本当の彼女を知る空は




 多くの人は「雨」は苦手と答える。体が濡れて嫌な気持ちになるし、空が暗いだけで気分が沈む。そんな理由が出てきそうだ。でも、雨粒は意外にも綺麗な音を奏でるし、雨の日以上に周りの景色を気にする日なんてないのではないだろうか。

 一緒に旅をする相棒の自転車と今日も学校に向かう。ただ、今日はレインコートを身にまとい早めに出発だ。天気予報でも言っていたように、朝の時間がピークになるらしい。県道を通る自動車はどれもが大きな水しぶきをあげており歩行者を襲っていた。

「おはよー、あいにくの雨で靴下びしょびしょだよ」

「あ、おはよう」

 今日は教室前で風人と朝の挨拶を交わした。陽の頃から比べると段々と教室に近い場所での「おはよう」になっている気がする。 

「そういえば、今日の放課後だっけ、美術部の展示会?」

「あー、そうそう。今日だと思う」

 だいぶ隙を見せないのにも慣れてきた。おそらくこの世界の僕の彼女は美術部員であり、美術部で展示会が行われるのだろう。教室前の掲示コーナーにはちょうど美術部の展示会案内のポスターが掲示されていた。

「俺も見に行くからな。あとは、月希も来そうだな。いつもは大人しい雨月(うづき)ちゃんが美術部では副部長で皆を引っ張ってるんだな」

「そうなんだよ、雨月は副部長、頑張ってるらしいぞ」

 雨月はいわゆる内向的なタイプなのだろうか。今までの彼女の中で一番僕には違和感がなさそうだ。だからといって、自分の彼女の可能性が一番高そうとかそういう意味ではない。

 雨ということもあって早めに学校を出た人が多いのか、すでに多くの人が教室に集まっていた。女子たちが「前髪が死んだ」「メイクが崩れた」や「蒸れている」など数々の悲鳴を上げていた。雨は強敵ではある。僕も靴下が使い物にならないぐらい濡れていた。替えをカバンに入れておいてよかった。

 彼女の席はまだ空いていた。僕の彼女はいったいどこにいるのだろうか。陽のようなタイプなら大きな声で呼んであげるのもいいのかもしれない。未雲のようなタイプなら隠れている中を探してあげるのもいいかもしれない。でも、おそらくどちらも違う。

 ただ待っているのがいいんだろう。特に根拠はないけれどそう勘が働いた。

 そう思ったときに、彼女はどこからかゆっくりと手を拭きながら教室に戻ってきた。おそらくトイレだったのだろう。

「おはよう、雨月」

「……あっ、うん。おはよう、空斗くん」

 すぐそばにいなければ、その声は耳の中には入らずかき消されてしまいそうな小さな声だった。でも、君がこの世界での僕の彼女で間違いないようだ。性格も僕の思っていた通り。

「雨すごかったよな。雨月は大丈夫だった?」

「うん、仕事に行くついでにお母さんが送ってくれたんだ」

「それはよかったな」

 となると未雲と違い、家族関係は悪くなさそうだ。むしろ、大切にされているのだろう。その長い艶のある髪は小さい時からお母さんが丁寧にブラッシングしてくれたかのようだった。

「空斗くん、よかったらこれ」

「あっ、ありがとう。助かる。靴下は持ってきたけど、タオルは忘れちゃって」

 ビショビショな僕を見て雨月は大判タオルを渡してくれた。ドジな部分を僕の彼女が補完する。そんな理想的なものを僕は求めていた気がする。そして、僕も彼女の足りない部分も補うのだ。雨月から借りたタオルはホテルでしか触ることがないようなふわふわな肌触りだった。こんなにも汚れていないタオルに僕の体が触れるなんて申し訳ないと思いながらも頭の水しぶきを拭いた。

「ねー、空斗、終わったらそれ貸して」

「月希か。これ、雨月のだから」

 僕よりも一段階大きな声を持つ月希が僕のタオルを見てそうねだる。ここでも、そういうキャラなんだということに安心感を覚えつつも、このタオルは僕のではない。許可を取るのなら雨月に聞いてくれ。

「ねえ、雨月、私も借りていいー?」

「雨に濡れちゃうと風邪引いちゃうしね。空斗くんが使った後、使っていいよ」

「やったー。相変わらず優しいー」

「ほい、月希。僕もう拭き終わったから。雨でも月希はいつも通りだな」

「サンキュー。あったりまえよ!」

 まだ拭き残しはあるが月希もいるのでタオルを渡した。月希は「いつも通り」の意味を僕が考えるような大きな意味ではとらえていないだろう。もしかしたら、月希が本当の僕の彼女だったりして――いや、それはないか。そうするとネコたちの話とも合わない。ただ、僕が何か忘れ物をしている可能性はあるのかもしれない。

「……よし、完璧。タオル、洗って返すから」

「いいよ、そんなの」

「そうなのー? じゃあ、ありがとう」

 月希も雨月のタオルを借りて十分に水滴を拭き終えタオルを雨月に返した。気づけば朝のホームルームの時間が迫っていたので、遅刻にならないよう僕らは急いで席に着いた。

 一時間目は明日から冬休みということもあり、先生方を含め楽しみにしている人はあまりいないのではないかと思う終業式だ。とはいえ、儀式の一つであるから、僕は比較的真面目に聞くようにしている。先生の指示に従って体育館に向かった。

 開式の言葉を教頭先生が述べると、次はこういう時ぐらいしか歌うことのない校歌の合唱。隣にいる風人は歌詞を忘れたのか否か、ほとんど口パクであるのは僕にバレバレだった。とはいえ僕も何割かは抜けていた。

 校長先生の話が始まる。よく校長先生の話は長いと言われがちであるが、この校長先生は意外と短いだけでなく、面白い話を毎回一つや二つは持ってきてくれるので意外と嫌われてはいない。

「――ということで、三年生の皆さんは共通テストまで残りわずかとなりますが、最後まで悔いの残らないよう励んでください。では、以上で終わります」

 体感としてはかなり短かった。今回の面白い話は、先生の放課後の過ごし方に関するもので陽キャたちは「へー」と相槌を打っていた。最後は共通テストの話をして締めくくった。僕らにとってもそう遠くない話だ。

 終業式が終わると、続いて委員会からのお知らせとなった。

「まず、図書委員会です。図書委員会さんお願いします」

「図書委員会です。先日、図書室の整理を行いました。新しい本も多く入りましたのでぜひ利用してください。また、お手伝いしてくださった皆様、ありがとうございました」

「図書委員会さんありがとうございました。続いて、飼育委員会さんお願いします」

「飼育委員会です。本校にはうさぎ二匹とメダカがいますが、うさぎ二匹に関しては今年度を持ちましてお別れとなります。あと三か月ほどですが、ぜひ見守ってあげてください。以上です」

「飼育委員会さんありがとうございました。これで委員会からのお知らせを終わります」



「皆、席に着いた? 成績も返し終わったので、予告通り皆がなぜか好きな席替えをします! 明日から冬休み! 今年最後の運試しだと思ってやってこう!」

 終業式から戻り、教室で通知表を渡し終えると先生はそんなことを言い出した。そういえば、晴れの世界の月曜日、調理実習の時間にそんな話題が出ていたことを今思い出す。この数日間たくさんのことが降ってきたがためにそれに比べると小さい席替えというイベントは僕の頭からは消し去られていたのだろう。でも、僕ら学生にとっては案外大きなイベントなのかもしれない。クラスに一、二人ぐらいは今年の思い出に席替えを入れるものだ。

「じゃあ、学級委員長にパスしようかな」

「あ、はい。……じゃあ、どうやる? 何か意見がある人!」

 学級委員長の長谷部(はせべ)くんが先生からバトンタッチされてその役目を引き継ぐ。教卓に手をつながら皆に意見を求めた。

「今回は、オークション形式だろ」

「くじ引き形式? でもうちのクラスほとんどこれか」

「お金は使わないでよ。そしたら、一番高額の席は先生の給料より高くなりそうじゃない? でも、毎回くじ引きだと飽きちゃうね」

 長谷部くんは皆の笑いを誘いながらも進行を円滑に進める。たしかに今回はくじ引きではない方法で僕もやりたい。とはいえ、それに代わる意見があるわけではない。

「じゃあ、事前に座席に番号を決めておくでしょ。最初の人が番号を決めて、長谷部くんがマグネットを引いて出てきた人がその席になるっていうのを繰り返すのはどうかな?」

「おー、それいいかもな。皆もそれでいい?」

 クラスの一人が面白い意見を出した。たしかにその方法はまだやったことがないし、盛り上がりそうだ。長谷部くんは皆に確認をとったのちに異論が出なかったので、このやり方で決定した。

 席替えが開始されていく。序盤の方では僕の名前も、雨月の名前も出ることはなかった。あわよくば隣の席になれたらと思うけれど、それは夢世界だろうか。

「五番が、北谷(きたや)。何番がいい?」

「じゃあ、二十番で」

「はいよ。次が、松城(まつしろ)さん」

 真ん中ぐらいで松城さん、つまり雨月の名前が呼ばれた。五番は今の席と同じだった。僕が隣になるには十一番になる必要がある。運よく十一番はまだ空いていた。その後も僕の番はこないまま風人の番が来て、一番席の前になっていた。そして、月希の番が来た。

「四十番が山岡(やまおか)さん、何番にする?」

 月希は一番後ろの廊下の席になったようだ。あと僕を含めて残り五人といったところだろうか。カウントダンが始まってくる。

「じゃあ、十一番」

 月希はまだ空いていた雨月の隣の席を指定した。

「……えっと、十一番が白山。次は何番にする?」

「じゃあ、二十二番」

 小さな巡りあわせでもあるのだろうか、それとも月希からの導きだろうか、雨月の隣になれたことに机の下で小さくガッツポーズした。

 最後の人まで席が決まると、荷物を持って席を移動した。雨月は同じ席であったので、すでにそこにいた。小さく手を振ると、雨月も小さく振りかえしてくれた。そして、よろしくねと言って僕は席に座る。

「じゃあ、終わったね。長谷部くんありがとう。時間もあるし、隣の人と小さなアクティビティでもしようか。以心伝心ゲーム、皆知ってるでしょ? それをしようかな。お題はなんでもいいよ。じゃあ、準備できたチームからスタート!」

 以心伝心ゲーム。出されたお題に対して同じ答えを出すというゲームだ。例えば、動物といえば? というお題に対してウサギと答える。相手もウサギと答えて一致すれば成功、パンダなどと答えて一致しなければ失敗だ。

 雨月はゲームを始めるに際して僕のためにルーズリーフを一枚くれた。すでに始めているところもあるようで、周りからは早くも笑い声も聞こえてきた。

「じゃあ、僕からお題。……んー、冬の花といえば?」

「冬の花か……あっ、あれかな!」

「……よし。雨月もできた? じゃあ、せーの!」

 一回目。回答は僕がツバキで、彼女もツバキだった。サザンカやシクラメンなどとも悩んだが、一番一致しやすそうなツバキを選んだ。

「最初から一致したね!」

「そうだね、よかった」

 僕らは恋人なのだから、一致しても珍しいものでもないのかもしれない。でも、こうやって一致すると思わずハイタッチしたくなる。なので、実際にハイタッチしてしまった。初めて触れた雨月の手は、朝貸してくれたタオルのように柔らかかった。そして、僕の手よりもだいぶ小さかった。

「じゃあ、私がお題を出す番か。国内旅行で行きたい場所といえば?」

 二回目。回答は僕が北海道で、彼女は沖縄だった。今回はかなり距離が離れてしまった。たしかに沖縄も捨てがたいが、数か月ほど前の修学旅行で行ってしまったので、まだ行ったことのない場所で海鮮などがおいしい北海道に行きたいと思ったのだ。

「北海道もいいよね。でも、私は空斗くんとの修学旅行が楽しかったからもう一度沖縄に行きたいなって」

「たしかに、思い出の地にもう一回行くのも楽しいよな。次のお題は僕か……ケーキといえば何ケーキ?」

 三回目。回答は僕がチョコレートケーキで、彼女がフルーツタルトだった。定番をいうのならばショートケーキかもしれないが、ここは僕の食べたいものを選んだ。チョコの濃厚な味わいがたまらないのだ。

「合わせにいってないな、お互い」

「私もこれは食べたいものを選んじゃったかな。じゃあ次のお題は、願いが一つだけ叶うなら? これは一致するの難しいかな」

「たしかにな。でも、僕は一致すると思うぞ」

 僕にもいくつか願いはある。成績をもっと上げられますように、自分に自信をもっと持てますようにとか。でも、一番となるとやはりあれしかない。

 四回目。回答は『大切な人と幸せになりたい』で、彼女も『大切な人と幸せになりたい』だった。一語一句同じ回答になっていた。これには思わずお互い目を合わせてくすくすと笑ってしまう。やはり僕らはどこかで繋がっている。でも、どこかでは繋がっていないのかもしれない。

「よかったな。ここは恋人として合わせたかったから」

「私も合わせたかった。いや、合わせる以外ないと思った」

 この後も以心伝心ゲームは続いた。成功は半分強といったところだろうか。でも、かなり難しいお題もあってのこの成功数なので、僕と雨月はやはりただの関係ではないのだろう。

「はいはい、皆最後に大事な話をするよ。明日からの冬休み、皆さん楽しみにしていることかと思います。しかし、その前に今からとあるものを配ります」

 以心伝心ゲームが終了すると、先生は大事だと強調しながらとある紙を配り始めた。進路希望調査票だ。まだ、高校二年生。されどもう、高校二年生。どう思うかは人により解釈が分かれるところだろう。でも、そういう時期にいるんだということは自覚しなければならない。

「冬休み後に回収するので、まだ一年前だからと思わず、親御さんとも考えながら今の段階での進路を決めてみましょう。本校では大学に進学する人が多いかと思いますが、大学に進学する人はどの大学に行きたいかまで考えてみましょう。何か質問のある人はいますか? ……いなそうですね。では、また来年。さようなら」

 さようならという言葉が教室を駆け巡ればもう放課後。今日は本年最後の授業なので午前で終了だ。祝日休みと同じぐらいの嬉しさがあるのはなぜだろうか。彼女の美術部展示会までは一時間少しあるため、昼でも食べて待っていようとカバンからお昼を取り出した。

「美術室、もう行くの?」

「いや、委員会の方。今日、飼育係の当番なんだ」

「他に当番の人いる?」

「私以外に二人いたと思う」

 雨月は飼育委員会にも所属しているらしい。この学校には、高校としては珍しくメダカの他にウサギを二匹飼っている。他に二人いるのであれば僕の出る幕はないだろう。しかし、今のところこれといった雨月の悩みは見つからない。強いて言えば、コミュ障が悩みなのかもしれない。とはいえ半日しかいない僕が言うのもあれかもしれないが、学校生活に支障があるほどかといわれると月希がいるお陰もあり、何とかやっていけていると思う。

 しかし、僕の勘がなんだか働いてしまったのか、チョコスティックパンを一本消費すると、飼育小屋へと向かった。

 相変わらず外では雨が降っていた。でも、さっきよりは小さな雨粒になっていた。とはいえ、雨の中を走り回っている人など誰もいない。所々にできていた水たまりを辿って、奥にある飼育小屋へと向かう。

「雨月――」

 なんとなく予想していたのかもしれない。そこにいるのはただ一人だけということは。飼育小屋の二つある部屋の中で一つの部屋に雨月はいて、ウサギの糞などを箒ではいているところだった。

「……! 空斗くん」

 金網越しに僕を見つけた雨月は驚いたように僕の名前を呼ぶ。手に持っていた箒がカタンと落ちた。雨月はすぐにそれを慌てて拾った。

「急に来てごめん。他の二人は?」

 少しばかり意地悪な質問をしたと思った。彼女の性格からしてわかっていたはずなのに。そして、彼女は僕の予想した通り何かを隠すようなしぐさをしながら片方の手をポケットに入れた。

「任せてもいいかなって言われたから、帰しちゃった」

 当番の名前を聞いたら、未雲の世界でも彼女に対してひどい言葉をつらつらと並べた子たちだった。帰しちゃったというのは建前だろう。でも、ここで僕が説教じみたことをするのはどこか違う。だけど、そういうことではない何かならできるのかもしれない。

「いいんだぞ、一人じゃ大変だからって言っても。元々その子たちも当番なんだし。とはいえ、もう帰しちゃったものはしょうがないな。そういう時には僕の出番だ」

「いいよ、空斗くんは当番でもないんだし」

「いや、僕がやりたいだけだから。手伝うのはルール的にも問題ないし、それにウサギ、僕も触りたいし」

 僕はそう言うと、雨月に扉を開けてもらって小屋の中に入った。僕と彼女の共同作業だ。彼女に変わり僕がウサギの糞を掃除する。その間に雨月には水やラビットフードの補充をしてもらった。

「意外と大変だな。ウサギを踏まないように気をつけなきゃいけないし。これ、一人だと時間かかるよ」

「見つけてくれてありがとう。……そう言うのが正解なのかな」

「いや、待っててくれてありがとう。僕がそういうのが正解だ」

 ——僕の本当の彼女にも、彼女に「見つけてくれてありがとう」と言われるのではなく「待っていてくれてありがとう」そう言いたいと思ってしまった。二日後に僕はそう言えるのだろうか。

 そんなことを思いながら糞を掃き終わった。雨月にこのウサギはなんっていう名前なのかと聞くと、名前だけではなくこの子の特徴や、性格まで細かい情報までも教えてくれた。新しく餌が来ると真っ先に飛び出す子なんて言っていたけれど、本当にそのようで先ほど盛ったばかりの餌もいつの間にか目に見えるほど減っているのが分かった。

 一匹目のウサギの世話が終わると、もう一つの部屋にいるウサギも同じように作業をする。少しは手慣れたようで体が勝手に動いてくれた。

「でも、ウサギかわいいよな。このモフモフ感とか」

 まだ作業の途中だが、僕は白いウサギに少し触れてみる。綿がたくさん入ったクッションよりもふわふわしており、それでいてじっとしている。それに、あの黒いネコとは大違いにかわいい。天使様と呼ばせてもらいたいぐらいだ。

「うん、私もそう思う。でも、もうすぐこのウサギたちもこの学校を去っちゃうんだ」

「そう言ってたよね、委員会の報告でも」

「今ってね、気温とか考え方とかが変わってどんどん学校からはウサギの姿はなくなってるんだよ。このウサギも今年度いっぱい。だから、私が最後までお世話したいっていうのもあるのかな」

「雨月みたいな子に育てられてきっとウサギたちも大切な思い出になってると思うよ」

 かつてのような四季がなくなっていたり、動物に関する考え方が日々変わっていくことは知っていたが、このウサギもそういう流れには逆らえないようだ。どうやら終業式で委員長が言っていた通り今年でお別れになり、その後は動物のいる施設にでも行くらしい。

「餌、あげてみる?」

「僕にもできる?」

「大丈夫、簡単だよ」

「じゃあ、やってみたい」

 雨月からウサギといえばの野菜である人参を手渡された。雨月は僕が餌をあげやすいようにまずはウサギを手のひらでなで始めた。ウサギはいつものあの手と認識したのだろうか。僕が手をなでたときよりも何倍も心地よさそうにしていた。まるで運命共同体のようだ。

「空斗くん、いいよ」

「うん。ウサギちゃんどうぞ」

 僕が人参を差し出すと、そのまま口の中に入れてくれた。雨月はもう大丈夫だろうと思ったのか、なでるのをそっとやめた。僕はその後もウサギの様子を確認しながら、もう少し餌をあげてみた。そんな姿を雨月は写真に撮っていたらしい。ウサギに気を取られていたためか全く気付かず写真の中の僕は自然な表情を浮かべていた。そんな写真を見ながら雨月は小さな声で笑っていた。

「雨月も撮っておくか? ウサギと一緒に」

「撮ってくれるの?」

「もちろん」

 雨月も小さい頃にもらったぬいぐるみのように大切にしているウサギと写真を撮った。どちらのウサギとも抱いてのツーショットだ。僕なんてさっき抱こうとしたら、あっけなくも逃げられてしまったというのに。

 ウサギの作業が全て終わると、昇降口にいるメダカに餌をあげて、飼育日誌を記入する。飼育小屋を出る際、雨月は「また会おうね、忘れないでね」と言っていたが、そのときのシーンが僕はなんだか忘れられずに反芻してしまう。

「すみません、鍵を返しに来ました」

 最後の作業は職員室に鍵を返すことだ。職員会議で先生がまばらになった職員室では雨月の小さな声はすぐにかき消されてしまう。

「すみません、鍵を返しに来ました」

 余計なお世話かとも思ったが、僕がもう少し大きな声で同じ言葉を言った。すると、白衣を着た女の先生がこちらへ向かってやってきてくれた。

「おつかれー。ウサギとメダカの世話終わった?」

「はい、いつも通りに」

 おそらく飼育委員会の先生であるのだろう、雨月とアイコンタクトを交わす。

「その隣の人は?」

「この方に、手伝ってもらいました」

 雨月に紹介された僕は名前を名乗った後に軽く一礼をする。

「そうなのか、ありがとな。また同じクラスのあいつらだなー。雨月の弱みにつけ込んで。雨月も強くなれよ」

「頑張ります」

 先生は雨月の肩を優しくポンポンと叩いた。そして、雨月は飼育小屋の鍵を返した。これにて、僕らの任務は完全に終了だ。

「じゃあ、美術部の展示会もよろしく。私もたばこ吸い終わったら行くから」

 この先生は飼育委員だけではなく、美術部の顧問でもあるみたいだ。僕らが職員室を後にしたところ反対側の扉から煙草の箱を持った先生が校門側に向かって歩いていた。

 美術部の展示会まではまだ時間があるためお昼ご飯を食べていない雨月とともに途中だった僕も教室でお昼ご飯を食べた。雨月は自分で握ったという鮭と梅のおにぎりを小さな口でほおばっていた。梅干を食べたときのしかめた顔をした雨月の顔にはなぜだか笑ってしまった。雨月が準備のために先にいってしまうと僕は再び一人になる。

「あっ、空斗じゃん。なんだ振られちゃったか」

 教室の窓から一人寂しく雨降る世界を眺めていた僕の沈黙を誰かが破る。台風ですら吹き飛ばしてしまうかの存在である月希だ。僕の隣まで来て窓からの景色を眺め始めた。

「ちげーよ、雨月は準備のため先に行っただけ。そういう月希は風人に振られちゃったか?」

 僕は大真面目に答えることなく、いつものノリで答えた。

「私たち、付き合ってないし! でも、暇なら少しツラ貸してよ」

 月希はわかりやすく顔を赤くした。そんなことを面と向かって言ったら、僕の命は危ういだろうか。月希にそう言われて僕はほんの少しだけツラを貸すことにした。月希がつれてきたのは体育館だ。体育館を使う部活は今日は休みなのか誰もいなかったが、月希はバドミントンのラケットを取り出して一人打ち上げを始めた。安定して連続で高く打ちあげていく。

「何するの?」

「私の相手になってくれない?」

 月希は高く上がったシャトルをキャッチして僕の方を向いて決めポーズしたかと思うと、僕に相手になるよう要求した。

「なんで僕が?」

 とはいえ、現役のバドミントン部に僕が勝てるわけがない。打ち上げていた様子を見ても遊びで入ったというようなレベルではなさそうだ。

「なにー、私の相手にすらなれない存在なのかな?」

「でも、僕、中学時代はバドミントン部だったな」

「よーし、じゃあやろう」

「ああ、負けないよ」

 月希の挑発にまんまと負けて僕と月希はバドミントンで勝負をすることになった。下には体操服を身に着けているので僕らは制服をその辺に脱ぎ捨てた。月希は予備のラケットをくれた。こんな感触だったっけ思いながらも体は動きを覚えているようだ。

 ネットはないが、そこにネットがあるかのようにして試合は始まる。最初は月希からだ。中学時代バドミントン部だったとはいえ、月希の運動神経は僕もよくわかっている。油断することなどできない。僕が早々に追い詰められそうだ。

「よし、いくよ」

「いい球だな。高くするぞ」

「空斗もいい球だな。でもそんな高くすると、スマッシュだ!」

 ゲームを面白くしようと高く打ったが、月希はそんなのお構いなしに早くも僕にスマッシュをお見舞いした。僕はラケットを振ることすらできず、気づけばすぐ横に落下していた。

 やはり、本気でいこう。ゲームを面白くするなどという考えは捨てて、月希と向き合うために。ドロップショットなども混ぜていきながらチャンスを狙った。

「よし、一点追加」

「ナイスショット! 今のは私でも追えなかったよ」

 スマッシュによって一点追加できたときの僕はかなり気持ちがよかった。中学時代の僕を思い出したかのようだ。少し前の僕を思い出すと、変わっていってしまったことに自然と気づいてしまう。それはいい方向にでもあるし、もちろん悪い方向にでもある。

「よし、じゃあ、私さらに本気出していこうかな?」

「今までのやつ本気じゃなかったの!? 僕死ぬぞ」

「雨月の彼女なら、私を倒してみろ! そうしないと渡さないぞー」

 彼女の宣言通り先ほどより明らかに速い球や、取るのが難しい球を連発して打ってきた。僕は月希にコントロールされるかのように球を追った。もう僕に勝ち目はないだろう。でも、僕はそうやって本気になっている月希が案外好きだった。



「はあはあ、なかなかいい試合だった」

「まあ、僕のぼろ負けだったけどな」

 僅差とかそういうレベルではなく普通に負けた。もちろん一ゲームしかしてないといえばそれまでだが、おそらくそれ以上やっても僕は負ける。お互いに息を切らしながら壁によりかかった。

「最近、悩み事がありそうな、そんな今にも雨が降りそうな曇った顔をしてたからいい運動になったでしょ」

「たしかに、悩み事はあるけどね」

 流石にその根本的な内容には気づいてはいなそうだった。とはいえ、僕が何かを悩んでいること、それが将来への選択であることという部分までは気づかれていたようだ。それについてはごまかすことはなく、そうだと答えた。

「私のアドバイス聞きたい?」

「そこは、何も言わずにつぶやくのが筋だと思うけどな」

「そうしたら、私じゃないよー」

「たしかに」

 たしかに月希はかっこよくただ前だけを向きながら僕に最適なルートを示してくれるような存在とは違う。どちらかといえば、複雑な道ではあるけれど、ゴールまでの道のりの案内をしてくれるような存在だ。

「ちなみに、空斗の悩みって卒業後の進路とか?」

「将来の選択の話とは言ったけど進路ではないな。でも、ある意味では進路だな」

「んーじゃあ、私が言えることがあるとすれば、どの選択を取ってもおそらく空斗は百パーセント幸せになれないと思う」

「いきなり毒舌だな」

 今からいいことを言ってくれるのかと期待していたが、僕の予想を裏切るように、厳しい言葉を断定するように言い放った。笑顔で話しているくせにまるでその笑顔が嘘かのようだ。

「最後まで聞いてって――。だって、君はどれかを捨ててどれか一つを選ぶということが苦手なんだよ。一番好きなものはあるかもしれない。でも、それ以外のものにも深く感情移入しちゃうんだよ。それがたとえ幻であったとしても――」

 最初は毒舌だなと思ったが、たしかに最後まで聞く意味がありそうだ。そして、月希の言っていることは的を得ている。見つけた世界のうち、一つ以外はあくまであの黒いネコが作り出した幻の世界に過ぎない。感情移入する必要はないのだ。でも、僕にはそれはどれも大切な世界で、どれも捨てる決定的な理由は見つからない。だから、消去法になってしまうのだろう。

 ――一番好きなものはあるかもしれない。

 それが僕の本当の彼女なのだろう。

「――でも、絶対に何かを選ばないといけない。そんな時には、自分が一番捨てたくないものを大切にしてよ。必ず空斗にも優先順位はあるはずだから。今はわからなくてもきっと気づくよ」

 月希はそう言いながらグータッチを求めてきた。僕はしろうもどろしながらも月希とグータッチした。汗まみれの僕らがそれをしたら汗が伝わっているように思えた。



 美術室で行われた展示会では、僕ら以外にも数人ばかりが集まっていた。外部の展示会に提出する期限はあと三週間ほどあるみたいだが、すでにどの作品も完成しているようだ。見た目は体育会系に見えるあの女子生徒が部長だろうか、飾られた絵の説明を身振り手振りを通して圧倒的な熱量で伝えていた。

「おー、雨月来たよー!」

「雨月ちゃんこんにちは」

 月希と風人は入り口から一番近い所にいた雨月を見てすぐに声をかけた。僕もさっきぶりだななんていいながら、雨月の傍に行く。雨月の描いた作品の題名は『天の届けもの』というものだった。

「天気をメインの題材にしたの?」

「うん。ただ、普段よく見るような天気だけじゃなくて、天から降ってくる様々なものを描いたんだ」

 よく見てみるとたしかに、雹やあられのようなものも細かく描かれていた。晴れ、曇り、雨……。それぞれが何を表しているのかを探るとおもしろそうだ。

 ――僕の彼女も夜、静かに光輝く景色を描くのが上手だった気がする。雨月はその絵を描いてしまうのだろうか。

「雨月先輩の上手ですよね……」

 僕らが話しているところに、隣にいた後輩も交ってくる。副部長としてちゃんと皆に好かれているようで彼女の絵について褒めていた。とはいえ、あっちでは部長は相変わらず威勢のいい説明をしていて雨月が部長と面と向かって話すのは難しそうだなと思った。

「後輩ちゃんは何に描いたの、見てもいい?」

「未熟者のですが、ぜひ……!」

「おーすごい。この辺とか私すごい好きかも。色使いが上手だね」

 月希と風人は隣の後輩に誘われて後輩の絵を鑑賞し始めた。気づけば、美術室に入ってくる人が増えてきた。僕もそろそろ他の人のも見てみようと思い、移動することにした。僕の美術的センスは皆無であるが、どの作品も何か惹かれるところが一つや二つはあるものだ。

「どうだ、うちの美術部の生徒たちの作品は」

 壁によりかかっていた白い白衣を身にまとった女の人となると、さっき鍵を返したあの先生に違いない。僕をの姿に気づくなり手招きしてきた。

「どれも素敵ですね。これなら出展した先でも人気になりそうですよ」

「まあな。でも、なんか雨月が物足りなさそうな顔をしてるんだよ。自分の作品に対することなのか、それとも他のことなのか……。見た感じ、あんたら付き合ってるよな?」

「付き合って……! いや、たしかに付き合ってますけど!」

 なぜか一度否定しそうになった。でも、実際に僕らはこの世界ではそうであるし、隠す必要もない。ただ、付き合っていると言われること自体が僕には慣れていないのだ。

「先生の目は誤魔化せないぞ。何年やってると思ってるんだ。……まあ、その話は置いておいて、彼氏ならさりげなく聞いておいてくれ。雨月は私にとってかわいい生徒だからな」

 先生が雨月を見るその目は、生徒を見る目ではなく、まるで一人の娘を見るかような目だった。たしかに、雨月は先ほども飼育委員会の仕事を一人でしている姿を見るとやはり何か言い出せないことがあるのだろう。

「そこの方、この絵はですね――」

 部長さんのところではやはり勧誘にあった——いや、勧誘と言っては失礼だろう。事細かに説明してくれた。ただ、僕には美術単語がよくわからずちんぷんかんぷんな部分も多かった。でも、部長なりの絵に対する情熱があることだけは分かった。

「この展覧会に出店するおおよその計画は私が立てたんです」

 最後まで自己アピールがすごいなと思いながら僕は「すごいですね」という単純な褒め言葉を残して、最後まで見て回った。

 すべての絵を鑑賞し終えると、雨月のところへ戻ってきた。どれも素敵な作品だった。それ以上の感想を言うと美術的センスの欠片もないと言われてしまいそうだからここぐらいにしておこう。

「どうかしたのか?」

 僕が戻ってきたときに、もう入る人はいなかったためか雨月は自分の作品をじっと見つめているようだった。ただ、その作品のどこか一点を見ているというよりもその絵全体を眺めているようだった。雨月の世界に入り込んでいたら申し訳ないと思いつつも数秒間全く微動だにしなかったので思わず声をかけてしまった。

「……いや、なんでもない。ただ、一つ心残りがあってね」

「言うだけはただだぞ。見返りを求めない彼氏だからな。もし、あれだったら耳に吹きかけてくれてもいいし」

 先生が言っていたように自然に聞き出そうとする。でも、聞き出し方はかなり下手だったかもしれない。見返りを求めないとか余計だ。ただ、雨月はじゃあと言いながら背伸びして僕の耳に口を近づけた。僕はその動作に気づいてほんの少しだけしゃがんだ。次の瞬間、僕の耳には風が吹き込まれる。

「——実は私、展示会に部員皆で絵を描いて出してみたいなって。とはいえ、知っての通り私そういう言い出すの苦手だから。一人の利益のために言っていいのかなって」

 ああ、そういうことか。たしかに今回のは全て個人作であり、見たところ共同作品はない。部長は自己の作品を貫きたいタイプだろうだから、言ったところで反対されてしまう可能性もある。とはいえ、ここで部長を悪役に仕立て上げるのは最も違う。僕もあの部長と仲良くするのは難しいと思ったが、考え方が違うだけで悪役ではない。

 「明日までに一緒に答えを探そう」と今度は雨月の耳に向かって僕が言葉を吹き込んだ。しかし、雨月はその言葉よりも僕が雨月の耳に言葉を吹き込んだそのこと自体に驚いているようだった。

 展示会は一時間ほどで終了した。任意で感想を書くことを求められるのだが、僕も僕の言葉で拙い感想を書いてカードを箱に入れた。



「今年も学校お疲れー!」

 展示会終了後、三人で帰ることになった。多少遠回りになるが、途中までなら三人とも同じ道だ。雨月たちが右手に持っているオレンジジュースは美術部の顧問のおごりだ。僕は自転車なのでカバンの横ポケットに入れてある。

「お疲れさま」

「そうだなお疲れ、本当に疲れたよ」

 赤信号で一気にオレンジジュースを飲んだ。月希も同じくだ。しかし、雨月は少しだけ口に付けていた。僕は学校ではなくどちらかというと違う意味で疲れた。

「風人はバイトがあるらしいから先に帰っちゃったけど、まあどうせ二十四日にクリスマスパーティーするからね」

「……そういえば、二十四日って天気何!?」

「ん-、今のところ曇りのうち雨? もしかしたら朝から雨かもとか、もしかしたら晴れてくれるかもとかまだ変わりやすい予報」

 最後の日、僕はどの彼女とクリスマスパーティーをすることになるのか。もちろん、最後の日の彼女が僕の彼女とは限らないが、何か大きな意味を成すことになるのだと思う。ただ、その肝心な日の天気はまだ変わりやすい天気のようだ。

「じゃあ、僕こっちだから」

「うん、私と雨月はもう少し先だから。またね!」

「うん、月希。雨月もまたな」

「空斗くんまたね」

 駅前の大きな交差点で僕らは別れた。そこから僕は自転車に乗って家へ向かった。カッパを着なくてもほとんど濡れるほどの雨ではなかったので、水たまりを気にすることなく全速力で自転車を漕いだ。