ひまわりと君がいた夏

「あー…なくなったか」

洗面所で顔を洗い、歯ブラシに歯みがき粉のチューブを近づけて押してみると、ぽすっと乾いた空気だけが出てきた。

端から几帳面に折り畳まれたチューブをもう一度絞ってみたが、やはり何も出てこない。

歯みがき粉は持ってきていなかった。
家にある物を使わせてもらえばいいと思っていたのだ。
歯ブラシを動かしながら、あとで買いに行こう、とぼんやり考えてふと気がついた。

ーー歯みがき粉ってどこに売ってるんだっけ?

普段は洗面周りの物はドラッグストアで買っているはずだが、この島にはそんな物は存在しない。
食品を置いている小さな商店が港の近くにあることは何となく記憶していた。
あそこに置いてあるのかな。
普段行くような店とは雰囲気が異なる田舎の店舗へ、一見の客が足を踏み入れるのには少し勇気がいった。

でも、仕方がない。
居間の窓を開けると、蝉の声が一気に入り込んできた。
まだ朝の空気は熱を含みきっていなかった。
暑くなる前に行ってしまおう。

スマートフォンの地図を開くと、港近くに『スーパーのぐち』という店が見つかった。
営業時間についての情報は書き込みが無く、行ってみるしか無いか、と心を決めた。

地図を頼りに行くと、店までは迷わずに行き着くことができた。
カラカラ、と引き戸を開ける。
蛍光灯のジーッという音と、店の奥の方からラジオの音が聞こえてきた。
店内に足を踏み入れた途端、入店を告げる大きな電子音が鳴った。
葵の肩が、びくりと跳ねた。

「いらっしゃい」
店舗兼自宅といった作りになっていて、レジの奥に続く居宅の部分から自分の祖母よりも高齢な雰囲気の女性がゆっくりと引き戸を開いて現れた。
「こんにちは」
聞こえるか聞こえないかわからない位の小さな声を発して、店内を見渡した。

コンビニよりも狭い店内には、古いスチール製の棚が並んでいて、その上にはパンやお菓子が置かれていた。
カップ麺や米、野菜も並んでいて奥の方にはトイレットペーパーや洗剤があるように見えた。

パンの棚のところに、葵が昔好きだったドーナツがあるのが目についた。
硬めのオールドファッションのような生地で、一部分がチョコレートでコーティングしてある。
幼い頃は、店で見かけるとよく買ってもらっていた。
1つを手に取り、店の奥の方へと足を進めた。

店の奥の一角に生活用品がまとめてあるようで、そのあたりを探してみたけれど目当ての品はなかなか見つからない。
しゃがみ込んで棚を覗いていると、勘定台のところで椅子に腰掛けていたおばあさんが「何ばお探しですか」と声を掛けてきた。
「あ、歯みがき粉を」
慌てて立ち上がって答えると、店主は座ったまま背伸びをするようにして、葵の背中側の棚を指さした。
「ちょうど反対側にあるよ。ほら、わかるね?」
振り向いて上から下へと急いで視線を送ると、膝のあたりの高さの所に一種類だけ陳列されているのを見つけた。
「ありました」
歯みがき粉のチューブを手に取り、レジへ向かい、さっき手に取ったドーナツとともに勘定台の上に置いた。

「あんた、観光の人ね?」
「あ、いえ。祖母の家に来ていて」
おばあさんはバーコードを読み取り、ゆっくりとした手つきでレジを打ち、ふぅん、となにかを考えるように宙を仰いだ。
ふと、レジのすぐ隣に線香やろうそくが並んでいるのが目についた。
そういえば、おじいちゃんのお墓参りってずいぶん行ってなかったな、と二束の線香が入った袋を手に取った。
「すみません、これも一緒に良いですか」
考え事をしているのか、手が止まっていた店主は、はいはい、と線香のバーコードを読み取った。

「お墓参りにいくとですか?家のお仏壇?」
「えっと、お墓参りに行こうかなって、祖父の。あの、ずっと行って無かったので」
ふぅん、と再び言いながら、今度は何かを思いついたようにこちらを見た。
「ライターは持っとるとね?」
「え?」
「お線香。マッチでも良かけど、どっちか無いと火ば点けられんでしょ」
「あー…どうだろう」

墓の物入れの中ににぞうきんやろうそくを置く台と、暑さでぐにゃりと折れ曲がっているろうそくが入っているのは見た覚えがあったが、ライターやマッチはどうだっただろうか。
覚えがない上に、最後にお参りに行ったのはずっと前の事だ。

「これ、使いやすかですよ。最近の人はライター使えん人が多かけんね」
レジ横に並んだ小さなチャッカマンのようなライターを店主が勧めてきたので、それも一緒に会計をしてもらった。
「お墓でお参りしたら、ライターは家のお仏壇までちゃんと持って帰るとよ。墓は暑かけん、置いとったら爆発するばい」
「えっ、そうなんですね…」
確かに、炎天下の中に放置するのは危険な気がする。
驚いた葵の顔をみて、おばあさんは笑いながら、爆発は言いすぎかもしれんばってんね、と買ったものを袋へ入れてくれた。
「暑かけんね、気をつけるとよ」
会計を終えると、おばあさんはそう声を掛け、ありがとね、とつぶやくように言いながら店の奥へと戻っていった。


思いつきで線香を買っては見たものの、祖父の墓がある場所はうろ覚えだったし、以前来たときは車で行ったはずだから、道順なんて覚えていなかった。

店先のビニール製の庇で出来た日陰に入って、スマートフォンで島の地図を開いた。
墓からは、遠くに海が見えた気がする。
朧げな記憶を頼りに地図を辿っていくと、それらしい場所が見つかった。
「ここだ」

よし、と顔を上げて葵は歩き始めた。