俺を嫌いな君へ。

​寒気を感じるほどの衝撃だった。
嘘だ……。
嘘であってほしい。
俺の見間違いかもしれない。
肩を上下させる俺の隣で、長澤は不思議そうに首を傾げている。

「一体どうしたんだよ」

「……長澤、見た?」

「ばっちり見たぞ。確かに驚いたが、逃げ出すほどのことじゃないだろう。南はピュアなんだな」

俺の願いはあっさりと砕け散った。
ピュアとかピュアじゃないとか、今はそんな前提の話じゃない。

「……なんでだよ……!」

海渡くんの顔が頭に浮かぶ。
穏やかな目で冬馬くんを見つめる海渡くん。
それとは逆に、俺や長澤を牽制する険しい目つき。
優しい笑顔はいつでも冬馬くんに向けられていた。
だから俺は、自分の気持ちを押し殺してまでも、二人の幸せを願おうと決めたのに。
ぎゅっと拳を握りしめると、長澤の姿が滲む。
絶対に揺るがないと思っていた二人の絆が、まさか冬馬くんに裏切られていたなんて……。
海渡くんの、好きな人の傷つく顔なんて、絶対に見たくない。
俺はどうしたらいいんだ……?
長澤に口止めして、海渡くんには秘密にする……?
でもそれじゃ、俺まで裏切ってることになるんじゃないか?
​とうとうこぼれだした涙はそのままに、俺は震える両手で頭を抱えた。
長澤はどこか拍子抜けしたように腕を組んでいる。

​「ん?……冬馬と丸橋さんがどうかしたか?」
​
「どうかしたかって……! 冬馬くん、海渡くんと付き合ってるんだよ?! なのに……なのに……」

「ええ?!」

「丸橋さんとキスしてるなんて……!あんなの浮気じゃないか!海渡くんが可哀想すぎるだろ!」
​
必死に訴える俺を見て、長澤は呆然と立ち尽くしている。
勢いと混乱に任せて、とうとう二人の秘密をバラしてしまった。
こんなの、俺にはどう考えてもキャパオーバーだ。
長澤はようやく事情を理解したのか、ハッと目を丸くする。
次の瞬間――
​
「……ぷっ、あははははは! 南、本気で言ってるのか?!」

​長澤は腹を抱えて爆笑し始めた。
誰もいない静かな校門前に、豪快な笑い声が響く。

「笑いごとじゃないだろ!」

長澤だったらこの事態をどうするか、一緒に考えてくれると思ったのに。
あまりにも軽い反応に、焦燥感と怒りがさらに募る。
俺がぶるぶると拳を握りながら睨むと、長澤は自分の目元を拭って、急に真面目な顔を作った。

「南、まさかとは思うが……」

「なんだよ!」

「春山と冬馬が付き合ってると思ってたのか?」

「そうだよ!そんなの見てれば分かるだろ?!」

怒りのまま声を荒らげた俺に、長澤はなだめるような笑顔を見せる。

「そうだな、よく見なくても分かる。春山は分かりやすい」

「だから……!」

「それなのに南は全然分かってない。少なくとも春山は、冬馬のことそういう意味で好きなわけじゃないし、あの二人は付き合ってない」

「………は?」

「ちなみに冬馬も分かりやすいな。ようやく丸橋さんとうまくいったんだろう。おめでたいじゃないか」

「………え?」

気の抜けた返答しかできない俺の左肩に、長澤の分厚い手が乗っかった。
ずしりとした重さに、リュックのひもが肘まで落ちる。
長澤はなにを言ってるんだ?
おめでたいって、これは浮気だろ。
でも……でも……海渡くんと冬馬くんが付き合ってない?
それなら浮気じゃないわけで……てことは、おめでたいってことか?
俺の涙はピタッと止まったけど、ぐるぐる回る思考にめまいがする。

「だけど、付き合ってたよな?去年の文化祭で……」

「ああ、あれは偽装カップルだったってちゃんと言ってたじゃないか。俺調べでも、あの二人が付き合ってたという事実はないぞ」

「でも海渡くん、冬馬くんには特別優しいだろ?他のやつらに向ける顔とはちょっと違うっていうか。それにいつも一緒にいるし」

「そうか?あいつらとは同じ中学だったけど、俺が見る限り、去年の文化祭まではそんなにつるんでなかったぞ。幼馴染だと聞いて驚いたくらいだ。今はお互いの事情を理解して、気を許しているんだろう」

「へ?そう……だったの?」

海渡くんと冬馬くんは、子どものころからずっと一緒にいるんだと思ってたけど、そういうわけでもなかったのか……?
そういえば、告白を遠ざけるために偽装カップルを演じたと言っていた。
利害が一致したから、と。
そのまま続けるつもりだったけど、誤解されたくないから解消した、とも。
それに冬馬くん、海渡くんと俺がコンテストの練習のためにあれこれしてても、一ミリも嫉妬してなかったな。
海渡くんの態度は謎だったけど、今は俺や長澤とも普通に接しているってことは、極度の人見知りなのかもしれない。
……俺、ずっと勘違いしてたってことか?!
勝手に嫌われてるんだと思って常にビクビクして、カモフラージュの役目を甘んじて引き受けて。

「春山も、冬馬と丸橋さんのことでなにか協力しているようだったな。しょっちゅう隣のクラスに行っていただろう?」

「確かに……」

そうだ。
二人は放課後、日替わりで女子に呼ばれてはどこかに行っていた。
俺も隣の――丸橋さんのクラスに連れて行かれて、お菓子パーティに参加したことがあったな。
ところが最近は、頑なに女子からの誘いを断ることが多くて……。
文化祭の準備が始まるころだったから、特に疑問にも思わなかった。
海渡くんは俺といることが増えたけど、冬馬くんはよく、丸橋さんに呼ばれたからと姿を消していたな。
『俺が協力してやったんだから、あとはあいつの頑張り次第』
そう言って笑っていた海渡くんの声が蘇る。
あれは、そういうことだったのか?

「でも……」

長澤が俺の肩に手を乗せたまま、なんとも言えない表情で覗き込んでくる。

「まだ信じられないか?なにを聞いてくれてもいいぞ。俺はすべてに反論できるからな」

「……長澤ってなにもの?」

「俺はただの下僕だ。長澤家のカースト一位の姉に、学校内の人間模様を逐一報告するよう言われてるからな。小説のネタにするんだそうだ。ちなみに今一番の関心は――」

「ん……?」

「いや、なんでもない」

長澤のお姉さんも、一体なにものなんだ?
筋肉の鎧をまとう男の、なにかを諦めたような乾いた笑いは、俺の耳をすり抜けていった。

待てよ……。
てことは俺、まだ海渡くんを好きでいていいの?
緑川さんや、海渡くんを好きな大勢の女子たちと同じように、この気持ちを持ち続けていいのか?
昨日、あんなに泣いたっていうのに。
俺の涙と決意はなんだったんだ……。
抑圧された想いは、小さな箱から逃れようとどんどん大きくなったけど、今は解放されてまるでボールみたいに弾んでる。
告白なんてする勇気はない。
でもこれからは、海渡くんと冬馬くんの隣で、無理して笑う必要はないんだ。
むしろ、合法的に好きな人の近くにいられるんだから、めちゃくちゃハッピーじゃないか!
海渡くんは好きになっちゃいけない人じゃなかった。
冬馬くんとも今まで通り、友達のままでいられる。
ホッと胸をなで下ろすと、自然と頬が緩む。
そんな顔を、長澤がニヤニヤしながら見ているなんて、俺は全く気づいていなかった。