――あれは小学校の帰り道だった。
小学校の低学年だった私は、いつもの下校班で家へ向かっていた。
普段ならもう一人女の子がいたけれど、その日は学校を休んでいて、男子三人と私だけだった。
私は男子生徒の一人、いつも野球帽を被ってる男の子が苦手だった。
いつも大きな声で騒いでいて、意地悪なことばかり言ってくる少年だった。
車道に出たらダメだと何度も学校で注意されているのに、すぐに車道にはみ出て、道端の木の枝で戦いごっこをしながら笑っている。
それだけなら、別に良かった。
あの頃の彼は私のことを「嘘つき」と呼んで馬鹿にしていた。
それが何よりも嫌だった。
あの日は特に、やめなよと注意してくれる女の子がいなかった事もあって、普段よりもエスカレートしていたんだと思う。
「おい、嘘つき。さっさと歩けさ」
さっきまで車道でバカ笑いをしながら歩いていたのに、急に矛先がこちらに向いた。
一緒にいることを悟られないように、少し離れた場所を歩いていたのが気に食わなかったようだ。
ごめん、と小さい声で謝って、小走りで近づいた。
「なんや、またオバケと喋っとんたんやろ」
「…違う、そんなんじゃなか」
「なんそれ?葵ってオバケと喋れると?」
隣のクラスの少年が興味津々といった様子で駆け寄って尋ねた。
「葵さ、いつもブツブツ一人で喋りよるけん、どうした?って聞いたらさ『なんとかちゃんと遊んどった』って。誰もおらんとによ。やばいやろ」
「えーっ、やば」
「帰り道だけじゃないとよ。公園とか、たまに運動場でも喋っとると。一人で」
「えっ、葵、本当にオバケ見えると?」
「オバケなんておるわけないやろ、嘘つきなだけって」
「なぁ、嘘つき」
野球帽の少年が、持っていた枝でランドセルを突いてきた。
ずっと黙って聞いていたけれど、それに無性に腹が立って、私は「やめてよ」と少年の手を、強く振り払うように叩いた。
「痛っ」
振り払われた拍子に、持っていた枝が少年自身の頬にあたった。
「いってぇ。調子のんなよ」
怒った少年は立ち上がると、私が手に持っていた手提げ袋を奪い取り、すぐ側の小さな川に向かって投げた。
「…いこうぜ」
少年たちはそのまま走り去った。
私は呆然として、その後ろ姿を見ていた。
少年たちが走り去ったあとは、先ほどまでの喧しさが急に消え去り、鳴り響いていたはずの蝉の鳴き声すらも聞こえなくなった。
ふと、遠くでエンジン音が聞こえた。
音のする方を見上げると、紺碧の空に、ポツンと白い点が浮かぶように、空の高いところを飛行機が飛んでいた。
白い機体が通り過ぎた後には一筋の糸のような飛行機雲が伸びていた。
泣きそうになりながら、その白い筋を見ていた。
「…大丈夫?」
今度はすぐそばで声がした。
ヨウの声だ。
悲しそうな顔で、心配そうにこちらを見ていた。
悲しいのは私の方だった。
手提げ袋には図工の時間に頑張って作って、ようやく完成したばかりの風鈴が入っていた。
家に持ち帰ることを楽しみにしていたのに、理不尽にも投げ捨てられた。
どうしようもなく悲しくて、腹立たしくて。
初めて抱いたこの感情をどうしたら良いのか、自分でもわからなくなった。
「…ヨウちゃんのせいやけんね」
絞り出すように放った言葉だった。
えっ、と戸惑う少女の方を見て、今度ははっきりと言った。
「ヨウちゃんのせいで嘘つきって言われるとよ。もうヨウちゃんとは喋りたくない。もう来んでよ」
泣き出しそうな表情を浮かべた少女の顔を見ないようにして、私は駆け出した。
背中のランドセルが重くて、思うようには走れなかった。
だけど、必死に、逃げるように、前だけを見て家への道を走った。
息が苦しくなって、横腹が痛い気がして立ち止まりそうになったけれど、左手でぐっと痛む横腹を押さえ込んで走り続けた。
角を曲がった所で息が上がって立ち止まった。
膝に手を当てて、自分のつま先を見て大きく呼吸をしたあと、空を見上げた。
先ほどまで伸びていた飛行機雲は、いつの間にか青空の中に消えていた。
振り返ると、走ってきた道の上には誰の姿もなく、蝉時雨だけが鳴り響いていた。
その日以来、ヨウは私の前に姿を表さなくなった。
