ひまわりと君がいた夏

授業終了のチャイムの音にかき消されそうになりながら
「ここ、多分実力テスト出るからな。言ったからな、ちゃんと復習しとくように」と、前原教諭が声を張り上げていた。
椅子を引く音と、生徒たちのため息と嘆くような声が教室にこだまする中で、午前中を目一杯使った補習授業の1日目が終了した。

ホームルームが終わり、ばらばらと解散していくクラスメイトの向こう側、教壇にいる前原と目があった。
葵は立ち上がると、机の横にかけていたカバンを手に取り、教壇へと歩み寄った。
「あの、少しお時間いいですか」
鼓動が高まるのを感じ、スカートの裾を握った。
「…うん、いいよ。他の部屋行くか?」
前原の問いかけに、首を縦に小さく動かすと、生徒指導室で待つよう言われた。
昇降口とは逆側の指導室へ、同級生たちの流れに逆らうようにして一人で向かっていった。

指導室のドアに手をかけると、鍵は掛かっていないようで、軽く横に引くと音を立てて扉が開いた。
少し空気がこもっているような気がして、狭い部屋の奥へと進んでいき、窓を開けた。
窓を開けた瞬間、白いカーテンがふわっと揺れて、風が吹き込んできた。
朝から降っている雨のおかげで、空気が冷たく、涼しげに感じた。

「ごめんごめん」
入口の扉の方から声がした。
振り向くと、ファイルと茶封筒を抱えた前原の姿があった。
「すみません、急に」
「ん、いいよいいよ。ほら、座って」
促されて席についた。
ほんの数週間前に座った時とは違う場所のように思えた。
「どっちがいい?」
茶封筒の中から、紙パックのジュースを取り出した。
昇降口の近くの自販機で売っているものだった。
ミルクティーとヨーグルト飲料を並べて、ニヤリと笑っている。
「えっ、いいんですか?」
「内緒な。好きな方取って」
「…ありがとうございます」
ミルクティーを手に取り、頭を下げた。
担任教師はストローを紙パックにさしながら、ちょっと一息入れんとな、と言い、一口飲むと窓の外へ視線を向けた。

雨足は随分と弱くなってきていた。

「夏休み、ゆっくりできたか」
「はい、おかげさまで」
「ま、課題もいっぱい出てたからのんびりってわけにはいかんかったかもしれんけどな」
机の上に置いたファイルを捲ろうとして、パタンと閉じた。
言葉を切ったまま、前原はもう一度ストローを口に運んだ。
こちらの言葉を待っているのだ、と感じた。
葵も紙パックに手を伸ばし、ストローを口に運んだ。
冷たくて甘いミルクティーが喉を通り過ぎていった。

背筋を伸ばして、向かい合って座る担任教師の顔を見た。
「あの、進路希望調査なんですけど」
視線を上げた前原と、目が合った。
「私、やっぱりまだちゃんと決められなくて…」
話ながらつい、視線が手元に落ちてしまう。
もう一度、ゆっくりと肩を下げて背筋を伸ばすようにして、姿勢を正した。
再び視線の先に現れた担任は真剣な目をして、黙って頷いていた。
「でも、ちゃんと、真剣に考えたいなと思ってます。大学どこ行くかってのもだけど…自分が将来何がしたいか、よく分からないし、何が向いてるとかもよく分からないんですけど」

スカートの裾を握りしめた。
「…色々、知りたいなって思って。どんな道があるのか、っていうか。多分、知らない進路もいっぱいあるんだろうなって思って…遅いかもしれないですけど…」
そこまで言葉を紡ぐと、反芻するようにうん、うんと何度も頷いていた前原が口を開いた。

「遅くはないよ」
「全然遅くない。大丈夫」
「…これから色々、相談してもいいですか」
前原の口から笑みが漏れた。
「何言っとんのや。そのための担任やろ」
どこか嬉しそうに微笑みながら、紙パックのジュースに口をつけていた。
そんな担任教師の姿を見て、ふと、香織が言っていた言葉を思い出した。

「あの先生、いい先生やね」

島から戻ってきて何日か経った頃、香織がコーヒーを淹れながら、思い出したようにそんなことを言った。
島へ行くことを決めた夜、学校から電話がかかってきた時のことだった。

「『悩みが増えるってことは、考える幅と深さが広がってるってことなんだと思います。葵さんは今、ちょうどそういう時期が来てて、その状況から逃げずに、なんとかしようとしてるところなんだと思います』って」

香織はそこで少し笑った。

「これまでコツコツやってきたことが、急になくなるわけじゃない。むしろ、努力を重ねてきたからこそ、ようやく立ち止まれてるんじゃないかって。だから、あんまりキツく言わんでやってくれって、釘刺されたとよ」

そう言って、香織はどこか嬉しそうにコーヒーを飲んでいた。

視線を感じたのか、前原がこちらを見た。
目が合った途端、思わず口元が緩んだ。
前原は訝しげに眉を寄せ、水色の紙パックに口をつけた。
「なんでもないです」

葵は笑いを堪えながら、小さく頭を下げた。