「あぁ、ついてないな」
気持ちよく晴れ渡った青空の下へ出てみたものの、心は全く晴れやかでは無かった。
すぐ側の木で、蝉の鳴き声が聞こえてきた。
高2の夏。
そんなにフラフラしていられる時期では無いということも理解はしていた。
いつからこんなにつまらない人間になってしまったのだろうか。
小さい頃には、大きくなったらなりたいものってあったかな。
鞄の中には、再提出を言い渡された白紙のままの進路希望調査表がクリアファイルの間で申し訳なさそうに収まっていた。
他には大して荷物が入っていないのに、なんだかやけに重く感じた。
校門を出て、すぐそばのバス停に目をやると、嫌な予感がした。
一人も生徒の姿がない。
時刻表を見てみると、ちょうどバスは出たばかりだった。
田舎の山の上にあるこのバス停には、登下校の時間を外してしまえば一時間に一本くらいしかバスは来ない。
「最悪…」
葵は誰に言うでもなく呟いて、空を仰いだ。
「バス、次何時?」
声のする方を見ると、男子生徒が一人立っていた。
「行ったばっかり。次は一時間後」
葵がそう言うと、マジか、と彼は時刻表の後ろにあるベンチに腰掛けた。
同じクラスの大瀬良朔だ。
陸上部で短距離を走っている選手で、短い髪の毛で肌は日に焼けている。
両足の間に置いたリュックサックをごそごそと探り、ペットボトルのお茶を取り出した。
中身が底の方にほんの少ししか入っていないのを見て、逆さまにして一気に喉に流し込んだ。
「なぁ、喉かわかん?」
たった今飲み干した量では足りなかったのだろう。
ペットボトルをリュックに戻して、立ち上がった。
葵は頷くと、彼に続いて古びたバス停を離れた。
バス停から坂を下ると、延々と続く細い石段の道に出る。
山の上にあるこの学校では、バスを逃した生徒は大抵歩いて山を下っている。
一時間に一本しか無い次のバスを待つくらいなら、その方が早いからだ。
細い石段は地上のあちこちへ向かって伸びているから、大抵はどこへでも辿り着ける。
生徒たちはそれを「下山」と呼んでいた。
自転車通学なんて、夢のまた夢だ。
バス通りへ出た所に、「松尾商店」という古びた小さな店がある。
店の隅には、ファミリーレストランにあるドリンクバーの機械と、家庭用のかき氷機が置かれていた。
百円を払えば、氷を好きなだけ削ってその上から好きなジュースを注いでいい。
誰が言い始めたのか、生徒たちはこれを「松尾フラペチーノ」と呼んでいた。
店に入ると、奥から店主が「いらっしゃい」と顔を出した。
百円玉を渡し、紙コップを受け取ると、店主はまた奥へと引っ込んでいった。
「川口、氷どっちにする?」
「私もそっちにする」
「よっしゃ、じゃ大盛りな」
朔は慣れた手つきで二人分の氷を削った。
渡されたコップに葵はカルピスソーダを注ぐ。
「大瀬良君、何にした?」
「スプライト多めのピーチ」
「へぇ、美味しそう。私もなんか混ぜればよかった」
次に飲む時はオレンジジュースを混ぜてみようかな。
そんな事を思いながら店を後にして、バス通りを横断し、再び細い石段の道を降りていった。
先がスプーン状になったストローから冷たい炭酸を喉に流し込む。
スプーンでサクサクと氷をほぐし、口に運びながら食べたり飲んだりを交互に行うのが楽しい。
「そういや、無事に解放された?」
おもむろに朔が尋ねた。
「え?」
「呼び出し。担任に連れてかれたやろ?」
見られていたのか。少し恥ずかしさを覚えて、手元の氷に視線を落とした。
「あー…保釈ってとこかな」
「なんやそれ。ていうか、なんの呼び出し?」
「…進路希望の紙、白紙で出したら呼び出された」
おぉ、と小さく朔の声が漏れた。
彼もまた、手元のカップに視線を落とし、サクサクと氷をほぐしている。
「なんでまた。川口、国立狙いじゃなかった?」
「うん…まぁ、そうだったんだけどね。なんかさ、わかんなくなった」
「何が?」
「なんで大学行くのか。やりたいこともわからんし。うちの学校だと大学行くの当たり前だし、国立狙うのが普通って感じだからとりあえず勉強してるけど、なんていうか…」
言葉が続かず、無言のまま足音が響いた。
暑さのせいで、カップの細かい氷たちはもうほとんど溶けていた。
白い液体の中で、わずかに残った氷がぷかぷかと浮かんでいた。
「もし、大学いかないって言ったら、親、どう思うかな」
ストローで空気を吸い上げる音がした。
朔のカップはもう空のようだ。
「…うちの親はキレそうだけど、川口ん家はちゃんと理由とかきいてくれそうじゃない?」
二人は幼稚園からの幼馴染だった。
家も近く、お互いの親のこともなんとなくは知っている。
一時期はほとんど話をする事も無かったけれど、同じ高校へ進学してからは、またこうして話すようになった。
気を使わずに話ができる、貴重な存在だ。
子供の頃はお互い下の名前で呼び合っていたけれど、いつの間にか苗字で呼び合うようになっていた。
「うちの親も、多分怒るんじゃないかな」
「まぁ…一応進学校だしな、うちの学校。でも何か他にやりたいこととか、なんか理由があるなら良いんじゃない?」
「うん、そうやね…」
嫌われて、見放されてしまうんじゃないか、と本当は感じていた。
だけど、それはなんとなく口に出来なかった。
汗をかいたカップの中のカルピスソーダをストローを使わずに飲み干した。
カップの向こうに見えた青空には、白い入道雲がもくもくと浮かんでいた。
