アラサー塾講師の出張メシ 夜のお供はコンビニガチ中華ですけど何か?


   ◇

 次の日も仕事帰りに同じコンビニに立ち寄った。

 残念ながら半額シールのついた商品は普通の餃子だけで、ガチ中華シリーズは通常の値段のものしかなかった。

 だけど、おかげで、まだ試していないものが並んでいる。

 ひとまず半額餃子を確保して籠に入れ、そば茶を先に取りに行ってからお弁当コーナーに戻る。

 ――うーん、どうしよう。

 羊を使ったメニューがいくつかあるんだけど、正直なところあの独特の臭みが苦手で、あんまりピンとこないのよね。

 と、そのときだった。

「ガチ中華シリーズ好きですか?」

 へ?

 声に振り向くと、そこにいたのはおなじみの店員さんだった。

「あ……ああ、ええ、まあ、そうですね」

 曖昧な返事をしながら、名札に目が行っていた。

 ――へえ、松浦さんっていうんだ。

 信長のアレにも登場する名前だ。

「花椒麻婆どうでした?」

 昨日買った物を覚えられちゃってたのは、いつもなら困惑してただろうけど、相手の名前がいかにも九州らしくて、歴史好きの血があっさり受け入れてしまったらしい。

「辛かったですけど、なんとか食べられました」

「じゃあ、この麻辣羊鍋どうですか?」

 松浦さんが指したのは、さっき私が迷っていた商品だ。

「羊がどうかなって」

「臭みないです」と、即答断言。「コンビニでこのクオリティはありえない完成度です」

 へえ、そうなんだ。

 と、言い切った松浦さんの口元に軽く笑みが浮かぶ。

「ま、ていうか、辛くて臭みも分からないんだと思いますけどね」

 ああ、チャレンジャー系か。

 ここで受けて立とうかとはならないのが私だけど、断れないのも私なのよね。

 ――うーん、どうしよう。

 振り出しに戻って迷ってしまう。

 やばいな。

 じっと見つめられてると、頭がどんどん真っ白になっていく。

 決められないよ。

 だって、麺の硬さだってテンパって選べない女ですから。

 と言っても、いつまでも迷ってたら日付が変わっちゃうし。

「……じゃ、それにします」

「え、まじっすか。すごっ」

 えー!?

 おすすめしてくれたのはそっちでしょうよ。

 文句を言おうにも、松浦さんはレジに向かってしまったので、私は籠に麻辣羊鍋を放り込んでついていった。

「温めますね」

 ハイハイ、どうもありがとうございます。

 と、電子レンジからなんかもうすでに辛そうな香りが漂ってくる。

 温め終わって扉を開けた松浦さんが、制服の袖を口に押し当て、むせたような咳をした。

「これ温めると、いつも目が痛くなるんですよ」

 ちょ、ちょ、え、そんなに?

 大丈夫なの、私?

「今度感想聞かせてくださいね」

 陽気に見送られてホテルに帰った私は、恐る恐るプラスチックの蓋を開けた。

 真っ赤な池に沈黙した羊たちが泳いでいる。

 大きく刻んだ白ネギも赤く染まっている。

 覚悟を決めて口に入れると……ん?

 あれ、意外と辛くない。

 後から来るかと身構えていたら、それどころじゃなかった。

 なんか揺れてる?

 地震?

 ……じゃない、自分が揺れてるんだ。

 口から耳に抜けるような辛い熱が一気に頭のてっぺんを突き破り、平衡感覚すらあやふやになって、椅子から浮いているような気がした。

 ――ゴフッ……フゴッ。

 二口目を食べた途端、咳が止まらなくなる。

 なんだこれ、だけど、なんか止まらないよ、なんで?

 ハイになっているのか、私は笑いながら羊肉をひょいぱくと口に運ぶ。

 たしかに臭みは感じない。

 でも、辛すぎて麻痺したからというわけではなく、ちゃんとお肉の味は感じる。

 私だけ局地的ゲリラ豪雨に巻き込まれたみたいに全身汗まみれ。

 だけど、羊の群れは止まらない。

 赤い汁に溶け込んだ羊の脂が野性味をまとってほのかに甘く香る。

 おいしいよ、これ、いい。

 舌がちゃんと味をとらえている。

 辛さの向こうのうまみと、ようやく手を握り合えたのかも。

 そして、それを追い求めた私はついにゴールにたどり着いた。

 ――やった、やりました、私。

 完食したときには、フルマラソンを完走したみたいな達成感に包まれていた。

 しばらく収まらない胸の動悸をそば茶でなだめていると、いつの間にか椅子の上でうとうとしかけていた。

 何だろう、この心地の良い疲労感。

 気がつけば半額餃子を食べるのも忘れ、燃え尽きたボクサーのように私はそのままの姿勢で眠っていた。