ひまわりと君がいた夏

「今日は暑いね」

はっとして声のする方に目を向けると、いつの間にか花壇に水を撒いているヨウがいた。
細い水の筋が陽射しを受けてきらきらと光っている。

「いつ来たの?」
「ちょっと前」

草を握りしめたまま、考え込んでしまっていたようだった。
一人でブツブツ言って無かったかな、と少し気恥ずかしかった。

「草刈りするならもうちょっと早い時間か夕方が良いと思うよ」
「わかってるよ、寝坊したの」

ふふ、とヨウは嬉しそうに笑い声を上げた。
首筋に太陽がジリジリと照りつけている。
一度姿勢を変えようと、立ち上がった。

「昨日はよく寝れた?」
「おかげさまで。朝までぐっすりだよ」

いつもならば、夜寝る前にベッドの中でスマートフォンを触ってしまい、気づいたら日付が変わっているのに、昨日は布団に入るとすぐに眠ってしまった。
こんなに気持ちよく眠れたのは久しぶりかもしれない。

「おばあちゃんちの天井、もう怖くなかった?」
ドキッとしてヨウを見た。
「なんで?」
「なんでって、泣いとったやん、怖いって言って」
「…それは昔の話。今は怖いわけないやろ」
そんなことまで知っているのか、なんだか頬が熱くなるのを感じて、再びしゃがみ込んで草をむしり取った。

「…あおちゃん、一生懸命頑張ってるところ言いづらいんだけど、お庭の草むしりはこの前おばあちゃんがやっとったんよね」

一瞬手が止まる。

「でも、おばあちゃん、草むしりしようと思ったら具合が悪くなったって」
「うん。それね、畑のことやと思うの」

電話での会話を頭の中で再生させてみようとした。
どう話していたかは思い出せず、そうだったかな、という疑念だけが残った。
両親が何か言ってた気がする。草も結構生えてたから草刈りしないと、と言った感じだっただろうか。

手を止めて、庭を見渡した。
確かに、庭は雑草が生えてはいるものの、鬱蒼としているというイメージからはかけ離れている状態だ。
葵は顔を上げて、ヨウの方を見た。

「畑ってどこにあるんだっけ?」
そういえば、昨日この家に到着してから畑らしき物を見ていなかった。
「覚えてないと?」
「うん、覚えてないっていうか、知らない。ヨウちゃんわかるなら教えてよ」
ヨウは少々面食らったような顔をして、縁側から腰を上げた。
こっちだよ、と家の裏手へと歩き出した。


このくらいなら大丈夫そうだな、って思っていた昨日の自分に、愚か者、と言いたくなった。
家の裏手にある畑は、小さな庭の3倍位の広さがあって、そこに生えている草の量はざっと十倍近くはありそうだった。
土の栄養が豊富だからだろうか。
草たちは、これでもかというほど青々と茂っていた。

「…知ってるならさ、もうちょっと早く教えてくれたらいいのに」
「まさか畑のこと忘れてるって思わなかったから」
「ここに来るの、何年ぶりかわかんない位久しぶりなんだからさ」
「それに何か考え事してそうだったから、そっとしとこうかなって」
やはり何かブツブツ言ってしまっていたのかもしれない。
ちらりとヨウを見ると、少し口角が上がっていた。

「どうせ夏の間は伸び放題なんだし、こんな暑い時に無理してやんなくてもいいと思うけどな」
「いいの、私がやるっておばあちゃんに言っちゃったんだから」
「それならさ、流石に素手じゃ大変だから道具も使ったほうが良いと思う。草刈り機とか鎌とかさ」
「使い方わからんもん。怪我しそうで怖いし」
「それならはさみは?」
「はさみは草刈りに使わんでしょ」
「おばあちゃん使っとったよ。なんかね、刃が長いやつ。物置にあると思うから見てくるね」

ヨウはそういうとスタスタと勝手口の側にある物置の方へと歩き出した。
当たり前のように物置の中をゴソゴソと探し、刃が長いはさみと草刈り鎌を持ってきた。
その所作の一つ一つがあまりにも自然で、まるでこの家に住んでいる孫娘のようだった。

どこの世界に草刈りをする幽霊がいるだろうか。
やっぱり彼女をそう表現するのは、しっくりこない。

スタスタと戻ってきたヨウは、何事もなかったかのようにはさみで伸びた草を切って切れ味を確認し、葵に渡してきた。
そして、自分は草刈り鎌を持ち、細く伸びた葉を手で掴んで、慣れた手つきで草を刈り始めた。
その姿を見て、色々考えても仕方がないか、と半ば諦めるような気持ちで隣にしゃがみ込み、草を刈り始めた。


おばあちゃんの畑には何種類かの野菜と、花が育っていた。
トマトと茄子、胡瓜くらいは葵でも見てわかった。
野菜の間に、雑草なのかハーブの様なものなのかわからない草が茂っていて、抜いて良いものなのかためらわれた。

「その葉っぱ、匂いかいでみて」
悩んでいる姿に気がついたのか、ヨウが声をかけてきた。
茂みの方に鼻を近づけようとすると、隣から腕が伸びて、葉を一枚ちぎり、差し出してきた。
「ん、いい匂い」
「バジルだよ。トマトと一緒に植えると良いんだって」
爽やかな香りがした。
恵子とバジル、というのが結びつかなくて、なんだか少しおかしかった。
「じゃ、これは抜いちゃだめってことね」
「うん、でもちょっと大きいけん葉っぱは摘んじゃおう」

畑に植えられている植物に意味があるなんて知らなかったし、そんな事をヨウが知っているのも意外だった。
手際よく葉っぱを摘み取っていくヨウを、ぼんやりと眺めていた。
「どうしたの?」
「ヨウちゃんっていつそういうの覚えたと?」
「…おじいちゃんとかおばあちゃんがやっとるのを見てて、かな。葵ちゃんも昔おじいちゃんに教えてもらっとったよ」
「へぇ…覚えとらんなぁ」
真似をして、葵も茂っている大きな葉を摘み取った。

「見て、赤くなってる」

弾むような声がした。
ヨウの指さす方に視線を送ると、葉陰から艶やかな赤色が覗いていた。
小さな赤いトマトが鈴なりに実っていた。
その瞬間、幼い日に見た光景が鮮やかに浮かび上がってきた。

小さな掌の上にころんと乗せてもらった小さなトマト。

今日みたいに暑い夏の日だった。
空は青く晴れ渡っていて、遠くに大きな白い入道雲がうかんでいた。
蝉時雨の中、見上げると、そこには麦わら帽子を被った晃がいて、首に掛けたタオルで汗を拭っていた。
なんと声をかけていいかわからずに、じっとその姿を眺めていると、私の存在に気がついて晃が近づいてきた。

「これ、知っとるか」

片方の膝に手をつき、もう片方の手を差し出してきて目の前でそっと開いた。

「…トマト」

祖父のゴツゴツした手には小さな赤い実がころんと転がっていた。
好きか、と尋ねられ、首を縦に振る。
掌に乗せてもらった赤い実は、夏の陽射しのように輝いていた。

大きな手が、優しく頭をポンっと撫でた。
照りつける日差しの中、汗が背中を伝い落ちていくのを感じた。
遠くで聞こえていた蝉の声が、いつの間にかすぐ近くの木で大きく鳴り始めた。

幼い葵は、この小さな真っ赤な宝物をヨウにも見せてあげたいと思った。
ちらりと晃の顔を見上げると、目が合った。
慌てて帽子の中にかくれていると、鈴なりになっている房を引き寄せて、ヘタの少し上の所でちぎり、もう一粒、小さな掌に乗せてくれた。
それが、すごく嬉しかった。

「ありがとう」

見上げると、晃は目尻に皺を寄せて笑っていた。


「…私、おじいちゃんとここにいたことある」
はっきりと思い出が蘇ってきて、葵は誰にいうでもなくそう呟いた。
ヨウは何も言わずに頷いた。
「あれって…小さい頃だよね。多分小学校に入るよりも前だと思う。おじいちゃんと畑にいて、トマトをもらった…」
「私の分も貰ってくれたんだよね」
ヨウは赤く色づいたトマトを一粒取って、葵の掌の上に置いて微笑んだ。
「そう…そうだった。もう一個欲しいって言いたかったけど、なんか緊張しちゃって上手く言えなくて」
「懐かしいね。あのトマト、すっごく甘くて美味しかった」

そう言うと、ヨウはもう一粒、房からもぎ取り、その真っ赤に染まった艶やかな表面を嬉しそうに眺めた後、口に入れた。
「あの後さ、他のトマトも早く赤くなって欲しくて毎日畑に見に来とったよね」
「そう。それで、おじいちゃんが、赤くなってるやつは好きに取って食べてよかぞ、って言ってくれて」
「おばあちゃんがご飯に出そうと思って畑に取りに行っても、いつも赤いやつがなくて困っとった」

一つを思い出すと、紡ぎ出されるように思い出が蘇ってきた。
葵は掌の上の小さな赤い実を見つめた。
忘れたと思っていた時間が、まだ自分の中に残っていた。

「おじいちゃんね、葵ちゃんがトマト好きって言ってたから、あれからも毎年ずっと育ててたたんだって」
「そうなんやね…知らんかった」
あの日以来、おじいちゃんのトマトを食べた記憶はない。
少なくとも、島で食べた記憶はなかった。
真っ赤な粒を口に含むと、薄い皮が弾けて柔らかな酸味が口いっぱいに広がった。

「…何でも内緒にせんでもいいのにね」

小さな声でつぶやいたヨウの言葉が、耳の奥に引っかかった。
顔を上げると、ヨウは「なんでもない」と首を横に振った。