ひまわりと君がいた夏


静かな浜辺には波の音が響いていた。
寄せては返す波の音、時折砂浜の中に吸い込まれていく泡の音までもが耳に届く様だった。
夜の名残をとどめた空の蒼に、薄紅がほのかににじんでいく。
二つの色は境目もなく溶け合いながら、海の果てから静かに朝を連れて来るようだった。

ヨウは、指先で目元をそっと拭うと、ありがとう、と呟いて葵から体を離した。

一緒に空を見上げていられる事が不思議だった。

夢を見ていたのかもしれない、とも思った。
猫を追いかけた時間も。
草の匂いも。
縁側で眺めた空も。
名前を呼んでもらったことも。
ならば、その夢が永遠に続けば良いのに、と思った。

隣にいたヨウがゆっくりと立ち上がった。
波打ち際へ数歩足を運んでから、振り返った。
彼女は、少し照れくさそうに笑っていた。

「私ね、自分の名前、結構好きなんだ」
そう言うと、小さな木の枝を手に取り、砂浜にしゃがみ込んで何かを描きはじめた。

「おひさま、のヨウなんだって」

葵も立ち上がり側へと近づき、ヨウが描いたものを眺めた。
小さな子供が描くような、丸い太陽の絵だった。
じっと眺めた後、しゃがみ込んで、絵の隣に文字を書いた。

「これは?」
「太陽の陽、っていう字。ヨウちゃんの字、たぶんこれな気がする」

ヨウは砂浜に書かれた文字を見つめた。
じっと見つめて、指先でその文字をそっとなぞり、聞こえないくらいに小さな声で、陽、と呟いた。
その隣に、もうひとつ名前を書き足した。

「私の名前ね、葵って、お腹にいる時にお母さんが考えたって言ってた。男の子だったらお父さんがつけて、女の子だったらお母さんがつけるって決めてたんだって」

「…うん、いい名前だね」
「お互いね」

二人はしばらく、並んだ二つの文字を見つめていた。

「…ちゃんと貰っとったんやね」
独り言のようにそう呟いて、ヨウは少しだけ笑った。

それから、葵の頭にぽん、と手を置いた。
そのまま、じっと葵の顔を見つめた。

「…あおちゃんはさ、自分の分だけで良いとよ」


俯いて、唇をぎゅっと噛んだ。
涙はまだこぼれ落ちずに済んでいた。

膝に顔を伏せるようにして、足元の砂を眺めた。
ふと、視界の隅で二つの影が砂の上をゆっくりと伸びていった。

葵は顔を上げた。

日の出だ。

水平線の向こうから、朝日が昇り始めていた。
海と空の境目は黄金色に染まり、一筋の光が海を照らしていた。


息を呑むほど美しかった。




隣を見ると、陽の姿は消えていた。



「ヨウちゃん…」


風が止んだ。
黄金色の光に満ちた世界に、応える声はなかった。

でも、いつだってそうだった。
気づけばそばにいて、いつの間にかいなくなっていた。

今日だって、きっとそうだ。
また、気がつけばそばにいる。
きっとそう。
きっと、そうなのに。

涙が一粒、砂に零れ落ちた。

一度こぼれてしまうと、もう止められなかった。
次から次へと涙が頬を伝った。

声にならない音が、喉の奥から漏れた。
何度拭っても、涙は、後から後から溢れてきた。


どれくらいそうしていたのか、わからない。

ようやく顔を上げ、袖で頬を拭った。
鼻をすすって、もう一度海を見た。

朝日が昇って、空が青く染まったらここから立ち上がろう。
そしたら、部屋を片付けて島を出よう。
だから、もう少しだけ、ここで空と海を眺めていよう。

砂浜に伸びた一筋の長い影はだんだんと短くなっていき、やがて世界は朝を迎えた。