俺を嫌いな君へ。

 次の日も、その次の日も、海渡くんと登校した。

 もしかして、俺のことを待ってるんだろうか。カップルコンテストに向けた練習のつもりなのかもしれない。
 文化祭はまだ三週間後だというのに、本当に真面目だ。
 出たくもないコンテストに巻き込んじゃったし、俺も協力しないとと思うのに、どうしても冬馬くんの顔がチラついてしまう。

 その冬馬くんは最近休み時間になると、忽然と姿を消すことが多くて、俺たちに対してなにか思うところがあるのかと心配になってくる。

「海渡くん、冬馬くんはどこ行っちゃったの?」

「どうせ隣のクラスだろ」

「え、なんで?」

「……そんなにあいつのこと気になる?」

「あ、いや、そういうんじゃなくて」

 海渡くんの顔がまた険しくなってきたから、俺は慌てて手を振った。

 俺はただ純粋に友達として聞いただけで、決してあなた様の彼氏様に特別な興味があるわけでは……!

 ていうか、なんで海渡くんは追いかけないんだ?一年のときは僕と冬馬くんが廊下で話してるうしろに、監視するようにいたくせに。

 海渡くんが横目で俺を見た。

「うまいこといったら、そのうち優里にも話すだろ」

「うまいことって?」

「俺が協力してやったんだから、あとはあいつの頑張り次第」

「……?」

 全然話が読めなくて首を傾げていると、海渡くんが椅子からサッと立ち上がった。
 視線の先を追いかけると、教室に入ってきたらしい長澤が、こっちを見ながら近づいてくる。

「南!今日、放課後空いてるか?」

「空い――」

「なんの用だよ」

 俺が返事しようとしたのに、海渡くんのぶっきらぼうな言葉が被さってきた。

 え〜っと……なんなの?

「コンテストのことでな。あ、のど自慢の方な。ちょっと残ってくれるか?カップルコンテストについてはまた後日相談させてもらうから、春山は残らなくていいぞ」

「いや、俺も残る」

「……ん?なんでだ?」

「俺ものど自慢出るから。優里と二人で」

 俺の机がガタンと鳴って、お気に入りのペンケースが海渡くんの足元に転がる。
 海渡くんは腰をかがめてそれを拾い、俺の震える手に乗せながら、「だよな」と語気強めに言った。

 ごめん、初耳なんですけど?顔、怖いし。

 あまりの圧になにも言えないまま、一度だけ首を縦に動かすと、海渡くんが悪役ばりの笑顔を見せた。

「そうか。……まあ、いいだろう。カップルコンテストは一日目、のど自慢は二日目だから、いいアピールになるかもしれないな」

 あ、そういうことか。海渡くん、そこまで考えて……。すごいな。

「じゃあ、今日の放課後いいか?音楽室押さえておく」

「あ、うん。よろしく」

 長澤がまた教室から出ていくと、海渡くんも席についた。

「海渡くん、歌うの?」

「歌わない」

「えぇ?!」

「伴奏する。ピアノで」

「ピアノ弾けるの?すごい!」

 そういえば海渡くんの手ってデカいし、指も長いもんな。

 最初は驚いたけど、俺としてはありがたい。
 実はのど自慢コンテストのことを考えると動機がして、ちょっとだけ寝つきが悪くなる。去年みたいにふわふわ頭で歌えればいいけど、今年は俺の頭を撫でてくれる手は期待できないだろうし。
 海渡くんと出るってことは、必然的に注目はそっちに集まるわけで、去年ほど緊張せずに済むかもしれない。
 うん、それってすごくいいな。

「海渡くんと出られるの、嬉しいかも。よろしくな!」

 ニコッと笑って、制服のポケットからスマホを取り出した。音楽アプリに、演歌からポップス、ジャズまでいろんな種類の歌をとりあえず候補として入れてある。

 ピアノだったら演歌は厳しいか。ジャズピアノも、普通の弾き方とは違いそうだ。となると、やっぱりポップスかなぁ。

「ね、海渡くん……」

 相談してみようと左側を向いたら、海渡くんは頭を抱えるようにして机に伏せていた。

 ツヤのある黒髪がさらりと流れる。

 めずらしい。お昼ごはん食べて眠くなったのかな。いいや、またあとにしよう。

 ワイヤレスイヤホンを自分の耳に差し込んで、流行りの音楽を流す。知らず知らずのうちに、俺は歌を口ずさんでいた。

 ✳✳✳

 冬馬くんにのど自慢コンテストのことを話すと、予想していた通りの反応だった。

 「めちゃくちゃ応援する!うちわ作る!」と言ってくれて、今回ばかりは海渡くんも嬉しそうに笑っていた。
 冬馬くんに全力応援されたら、海渡くんもはりきらないわけにはいかないだろう。かっこいいところ見せたいだろうし、俺が足を引っ張らないように気合い入れて練習しないと。

 放課後、冬馬くんも誘ってみたけど、「当日の楽しみにしておく」とのことで、海渡くんと連れ立って音楽室にやってきた。
 大きなグランドピアノがあったり、有名な音楽家の絵が飾られているこの場所は、なんとなく陽気な雰囲気が漂っている。

 長澤が口を開いた。

「早速だが、なにを歌うのか決めてるのか?」

「あ、うん」

 スマホを操作する。

 聴こえてきたのはゆったりしたバラードで、少し前に流行ったドラマの主題歌だ。
 十年間の片思いを綴ったドラマなんだけど、主人公の男性の愛がめちゃくちゃ重い。
 いろいろあったけど、最後はお相手の女性と結ばれてハッピーエンド。いつまでも幸せに暮らしました、とさ。

 リアルタイムで観て、見逃し配信で観て、サブスクで観て、何度泣かされたことか。
 ベタすぎるなんて評価もあるけど、俺からすれば、それのなにが悪いんだって思う。

 主題歌の『ラストシーンのあとで』もすごくよくて、今も聴いているだけで目が潤んでくる。
 文化祭にはもっとノリのいい歌の方が適しているのかもしれないけど、これは絶対に歌いたくて、第一候補に決めていた。

「うん、いいんじゃないか?」

「か、海渡くんはどう?」

「俺もいいと思う。楽譜探してみる」

「本当?」

 二人の言葉にホッとして、細めた目尻からちょっとだけ涙がこぼれた。

「うちの姉貴もあのドラマのファンでな、俺も嫌々付き合わされて見たけど、なかなかの名作だったな」

 長澤ってお姉さんいるんだ。

 それにしても泣いてるの気づかれなくてよかった。歌を聴いて思い出し泣きなんて、いくらなんでも恥ずかしすぎる……!

 見ていない隙に目尻を拭おうとすると、隣から伸びてきた骨張った手に振り払われた。

「優里、擦るな。赤くなる」

 うわ〜、こっちには気づかれてた?

 海渡くんはスラックスのポケットからティッシュを出して、俺にくれるのかと思ったら、長澤から隠すように一歩前に出て、そっと涙を拭いてくれた。

 うぅ、なんだよ、優しいじゃん。

 俺のことを嫌いな男は、実は気遣いの鬼だったらしい。偽装カップルにならなかったら、そんな一面も知らずに過ぎていたんだろうな。
 こんな風に愛されてる冬馬くん、どんなに幸せだろう……。

「ん?南、どうした?」

「なんでもない。長澤は見るな」

 答えたのはまたもや海渡くんで、拭き終わってもまだしげしげと俺の顔を見てくる。
 最近はこの強面にもだいぶ慣れてきたけど、恥ずかしくて顔が熱くなる。

「海渡くん、もう大丈夫だから。ありがとう。ごめん、こんなことさせて」

「……ごめんはいらないけど」

「うん」

 海渡くんが一歩引くと、長澤が俺たちをじっと見つめて、なにやら怪訝な表情をしていた。

「南、のど自慢はトーナメント制だから、あと二曲用意しておいてくれ。予選は南の歌だけで勝負して、三回戦目に『ラストシーンのあとで』を春山の伴奏で歌ってもらう。今からだと練習時間が足りないし、その方がインパクトがあるからな。春山には一曲に集中してもらいたい。それと……カップルコンテストだが、もしかして練習は必要ないか?」

 一気にまくしたてて、ニヤリと口角を上げた長澤に、俺は慌てて首を横に振る。

「いやいや、どう見ても必要でしょ。長澤は立ってるだけでいいって言ってたけど、相手が海渡くんならそんなわけにいかないだろ?」

「そうか?それなら、参考になりそうな文献を持ってくるから、明日から練習しよう。場所はまた伝える」

「分かった」

 長澤の指導のもと、軽く歌の練習をしてから教室に戻ると、冬馬くんが誰かと話し込んでいた。

 あれは……隣のクラスの丸橋さんだ。
 嫌な予感がして隣を見るけど、海渡くんはいつも俺に向けるような、険しい顔はしていなかった。

 ……なんで?もしかして、俺が嫌われてるのって人間性の問題だったりする?

「海渡、優里くん、おっつかれー!」

 顔を上げた冬馬くんはずいぶんと機嫌がよさそうで、頬がうっすらピンク色に上気している。

「二人ともお疲れ様。海渡、のど自慢も出るんだってね。ピアノ弾くの?」

「ああ、さちはなにか出るのか?」

 冬馬くんと丸橋さんはずいぶん仲が良さそうだけど、海渡くんとも名前で呼び合うような関係なんだな。
 まさか……三角関係とか?
 いや、まさかね。海渡くんと冬馬くんに限って、そんなことあるはずない。
 俺、ドラマの見過ぎだな。

 疑問が顔に出ていたのか、丸橋さんがふっと微笑んだ。

「私たち、同じピアノ教室に通ってた幼馴染なんだ」

「へ?そうだったの?」

「そう。だからいろいろ事情は聞いてるよ。な〜んて言っても、南くんには分からないよね」

「おい、さち!」

 丸橋さんを制するように大きい声を出した海渡くんの耳が、みるみるうちに赤く染まっていく。冬馬くんも丸橋さんも楽しそうに笑っている。
 うん?俺には全然分からないぞ。事情ってなに?

 こうして見ると三人の間には確かな絆があって、この空間で俺だけ異質なものみたいに、浮いているような気がした。
 その事情ってやつ、いつか俺にも教えてくれる日がくるんだろうか。