冗談だった。いや。正確に言えば、自分の本心を誤魔化すための、半分だけの冗談だった。
軽く。……言った、はずだったのだ。
「…………」
返事がない。
「……郁真?」
不審に思って隣を見る。そこで、俺は声もなく言葉を失った。
郁真が、じっと俺を見つめていた。さっきまでの柔らかく穏やかな笑顔は綺麗に消え去っている。黒く澄んだ瞳だけが、逃がさないと言わんばかりに真っ直ぐ俺を捉えて離さなかった。
「…何、だよ」
「…………」
「いや、なんだよ!急に黙り込んで…」
郁真が何かを言い開こうとして、一度唇を強く閉じる。そしてもう一度、至近距離から俺の顔を覗き込んできた。その瞳の色が明らかに、今まで見たこともない色へと変わっていた。
軽口を叩き合う時の、いつもの無邪気な目じゃない。俺の心の奥底を鋭く引き剥がし、確かめるような色が前面に出ている。一度捕まえたら絶対に逃がさないような、酷く雄弁な目。
「……今」
「ん?」
「今、なんて言った?」
「え?」
「もう1回言って」
低く掠れた声だった。
「…何をだよ」
「さっきの」
俺の心臓がドクンと大きな音を立てて跳ね上がった。
「……『俺も好き』?」
郁真は何も答えない。ただ、燃えるような眼差しで俺を見つめ続けている。
「…郁真?」
「唯斗」
「うん」
「それ」
郁真が、呼吸を確かめるようにゆっくりと口を開く。
「冗談?」
「……………」
答えられなかった。
ただ、郁真の鋭い視線から逃れるように、俺は無意識に少しだけ身体を引いた。けれど逃げ場はなく、その分だけ背中のソファーへと深く身体が沈み込む。
「郁真?」
「ごめん」
低く呟くと同時に、郁真が長い腕を伸ばした。俺の左右の逃げ道を完全に塞ぐようにソファーの背もたれへドサリと両手をつき、上から覆いかぶさるように俺を見下ろしてくる。
「ちょ、近いって……!」
「うん」
「うん、じゃなくて……」
鼓動がうるさくて、言葉がうまく続かない。
近い。あまりにも近すぎる。
さっきまで隣に並んで座っていただけなのに。今は、少し顔を上げれば目と鼻の先に郁真の顔があった。
規則的な温かい息が俺の頬をくくすぐる。そして、もう片方の手がそっと触れてきた。
「…っ」
冷たい指先が重なる。そこから滑り込むように、ゆっくりと、確実な力で指と指を深く絡め合わされた。
左手の人差し指にはめられたあの銀色のリングが、カチャリと小さな音を立てて互いに触れ合う。
「…郁真」
「嫌?」
本当に嫌なら、振りほどけばいい。強く拒絶して、この手を押し返せばいいのだ。
なのに、俺の指は深く絡められた郁真の手をどうしても振り解くことができなかった。それどころか、自分でも気づかないうちに、握り返す指先にギュッと力が入ってしまう。
熱い。
ただ手を重ねているだけなのに、その接触面から火傷するような熱が全身の血液を巡って広がるみたいだった。すでに頭はキャパオーバー。それを見透かしたように、悪戯っ子のように笑いが降ってきた。
「顔、真っ赤」
「うるさい」
「ははっ」
郁真が小さく笑う。
でも、その目は全く笑っていなかった。吸い込まれそうなほど、真剣そのものだ。
「さっきの『好き』」
「……うん」
「本当に冗談だったの?」
逃げ場のない2度目の問い。
今度こそ、絶対に誤魔化せない。
「……ちがう」
掠れた、小さな小さな声で答えた。
郁真の目が驚いたように一瞬だけ大きく見開かれた。それから、愛おしさに耐えかねたようにゆっくりと細められていく。
「そっか」
「……うん」
「そっかー…」
郁真が、さらにぐっと顔を近づけてきた。
ドクンと胸が痛いほど跳ねる。何をされるのか分からない。分からないのに、金縛りに遭ったみたいに身体が指1本動かなかった。
「郁真」
「ん?」
「ち、ちかいって…」
「うん」
「…っ、だから」
「嫌?」
また、同じ問いかけ。
俺は答えられない。何十回、何百回とタイムループを繰り返したって、郁真のこの問いにだけは一向に上手く言葉を返せそうにない。
ただ、握り締められたままの指を離さずにいた。
それを拒絶ではない『答え』だと受け取ったのだろう。
郁真が、ほんのあと数ミリの距離を詰めてくる。
その迫力に耐えかねて、俺は反射的にぎゅっと瞼を閉じた。
「…………」
近付いてくる郁真の気配。追いつめられ、逃げ場を失った俺はただ目を閉じることしかできなかった。
ふわりと顎に触れたのは郁真の濡れた短い髪の毛で、そこからは俺の髪と同じシャンプーの甘い香りが漂ってきた。それがどうしようもない愛おしさと切なさを掻き立て、ぞくぞくとした甘い背徳感が背筋を駆け抜けていく。
首筋に重なる柔らかく温かい感触に、郁真の唇が直に触れたのだと分かった。
「ぅ、」
首の皮膚を強く吸い上げられ、耐えきれずに小さな声が唇の隙間から漏れ出す。
それが自分で酷く恥ずかしくて、俺は溢れそうになる声を堪えるようにギュッと自分の唇を噛みしめた。
軽く。……言った、はずだったのだ。
「…………」
返事がない。
「……郁真?」
不審に思って隣を見る。そこで、俺は声もなく言葉を失った。
郁真が、じっと俺を見つめていた。さっきまでの柔らかく穏やかな笑顔は綺麗に消え去っている。黒く澄んだ瞳だけが、逃がさないと言わんばかりに真っ直ぐ俺を捉えて離さなかった。
「…何、だよ」
「…………」
「いや、なんだよ!急に黙り込んで…」
郁真が何かを言い開こうとして、一度唇を強く閉じる。そしてもう一度、至近距離から俺の顔を覗き込んできた。その瞳の色が明らかに、今まで見たこともない色へと変わっていた。
軽口を叩き合う時の、いつもの無邪気な目じゃない。俺の心の奥底を鋭く引き剥がし、確かめるような色が前面に出ている。一度捕まえたら絶対に逃がさないような、酷く雄弁な目。
「……今」
「ん?」
「今、なんて言った?」
「え?」
「もう1回言って」
低く掠れた声だった。
「…何をだよ」
「さっきの」
俺の心臓がドクンと大きな音を立てて跳ね上がった。
「……『俺も好き』?」
郁真は何も答えない。ただ、燃えるような眼差しで俺を見つめ続けている。
「…郁真?」
「唯斗」
「うん」
「それ」
郁真が、呼吸を確かめるようにゆっくりと口を開く。
「冗談?」
「……………」
答えられなかった。
ただ、郁真の鋭い視線から逃れるように、俺は無意識に少しだけ身体を引いた。けれど逃げ場はなく、その分だけ背中のソファーへと深く身体が沈み込む。
「郁真?」
「ごめん」
低く呟くと同時に、郁真が長い腕を伸ばした。俺の左右の逃げ道を完全に塞ぐようにソファーの背もたれへドサリと両手をつき、上から覆いかぶさるように俺を見下ろしてくる。
「ちょ、近いって……!」
「うん」
「うん、じゃなくて……」
鼓動がうるさくて、言葉がうまく続かない。
近い。あまりにも近すぎる。
さっきまで隣に並んで座っていただけなのに。今は、少し顔を上げれば目と鼻の先に郁真の顔があった。
規則的な温かい息が俺の頬をくくすぐる。そして、もう片方の手がそっと触れてきた。
「…っ」
冷たい指先が重なる。そこから滑り込むように、ゆっくりと、確実な力で指と指を深く絡め合わされた。
左手の人差し指にはめられたあの銀色のリングが、カチャリと小さな音を立てて互いに触れ合う。
「…郁真」
「嫌?」
本当に嫌なら、振りほどけばいい。強く拒絶して、この手を押し返せばいいのだ。
なのに、俺の指は深く絡められた郁真の手をどうしても振り解くことができなかった。それどころか、自分でも気づかないうちに、握り返す指先にギュッと力が入ってしまう。
熱い。
ただ手を重ねているだけなのに、その接触面から火傷するような熱が全身の血液を巡って広がるみたいだった。すでに頭はキャパオーバー。それを見透かしたように、悪戯っ子のように笑いが降ってきた。
「顔、真っ赤」
「うるさい」
「ははっ」
郁真が小さく笑う。
でも、その目は全く笑っていなかった。吸い込まれそうなほど、真剣そのものだ。
「さっきの『好き』」
「……うん」
「本当に冗談だったの?」
逃げ場のない2度目の問い。
今度こそ、絶対に誤魔化せない。
「……ちがう」
掠れた、小さな小さな声で答えた。
郁真の目が驚いたように一瞬だけ大きく見開かれた。それから、愛おしさに耐えかねたようにゆっくりと細められていく。
「そっか」
「……うん」
「そっかー…」
郁真が、さらにぐっと顔を近づけてきた。
ドクンと胸が痛いほど跳ねる。何をされるのか分からない。分からないのに、金縛りに遭ったみたいに身体が指1本動かなかった。
「郁真」
「ん?」
「ち、ちかいって…」
「うん」
「…っ、だから」
「嫌?」
また、同じ問いかけ。
俺は答えられない。何十回、何百回とタイムループを繰り返したって、郁真のこの問いにだけは一向に上手く言葉を返せそうにない。
ただ、握り締められたままの指を離さずにいた。
それを拒絶ではない『答え』だと受け取ったのだろう。
郁真が、ほんのあと数ミリの距離を詰めてくる。
その迫力に耐えかねて、俺は反射的にぎゅっと瞼を閉じた。
「…………」
近付いてくる郁真の気配。追いつめられ、逃げ場を失った俺はただ目を閉じることしかできなかった。
ふわりと顎に触れたのは郁真の濡れた短い髪の毛で、そこからは俺の髪と同じシャンプーの甘い香りが漂ってきた。それがどうしようもない愛おしさと切なさを掻き立て、ぞくぞくとした甘い背徳感が背筋を駆け抜けていく。
首筋に重なる柔らかく温かい感触に、郁真の唇が直に触れたのだと分かった。
「ぅ、」
首の皮膚を強く吸い上げられ、耐えきれずに小さな声が唇の隙間から漏れ出す。
それが自分で酷く恥ずかしくて、俺は溢れそうになる声を堪えるようにギュッと自分の唇を噛みしめた。



