俺を嫌いな君へ。

文化祭を今週末に控え、短縮授業となった放課後、俺と海渡くんと冬馬くんはカップルコンテストの練習をするために集合していた。

黒いカーディガンに腕を通して、鏡の前に立つ。
俺と海渡くんの身長差はたった五センチなのに、手の甲まで覆われて指だけが見えている。
なんか悔しいけど、海渡くんは指だけじゃなくて、そもそも手足が長いんだろう。
ずるいし、なんかいいにおいするし。
で、これが萌え袖ってやつでいいんだよな……?
先週、冬馬くんに実演してもらったときはちゃんと可愛かったし、つい守ってあげたくなるような儚さを感じられたけど。
冬馬くんは華奢だし、色白だし、美人だ。
それなのに力が強いのは、もう神様のいたずらとしか思えないだろ。
それに比べて俺は……。
着る人間が変わるとこうも違うものか。
鏡に映るのは、いつもと同じ、なんの変哲もないモブでしかない。

「これ、合ってる?」

鏡越しに、冬馬くんに向かって指をグーパーしてみせる。
冬馬くんはしばらくじっと見つめたと思ったら、腕組みを解いて俺の肩に手を伸ばした。

「もうちょっと襟を引いてみようか。それと、肩のところを下げて」

冬馬くんがパパッと整えてくれて、なんとなくオシャレっぽくなった。
ていうか、気だるげな感じ?
というより、だらしない?
正解が全然分からない。
自分の胴体を見下ろしながら、冬馬くんと向かい合せになる。

「うん!可愛い!優里くん、こうやってみて」

冬馬くんが満足そうににっこり笑う。
俺は冬馬くんのまねをして、袖を握った両手を顎の下にくっつけて、少しだけ首を傾げた。
自然と上目遣いになる。
これ、大丈夫?
俺がやったら全校生徒に引かれる可能性あるぞ。

「ね、海渡はどう思う?」

冬馬くんが、家庭科室の背もたれのない椅子に座った海渡くんに水を向ける。
海渡くんはさっきからこっちを見ないまま、長澤の書いた台本を熱心に読んでいた。
すごい真剣だ。
俺なんかまだ半分くらいしか覚えてない。

「ねぇ、海渡ってば〜」

冬馬くんが海渡くんのうしろから抱きつくように腕を回すと、海渡くんはさっきのポーズで固まっている俺に、チラッと視線を向けた。
まーたイチャイチャしてる。
海渡くんの顔が一瞬でのぼせたように赤くなって、なぜか俺の胸が締め付けられるように痛くなった。

「優里にあざといのは似合わない。普通にしてろ」

ズバッと言われて、俺は慌てて手を下げた。
ですよね〜〜〜!
俺の上目遣いに需要なんてないのは、言われなくても分かってますよ。
恥ずかしいやら、いろんな意味で痛いやらで頭の中がぐちゃぐちゃだ。

「まったく!だから海渡は重いんだって」

「うるせー。優里はそんなことしなくても……っ!」

「はいはい、分かってるよ」

冬馬くんはニヤニヤしながら、両手で海渡くんの肩なんか揉んでいる。
冬馬くん、海渡くんが自分以外のやつに興味なさそうなのが実は嬉しいのかな。
だからって、ちょっと性格悪くなってるよ。
俺はムッとしてカーディガンから右腕を抜いた。

「あ、可愛いのに!脱いじゃうの?」

「可愛くはないだろ。もう長澤も来るだろうし、練習始めようよ」

脱いだカーディガンを海渡くんに突き返す。
海渡くんはびっくりしたように俺を見ていたけど、俺は絶対に目を合わせなかった。
別に怒ってるわけじゃない。
六月にこれは普通に暑いからだし!

長澤が「すまんすまん」と言いながら家庭科室に入ってきた。
俺がカーディガンを着ていないのを見ると、また自分のを貸そうとしてきたけど頑なに断って、ようやく練習が始まった。

「じゃあ、とりあえず頭から通しで行くぞー!よーい、スタート」

長澤がパンと手を叩くと、海渡くんが俺に一歩近づく。
俺は手に持った台本から目を離さないまま、海渡くんのセリフを待った。

「優里。いい加減、俺の気持ちに気づけ」

「海渡には好きな人がいるでしょ!」

「……っ!そ、そんなの、一人しかいねーだろ」

「別に、知ってるし!」

「なに勘違いしてるんだよ」

「勘違いなんかじゃないだろ!海渡くんが好きなのが誰かなんて、俺はもうとっくに分かってる」

「ゆ、優里……?」

パンパンと手を叩く音に、ハッと我に返る。
なんで俺……。
台本を読んでるつもりだったのに、これは一体誰のセリフなんだ?
そろっと海渡くんを見上げると、困ったように眉を下げていた。
長澤も冬馬くんも呆気にとられたように俺を見ている。

「南、アドリブはいいが、ここは切ないシーンであってな?今のじゃ、まるで拗ねてるみたいだぞ」

「ご、ごめん」

「それと、南の一人称は『僕』だから」

「分かってるよ」

なんで俺、怒ってんの?
これじゃ子どもみたいだ。
二人がイチャイチャしてるのなんていつものことだし、海渡くんが冬馬くんの前で俺を褒めなかったのだって、溺愛攻めとしては満点だろ。
萌え袖なんてしたところで可愛くないことだって、自分が一番分かってる。
……じゃあ、なんで。
なんで俺は、海渡くんに何か言ってほしいと思ったんだ。
『可愛い』って、ほんの一言。
海渡くんが俺を見て、そう言ってくれたらいいのにって。
そこまで考えて、カーッと顔が熱くなる。
最近やっと友達に昇格できたからって、わがまますぎないか?
こんなこと思うなんて恥ずかしいやつじゃん、俺。

「ごめん!ちょっとトイレ行ってくる!」

いたたまれなくなった俺は、家庭科室を飛び出した。
誰か分からない、俺の名前を呼ぶ声が聞こえたけど、とにかく夢中でトイレに駆け込む。
洗面所の水でバシャバシャと顔を濡らして、フーっと息を吐き出すと、鏡で自分の顔を見る。
なんだこれ。
やばいくらい赤くなってる。
もう一度水をかけると、前髪がびちょびちょになった。

「優里!」

バーンとドアを蹴るような音がして、飛び込んできたのは海渡くんだった。

「か、海渡くん?!」

「腹、痛いんじゃなかったのか?」

「え、えーっと」

海渡くんは俺にゆっくり近づいてくると、スラックスのポケットから出したハンカチを広げて、俺の頬をそっと拭いてくれた。

「いーよ!そのうち乾くから」

ワイシャツの袖で拭こうと持ち上げた俺の手首が、海渡くんの腕に捕まる。
視線が交わると、海渡くんの形のいい唇が動いた。

「……俺の好きな子は、目の前にいる」

俺の心臓がドクンと鳴ったかと思うと、うるさいくらいに早鐘を打ち出した。
せっかく冷やした顔が、みるみるうちに沸騰しそうなくらい熱くなる。
と、同時に心の中はなぜか冷たくなっていった。
ああ、これってセリフだよな。
『溺れる放課後』とか、長澤の台本とか。
海渡くん、こういうこと平然と言えるタイプだったんだ。
そうだよな。
演技だもんな。
じゃなきゃ、俺なんかにこんなこと言うわけない。
それにいちいち反応する俺もどうかと思うけど。
次のセリフはなんだっけ?
確か……。

「それ、どういう意味?」

「どういうって、そのままの意味だけど?」

海渡くんが俺の腰を引き寄せる。
俺はよろけて、海渡くんの胸に額をつけた。
ビショビショの前髪から水滴が落ちる。

「海渡くん、濡れるよ!」

「俺が好きなのは、一年前からずっと優里だけだから」

なんなんだよ!
もうやめろよ。
主演男優賞はあげるから、俺に本気の告白みたいな演技しないでよ。
これじゃ、まんまと引っかかっちゃうじゃんか。
海渡くんには冬馬くんがいるんだから。
この演技はさすがにやりすぎだ。
俺はグッと海渡くんの胸を押して、距離をとった。
水に濡れた髪の隙間に冷たい空気が流れる。

「トイレに来てまで練習しなくていいから」

「そんなんじゃなくて!」

「もう戻ろう。冬馬くんが心配するよ?」

「優里……」

ドアノブに手をかけて引く。
と、海渡くんが俺のうしろからドアを押さえるように手をついた。
逃げ場がないあの感覚。
それなのに、あのときとは違って、不思議と怖いとは思わなかった。
むしろ、ずっとこうしていてほしいような……。
どうしてだろう。
海渡くんが優しいってことを知ってるからかな。
海渡くんが俺の耳元に口を寄せる。

「優里が俺のカーディガン着てるの、やばいくらい可愛かった。可愛すぎて、あんな言い方した。ごめん。これは演技なんかじゃないから、信じて」

息のかかった耳が痺れそうなほど熱くなる。
遅れてやってきた『可愛い』に、胸の奥が甘く疼く。
こんなのダメなのに。
だって海渡くんは冬馬くんの彼氏で、冬馬くんは俺の大事な友達で、俺はカモフラージュのためのモブなんだから。
モブは主人公たちの恋を邪魔してはいけない。
こんなことで喜んでちゃダメなんだ。
それなのに……。
抱きしめられたぬくもりも、低く囁いた声も、俺の中からいつまでも消えてくれなかった。