ひまわりと君がいた夏

さて、猫はどこまで行ってしまったのか。

額にじんわりと浮かんでくる汗を拭い、葵は膝に手を置いて、くねくねとどこまでも伸び続けるような石段を一段一段登りすすめた。
もう、本当に勘弁してよ、と心の中で呟いた時だった。
突然、空がぽっかりと抜けて視界が開けた。

「わぁ」

思わず、声がもれた。

開けたその場所には、美しい白亜の教会が、島と海を見下すように佇んでいた。


ーーここ、知ってる。

祖父の法事の時にはこの場所には来ていない。
きっと、もっと遠い記憶だ。
白壁の教会と、その周り一体の空気は、妙な静寂で包まれていた。

吹き抜ける風が涼しく感じた。
足元の玉砂利を踏むと、ザリ、と大きな音が響く。
そっと歩みを止めて、周囲に人の気配がしないことを確認し、静かに白い建物のほうへ近づいた。

入り口脇の木製の靴棚は空っぽだった。
扉を押すと、ぎいっと音を立ててゆっくりと開く。
高い天井には、鮮やかな青のアーチが伸び、ステンドグラスから柔らかな光が差し込んでいた。
赤い絨毯の両脇には木製の椅子が並んでいる。
誰もいない教会の中は、そこだけ時が止まっているかのようだった。


ふと、背後で砂利を踏む小さな音がした。

はっとして振り返る。

猫だ。

気持ちよさそうな顔をして、足に額をこすりつけている。
葵の足元に、ではない。

猫からゆっくり視線を上げると、薄いブルーのワンピースの裾が潮風に揺れていて、そこに少女が立っていた。



一瞬、息が止まった。


「久しぶり」


少女は笑った。

ずっと会っていなかったはずなのに、昨日まで一緒にいたみたいに、葵はその声を知っていた。

誰かに聞こえてしまうのではないかと思うくらいに、心臓の音がうるさい。


「…ヨウちゃん」


名前を呼ぶと、少女は嬉しそうに目を細めた。

少女はしゃがみ込んで猫の脇に手を潜り込ませ、抱き上げた。
猫は嫌がるそぶりも見せずに、腕の中で丸く収まって、満足そうにあくびをした。

「…ここにおったんやね」

一瞬、どう声をかけるか迷った。
どう声をかけるのが正解なのかがわからなかった。

「あおちゃんが来ると思っとったから」

ゆっくりとした仕草で、少女は猫の首すじを撫でた。
腕の中の猫はチラリと葵の方を見た。

「…ユキ、懐いとるね」
「小さい頃から遊び相手だからね」

夢の中では幼い子供だった。
けれど今、ワンピースから伸びる手足はすらりと長く、葵と同じ年頃に見えた。
最後に会ったのは、十年くらい前だろうか。

黙ったままじっと見つめる葵の視線に、ヨウは少し照れくさそうに猫の額をくすぐった。

「あおちゃん、なんか大人っぽくなったね」
「そりゃね、もう17だし」
「元気だった?」
「…うん」
「お母さんとお父さんも元気?」
「うん、相変わらず。お母さんは最近ちょっと口うるさいけどね」
「元気な証拠やね」

まぁね、と小さく呟いた。

「おばあちゃんは、大丈夫?」
「うん、私は会っとらんけどお母さんは大丈夫って言っとった。電話で喋った感じやと元気そうやったよ。」
そう、と猫の背を撫でる。
「多分一週間位で戻れるって」
「そう」
ヨウはほっとしたように笑った。
けれど、その声はどこか寂しそうにも聞こえた。

腕の中の猫も応えるように先の曲がったしっぽを一度ゆっくり揺らした。