俺を嫌いな君へ。

 家庭科室に戻ると、冬馬くんと長澤がなにやら深刻そうに話し込んでいた。

 長澤はいつもあんな感じの顔だけど、基本にこにこしている冬馬くんは珍しい。
 なにかあったんだろうか。もしかして、俺がちゃんと演技できなかったから降板させられる?やっぱり冬馬くんが出るとか?

 ……本当だったら、その方がいい。

 海渡くんの演技は完璧なのに、明らかに俺が足を引っ張ってるもんな。みんなが忙しく準備してる中、わざわざ時間を取ってもらって。
 しかも海渡くんにはピアノの練習もある。

 冬馬くんとだったら練習なんかしなくても、演技なんかしなくても、下手したら優勝だって狙えるだろう。
 そうすれば俺は、ステージを下りてただの観客に戻り、スポットライトは海渡くんと冬馬くんに当たる。
 二人がお互いの気持ちを確かめ合うのを、客席で見ていればいいんだ。
 俺だって最初から冬馬くんの方がいいと思ってたし、背景でいられるのが楽なはずなのに。

 緑川さんに交代を頼まれたときのことを思い出す。

 なんであのとき、『嫌だ』と思ったんだろう。
 なんで今はこんなに痛いんだろう。

 俺は深々と頭を下げた。
 まだ冷めきらない熱のせいで、俺の背中がじわじわと汗ばむ。

「三人ともごめん!俺、今度こそちゃんとやるから、それぞれの仕事に戻ってもらっていいよ。一人でも自主練できるし、誰か手が空いてるやつがいれば相手役頼むから」

「ダメだ」

 間髪入れずに低い声が飛んできて、おそるおそる顔を上げる。海渡くんの顰め面と、冬馬くんと長澤の苦笑いが目に入る。

 ダメ、だよな……。

 チョロい涙腺から溢れそうになった涙を、奥歯を噛み締めて堪える。
 長く息を吐き出すと、もう一度頭を下げた。

「最後まで俺にやらせてほしい。なんでもするから!」

「………」

「優里くん、それ本当だね?」

 一瞬の沈黙のあと、グイッと強い力で肩を押されて見ると、冬馬くんの満面の笑みが目の前にあった。

 なんか怖いんだけど。
 もしかして俺、まずいこと言った?

「えーっと……?」

 冬馬くんがパンと手をたたく。

「ちょうどよかった!いんちょーと話してたんだけどね、優里くんと海渡、練習を兼ねてデートしてきてよ。明日は雨みたいだから、明後日の放課後」

「……はぁ?!ちょっと待って、冬馬くんは?」

「僕がついていったらデートにならないでしょ。あ、ちなみに遊園地。海渡はもちろんいいよね?」

 海渡くんは冬馬くんに穏やかな笑顔を見せて、コクリと頷く。

 海渡くん、冬馬くんの言うことなんでも聞きすぎだよ。俺もなんでもするなんて言っちゃったけど、冬馬くんはいいのかな?

 どうして嫉妬しないでいられるんだろう。いくら恋人のこと信じてるからって、相手が俺だからって、ちょっと変だぞ。
 俺だったら……なんて、そんなこと考えるだけ無駄だった。

 冬馬くんがいいんだったらいいや。遊園地、ちょっと楽しみだし。

 どこか浮ついた気持ちのまま、デートの計画はトントン拍子に進んでいった。

 ✳✳✳

 目的はカップルコンテストの練習。
 それから、遊園地のマスコットキャラクターである「らびにゃん」のカチューシャを買うこと。

 うさぎと猫がモチーフのカチューシャを、おそろいでつけるのが密かなブームなんだとか。それをコンテストの小道具にしようという魂胆だ。

 今朝まで降っていた雨はすっかり乾いていて、入場ゲートをくぐったエントランスには、ずらりとお土産屋さんが並ぶ。

 俺はうしろにいる海渡くんを振り返った。

 雨上がり、梅雨前のうだるような暑さの中、制服は少し着崩され、第二ボタンまで開けたワイシャツの襟と、緩んだネクタイが悔しいくらい似合っている。

 通り過ぎる女性たちがチラチラ見ては、「あの人かっこいい」やら「声かけてみようか」やら。海渡くんはどこ吹く風って感じで、口笛でも吹きそうに唇をとがらせている。

 慌てて隣に並ぶと、聞こえてきたのは口笛じゃなくて鼻歌だった。

 『ラストシーンのあとで』

 のど自慢コンテストの決勝で俺が歌って、海渡くんが伴奏する予定の曲。
 実際、海渡くんのピアノは完璧で、俺の喉の調子もまぁまぁいい。うまく勝ち進めればいいけど、予選の歌は家でこっそり練習しているだけで、まだ誰にも披露してないからかなり不安だ。

「カチューシャは帰るときでいいかな。荷物になるし」

「いや、先に買う。写真撮りたいし」

「そう?」

 適当なお土産屋さんに入って、黄色とピンクのマーブル模様のカチューシャを手に取った。

 うさぎほど長くはないけど、猫みたいに丸くない、微妙な形の耳がついている。耳の間には宇宙人みたいなアンテナがついていて、弾くとビヨンビヨンと揺れた。

 こんなのが本当に流行ってるのかな。

 とりあえずつけてみると、海渡くんが俺の長めの前髪を指で梳いた。

 二人で鏡の前に立つ。

「え、なんか変」

「ははは!優里、全然似合ってねー!」

「海渡くんだって変だからね?!」

 なんだろう。海渡くんって鼻とかあごがシャープだし、黙っていると目つきも鋭いし、だからか、ふわふわのカチューシャとのギャップがひどい。
 そんな俺は丸い顔がますます丸くなって、コロコロ転がっていきそうだ。

 顔を見合わせては、お腹が痛くなるくらい笑い合う。

 海渡くんとのこんな何気ない時間が、今までよりもずっと大切に思えた。

 ずっと最小値だと思っていた俺のバロメーターが、どんどん更新されていくような気がして、それが嬉しくてたまらない。

 着けたまま外に出ると、海渡くんに腕を引っ張られてスマホで写真を撮った。
 画面の中、自分たちのゆるみきった笑顔にまた笑いがこみ上げる。

「優里は絶叫系いける?」

「よゆー!」

「よっしゃ!行くぞ」

「おー!!」

 遊園地のメインアトラクションであるジェットコースターに向かって、意気揚々と歩き出す。
 時々ぶつかる肩は、前よりもずっと優しい。

 平日の午後だというのに、友達らしいグループや若いカップルが行列を作っていた。
 俺たちみたいに学校の制服っぽいのを着てる人たちもいたけど、本当の学生かは分からない。そういうの流行ってるらしいし。

「海渡くんは最近ここに来たことある?」

「いや、すげー久しぶり。優里は?」

「子どものころ以来かな。あのジェットコースター、身長制限で乗れなかったんだよ。だから乗るの初めて」

「今は大丈夫なのかよ、身長引っかかるんじゃねーの?」

 海渡くんが一歩前に進みながら、片側の口角を上げた。

 そんないじわるそうな顔ですら様になるんだから、俺たちの前にいる女性がじっと見てくるのも理解できる。

「さすがにないだろ!俺、175あるんだぞ」

「へー、なんかちっちゃく見えるんだよな。冬馬よりも」

「シマリスだから?」

「あれ?俺、優里に言ったっけ?」

「聞いた聞いた。俺がシマリスなら冬馬くんはなんだろ。……あ!」

 急に思いついて自分の頭を指差すと、冬馬くんみたいなにっこり笑顔を作ってみた。

「らびにゃんかな!冬馬くんってマスコットみたいな可愛さがあるし」

 その途端、海渡くんは自分の口を手で覆って、さっと目をそらした。
 顔も耳も一気に赤くなったのは、たぶん暑さのせいだけじゃない。

 カチューシャつけてる冬馬くんでも想像したのかな。あーあ、失敗した。自分で話題を振ったくせに、自分で傷ついている。

 ……って、なんで俺が傷つかないといけないんだ?今日は思いっきり楽しむって決めたのに。

 今は答えを知りたくなくて、心の奥底に押し込むように息を止めた。

「あ、次だよ!」

 行列は思ったよりも早く進んで、カチューシャを外した俺たちは隣同士、狭い座席で身を縮める。安全バーが下りると、ちょっとだけ緊張してきた。
 カウントダウンが始まって、ふいに海渡くんが口を開く。

「あの怪力はゴリラにしか見えねー」
 
「えぇ?仮にも恋人なんだから、ゴリラなんて失礼すぎるだろ」

「………………は?」

 次の瞬間、発車ベルとともに一気にトップスピードでスタートした。
 このジェットコースターの特徴だ。

 体ごと持っていかれるような感覚に声も出せず、思わず隣にあった海渡くんの手を掴む。
 海渡くんは俺から逃れるように、手をよじった。と思ったら、隙間がないくらいぴったり指と指を絡ませて、つなぎ直してくる。

 この状況で器用なやつ、と思ったのも束の間。一際大きな落下に、手をつないだまま両腕を上げて、二人して大声で叫んだ。

 楽しい!
 楽しすぎる!!

 もみくちゃになりながらゴールした時には、前髪はどこ行っちゃったんだ?ってくらい、ボサボサになっていた。

「あはは、海渡くんのおでこ、可愛い!」

 思わず手を繋いでいない方の手を伸ばして、海渡くんのおでこを触る。
 海渡くんは照れくさそうに目をそらして、いそいそと前髪を直すと、お返しとばかりに俺のおでこを触ってきた。

「優里の方が可愛い」

 ……なんだよ、なんでドキドキしてるんだよ、俺。

 海渡くんに触れているところが全部熱い。安全バーが上がっても手は離れなくて、俺も離したくなかったけど、これ以上はさすがにまずいよな。

 無理やり引き剥がすと、俺たちはジェットコースターを降りた。

「優里、さっきの話だけど……」

「あ、今なら並ばなくても乗れそうだよ!もう一回行こう」

 行列はさっきよりも短くなっていて、俺たちは二回、三回、四回……と、声が枯れるほど乗りまくった。

 ジェットコースターに飽きると、他のアトラクションにも乗って、あっという間に日が落ちていく。

「時間的に次が最後かな」

「だな」

 別に決めていたわけじゃないけど、人がまばらになった園内で、俺たちは同じ方向に歩く。

 オレンジ色の夕空の下、観覧車の大きなシルエットに目を細めた。