九月一日
寂れて人影のほとんどない商店街を、控えめな顔立ちをした、一人のショートヘアの少女が大急ぎで走っていた。
少女の名前は根岸雨花。
鼓中学校の二年生だ。
背は低いが女子バレー部所属。
まだまだ太陽が照りつけてかなり暑いが、今日から新学期だ。
雨花は新学期早々寝坊してしまい、部活の朝練はおろか、学校に間に合うかも危うい状況だった。
雨花はゼーゼーと息を切らしながら、なんとか下駄箱に辿り着くと、上履きもまともに履かないまま一気に階段を駆け上がった。
そして教室に勢いよく駆け込んだ瞬間———
キーン コーン カーン コーン
間一髪で間に合ったようだ。
が、みんなはもう席に着いており、雨花は一斉に注目を浴びてしまった。
「おはよ~雨花! 早速寝坊?」
雨花の友人、大きな吊り目の少女——美奈が早速はやし立てる。
「うるさい」
雨花はキッと美菜を睨んで、いそいそと自分の席へ向かった。
もちろん、ふざけてだ。
先生はまだ来ていないから大丈夫だ。
雨花の席は真ん中の一番後ろで、そして———
「あれ?」
雨花は思わず小さく声を上げた。
彼女の隣の席は誰もいないはずだ。
真ん中の一番後ろ——雨花の隣には本来席がない。
だが今、彼女の席の隣には机があり、知らない少年が座っている……。
「どうしたん、雨花?」
斜め前の席の千代子が、不思議そうに雨花に声をかける。
「あっ、いや、別に……」
雨花は戸惑いながらも席に着いた。
チラチラと横目で盗み見ながら疑問に思う。
(こんな人、絶対いなかったよね……?)
そして朝のホームルームが終わって休み時間、雨花は早速美奈のところへ尋ねに行った。
「ねぇねぇ、私の隣のあの人って転校生?」
すると美奈は一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐにさもおかしそうに笑い出した。
「はぁ? 大丈夫、雨花? ずっと小学校から一緒じゃん! しかもあんた、これで二回連続隣の席なんですけど」
「えっ、えっ? 名前なんだっけ? 美奈ふざけてないよねぇ……?」
雨花は疑いの眼差しを向けた。
しかし、美奈は本当にふざけているわけではないようだ。
「いやいや、ふざけてないし! 雨花こそふざけてるんじゃないの? 草山良緒じゃん。剣道部で、ちょっと変わった奴だけど……」
「草山……ラオ……?」
美奈の返答を聞いた雨花は、必死に記憶を辿る。
そんな変わった名前なら忘れるはずがない。
だいたい、こんな田舎の各学年二クラスしかないような小さな中学校で、生徒数も少ない。
なのに、なのに——どんなに記憶を掘り起こしても、彼女の中には、草山良緒の人となりも彼とのエピソードも一切存在しない。
雨花は自分の頭がおかしくなったのかと心配になったり、クラスメイトみんなで自分を騙しているのでは、とも考えてもみたが、クラスでも目立たない方の雨花に、そんな手の込んだイタズラをする理由がさっぱりわからないし、結局思考はなにもまとまらなかった……。
雨花はその後も、他の友人たちにもさり気なく聞いてみたが、みんな答えは同じだった。
そして、とうとうわけもわからないまま、始業式も部活も終わってしまった。
新学期早々妙な一日だ。
トイレに行っていた雨花は、みんなより一足遅れて帰りの準備を済ませ、珍しく誰もいない廊下を独り、とぼとぼと下駄箱に向かって歩いていた。
その時、向こう側から今日一日の悩みの種である草山良緒が、もう下校時間を過ぎているというのに、こちらに向かって歩いて来るのが見えた。
雨花は逃げ出したい衝動を抑え、平常心を装いながら真っ直ぐ歩き続けた。
あと五メートル——四、三、二メートル、一メートル——
二人がすれ違う瞬間——
——ザワッと、雨花はなにかが心を掻き立てるような、奇妙な感覚を覚え、思わず足を止めそうになった。
通り過ぎた後、不意に後ろを振り返る——が草山良緒と目が合った。
向こうもこちらを見ていたのだ。
雨花は勢いよく顔を逸らすと、急ぎ足で下駄箱へ向かい、外の手洗い場でバシャバシャと豪快に顔を洗って、同じ部活の帰りのメンバーたちの元へ辿り着いた。
逃げるように走って来た雨花を見て、メンバーの一人、詩季が少し驚いたように声をかけてきた。
「どうかした? 雨花?」
「な、なにも、別にだよ~?」
慌てて誤魔化そうとしたせいで舌がもつれ、余計に詩季に疑惑を抱かせてしまう。
詩季は心配そうだ。
「そう? なんか雨花、今日ちょっと様子が変な風に見えてたんだけど……」
「そんなことないよ!」
そう言って、雨花は再びぎこちない笑みを浮かべて誤魔化した。
その日の夜、雨花は布団の中で今日の出来事について考えていた。
(本当になんなんだろう、あの人……女子も男子もみんなずっと一緒だったって感じで、なにも違和感ないみたいだけど、私は絶対知らないし……。やっぱり私がおかしいのかな……)
——雨花はいつの間にか眠りについていた。
そして夢を見た。
なんとも不思議な夢を……。
夢の中で、雨花はなにかに追われて必死に逃げていた。
逃げているうちに追い詰められて、その場に座り込んでしまう……。
そんな雨花の目の前に、突然黒い影が現れて、彼女をその、なにかから救ってくれたのだった。
雨花がその影に触れようと手を伸ばすと、触れる直前に、その影はことさらに眩いばかりに光輝いて——なんだか、やたら温かくて——そこで、目が覚めた。
次の日の朝、雨花は珍しく早くに起床した。
夢のことはもちろん覚えている。
なんだか妙に実感のある夢だった。
寂れて人影のほとんどない商店街を、控えめな顔立ちをした、一人のショートヘアの少女が大急ぎで走っていた。
少女の名前は根岸雨花。
鼓中学校の二年生だ。
背は低いが女子バレー部所属。
まだまだ太陽が照りつけてかなり暑いが、今日から新学期だ。
雨花は新学期早々寝坊してしまい、部活の朝練はおろか、学校に間に合うかも危うい状況だった。
雨花はゼーゼーと息を切らしながら、なんとか下駄箱に辿り着くと、上履きもまともに履かないまま一気に階段を駆け上がった。
そして教室に勢いよく駆け込んだ瞬間———
キーン コーン カーン コーン
間一髪で間に合ったようだ。
が、みんなはもう席に着いており、雨花は一斉に注目を浴びてしまった。
「おはよ~雨花! 早速寝坊?」
雨花の友人、大きな吊り目の少女——美奈が早速はやし立てる。
「うるさい」
雨花はキッと美菜を睨んで、いそいそと自分の席へ向かった。
もちろん、ふざけてだ。
先生はまだ来ていないから大丈夫だ。
雨花の席は真ん中の一番後ろで、そして———
「あれ?」
雨花は思わず小さく声を上げた。
彼女の隣の席は誰もいないはずだ。
真ん中の一番後ろ——雨花の隣には本来席がない。
だが今、彼女の席の隣には机があり、知らない少年が座っている……。
「どうしたん、雨花?」
斜め前の席の千代子が、不思議そうに雨花に声をかける。
「あっ、いや、別に……」
雨花は戸惑いながらも席に着いた。
チラチラと横目で盗み見ながら疑問に思う。
(こんな人、絶対いなかったよね……?)
そして朝のホームルームが終わって休み時間、雨花は早速美奈のところへ尋ねに行った。
「ねぇねぇ、私の隣のあの人って転校生?」
すると美奈は一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐにさもおかしそうに笑い出した。
「はぁ? 大丈夫、雨花? ずっと小学校から一緒じゃん! しかもあんた、これで二回連続隣の席なんですけど」
「えっ、えっ? 名前なんだっけ? 美奈ふざけてないよねぇ……?」
雨花は疑いの眼差しを向けた。
しかし、美奈は本当にふざけているわけではないようだ。
「いやいや、ふざけてないし! 雨花こそふざけてるんじゃないの? 草山良緒じゃん。剣道部で、ちょっと変わった奴だけど……」
「草山……ラオ……?」
美奈の返答を聞いた雨花は、必死に記憶を辿る。
そんな変わった名前なら忘れるはずがない。
だいたい、こんな田舎の各学年二クラスしかないような小さな中学校で、生徒数も少ない。
なのに、なのに——どんなに記憶を掘り起こしても、彼女の中には、草山良緒の人となりも彼とのエピソードも一切存在しない。
雨花は自分の頭がおかしくなったのかと心配になったり、クラスメイトみんなで自分を騙しているのでは、とも考えてもみたが、クラスでも目立たない方の雨花に、そんな手の込んだイタズラをする理由がさっぱりわからないし、結局思考はなにもまとまらなかった……。
雨花はその後も、他の友人たちにもさり気なく聞いてみたが、みんな答えは同じだった。
そして、とうとうわけもわからないまま、始業式も部活も終わってしまった。
新学期早々妙な一日だ。
トイレに行っていた雨花は、みんなより一足遅れて帰りの準備を済ませ、珍しく誰もいない廊下を独り、とぼとぼと下駄箱に向かって歩いていた。
その時、向こう側から今日一日の悩みの種である草山良緒が、もう下校時間を過ぎているというのに、こちらに向かって歩いて来るのが見えた。
雨花は逃げ出したい衝動を抑え、平常心を装いながら真っ直ぐ歩き続けた。
あと五メートル——四、三、二メートル、一メートル——
二人がすれ違う瞬間——
——ザワッと、雨花はなにかが心を掻き立てるような、奇妙な感覚を覚え、思わず足を止めそうになった。
通り過ぎた後、不意に後ろを振り返る——が草山良緒と目が合った。
向こうもこちらを見ていたのだ。
雨花は勢いよく顔を逸らすと、急ぎ足で下駄箱へ向かい、外の手洗い場でバシャバシャと豪快に顔を洗って、同じ部活の帰りのメンバーたちの元へ辿り着いた。
逃げるように走って来た雨花を見て、メンバーの一人、詩季が少し驚いたように声をかけてきた。
「どうかした? 雨花?」
「な、なにも、別にだよ~?」
慌てて誤魔化そうとしたせいで舌がもつれ、余計に詩季に疑惑を抱かせてしまう。
詩季は心配そうだ。
「そう? なんか雨花、今日ちょっと様子が変な風に見えてたんだけど……」
「そんなことないよ!」
そう言って、雨花は再びぎこちない笑みを浮かべて誤魔化した。
その日の夜、雨花は布団の中で今日の出来事について考えていた。
(本当になんなんだろう、あの人……女子も男子もみんなずっと一緒だったって感じで、なにも違和感ないみたいだけど、私は絶対知らないし……。やっぱり私がおかしいのかな……)
——雨花はいつの間にか眠りについていた。
そして夢を見た。
なんとも不思議な夢を……。
夢の中で、雨花はなにかに追われて必死に逃げていた。
逃げているうちに追い詰められて、その場に座り込んでしまう……。
そんな雨花の目の前に、突然黒い影が現れて、彼女をその、なにかから救ってくれたのだった。
雨花がその影に触れようと手を伸ばすと、触れる直前に、その影はことさらに眩いばかりに光輝いて——なんだか、やたら温かくて——そこで、目が覚めた。
次の日の朝、雨花は珍しく早くに起床した。
夢のことはもちろん覚えている。
なんだか妙に実感のある夢だった。
