ひまわりと君がいた夏

昇降口を出た所で、雨が降っている事に気がついた。

傘は無い。

窓の外も見ずにホームルームが終わってすぐに教室を出たのは、担任に呼び止められる前に逃げようと思ったからだ。
二日連続で呼びつけられるのは流石に少し具合が悪い。
バス停まで走るのもありだが、そのバス停にも雨をしのげる様な屋根は無い。

雨は嫌いだ。
制服が濡れると気持ちが悪いし、前髪がおでこに張り付く。
雨粒に濡れた傘を持ってバスに乗り込むと、その滴がまとわりついてきて、なんとも言えない不快感と共に帰路につくことになってしまう。

だけど、今はその傘すらも持っていない。
カバンからスマートフォンを取り出して、雨雲の動きを見てみる。
少し経てば雨は弱まるらしい。
時間を潰すか、と一度教室へ戻る事にした。


放課後の教室では、ブラスバンド部が練習をすることになっている。
音楽室と、その周辺の廊下、一部の教室で楽器ごとにパート練習を行うのだ。

中学では葵もブラスバンド部に所属していた。
入学したばかりの頃は、続けようと考えたこともあった。
けれど、この高校は全国大会で上位の成績を残すような強豪校だ。
音大に進みたいほどの熱意は無かったし、青春のすべてを傾ける覚悟も出来ず、入部するのをやめた。

音楽室の方から全体練習の音出しが聞こえてきた。
気持ちの良い一定のリズムに合わせて、基礎練習で音階を辿っている。
全体練習の音が聞こえているうちは、教室には誰もいないはずだから、少し時間が潰せそうだ。
三階まで階段を登り、一番手前の教室の戸を開けた。


「あれっ」

誰もいないと思った教室に、朔の姿があった。

「何してんの?部活は?」
「雨で中止。荷物置いて帰ろうかなって思ってさ。そっちこそ何してんの」
「傘忘れたから、雨弱くなるまで暇つぶし」

自分の席のところまで行って、カバンを机の上に置いた。
朔の席とは少し離れている。
朔は教室の後ろに行くと、傘立てのビニール傘を手に取った。

「これ使う?俺、もう一本持っとるから」
「え、いいの?ありがとう」
手渡された傘は、少し膨らんで形が歪んでいる。どうやら骨が折れているようだ。
「骨折れとるやん」
「使えればいいやろ。もう一本も折れとるし、多分」
机の横にかけていたもう一本のビニール傘も、斜めに歪んでいた。


窓の外で、雨の勢いが少し弱まった。
「お、チャンスだな。行くか」

2日連続で一緒に帰る事になるのは少し想定外だったが、雨のせいだ。仕方が無い。


朔の少し後ろを歩いて階段を降り、昇降口へと出た。
傘をひらくと予想通り骨が折れていて、しかし、大きなビニールが雨をしのいでくれて助かった。

「前原、心配しとったよ」
中庭を抜けた所で、思い出したように朔が呟いた。
「なんか知らんか、って聞かれた」

今日の掃除時間に、朔と前原教諭が話をしていた姿が思い出された。
数人の男子生徒が廊下でほうきをバット代わりにして、素振りをするかのように宙を掃いていた。
何やってんだか、と視線を向けると、その中に朔もいた。
先程までほうきをバットのように構えていたのに、いつの間にかやって来た担任とともに、窓の外を向いて何やら話をしている。
注意でもされたのだろうか、中学生でもあるまいし。
心の中でニヤつきながら二人の背中を見ていると、ふいに二人が振り返り、葵の方に視線を向けた。

どきっとして視線を逸らし、慌てて床を掃いた。
なるほど、あの時、そんな話をしていたのか。


「ごめん、迷惑かけて」
「迷惑じゃないけどさ。川口、問題児タイプじゃ無いから余計にびっくりしたんやない?」
「うん…そうなのかな」

雨が傘のビニールを叩く音がする。
葵は俯いて、交互に出てくる自分のつま先を意味もなく眺めていた。

「昨日言っとった、あれ。大学行くのやめよっかな、ってやつ。あれ本気?」
「…うーん、まだわからん」
「俺思うんだけどさ、やりたいことしっかり決まってなくても別にいいんじゃないの」

ちらりと朔の方を見る。
朔は、足元を見ながら歩みを進めている。

「医学部とかさ、やりたい事決まって無いと厳しい学部もあるけど、ほとんどの所がそうじゃないやん。俺もまだ、これってのがあるわけじゃないし」
「そうなの?」
「うん。とりあえず工学部かなとは思ってるけど。物理好きだし、機械好きだから」

好きなものあるじゃん、と少し落ち込んだ。
将来に繋がりそうな好きなものがある朔が羨ましかった。
それと同時に、少し嫉妬した。

「私はさ、好きなものもよくわからん…」

それから、雨音にかき消されそうな、力のない声でぼそっと呟いた。
「こんなんで、学校通ってる意味あるのかな…」
「…え?」
傘を少し傾けて、朔がこちらを向いた。
「あ、いや、なんもない」
葵は少し傘を下げて、隠れるようにして少しだけ足を速めた。

バス停の先の坂道を、ゆっくりと登ってくる赤い車体が見えた。
今日はバス停にたくさんの傘が列をなしていた。

「…あぁいうタイプは立ち止まる時間が必要だから、焦るなって言っとけ、ってさ」
葵の背中に、朔が言葉をかけた。
発言の主は担任教師か。

少し早足で坂道を下り、バスを待つ列の最後尾に並んだ。
そこからは話をすることもなく、バスの中では少し離れた場所に座った。

…焦るなって言われてもなぁ。
しかし、早く答えを出せと言われるよりも幾分か気持ちが楽になった。

帰りのバスの中で、担任に母からの事付を伝えることを忘れていた事を思い出した。
まぁ、いいか。
焦るなって言ってるし、と目を瞑った。