白いカーテンが風に揺れている。
水曜の放課後、進路指導室の窓の外には、気持ちの良い青空が広がっていた。
山の斜面に張り付く屋根の向こうには、長崎港が細長く伸び、遠くの海へと繋がっている。
そんな景色を眺めながら、川口葵は小さくため息をついた。
ガラガラ、と扉を開く音が聞こえた。
「おう、ごめん、待たせたな」
担任の前原だ。
彼は指導室の隅から扇風機を引き寄せて電源を入れると、葵の向かいに腰を下ろした。
「えーっと…川口、これ、どうした?」
抱えていたファイルの中から一枚の紙を取り出し、葵の前に差し出した。
進路希望調査と書かれた白い紙だった。
氏名欄には「川口葵」。
第一志望から第三志望までの大学を書く欄には、何も書かれていない。
目を凝らして見ても、何の文字も現れなかった。
「…すみません」
とりあえず、謝ってみた。
前原は椅子の背もたれに体重を預け、首の後ろを軽く掻いた。
「謝らなくていいんだけどさ…どうした、親御さんと揉めたか?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど…」
本当にそういうわけではなかった。
この用紙が配布された事も、白紙で提出をしたことも、葵の両親は知らないはずだ。
うん、と小さく唸り、前原は机の上に重ねた別のファイルを手に取り、パラパラとめくり始めた。
「一年の時は、地元の国立志望だったよな?」
高校一年の三学期、学年末の頃に提出した調査票には確かにそう記入した記憶がある。
とりあえず国公立。
地元か、成績が上がれば少し都会の国立。
数学が苦手じゃなければ、潰しがきくからとりあえず理系。
それが、この学校のスタンダードな進路選択だったからだ。
一年生の時は迷いがなかった。
地元国立と書いておけば誰も文句は言わない。
親も、教師も、自分自身も、それが最適解だと納得ができた。
なのに、高校二年の夏休みを目前にした今、葵はその最適解を書くことが出来なかった。
「…学部を、絞れなくて」
担任教師はファイルを開いたままで、目の前の生徒に視線を向けた。
葵は思わず視線を逸らしてしまった。
紙に書かれた自分の氏名のあたりを見つめながら続けた。
「学部がまだ絞れなくて、それで、志望校が書けませんでした…」
視界の隅で、前原の眉間に小さな皺が寄るのを見た気がした。
「うん…まぁ、そういう事なら仕方ないけどさ。別に学部は絞れなくても、同じ学校で第一志望と第二志望に書いても良いんだしさ。流石に白紙は良くないぞ」
取ってつけたような言い訳だったけれど、この場をやり過ごす程度には上手くいったようだった。
少しだけほっとした。
それは前原も同じ様だった。
何かこの場でのゴールを見つけなければ、進路指導を終える事は出来ない。
白紙の理由がわかって、ひとまず指導が出来れば今日の彼の目標は達成だろう。
元々、そういう事を汲み取るのは得意な方だった。
皆が好きそうなこと、言って欲しそうな事。
その場で最善とされそうなこと。
そういう物を見つけるのは昔から得意で、これまではそれで上手くやってきた。
今回だって学校や親に反発したかったわけでもない。
ただ、ふと、このままで良いのだろうかと考えてしまったのだ。
自分は、本当はどうしたいんだろう、と。
自分の気持ちがよくわからない、という感覚は昔からあった。
けれど、それについて深く考えたことはなかった。
