あの日からわたしは、記憶を思い出すために彼からいろいろなことを聞くことにした。彼のことは、宮川くんだと他人行儀すぎるし、呼び捨てだと馴れ馴れしい感じがしたため、凪くんと呼ぶことにした。
「凪くん。わたし、なにか趣味あった?」
「斗亜の趣味?……あー、ずっとお菓子づくりしてたな」
聞いたことをメモしていく。自分についての話なのにメモをするなんて、すごく他人のことのように感じたけれど、メモをして見返していくうちに何か思い出せるのではないかという期待があった。
「本当にわたし、記憶戻せるのかな」
だけど、話を聞いても、メモを見返しても一向に記憶が戻る気配はなくて、鱗片さえ思い出せない。
何回も同じ弱音を吐いていると、毎回決まって凪くんはこういうのだった。
「大丈夫、俺が覚えてる。何回も答えてやるから」
一緒に過ごしているうちに、凪くんについても少し知ることができた。
凪くんは、今は高校三年生らしい。平日は高校に行って、休日はわたしといろいろ話をしてくれたり、買い物に連れて行ったりしてくれる。彼の両親は海外出張で、帰ってくることはない。
ときどき凪くんは寂しそうな顔をすることがある。小さな子供のような顔。
その顔を見るたびに、なぜかわたしはぎゅっと心臓を掴まれたような思いがする。その気持ちの正体はわからないまま。
そうして、二人で過ごすようになって、二週間ほど経ったある日。
「斗亜?今日休みだし、出かけね?」
凪くんがソファーでスマホを見ていた顔をあげて、わたしに提案した。
今まで外には何回か出ていたが、今まで近くのスーパーまでしか行ったことがなかったわたしは、喜んで了承した。
「行きたい!」
「じゃあ、行こう。昔よくお前と行ってた場所に連れて行く」
わたしが記憶喪失前に行っていた場所。どんなところなのかは一つも思い出せないし、わからない。だけど、見ていくうちに何か思い出せるかもしれない。
凪くんが行く場所をピックアップしている間、わたしは用意することにした。彼はわたしが記憶喪失前に着ていた服を何着か持っていて、その中でも一番可愛くておしゃれなワンピースを選んだ。
「凪くん、準備終わったよ」
「……っ」
彼はわたしの姿を見て、くしゃりとまるで泣き出しそうに顔を歪めた。そして、深呼吸を一つ。何かを必死に耐えているようだった。
「お前、その服好きなんだな。よく着てたよ」
「本当に?記憶喪失前もこの服が好きだったんだね、わたし」
「……懐かしいな」
懐かしい?どういう意味だろう。別に記憶喪失前に着ていたという話なら、何度も見たことがあるんじゃないのかな。
だけど、わたしを見て目を細める彼には、意味を聞けずじまいだった。
◇◇◇
彼が連れて行ってくれたのは、クレープ屋だった。小さく隅っこにひっそりと建っているお店で、中はとてもおしゃれな雰囲気だった。
入った瞬間、なぜかひどく懐かしさを感じた。何回も誰かとここに来たことがあるという感覚。間違いなく前の記憶がそう思わせてることに気づいた。
「何食べたい?」
凪くんは、ぼんやりと店を見回しているわたしに問いかけた。メニュー表を渡されて、眺める。
いちご、チョコ、マンゴー、アイスのトッピングつきなど。どれも魅力的で美味しそうだったけれど、ある一個のクレープの写真に目を奪われた。
「それ食べたいのか」
「うん、これ……キャラメルソースのやつ食べたいな」
メニュー表を指すと、凪くんは一瞬目を見開いてこちらを見た。そして、ふっと嬉しそうだけど悲しそうな、複雑な顔で笑った。
「やっぱりそれ選ぶんだ」
「わたし、そんなにこれ好きだった?」
「ああ……大好きだった」
そういって、彼は自分はチョコソースを選んで、二人分注文してくれた。
出来上がりを待つ間、彼はスマホを取り出して、何枚かわたしの写真を撮った。
「え、なんで急に撮ったの」
「思い出。俺写真撮るの趣味なんだよ」
幼馴染だから、記憶喪失前もいくらでも写真を取ったり、話したりする機会はあっただろうに。だけど、凪くんはなにかに取り憑かれたかのように写真を撮った。
だけど撮った後に、スマホを見る顔が曇っていく。
「どうしたの、撮った写真見せてよ」
「いや、ダメ。俺だけが見るから」
そういって、写真をスクロールしている。顔は晴れないまま。
自分がどんなふうに写っているか気になったけれど、凪くんがダメだと言うなら引き下がるしかない。
凪くんはスマホの中のわたしを、愛しそうに、だけど悲しそうに見ているのだった。
「おまたせしました」
店員さんが笑顔を浮かべて、クレープを机に置いてくれた。まだ焼き立てなのか、ほんの少しだけ湯気がたっている。しかし、クレープと一緒に持ってきた水は一つだけ。凪くんの前だけに水が置かれた。
あれ、わたしもいるのにおかしいな。忘れているのかなと思いながら、もう一つ水を頼もうとすると、凪くんがわたしの言葉を遮った。
「あの、もう一つ水もらえますか」
「はい、かしこましました」
店員さんは怪訝そうな顔をしながら、もう一つ水を持ってきてくれた。
なんでそんな顔をするのか意味がわからないまま、店員が去ったあとに凪くんに話しかけた。
「あの店員さん、わたしのこと見えてなかったのかな?」
冗談のつもりで笑いながら言ったけれど、凪くんは一つも笑わなかった。むしろ真剣な顔でわたしを見ている。
「凪くん?」
「あ、ああ、そうだな。まぁたまたまだろ。それより食べよう」
慌てて彼は、作り笑いを浮かべると手を合わせて食べ始めた。
なんだろう、なんだか違和感がある。モヤモヤとした気持ちの正体はわからないまま、わたしもいただきます、と挨拶した。
クレープを口に入れた瞬間、甘さが広がる。キャラメルソースと生クリームがマッチして、とても美味しい。
凪くんはわたしが食べる様子をじーっと見ていた。
「美味しいなぁ。なんかやっぱり懐かしい感じ」
「……そうか。だんだん記憶が戻ってるのかもな」
そのまま少しの沈黙。わたしたちは黙々と食べ続けた。
なんだろう、何かがおかしい。だけど、彼に何かを具体的に質問できるような違和感ではない。喉の奥に小骨が引っかかったような、そんな感覚。
もしかして、何か記憶喪失した影響が出ているのかな。病気の後遺症、とか?
「なんか最近違和感感じることがたくさんあるんだよね。本当に些細なことなんだけど。なんでなんだろう」
何気ない気持ちで言ったつもりだったが、彼はびくっと肩を震わせた。
「そうか?気のせいじゃないのか。記憶喪失の影響が出てるのかもな」
凪くんの声は少しだけ震えていた。そう言われれば、確かに記憶喪失の影響だと思う。まぁそうか、と納得してわたしは、それ以上追求しなかった。
◇◇◇
帰り道を二人で歩く。家を出たのが夕方だったからか、もうすでにあたりは夜の闇が滲んでいた。
「わたしたちって、本当に仲が良かったんだね」
「うん?」
「いや、本当に凪くん、わたしのこといろいろ知ってるなって。聞いたことなんでも答えてくれるし」
そういうと、彼はうんと頷いて笑った。
「まぁな。お前の幼馴染だし。三歳のときから一緒にいるからな」
「三歳からいるんだ、わたしたち。めっちゃ長い仲じゃん」
素直に嬉しいと思った。記憶はまだ戻っていなくても、そういう人がわたしにいるということがとても心強かった。
確かに、記憶がなくても凪くんは他人だという感じがしない。現に今も、一、二週間で打ち解けている。
「やっぱり、記憶思い出したいな、わたし」
「そうか。……大丈夫、俺が全部覚えてる。何回も答えてやるから」
凪くんは小さい声で、だけどしっかりと芯のある強い声でそう言ってくれた。

