俺を嫌いな君へ。

「――どうする?」

「いや、まだいいだろ」

誰かの話し声と、さらさらと髪をなでられる感触に薄く目を開けた。
俺はまだ微睡(まどろ)みの中にいて、体を動かすことができない。
この声からして教室にいるのは、俺と冬馬くんと海渡くんだけらしい。
ぼんやりと目だけ動かすけど、人の姿は見えなかった。

「ほんっと、よく寝るよねぇ。眠り姫みたい」

冬馬くんの声だ。
もしかして俺のことか?
姫って……。
それは俺じゃなくて冬馬くんだろう。

「姫ってガラじゃねーだろ。どっちかっていうとシマリスだな、優里は」

今度は海渡くん。
今は冬馬くんと二人だからか、やけに優しい声だ。
俺もいるけど一応寝てることになってるから、存在はないに等しいだろう。
それにしても俺のことディスってるよな。
まぁ、カエルと言われるよりはいいけど。

……てことは、この手は冬馬くん?
まさか海渡くんなわけないよな?
意外にも骨張った手だけど、さっきから優しくなでられて、また瞼が重くなってくる。
いやいや!
冬馬くんは毛足の長い絨毯でもなでてるつもりかもしれないけど、俺、また海渡くんに嫌われるじゃん。
ちゃんと冬馬くんのこと注意してくださいよ。
『俺以外のやつに触るな』とかさぁ。
現実の溺愛攻めって、受けには強く出られないのかもしれない。
さすがに海渡くんが可哀想に思えて、ぼちぼち動こうかと思ったとき、ふふっと笑ったのは冬馬くんだった。

「今日の海渡、やばかったよ。幸せ〜〜〜って顔してた」

「あれは!……そりゃそうだろ。いくらなんでも可愛すぎるって」

待て待て待て待て!!
いくら俺が寝てるからって、なんちゅう会話してるんだ、このバカップルは。
友達カップルの二人きりのいちゃいちゃ話なんて、親の夜の運動会を見たときと同じくらい気まずい。
心臓がドキドキして、顔が熱くなってきた。
昨日読んだBL漫画の、クライマックスシーンが頭に思い浮かぶ。
数々の苦難を乗り越えて、攻めの溺愛が爆発するシーン、まじで良かったなぁ……。

「もう!好きが重いよ、海渡は。あんまり重いと嫌いになっちゃうから」

「こんなん抑えるの無理だろ。今だってキスしたくて仕方な――」

いやいやいや!!
まじで生々しすぎる。
それに教室で、しかも俺の隣でおっぱじめるのだけはやめてほしい。

「ふぁーーー!!よく寝た!!」

俺はわざと大きい声を出して、勢いよく体を起こした。
ビクッと震えた手が、俺の髪から瞬時に離れる。
眠気を振り払うように何度か瞬きをしてから、海渡くんと冬馬くんを見上げた。
二人の驚いた顔、ちょっとだけ面白い。
海渡くんは手のひらを俺に向けて、防御姿勢までとっている。

「びっくりした〜」

「ゆ、優里、今の聞いて……?」

おお、海渡くんが動揺してる。
いつもの怖い顔じゃなくて、耳まで赤くして目を見開いている。
少し胸のつかえがとれると、俺は首を傾げてなにも知らない顔をした。

「聞いてないならいいけど」

海渡くんは呟くように言って、俺に向けていた手のひらで、首の後ろをかいた。
俺ってもしかして俳優になれる?
イケメン俳優は無理だけど、スルメ俳優でも目指してみようかな。

「優里くん、なかなか起きないからさぁ、僕たちずっと待ってたんだよ」

冬馬くんの声は、もう落ち着き払っている。

「ごめん、担任の声が子守歌すぎて」

「だから寝ちゃったのぉ?赤ちゃんみたい」

姫と言われたり、赤ちゃんと言われたり、冬馬くんの中で俺のイメージってどうなってるんだろう。
好かれてるっぽいのは嬉しいけど、海渡くんの顔がどんどん険しくなるので勘弁してください。
ふいに海渡くんが俺の頬をつまんだ。

「さっきから顔赤くねぇ?」

「それは……」

リアルBLを展開しようとしてた君たちのせいでしょうが!
見透かすような目に見つめられる。
やっと落ち着きかけた心臓がまたうるさくなって、俺は海渡くんの手をとっさに掴んだ。
これは、さすがにやってしまったか……?
パッと手を離して、そろりと冬馬くんの顔色を伺うけど、冬馬くんはむしろ嬉しそうに笑っている。
うーん。
モブ中のモブの俺だから心配なんてしないんだろうけど、海渡くん的には嘘でも嫉妬してほしいだろうな。
俺だったらその方が嬉しい。
あくまでも恋愛未経験者の意見なのであしからず。

「俺のことはいいから、早く帰ろうよ!」

まだ漂う甘い空気に耐えられなくなった俺は、リュックを背負って足早に教室を出た。
二人も後ろからバタバタと追いかけてくる。

放課後、よく眠りこけている俺を、いつも二人は律儀に待ってくれる。
徒歩十五分の駅までなんだから、放っといて先に帰ってもらっていいのに。
前にそれを言ったら、冬馬くんはほっぺを膨らませるし、彼氏にそんな顔させた俺はますます海渡くんに嫌われたようだ。
「一人で帰るな」と牽制されてしまった。
なにをしても裏目に出るんだったら、今度はいっそのこと開き直ってみるか?

「優里くん、歩くのはやっ!」

靴を履いて玄関を出ると、冬馬くんが右側からするりと滑り込んで、俺に腕を絡めてきた。
とたんに俺の歩くスピードが遅くなる。
ふと左側から影が差した。
海渡くんだ。
……またかよ。
校内でも帰り道でも、なぜかバカップルに挟まれて歩くのが定着しつつある。
もうこの際、カモフラージュでもなんでも、俺のことは好きなように使ってくれ。
このスタイル、わりと暖かいし。
だけどさぁ、左側の人がいつも肩をぶつけてくるのはなんなの?
もう海渡くんの気持ちは充分伝わってるんだから、嫌がらせはほどほどにしてほしいもんだ。
別に痛くないからいいけど。

「文化祭、楽しみだね!」

冬馬くんの笑顔に、海渡くんの眉尻がふっと下がった。

「また食いすぎて腹壊すなよ」

「あ、優里くんにバラすなんて酷い!それなら海渡だって、視聴覚室で眠りこけて後夜祭すっぽかさないでよね」

「冬馬!それは……!」

……ん?視聴覚室?
顎に手を当てて、オレンジ色の雲を見上げる。
去年の後夜祭、俺は何してたっけ……?
そのとき突然、視界が塞がれた。
朧げに浮かんでいた脳内イメージ画像が、あっという間に暗闇に沈む。

「わぁ!?え、なに?」

視界を塞いだものを掴んで押し下げると、それは大きくゴツゴツした手だった。
その手首から腕をたどって、左側を見上げる。
夕日に照らされて顔を赤く染めた海渡くんが、俺を見つめながら下唇を噛んでいた。