「うわぁ、降ってきたなぁ」
長澤の言葉に振り返った。
廊下の窓から灰色の空が見えて、小さな水滴がついていると思ったら、次々と窓を濡らしていく。
重たいドアがバタンと閉まった。
視聴覚室に入ってから一時間以上経っている。
冬馬くんも海渡くんも、とっくに帰っているだろう。
「南は傘持ってるのか?」
「いやぁ、持ってない」
「それなら駅まで一緒に帰ろう。彼氏だからな」
彼氏?!
長澤に言われるとなんか怖いんだけど。
俺は急いで首を振った。
「匂わせはしないだろ?」
「まぁ、いいじゃないか。荷物は教室か?」
「そうだけど……」
俺は長澤の頼みを引き受けることにした。
そもそもカップルコンテストは、カップルじゃなくても出られるらしい。
ステージ上で、いかに観客を悶えさせられるかが重要とのことだ。
それには本番での演技力が鍵になってくる。
長澤はかなり自信があるらしく、俺はただ隣に立って、ときめいているふりをしていればいいらしい。
あとは、顔でも赤らめていれば、なんて言われたけど……。
いや、よく考えたら難しい要求されてるぞ。
まぁ、それについてはあとで考えるとして、引き受けるにあたって俺は一つの条件を出した。
どんなにテンションが上がっても、抱きつくのはやめてくれ、と。
本当はもっと条件をつければよかったんだろうけど、残念ながら、キャパオーバーな俺の頭はそれ以上働かなかった。
正直、気が重い。
でも、長澤のあの言葉は、思った以上に俺の気持ちを動かしてしまった。
開けっ放しの教室のドアをくぐる。
と、窓からじっと外を見下ろしている背中があった。
「あれ?海渡くん?」
バッと振り返った海渡くんは、やけに慌てたように目を見開いていた。
「優里、どこ行ってたんだ!」
そう言いながら、ズンズンと俺の方に寄ってくる。
「俺がどんなに―――」
「おー、春山。悪いな、南借りてた」
俺の後ろからひょっこり顔を出した長澤が、軽い調子で言った。
海渡くんの肩が跳ねる。
「借りてた?」
いつもよりさらに低い声と険しい表情は、俺の肩に手を置く長澤に向けられている。
海渡くん、俺以外の人にもそんな顔することあるんだ。
クラスメイトに対しては、基本的には無表情のことが多いけど、全然笑わないわけじゃないし、普通に雑談だってしている。
こんな風に嫌悪の表情を向けられるのは、俺だけだと思っていたから意外だった。
それもこれも、冬馬くんの俺への距離感がバグってるせいではあるんだけど。
でも、今は冬馬くんの姿は見えないし、理由が分からない。
「長澤、言ってもいいんだろ?」
「……ん?あぁ、クラスのやつらには先に言っといたほうがいいだろうな」
長澤も驚いたらしく、一拍置いて返事をした。
海渡くんは表情を変えないまま、俺に視線を移す。
海渡くんと冬馬くんも去年出たんだし、たぶん引かれたりはしないだろう。
「実はさ、長澤とカップルコンテストに出ることになったんだ」
「……は?」
海渡くんの動きが止まった。
軽く流してくれればいいものを、海渡くんの反応は、俺が思っていたものとは違った。
「えっと、俺と長澤って去年の文化祭のことでちょっとした噂になってたみたいで、点数稼ぎのためにそれを利用しようってなったんだよ。まぁ、海渡くんと冬馬くんみたいに話題になるかは分からないけど。それに、カップルコンテストってカップルじゃなくても出られるらしくてさ」
つい早口になってしまう。
なんでこんな言い訳みたいな説明してるんだ?
意味が分からない、というように海渡くんの黒目が揺れていて、俺は目をそらした。
そんな顔されても、俺の方が意味分からないって。
あの言葉に丸めこまれて、つい納得してたけど、やっぱり引いたかな。
しかも俺だぞ。
背景オブ背景、モブ中のモブ。
ネタやお笑いになればまだいいけど、よく考えたら、スルーされて腫れ物扱いされる危険だってある。
海渡くんの反応を受けて、急激に浮上してきた最悪の展開に、今さらだけど断ろうかと思ったとき――
「俺が出る」
思いもかけない言葉の出どころは、海渡くんの縦に開いた口だった。
「え?」
「俺が出たっていいだろ」
肩に乗った長澤の手が、一瞬で俺を押しのけた。
なんだよ、俺にしか頼めないなんて言っておいて、もうお役御免か?
それにしても海渡くん、やっぱり出たかったんだな。
頑なに出ないって言ってた冬馬くんを、どうやって説得するつもりなんだろう。
「春山、出てくれるか?!」
「だからそう言ってる」
「冬馬も大丈夫そうか?」
「いや、冬馬じゃない」
身を乗り出して海渡くんに詰め寄る長澤の頭が、小さく左右に揺れた。
「それなら俺と?構わないが、俺は受けになるにはあんまり可愛くないぞ。春山は絶対攻めだろう」
長澤の口から、受けとか攻めとかいう言葉がポンポン飛び出したことに驚く。
それに、長澤も海渡くんのこと、攻めだと思ってたんだ……。
もしかして、BL好きなんだろうか。
それよりも、海渡くんが他の人と出るなんて知ったら冬馬くんは……。
「海渡くん、ちょっと待って。それはさすがに――」
長澤の横に並んで、抗議しようとする俺の口は、海渡くんの手に塞がれた。
長澤が不審そうに横目で見ながら続ける。
「春山が俺と出てくれると言うなら、策がないこともないが」
「んなわけないだろう。俺と優里に決まってる」
次に海渡くんが言い出したことに、冬馬くんのことで頭がいっぱいになっていた俺の思考は、一瞬で吹っ飛んだ。
ゆうり……?
ゆうりって、誰だ?
俺は優里だけど、他に同じ名前のやつなんていたっけ?
「ゆうりって……どこのゆうり?」
もごもごと口を動かすと、海渡くんの手がようやく離れた。
「俺の目の前の優里だけど?」
……てことは、あろうことか、俺と海渡くんでカップルコンテストに出るってこと?
「……ええぇぇぇ?!」
今年一番の大声に、海渡くんと長澤の肩がビクンと大きく跳ねた。
「待って待って!冬馬くんはどうするの?」
「冬馬は出ない」
「違う、そういうことじゃなくて!んんん」
なにを言い出すんですか、この人は?!
いつもにこにこしてる冬馬くんでも、それはさすがに嫌がるに決まってるでしょうが!
どんなに信頼している恋人でも、心にわだかまりができてしまうかもしれない。
海渡くんとどうこうなるなんてことは絶対ないけど、冬馬くんとはずっと友達でいたいし、俺がそのきっかけになってしまったら……。
でも、長澤がいるところでそれを口にすることはできなかった。
「とにかく、俺が出た方が話題性もあるだろう?長澤と優里の噂なんて、ただ優里が殺されかけたってだけじゃんか。俺が出た方が絶対いい。もう決まり。なんだったら優勝狙うし」
「……それもそうだな」
顎に手を当てた長澤が、妙に納得したようにうんうんと頷く。
優勝のことしか頭にない文化祭バカは、あっさり丸め込まれたようだ。
「まぁ、期待しとけ。優里、帰るぞ!」
海渡くんは二人分のリュックを担いで、完全に思考がショートした俺の手を掴んだ。
「ちょっと待って!」
ほとんど転がるように走り出した俺の手を、グイグイ引っ張っていく。
「お前ら、仲良くな〜」
長澤のムカつくくらいのんびりした声が、誰もいない廊下に響き渡った。
「海渡くん!」
「もう決まりだから」
ピシャリと言い放つ海渡くんの圧に、俺はそれ以上なにも言えなかった。
そのあとは、『彼氏だから』と傘に入れてもらい、『彼氏だから』と家まで送ろうとするのをなんとか断り、『彼氏だから』と駅で傘を押しつけられてしまった。
偽装カップルなのに長澤みたいなこと言うなぁと思いながらも、俺の心臓がドキドキしっぱなしだったのは、冬馬くんへの罪悪感からだろう。
もう諦めて腹をくくろう。
明日は冬馬くんにちゃんと説明しないとだな……。
長澤の言葉に振り返った。
廊下の窓から灰色の空が見えて、小さな水滴がついていると思ったら、次々と窓を濡らしていく。
重たいドアがバタンと閉まった。
視聴覚室に入ってから一時間以上経っている。
冬馬くんも海渡くんも、とっくに帰っているだろう。
「南は傘持ってるのか?」
「いやぁ、持ってない」
「それなら駅まで一緒に帰ろう。彼氏だからな」
彼氏?!
長澤に言われるとなんか怖いんだけど。
俺は急いで首を振った。
「匂わせはしないだろ?」
「まぁ、いいじゃないか。荷物は教室か?」
「そうだけど……」
俺は長澤の頼みを引き受けることにした。
そもそもカップルコンテストは、カップルじゃなくても出られるらしい。
ステージ上で、いかに観客を悶えさせられるかが重要とのことだ。
それには本番での演技力が鍵になってくる。
長澤はかなり自信があるらしく、俺はただ隣に立って、ときめいているふりをしていればいいらしい。
あとは、顔でも赤らめていれば、なんて言われたけど……。
いや、よく考えたら難しい要求されてるぞ。
まぁ、それについてはあとで考えるとして、引き受けるにあたって俺は一つの条件を出した。
どんなにテンションが上がっても、抱きつくのはやめてくれ、と。
本当はもっと条件をつければよかったんだろうけど、残念ながら、キャパオーバーな俺の頭はそれ以上働かなかった。
正直、気が重い。
でも、長澤のあの言葉は、思った以上に俺の気持ちを動かしてしまった。
開けっ放しの教室のドアをくぐる。
と、窓からじっと外を見下ろしている背中があった。
「あれ?海渡くん?」
バッと振り返った海渡くんは、やけに慌てたように目を見開いていた。
「優里、どこ行ってたんだ!」
そう言いながら、ズンズンと俺の方に寄ってくる。
「俺がどんなに―――」
「おー、春山。悪いな、南借りてた」
俺の後ろからひょっこり顔を出した長澤が、軽い調子で言った。
海渡くんの肩が跳ねる。
「借りてた?」
いつもよりさらに低い声と険しい表情は、俺の肩に手を置く長澤に向けられている。
海渡くん、俺以外の人にもそんな顔することあるんだ。
クラスメイトに対しては、基本的には無表情のことが多いけど、全然笑わないわけじゃないし、普通に雑談だってしている。
こんな風に嫌悪の表情を向けられるのは、俺だけだと思っていたから意外だった。
それもこれも、冬馬くんの俺への距離感がバグってるせいではあるんだけど。
でも、今は冬馬くんの姿は見えないし、理由が分からない。
「長澤、言ってもいいんだろ?」
「……ん?あぁ、クラスのやつらには先に言っといたほうがいいだろうな」
長澤も驚いたらしく、一拍置いて返事をした。
海渡くんは表情を変えないまま、俺に視線を移す。
海渡くんと冬馬くんも去年出たんだし、たぶん引かれたりはしないだろう。
「実はさ、長澤とカップルコンテストに出ることになったんだ」
「……は?」
海渡くんの動きが止まった。
軽く流してくれればいいものを、海渡くんの反応は、俺が思っていたものとは違った。
「えっと、俺と長澤って去年の文化祭のことでちょっとした噂になってたみたいで、点数稼ぎのためにそれを利用しようってなったんだよ。まぁ、海渡くんと冬馬くんみたいに話題になるかは分からないけど。それに、カップルコンテストってカップルじゃなくても出られるらしくてさ」
つい早口になってしまう。
なんでこんな言い訳みたいな説明してるんだ?
意味が分からない、というように海渡くんの黒目が揺れていて、俺は目をそらした。
そんな顔されても、俺の方が意味分からないって。
あの言葉に丸めこまれて、つい納得してたけど、やっぱり引いたかな。
しかも俺だぞ。
背景オブ背景、モブ中のモブ。
ネタやお笑いになればまだいいけど、よく考えたら、スルーされて腫れ物扱いされる危険だってある。
海渡くんの反応を受けて、急激に浮上してきた最悪の展開に、今さらだけど断ろうかと思ったとき――
「俺が出る」
思いもかけない言葉の出どころは、海渡くんの縦に開いた口だった。
「え?」
「俺が出たっていいだろ」
肩に乗った長澤の手が、一瞬で俺を押しのけた。
なんだよ、俺にしか頼めないなんて言っておいて、もうお役御免か?
それにしても海渡くん、やっぱり出たかったんだな。
頑なに出ないって言ってた冬馬くんを、どうやって説得するつもりなんだろう。
「春山、出てくれるか?!」
「だからそう言ってる」
「冬馬も大丈夫そうか?」
「いや、冬馬じゃない」
身を乗り出して海渡くんに詰め寄る長澤の頭が、小さく左右に揺れた。
「それなら俺と?構わないが、俺は受けになるにはあんまり可愛くないぞ。春山は絶対攻めだろう」
長澤の口から、受けとか攻めとかいう言葉がポンポン飛び出したことに驚く。
それに、長澤も海渡くんのこと、攻めだと思ってたんだ……。
もしかして、BL好きなんだろうか。
それよりも、海渡くんが他の人と出るなんて知ったら冬馬くんは……。
「海渡くん、ちょっと待って。それはさすがに――」
長澤の横に並んで、抗議しようとする俺の口は、海渡くんの手に塞がれた。
長澤が不審そうに横目で見ながら続ける。
「春山が俺と出てくれると言うなら、策がないこともないが」
「んなわけないだろう。俺と優里に決まってる」
次に海渡くんが言い出したことに、冬馬くんのことで頭がいっぱいになっていた俺の思考は、一瞬で吹っ飛んだ。
ゆうり……?
ゆうりって、誰だ?
俺は優里だけど、他に同じ名前のやつなんていたっけ?
「ゆうりって……どこのゆうり?」
もごもごと口を動かすと、海渡くんの手がようやく離れた。
「俺の目の前の優里だけど?」
……てことは、あろうことか、俺と海渡くんでカップルコンテストに出るってこと?
「……ええぇぇぇ?!」
今年一番の大声に、海渡くんと長澤の肩がビクンと大きく跳ねた。
「待って待って!冬馬くんはどうするの?」
「冬馬は出ない」
「違う、そういうことじゃなくて!んんん」
なにを言い出すんですか、この人は?!
いつもにこにこしてる冬馬くんでも、それはさすがに嫌がるに決まってるでしょうが!
どんなに信頼している恋人でも、心にわだかまりができてしまうかもしれない。
海渡くんとどうこうなるなんてことは絶対ないけど、冬馬くんとはずっと友達でいたいし、俺がそのきっかけになってしまったら……。
でも、長澤がいるところでそれを口にすることはできなかった。
「とにかく、俺が出た方が話題性もあるだろう?長澤と優里の噂なんて、ただ優里が殺されかけたってだけじゃんか。俺が出た方が絶対いい。もう決まり。なんだったら優勝狙うし」
「……それもそうだな」
顎に手を当てた長澤が、妙に納得したようにうんうんと頷く。
優勝のことしか頭にない文化祭バカは、あっさり丸め込まれたようだ。
「まぁ、期待しとけ。優里、帰るぞ!」
海渡くんは二人分のリュックを担いで、完全に思考がショートした俺の手を掴んだ。
「ちょっと待って!」
ほとんど転がるように走り出した俺の手を、グイグイ引っ張っていく。
「お前ら、仲良くな〜」
長澤のムカつくくらいのんびりした声が、誰もいない廊下に響き渡った。
「海渡くん!」
「もう決まりだから」
ピシャリと言い放つ海渡くんの圧に、俺はそれ以上なにも言えなかった。
そのあとは、『彼氏だから』と傘に入れてもらい、『彼氏だから』と家まで送ろうとするのをなんとか断り、『彼氏だから』と駅で傘を押しつけられてしまった。
偽装カップルなのに長澤みたいなこと言うなぁと思いながらも、俺の心臓がドキドキしっぱなしだったのは、冬馬くんへの罪悪感からだろう。
もう諦めて腹をくくろう。
明日は冬馬くんにちゃんと説明しないとだな……。



