冷たい麦茶をもう一度喉に流し込んだ。
ヨウと最後に会った日のことを思い出すたびに、口の中にじわりと苦いものが広がるような気がしていた。
あの日、口にしてしまった言葉も、悲しそうなヨウの顔も、記憶の淵にこびり付いて消える事はなかった。
小さい頃のことはあまり覚えていないのに、不思議とヨウと遊んだことはたくさん覚えていた。
一緒に蝶を追いかけたり、小石を集めて宝石屋さんをしたり。
草花を摘んで、砂で作ったケーキに乗せてケーキ屋さんごっこをしたりもした。
気がつけばいつも一緒にいて、そばにいるのが当たり前だった。
だから、あの日の後悔は、ずっと胸の底に鉛のように重く沈んだままだった。
葵は視線に気づかれないよう、そっとヨウの足をみた。
ーーちゃんと、付いている。
何事もなかったように視線を空へ戻した。
ーーでも、やっぱり。
最初に違和感を感じたのは小学校に入学した頃だった。
幼い頃から一緒に遊んでいたヨウが、小学校にいなかったのだ。
入学式の日も、入学してからも自分の教室以外も探して見たが、ヨウの姿はどこにもなかった。
学校の帰り道に時折ヨウと話をしながら歩いたことがあった。
けれど、周りの人にその話をすると、皆一様に不思議そうな顔をするのだった。
そんな子、知らないよ。
友達にヨウの話をすると、そう言われた。
どうやら、葵以外の周りの人たちの世界にはヨウは存在していないようだった。
おそらくヨウは『そういう存在』なのかもしれない。
そう葵が思い始めた頃、あの帰り道での出来事が起きた。
ヨウには、幽霊、という表現がどうにもしっくりこなかった。
墓地に現れるわけでもないし、足もある。
側にいることで空気が冷んやりするわけもないし、こうしてお茶も飲んでいる。
先ほども、ユキは気持ちよさそうに彼女の腕に抱かれていた。
この猫の世界の中にも、彼女はしっかりと存在しているようなのだ。
隣では、ヨウが空を見上げながら麦茶を飲んでいた。
肩下まで伸びた焦茶色の髪がさらりと風に揺れている。
手も足も、頬も耳も、全てに実体があって、手を伸ばせば普通に触れられそうだった。
しかし、ヨウが纏う空気はどことなく現実感がなくて、異質なものがあった。
やはり生身の人間とは違う「何か」なのだろう。
それを何と呼べば良いのか、葵には今もわからなかった。
それでも葵にとって、ヨウはずっと、友達だった。
会えなくなってからも、ヨウのことを忘れたことはなかった。
ただ、それを誰かに話すことはなくなった。
誰にも言ってはいけないと思っていた。
大きくなるにつれて、一緒に過ごした記憶も少しずつ曖昧になっていった。
本当は全部、夢だったのではないかと思ったこともあった。
だから、十年越しに夢で会えたあの朝。
目が覚めると、葵は泣いていた。
島へ行けば、また会えるかもしれない。
根拠なんてなかった。
それでも、なぜかそう思った。
そして、ヨウは葵の前に現れた。
だけど、本当は少しだけ拍子抜けもしていた。
だって、再会はもっとドラマチックなものかと思っていたからだ。
十年越しの再会は、あまりにも日常の延長のようで、何事もなかったかのように隣で麦茶を飲んでいる。
本当は、聞きたいことが山のようにある。
だけど、その全てが聞いていいことなのかは、わからない。
もし、口にした瞬間に、あの時のようにヨウがどこかへ消えてしまったらと思うと、軽々しく言葉にすることが憚られた。
「あおちゃん、海で一緒に宝探ししよったと、覚えとる?」
何をどう話そうか逡巡し続けている葵に、ヨウが楽しそうにつぶやいた。
「覚えとるよ。シーグラスとか、貝殻とかね」
「そうそう。いっぱい見つけてさ、並べて遊んだよね。私、水色のが好きやったんよね」
「黄色とかピンクはレアものやったよね」
「そうやったね。茶色と白はいっぱいあるとけどね、黄色は一回しか見たことなかった気がする」
「よく一緒に探したね」
遠い日に、海辺でしゃがみ込んでガラスの欠片を探す二人の女の子を想像した。
その姿が自分の記憶の中にあるものなのか、どこかで目にして、頭の中で作り上げたイメージなのかわからないけれど、幸せな景色だった。
「おばあちゃんが戻って来るまで、ここにいるの?」
「うん、そのつもり。一週間もないくらいだと思うし」
「なるほどね、それで色々買い込んできたと?」
台所に横たわっている買い物袋を指差した。
「そう。一人暮らしごっこしようかと思って」
「良いね、一人暮らしごっこ。お父さんもお母さんも、心配しとらんかった?」
「心配しとったとかな…わからんけど、あんまり島に行かせたくなさそうやった」
麦茶の入ったグラスを傾け、氷をカランと鳴らして、ヨウはふぅんと小さく相槌をついた。
「ヨウちゃん」
「ん?」
ヨウはすぐにこちらを向いた。
「…ううん、何にもない」
伸ばしかけた手のひらをぎゅっと握り、所在なく膝の上にとん、と置いた。
今はまだ、隣で楽しい話をしていてほしい。
言いたかった言葉は、グラスに残った麦茶と一緒に喉に流し込んだ。
ヨウと最後に会った日のことを思い出すたびに、口の中にじわりと苦いものが広がるような気がしていた。
あの日、口にしてしまった言葉も、悲しそうなヨウの顔も、記憶の淵にこびり付いて消える事はなかった。
小さい頃のことはあまり覚えていないのに、不思議とヨウと遊んだことはたくさん覚えていた。
一緒に蝶を追いかけたり、小石を集めて宝石屋さんをしたり。
草花を摘んで、砂で作ったケーキに乗せてケーキ屋さんごっこをしたりもした。
気がつけばいつも一緒にいて、そばにいるのが当たり前だった。
だから、あの日の後悔は、ずっと胸の底に鉛のように重く沈んだままだった。
葵は視線に気づかれないよう、そっとヨウの足をみた。
ーーちゃんと、付いている。
何事もなかったように視線を空へ戻した。
ーーでも、やっぱり。
最初に違和感を感じたのは小学校に入学した頃だった。
幼い頃から一緒に遊んでいたヨウが、小学校にいなかったのだ。
入学式の日も、入学してからも自分の教室以外も探して見たが、ヨウの姿はどこにもなかった。
学校の帰り道に時折ヨウと話をしながら歩いたことがあった。
けれど、周りの人にその話をすると、皆一様に不思議そうな顔をするのだった。
そんな子、知らないよ。
友達にヨウの話をすると、そう言われた。
どうやら、葵以外の周りの人たちの世界にはヨウは存在していないようだった。
おそらくヨウは『そういう存在』なのかもしれない。
そう葵が思い始めた頃、あの帰り道での出来事が起きた。
ヨウには、幽霊、という表現がどうにもしっくりこなかった。
墓地に現れるわけでもないし、足もある。
側にいることで空気が冷んやりするわけもないし、こうしてお茶も飲んでいる。
先ほども、ユキは気持ちよさそうに彼女の腕に抱かれていた。
この猫の世界の中にも、彼女はしっかりと存在しているようなのだ。
隣では、ヨウが空を見上げながら麦茶を飲んでいた。
肩下まで伸びた焦茶色の髪がさらりと風に揺れている。
手も足も、頬も耳も、全てに実体があって、手を伸ばせば普通に触れられそうだった。
しかし、ヨウが纏う空気はどことなく現実感がなくて、異質なものがあった。
やはり生身の人間とは違う「何か」なのだろう。
それを何と呼べば良いのか、葵には今もわからなかった。
それでも葵にとって、ヨウはずっと、友達だった。
会えなくなってからも、ヨウのことを忘れたことはなかった。
ただ、それを誰かに話すことはなくなった。
誰にも言ってはいけないと思っていた。
大きくなるにつれて、一緒に過ごした記憶も少しずつ曖昧になっていった。
本当は全部、夢だったのではないかと思ったこともあった。
だから、十年越しに夢で会えたあの朝。
目が覚めると、葵は泣いていた。
島へ行けば、また会えるかもしれない。
根拠なんてなかった。
それでも、なぜかそう思った。
そして、ヨウは葵の前に現れた。
だけど、本当は少しだけ拍子抜けもしていた。
だって、再会はもっとドラマチックなものかと思っていたからだ。
十年越しの再会は、あまりにも日常の延長のようで、何事もなかったかのように隣で麦茶を飲んでいる。
本当は、聞きたいことが山のようにある。
だけど、その全てが聞いていいことなのかは、わからない。
もし、口にした瞬間に、あの時のようにヨウがどこかへ消えてしまったらと思うと、軽々しく言葉にすることが憚られた。
「あおちゃん、海で一緒に宝探ししよったと、覚えとる?」
何をどう話そうか逡巡し続けている葵に、ヨウが楽しそうにつぶやいた。
「覚えとるよ。シーグラスとか、貝殻とかね」
「そうそう。いっぱい見つけてさ、並べて遊んだよね。私、水色のが好きやったんよね」
「黄色とかピンクはレアものやったよね」
「そうやったね。茶色と白はいっぱいあるとけどね、黄色は一回しか見たことなかった気がする」
「よく一緒に探したね」
遠い日に、海辺でしゃがみ込んでガラスの欠片を探す二人の女の子を想像した。
その姿が自分の記憶の中にあるものなのか、どこかで目にして、頭の中で作り上げたイメージなのかわからないけれど、幸せな景色だった。
「おばあちゃんが戻って来るまで、ここにいるの?」
「うん、そのつもり。一週間もないくらいだと思うし」
「なるほどね、それで色々買い込んできたと?」
台所に横たわっている買い物袋を指差した。
「そう。一人暮らしごっこしようかと思って」
「良いね、一人暮らしごっこ。お父さんもお母さんも、心配しとらんかった?」
「心配しとったとかな…わからんけど、あんまり島に行かせたくなさそうやった」
麦茶の入ったグラスを傾け、氷をカランと鳴らして、ヨウはふぅんと小さく相槌をついた。
「ヨウちゃん」
「ん?」
ヨウはすぐにこちらを向いた。
「…ううん、何にもない」
伸ばしかけた手のひらをぎゅっと握り、所在なく膝の上にとん、と置いた。
今はまだ、隣で楽しい話をしていてほしい。
言いたかった言葉は、グラスに残った麦茶と一緒に喉に流し込んだ。
