん、来てくれてありがとう」
ちょうど今出てきた親子と入れ替わるようにして中に入った。そして、僕に何ができるかを聞き、小屋の外で説明事項やエサの配布などをしてほしいと頼まれた。急な話ではあったが、マニュアルのようなものがあったので僕でもその役割は果たせそうだ。
僕が担当する初めての人はこの学校の一年生のようだった。相当楽しみにしていたのか、待っている間にも気持ちが抑えられないかのように足踏みしていた。ボードを見せてこのウサギの特徴や注意事項を述べた後に餌やり体験で使う野菜を一切れ渡す。その後もまるで機械のように同じ動作を繰り返した。
「あれ、空斗じゃん」
「あ、本当だ、空斗だ。飼育委員会だっけ?」
月希と風人も並んでいたようだ。僕は仕事に集中しており、二人も傘を差しながらスマホに夢中になっていたためかお互い直前まで気づかなかった。
「いや、雨月の手伝い。といっても二人も雨月目当てだろ?」
僕がそう言うと二人はそんなことないよねという風に顔を合わせる。それはそうとして、二人にも同じように説明してエサを渡した。二人が入ると中は一気に騒がしくなった。「ふわふわ」「気持ちいい!」などの声がした後に「食べた、たべた!」とまるで子どもが初めて何かを口にした時のような喜びの声をあげたのだ。そして少し経つと、満足そうな顔をした二人が出てくる。「めちゃくちゃかわいかった!」と月希は見たことのない笑顔を僕に向けてきてグッドサインを送った。
「よし、これで終わりだ」
並んでいた全ての人が体験を終えると、ふれあい会は無事に終了となった。僕はどうせやることもないので後片付けも協力した。
「去年よりもたくさん来てくれたよね」
「昼休みとか放課後もウサギを見てくれる人が増えたのも理由かな?」
「それに、ウサギちゃんたちが大人しかったから皆満足そうだったね」
飼育委員会の他の二年生の話を片耳で聞いていると、去年よりも体験者が多くなっているということを聞いた。あいにくの雨にも関わらず多くの人が来たということはなにか要因があるのかもしれない。
「おそらく、それは雨月のおかげだろうな。あのウサギたちがこの学校に来た頃は人間のことをだいぶ警戒しているようだったけど、今年から入ってくれた雨月のおかげでだいぶ人に懐くようになってくれたからな。当番の日もできるだけ長く接してくれたし、当番じゃない日もよくお世話してくれたのを先生は知ってるぞ」
先生は飼育小屋の鍵を閉めながら部員の皆に向かってそう言った。誰も見てくれてはいないと思っても誰かは離れたところから見てくれている。もしかしたらこの先生は未雲の世界でも、ゴミを拾っていていたのを遠くから見てくれていたのかもしれない。
「そうなんでしょうか……? あくまで自分の満足のために……」
雨月は突然の告白を受けたかのように、戸惑っているようだった。たしかに、雨月からしてみればそうなのかもしれない。でも、結果としてこうなっている。無理に余計なことを考える必要はない。素直に受け取ってよいのだ。
「動機はそうかもしれないけれど、結果はこうなったんだ。ありがとうな雨月」
先生は雨月の頭をウサギをなでるときと同じように優しくなでた。雨月はそのおかげで完全な納得はできていないのかもしれないけれど、そうなのかもしれないとは思えたような顔をした。
先生や他の生徒たちが帰った後も、雨月はしばらく飼育小屋の外からしゃがんだ体勢でウサギを見ていた。今日は長い時間ありがとう、という挨拶だろう。二匹のウサギは今日は沢山の人に触られていたが、やはり雨月に触られているときが一番心地よさそうだ。
「先生も言ってたけど、自分のためにやったことが他人のためになることもあるだろ? きっと、美術部の件だってやりたい人もいるはずだし、やってよかったってなるはずだよ。自分の利益だけじゃないんだから」
先ほど僕が傘を差してあげるなんて恰好をつけたため、しゃがんでいる雨月の手には今何もない。雨月の傘は僕の右手に握られている。「そうだよね」と言いながら何かを思いついたかのように雨月はスマホを取り出した。
「そのまま連絡してみればいいのかな? でも、ハードル高いな」
この件からやってみようという覚悟は得られたのかもしれない。でも、それは必要条件であって十分条件ではない。陽や未雲の時のように答えを示しただけでは僕は終わることができない。
「ネットの方がいいやすい?」
「自分のペースで言うことができるし、私はネットでの方が言いやすいかな」
もちろん対面の方が気持ちは伝わりやすい。でも、今はこんな便利なものがあるんだし、それを使うのも一つの手段だと思う。雨月はスマホを握りしめたまましばらく何も言葉を発しなかった。
僕が代わりに言うのは簡単だ。昨日、鍵を返したように。でも、それではきっと彼女のためにならないし、小さな意味にしかならない。そこで、僕はとあることを雨月に提案した。
そのことを聞いた彼女は、部長のアカウントを探し始める。そして、そのアカウントを見つけると部長に『美術部で匿名の意見箱を作りませんか?』と提案するメッセージを送った。部長が許可してくれれば、匿名意見箱を作り、そこにしたいことを打ち込むという作戦だ。我ながらいい作戦なのではないかと思っている。
部長からはすぐに『いいんじゃないかな』という返信が来たので、早速副部長の雨月は美術部の全体チャットに匿名意見箱を作った。そして、雨月自身も『展示会に部員皆で絵を描いて出してみたい』と意見を出す。意見で出たものを午後の部活で彼女が話すつもりだ。
「じゃあ、部活終了後、いい報告があるなら図書室に。悪い報告があるなら教室に来て。僕はきっとここだろうなってところで待ってるから。もちろん、僕が違う方に行っても必ず迎えに行くから安心して」
彼女が部活の時間になると、僕は美術室の前でまで雨月についていき別れ際にそう言う。美術室の中にはすでの部長がいるのだろう、昨日聞いたような威勢のいい声が外まで響いていた。
「うん、分かった。応援しててくれると嬉しいな」
「頑張って、応援しているよ。いってらっしゃい」
「いってきます」
彼女が今から行くのは単なる部活だ。失敗したからと言って生きる道が立たれるわけではない。でも、彼女が今後の自分に自信を持つことができるのか、今のまま変われないのかという分岐点に向かうのだ。
図書館か、教室か。僕の彼女であれば僕が行くべき場所は一つしかない。彼女が美術室に入ったことを確認すると、僕はそのどちらかに向かった。廊下を歩く音がこんなにも大きく聞こえるなんて始めてだった。
ドアは開いており電気もついていたが、人はいないみたいだ。『現在、司書が不在のため貸し出しはできません』という札がカウンターにひっそりと立てられていた。奥にある準備室にも誰かがいそうな雰囲気はない。
——ここは、図書室。
この匂いを嗅ぐのはいつぶりだろうか。現国の課題で書籍が必要になった時ぐらいしか来たことがない。カウンターの近くにある丸テーブルには新着の本やおすすめの本が所狭しと並んでいた。
外から何やら音が聞こえてくる。その音が気になって、ほんの少しだけ、雨粒が入らないように窓を開けた。吹奏楽部の演奏の音だった。トランペットが曲の最後を格好よく締めると僕は窓を閉めた。そうして、誰もいない図書室をゆっくりと旅するように一周する。無難に新着の本コーナーにあった天気の仕組みに関する本を手に取って、窓側の席に座って読み始める。何かヒントはないかと思い手に取ってしまったのだろう。
「あれっ、空斗?」
雨月が来るのには明らかに早いと思った。それに、その声は雨月の声よりも何倍も低い声だった。目を向けると、その姿はやはり雨月ではなかった。その姿は風人。首にタオルを巻き付けて冬にもかかわらずたくさんの汗。
「風人か。こんなところでどうしたんだ?」
「部活の休憩。一時間ぐらいあるんだよね。……って静かにしないとあれか」
風人はサッカー部。雨のためどこかで激しいトレーニングでもしていたのだろう。
「いや、今は僕らしかいないから大丈夫」
「お、そうかたしかにな。で、空斗は冬休みに図書館で勉強か? 真面目だな」
そう大したものじゃないよと苦笑いしながら答えた。ただ暇な時間を誰もいない空間で潰しているだけ。天気の仕組みについての本を読んだが僕が求めているようなヒントはありそうになかったので今さっき戻してしまった。
「まだ時間があるなら、俺のおすすめは……」
風人はそう言いながら小説コーナーに行き何やら本を探し始めた。独り言をぶつぶつ言いながら一、二分。一冊の本を持ってこちらに向かってくる。
「これとかオススメだぞ。死んでしまった彼女を取り戻すループもの。最後のどんでん返し、読めてた人もいただろうけど俺は読めてなかったから驚いたよ」
もちろん僕には聞いたことがないタイトルだった。せっかく風人が僕におすすめしてくれたのだ。ここは読むというのが引き続き友情を保つ得策だろう。その小説を開いてみる。冒頭から彼女がどうして死んでしまったのかと言う状況説明から始まった。
「……ってか、風人って小説とか読むんだな。性格的に読まないと思ってた」
「たまに読むぞ。勝手な先入観つけるなよ。もちろん漫画も好きだけどな」
「漫画なら僕も読むけどね。昔はよく週刊誌とか買ってたけど、今は電子で読んじゃってるな」
「あー、今は電子もあるよな。空斗の読書タイムの邪魔をするのは悪いし、俺はお暇するよ」
「別にいてもいいけど」
「いや、帰るよ。また明日な」
僕は無音でないと集中できないタイプではないけれど、読書をする風人からしてみれば読書時間に誰かが隣にいるのはあまりいいものではないのかもしれない。そう言うとすぐに図書室を後にしていった。風人にオススメされた小説を一ページ目からなぞるように読んでいく。
気づけば僕は小説の世界に入り込んでいた。普段読書をしないこともあって読むスピードはかなりゆっくりかもしれないけれど、なぜだが展開、情景、心情に吸い込まれていく。次に僕を現実世界に引き戻したのはチャイムの音だった。
「もうすぐ、部活も終わりの時間か」
もうすぐ今日の美術部の部活動が終わる時間だ。半分強は読めたけれど、まだまだ残っている。気になる展開が続いているのでここで止めるのはいささか自分が許せない。カウンターの方を見てみると司書の先生が戻ってきていた。いつの間に戻ってきたのだろうか。それならばこれを借りていくことにした。子供みたいな感想だけれど、彼女を守るためにこの主人公が何度も前を向くという部分に心を打たれた。
「はい、一冊ですね。冬休み期間なのでいつもより長く借りられます」
「ありがとうございます」
「かなり集中して読んでたみたいで」
「はい、なんだかおもしろくて。いつ頃からいらっしゃいましたか?」
「一時間少しはいたと思うけど」
「そうなんですか」
そんなに前から司書の先生がいたのに、僕はこの図書館を僕だけの世界だと思っていたのか。本はある意味で恐ろしいと思った。
「後でまた外すんだけど大丈夫?」
「はい、借りる本はこれだけなので」
小学校の頃は紙の貸し出しカードに書いて借りたのに、今はデジタルなんだななんて思いながら司書の先生からその本を受け取った。そして、今度はドアから一番近い席に座った。
あと少しで時間は訪れる。彼女はどちらかにやってくる。僕に会いに。
そう思ってから何分経ったのだろう。彼女から教えてもらった終わる時間を過ぎても彼女の姿はない。とはいっても、終わってから時間はまだ三分しかたっていなかった。一方で、司書の先生もまたどこかに行ってしまった。時計のチクタクという音だけが僕に時間を教えてくれる。さっきから足をぶらぶらと動かしながら手を握って座っている。そう決めつけるのは早計だが、やっぱりこっちではなかったのかもしれない。でも、僕が信じないでどうするんだという話。僕は雨月を本当の彼女として選べないとしても、彼女の悩みを解決することだけは裏切りたくない。
「空斗……くん」
ゆっくりとドアが開いた。僕は思わず立ち上がった。僕の視線の先には一人の少女。本当の彼女が君だと知ることが出来たら、果たして僕は幸せなのだろうか。そう一瞬考えてしまった自分はなんなのだろう。
やっぱり君はこの図書室に来た。間違いなく、自信を持って僕はここにいた。ここに来た雨月の持つその瞳は半分ほど笑いそうで、もう半分ほどは泣きそうだった。
「嬉しい報告」
弱々しい声でそうとだけ言った。僕が今一番聞きたい言葉を聞くことができた。
雨月はそう言いながら僕の方に近づいて来る。僕は待ちきれなくてその雨月を飛び出して抱きしめた。
「捕まえた」
ここに来たら逃がさないと決めていた。だから僕は彼女をこうした。少しばかり痛いだろうか。仮にそうであってもほんの少しだけ、今だけは我慢してほしい。
「できたよ」
主語がない文。それでは普通なら何があっていたのかわからない。でも、僕はその主語をちゃんと補完することができた。
抱きしめ合った一分間が終わると僕らは向かい合うようにしてドアから一番近い席に座った。
「僕の見ていない世界でどんなことがあったのか教えてくれる?」
「うん、もちろん。そのためにここに来たんだから」
雨月はそう言うと、僕が見ていない間に起きた美術部の出来事を話し始めた――。
僕と美術室の前で別れた後、すでに美術室の中には部長が絵の細かな修正をしているようだった。部長はその絵を見たまま背後にいた雨月に喋りかけたそうだ。
「匿名意見箱、たしかにいいかもな。近い仲でも面と向かって話せないことはたくさんあるからな。私も今でも家族になかなか話せないことだってたくさんあるよ」
「ありがとうございます」
そう言って部長は匿名意見箱を好評してくれたそうだ。そうして部活の時間が始まると、いつも通りの部長からの挨拶を終えた後、副部長の雨月が匿名意見箱について話し始めた。
「先ほどグループチャットに投稿した匿名意見箱は、美術部での活動をより活き活きと、そして過ごしやすい環境になるように設置しました。いつでも入れられるようになっています。匿名ですので何かある人は活用してください」
雨月はそう説明すると質問があった部員がいたためそれに答えたようだ。そうして、すでに意見箱には彼女が送信したものを含めて回答が三件あったのでそれについて共有することにしたそうだ。スマホを見ながらまずは一つ目の質問を淡々と読み上げる。
「一つ目の意見、今年分の部費が余っていたと思うのですが、その部費で新しい筆を買ってほしいです。とのことです」
「あー、たしかに部費が余っていたな。少しばかりだからどうしようかと悩んでいたし、新しい筆でもいいかもな」
部長が予算票とにらめっこしながら、意見箱にあったように残っていた予算を新しい筆の購入に充てることに決定したようだ。早くも匿名意見箱が役立った。
「二つ目の意見、顧問の先生に今度お菓子を買ってもらいませんか。とのことです」
二つ目の意見は半分お遊びのような意見だった。この意見には皆が「賛成!」と声を合わせて部活のときに食べるお菓子を今度顧問の先生にお菓子をおねだりすることが決まったようだ。
そして、最後の三つ目。三つ目が雨月がこの質問箱を設置した目的でもある自分の意見を言うことだ。思わずスマホを落としそうになってしまった雨月だけれど、ここで緊張した様子であると自分の意見ということがバレてしまう。そう思って何とか冷静さを保ったようだ。
「三つ目の意見、展示会に部員皆で絵を描いて出してみたいです。とのことです」
先ほどとは違って読み上げ終わっても、皆の表情を見るのが怖くてスマホから顔をあげるまで時間がかかった。ようやく顔をあげてみたけれど、部員の顔は石のように固く見えたそうだ。
「面白そうだが、皆個性的だからそれを結集するのは難しそうだし、今からだとなると時間も足りるか否か」
最初に口を開いたのは部長だ。先ほどとは違って、おもしろいとは言いながらも、難点を示してきた。たしかに的確だと思って、胸が締め付けられたみたいだ。
やはり自分のやりたいことを皆にも押し付けるのは迷惑だと思ったときに、部員の一人が高く手をあげたそうだ。雨月はその子の名前を唱えた。
「たしかに、色々問題点はあるかもしれないですが、私はそれを聞いてちょっとやってみたいなと思いました」
部員の一人がそうやって賛成意見を述べると、続くように「私もやってみたいと思いました!」「皆の個性が爆発した作品を見てみたいです!」他の部員も賛成し始めたそうだ。雨月はさっきの石のように固い顔は、皆が拒否を示していることではなく、よいと思っていても他の人も巻き込むものだから自分だけでは決められないという意味だと悟ったそうだ。そして、今度は自分が意見を言う番だと自覚したそうだ。
「私も実はやってみたいと思いました。皆でこうやって合作ができる機会なんてそうそうないし、私たち二年生は来年はもう引退なので一つでも多くの思い出を作りたいです」
……となると、あとは部長の決定に一任された。
「皆がそういうのならやってみるか! その代わり部活動の時間が長くなっても文句は言うなよ」
部長の顔は一気に晴れやかな顔になった。皆の意見を聞いて、作る方向で進めることにしたらしい。その後、顧問の先生に相談しに行き、雨月がなにかを言いたそうにしていることは前から知っていたため、あっさりと許可してくれたそうだ。
それから残りの時間は、どのような絵を描くかの構想にあてたという。そのテーマは「春夏秋冬」。皆で絵を描くとなると難しそうだが、僕はいいテーマだなと素直に思った。
「――そんな感じかな」
僕が見ていない世界での話が終わった。今できたところまでの素案としてプロットのようなものの写真も見せてくれた。まだまだ完成には時間がかかるだろう。でも、きっと雨月たちは完成させてくれる。だけど、僕はその完成が見えないかもしれないのは心残りだ。
「よかったな。どうだ? 雨月的に自分の意見を言うことは」
「周りを巻き込んじゃうことを考えなきゃいけないけど、今回は皆もやりたいと思ってくれたし、言ってみるのはありだなと思ったよ」
どちらを重視するか、これに答えはない。でも、雨月が自信を持ってそっちを選ぶことができたなら僕は嬉しい。
「うん、今回のは大成功だったな」
「ただ、一つだけ今後の課題として挙げるなら、今回のは直接は伝えられなかったから、今度は直接伝えられるようにしたいな」
「もうすでに雨月は成長してるよ。でも、雨月はもっと成長できるはず」
そうやってまだまだ自分を高めていけると思えるのならば、仮に僕の彼女でないとしても安心して送り出せる。
「――なあ、雨月にとって僕は必要か?」
「どういう意図……? もちろん、必要だよ」
「そうか」
変な質問をしてしまったと思った。必要と言ってくれるのは嬉しい。でも、必要だと思われれば思われるほど、誰かを選ぶのが怖くなる。
「あっ、それ借りたんだ。私も読んだことあるよ」
質問を訂正しようとしたとき、雨月は僕が借りた本を指した。勝手だけれどマイナーな本だから雨月も知らないと思っていたのに、意外と読書家の中では話題の本なのかもしれない。
「これはね主人公が最後に……ってネタバレになっちゃうね」
「ネタバレだけはよしてくれよ。これは風人がオススメしてくれたんだ」
「風人くんが。たしかに時々図書室にいるのを見るよ。もし、その本が読み終わったら私がオススメする本もよかったら読んでみてね」
そういいながら雨月は席を立って、数時間前に風人が本を探してくれた時と同じように探してくれた。宝探しをしているようにワクワクと心を躍らせながら探す雨月であったけれど、すぐにオススメしたい本をすぐに見つけてしまった。すぐに見つけてしまったことに少しだけ寂しさを覚えているようであった。
「これかな。絶対に繋がることはないけれど、それでも相手を思い続けるっていうどこか重たい話。でも、なぜか分からないけど何度も読み返したいって思えるそんなお話」
まるで僕が主人公のような小説だ。絶対に繋がることはない彼女がいるという部分は同じ。でも、それは誰かはまだわからないというのがその話と僕の違いだろう。読書初心者なためその本を今借りることはしなかったけれど、もし雨月が本当の彼女だとしたら次はそれを借りよう。
図書室の閉館時間が迫ってきたところで、僕らは図書室を後にした。雨はだいぶ止んでおり、これなら傘を差す必要もない。
「ご褒美、何かいらない?」
「んー、そうだな。新しい傘が欲しいな。今度雨が降ってもその日が楽しくなるように」
「たしか、この辺に傘屋さんがあったし、見ていくか」
この辺りは、未雲と行ったカフェなどがある通りだ。この角を曲がればそこにたどり着く。でも、今日はこの道を曲がらずにひたすらまっすぐ進む。すると、傘屋さんが目に入ってきた。
普段僕が持っている傘は透明のビニール傘やブラックのワンポイントだけが入ったシンプルな傘であるけれど、ここには水玉模様の傘や、二色を綺麗に組み合わせた傘など多様な傘が並んでいた。雨月はそのお店に入るなり、僕の服を引っ張って店の奥へと向かった。そして、自分に似合う傘を探し始めた。
「どれがいいかな」
「こんなにたくさんあると迷っちゃうよな」
僕だったらすぐに壊してしまいそうで怖い。でも、雨月ならばきっと雨を楽しむ道具として、大切に長く使ってしまうのだろう。この傘なんて、時代劇に出てきそうなぐらいの風格がある。思わず手に取ってしまった。そしたら、雨月に似合いそうと言われてしまった。
「これにしようかな」
小さい頃、秘密基地に隠した押し花を大きくなってから見つけ出すゲームをするかのように小さな店内を探し回った雨月は、お気に入りの傘が見つけたようで、一つの傘を手に取った。
「お、いいんじゃないか」
その傘は、青のグラデーションの傘。晴れている空の中、ポツポツと雨の音を感じながら歩く雨月はきっと七色の虹を渡ることができてしまうのだろう。それぐらい彼女とともに歩んでくれそうな傘だった。
レジまでそれを持っていくと、タグを切ってほしいと頼んだ後にお財布から二千円を出した。
「買ってくれるの?」
「うん」
さっご褒美と言ったはずだが、雨月は僕がお金を出したことに少々戸惑っている様でもあった。タグを切った傘を受け取ると、雨月が今持っている傘を僕が持って、今買った傘は雨月が持つことになった。
「あっ、まさか、着いてきてっていうのだけがご褒美だって?」
「うん。そう思ってたけど……」
そのわけをなんとなく察して雨月に聞いてみると、案の定そうであった。たしかに雨月にとってはそれでも十分ご褒美の範疇に入るのかもしれない。でも、僕はそれ以上のことがしたいのだ。
「でも、僕は買うことまでがご褒美だと思ってたから。その方がきっと雨月は大切にしてくれると思うし」
「そうだね。早速差してみようかな」
傘は使ってもらうのを早くも待っていたのか、店の外に出すとまた傘が必要なほどの雨に変わっていた。雨月は今買ったばかりの傘を開いた。そして、雨はその傘を直撃した。地面にぽたりと落ちる。
「空斗くんは傘を差さないの?」
「雨月の傘に入れてもらおうかと思って」
「空斗くんの右手にあるそれは?」
「これは、今日は見えないことにしてくれると嬉しいな」
今だけはその傘は見えないでほしい。少なくともこの時間だけはまだ続いて欲しい。僕の小さな願いが叶ったのか、雨月は僕を新しい傘に入れてくれた。やはり二人では少し窮屈で「濡れちゃってるね」と言い合いながら帰った。でも、雨月から漂う雨の匂いは好きだった。
「じゃあ、明日のクリスマスパーティーで。晴れるといいね」
「じゃあ、またね雨月」
「空斗くん、またね」
雨月を家まで送ると、さよならをして別れた。もし、雨月が僕の彼女だとしても、明日が晴れであれば君とクリスマスパーティーをすることは叶わない。そんなことを知らない雨月に何と言ってあげれば幸せにできたんだろう。そう悩みながら遠回りをすることに決めた。



