ひまわりと君がいた夏

海沿いの道をしばらく歩くと、小さなトンネルが見えてきた。
そこを抜けると海は見えなくなり、代わりに竹林が道の両側に広がっていた。

ときどき地図を確かめながら、覚えのない道を歩いていく。
なんだか探検をしているようで、少し楽しかった。

竹林の影を通っていくと、頭上で竹の葉がさらさらと鳴っていた。
緩やかな下り坂をそのまま進むと、やがて道が途切れた。
「あれ…?」
行き止まりの向こうに、小さな遊具がいくつか並んでいた。
アルミの柵で囲まれた向こうには、古い鉄筋コンクリートの平屋の建物がある。
幼稚園のようだった。

地図を確認すると、一つ手前の角を曲がりそこねていた。
「マジか…」
背中にじわりと汗をかいているのを感じた。
上り坂になったもと来た道を、少し重い足取りで上って行った。

今度は見落とさないように、スマホの画面を見ながら行くと、消防団の倉庫の脇に道があるのを見つけた。
そこを右に曲がると、道の先に墓地のようなものが見えてきた。

「あった」

また少し緩やかな上り坂になっていたけれど、逸る気持ちとともに足早に歩みを進めた。
たどり着いた場所であたりを見渡すと、山林が途切れて視界がひらけており、眼下に白い聖堂が見えて、その向こうに海が広がっていた。
そこは紛れもなく、祖父の墓がある場所だった。

「行けるもんだな…」
一人でここまで来た。
たったそれだけのことなのに、少しだけ誇らしかった。


葵は墓地の入口の石段を登り、晃の墓を探した。
少し迷ったけれど、そんなに多くの墓石が立っているわけでは無く、すぐに川口家之墓、と刻まれた墓石を見つけた。

灰色の御影石は夏の日差しを浴びて熱を帯びており、手で触れるとやけどをしてしまいそうなほど熱くなっていた。
墓石の脇にある物入れの扉を開けると、ほんのりと線香の香りがした。
中にはバケツとカピカピに乾燥して固まった雑巾が入っていて、記憶の通り暑さでぐにゃりと湾曲した蝋燭が収められていた。

墓地の入口にある水道まで戻り、軽くバケツを洗った。
ひねった蛇口からはお湯の様な温かい水が暫く流れてきて、すぐに冷たい水へと変わった。
蛇口から出る水に手を浸すとひんやりしてとても気持ちが良く、暑さが幾分吹き飛ぶようだった。
掌だけでは無く、手首を冷やし、肘のあたりまで水で濡らしてみた。
「あぁ、気持ちいい…」
誰もいない墓地に、唸るような声が響いた。

蛇口をひねって水を止め、重くなったバケツを抱えて再び晃の墓へと戻った。
固まった雑巾をバケツの水に浸して絞り、墓石を拭いた。
墓石に刻まれた文字の金色の部分が所々剥がれてきていて、そこを避けるように丁寧に拭き上げた。
手向けられていた造花は、日に焼けておらず綺麗なままだった。
線香を立てる香炉もあまり汚れてはいない。
きっと入院前の恵子がきれいにしていたんだろうな、と思いながら墓掃除を続けた。

ふと、墓石に話しかけていた浩輔の姿を思い出した。

晃が亡くなった次の年、初盆の墓参りだったと思う。
丁寧に掃除を終えた後、墓に提灯を吊るすための大きな木枠を組み、家紋が入った提灯を二段に分けて十個ほど吊るして蝋燭の明かりをともしていた。
その蝋燭の明かりが消えるまでは、ここで過ごすのだと教えられた。
「提灯の明かりがね、帰ってくる場所はここだよって、おじいちゃんに教える目印になるとよ」
周りの墓を見回すと、所々で同じように提灯の明かりが揺れていた。
「でもさ、あっちにもこっちにも提灯あって、どこがお家かわかるのかな?おじいちゃん、迷子にならない?」
葵が心配そうに言うと、浩輔は「そうやなぁ」と葵の頭を撫でた。

墓地のどこかでロケット花火が飛ぶ音が聞こえた。
遠くでは爆竹の音が響いている。
小さな子供たちが手持ち花火に興じて、それを大人たちが見守りながら、思い出話に花を咲かせて、酒を飲み交わしていた。
なんだか不思議な光景だった。

夕暮れ時のお墓なんて、怖いだけの場所だと思っていた。
それが、少しずつ日が落ちていくに連れて、提灯の明かりがあたりを優しく照らし、花火と線香の香り、あちこちから聞こえる笑い声に包まれた、不思議と心地よい空間になっていた。


まだ明るかった東の空が、少しずつ深い青へと変わっていくのを、この場所でずっと眺めていた。
西の空に夕日が沈んだ頃、三日月が空に浮かび、その側で、一際明るい星がひとつ輝いていた。

「ね、あれって一番星?」
そう尋ねると、父は嬉しそうに頷き、
「宵の明星ってやつだな。理科で習わなかったか?」と答えた。
「多分習ってないよ。」
「そうか、まぁそのうち習うさ。宵の明星ってのはな、金星ってやつなんだ」
「金星?」
「そう、ピカピカ明るい星って覚えとくといいよ」
なんだか妙にそのやり取りは記憶に残っていた。

しばらくして、中学校の授業で習った時、強烈にこの日のことを思い出した。
この単元は妙に得意になって、それから自分は理科が得意だと自信を持つようになったのだった。
葵はまだ星が見えない夏の青空を見て、小さく微笑んだ。


それから、熱を帯びた御影石を雑巾で拭き上げながら、あの日の父のように話しかけてみた。
「…おじいちゃん、ずっと来なくてごめんなさい。今日はね、誰にも言わずにここまで来たんだよ。意外とこれちゃうもんだね」
墓地には相変わらず葵の他に人影はなく、祖父に話しかけるのには丁度良かった。
「もっと早く来ればよかったね。私さ、おじいちゃんがユキを連れて帰ってきてくれたこととか、トマト作って食べさせてくれたこととかさ、全然覚えてなかったよ」

空からピーヒョロロと音がした。
驚いて顔を上げると、港の方でトンビが飛んでいた。
翼を大きく広げたまま、空を滑るように綺麗な弧を描きながら飛んでいた。

「なんていうかさ…忘れてたっていうか、そんなことがあったってこと自体知らなかったってくらい覚えてなくってさ。薄情者でごめんね。でもさ、おじいちゃんとの写真とかビデオとか残しといてほしいよね、そういうのがあればさ…」

額に浮かんだ汗を、シャツの袖で拭った。
墓石を拭き上げて、雑巾をバケツに放った。
しゃがみ込んで、買ってきた線香と、物入れにあった蝋燭を取り出した。
ちょっとでも湾曲が少ないやつが良いな、と奥まで探してみたけれど、どれも夏の暑さでぐにゃりと曲がってしまっていた。
線香の箱と蝋燭の台はすぐに目についたが、やはりマッチやライターといった類のものは見当たらなかった。
「やっぱ爆発するんかな…」
スーパーのぐちのおばあさんのいたずらっぽい笑顔が浮かんだ。

買ってきたライターで蝋燭に火をともし、線香の束を平たく広げて先端に火をつけた。
なかなか上手く全部に火がつかず、一部分だけ炎が大きくなった。
手であおいでみるものの、火は消えるどころか勢いを増してしまいそうで、葵は慌ててふう、と息を吹きかけた。


香炉に線香を立て、手を合わせて目を閉じた。
目を閉じても、ほんのりと明るい橙色が目の前に広がっていた。
遠くで蝉が鳴いている。
線香の匂いが、辺りに静かに漂っていた。

目を開けて、手を解き、振り返ってみた。
祖父の眠る場所からは、島の港と、その先に広がる海、霞の向こうにはなだらかに伸びる本土の島の稜線が広がっていた。
首筋を流れる汗を拭い、その景色を見ていると胸の中がすっと広くなるような不思議な清々しさを感じた。
なんだか、誰かと話がしたいと思った。

海の向こうに広がる山の稜線を視線で追っていると、ふと気が付き、時間を見た。


今なら間に合うかも。


急いで荷物を片付けて、ライターを忘れないように買い物袋へ戻し、葵は家への道を駆け出した。