俺を嫌いな君へ。

 一人廊下を歩いているとき、長澤に声をかけられて玄関に行った。
 放課後、総勢六人で買い出しに行ってくれた白石さんたちに代わり、買い物してきたものを三階にある空き教室に運ぶためだ。
 五月終わりの今日は、夏の予行練習みたいな暑さで、大きな買い物袋をいくつも下げた彼女たちは、一様に頬を上気させていた。

「お疲れ様。こんな暑い中、大変だったでしょ?ありがとね。あとは俺がやるから、早く水分摂りな」

「みなっち〜、まじ天使じゃん」

「い、いや、俺はただ長澤に言われて、だから」

 つい、しどろもどろになってしまう。
 文化祭の準備を通して、少しずつクラスメイトとも打ち解けてきたけど、みなっちなんて初めて呼ばれた。
 と思ったら口々に、「みなっち、今日は寝てないんだね」とか「うちらよりひ弱そうなのに大丈夫なの?みなっち」とか「委員長、人使いすぎ〜」とか、好き勝手なことを言っている。

 知らないうちにつけられたあだ名は、彼女たちの口にはすっかり馴染んでいるようだ。
 海渡くんの笑顔を見たときとは違うムズムズ感に、思わず首のうしろをさする。

「でもこれさぁ、一回じゃ運べなくない?」

 げた箱前を占拠する大量の買い物袋には、縁日で使うヨーヨーの風船やら、景品の駄菓子やらが詰まっている。一つ一つは軽そうだけど、一度に運べるのはせいぜい四袋か。

「往復するから大丈夫。ほら、みんな行って休んで」

「みなっち、ありがと〜」

「男前じゃ〜ん」

「あとで頭なでなでしてあげる」

 彼女たち、特に白石さんは基本的にテンションが高くて、軽口はいつものことだ。

 教室にぞろぞろと向かう背中に手を振って、自分の足元を見下ろす。

「よし!やるか」

 気合を入れて腕まくりすると、両手で袋を持ち上げた。廊下を歩いてすぐの階段を上がっていく。

 ✳✳✳

 さすがに二往復もすると息が上がってきて、膝に手をついた。
 袋はまだ半分ある。
 息を整えてからまた手を伸ばしたとき、うしろから肩をたたかれた。

「南くん」

「え?」

「ちょっと話があるんだけど、いい?」

 体を起こして振り返ると、そこに立っていたのはゴミ袋を手に下げた緑川さんだった。

 同じクラスで一番可愛くて、誰にでも優しくて、白石さんみたいに明るい活発なタイプではないけど、みんなの人気者だ。

 今回の美男美女コンテストに推薦されて、顔を赤くしながらも出場を決意してくれたけど、その控えめな態度にまた男子たちが悶えていた。
 文化祭準備を通しても話したことはなかったけど、もちろん俺だって可愛いと思う。

 そんな緑川さんが俺になんの話だ?

「ど、どうしたの?」

「あのね……」

 俺の喉からゴキュッと変な音が鳴る。
 玄関から吹き込んできた初夏の風が、緑川さんの目にかかる前髪を揺らした。
 緑川さんは一度だけ周りを確認するように見ると、ゴミ袋を持った手をギュッと握る。

 頬が赤いけど、まさか……。

「南くん、カップルコンテストに出るんでしょ?その……春山くんと」

「あ、あぁ、そのこと?」

 まさか告白?!なんて一瞬思ってしまったけど、そんな漫画みたいなこと、現実にあるわけないよな。

「それがどうかした?」

「もしよかったらなんだけど……代わってくれないかな、って思って。実は私、春山くんのこと……」

 緑川さんはふいに口を噤んで、目線を下げた。

 そっか、緑川さん、海渡くんが好きなんだ。
 カップルコンテストでパートナーになれば、自然と距離が縮まるし、仲良くなれるチャンスだもんな。俺と海渡くんみたいに。

 ―――でも。

「……ごめん。もう決まってることだし、練習もだいぶ進んでるから」

 それもそうだけど、これはのど自慢コンテストに向けた長澤の作戦でもあるし、そもそも海渡くんには冬馬くんがいるんだし。

 カモフラージュのためといっても、緑川さんがその役目じゃハマりすぎだろう。だったら俺みたいなモブの方が適任だ。

 いろいろともっともな理由を並べてみても、最初に頭に浮かんだのが「嫌だ」だったことに、自分自身一番びっくりしていた。
 ちょっと前まで俺がパートナーでいいんだろうかなんて考えていたのに、いざ交代を申し出されるとそこに迷いはなかった。

 ……なんでだろう。誰にも嫌われたくない俺は、ただの背景として生きてきたはずなのに。

 それでも、緑川さんのさっとそらした目が潤んでいるように見えて、ズキズキと胸が痛む。

「だ、だよね!ごめんね、変なこと言って。忘れて!」

 そう言いながら、慌てたように靴を履き替える。

「あ、ゴミ捨て、手伝おうか?」

「ううん、軽いから大丈夫!」

 ぎこちない笑顔を見せた緑川さんは、風のように玄関から外に出ていって、俺はまた静寂に包まれた。

 なんとはなしに、そのあとをボーッと見つめる。

「優里」

 突然呼ばれた自分の名前に肩が大きく跳ねた。
 振り返った目線の先には、海渡くんがかすかに眉をひそめて立っている。そのまま俺の前まで歩いてきて、足元の買い物袋を持ち上げた。

「海渡くん、練習はもういいの?」

「詰んだ。優里の歌が聴きたいから、これが終わったら付き合って」

「わ、分かった」

 俺も残りの袋を持つと、海渡くんの背中を追いかけた。



 荷物が山と積まれた空き教室。
 ほこりっぽい端に袋をまとめていると、ガラガラとドアが閉まる音が聞こえた。

「ちょっと休憩」

「手伝ってくれてありがとう」

 海渡くんが古い木の机に腰かけて、俺も近くの壁に寄りかかった。

 他に見るところもなくて、なんとなく海渡くんを見つめていると、ふいに目が合う。

「実は去年、緑川に告白されて」

「そうだったんだ。ていうか、さっきの……」

「うん、聞いてた」

「ごめん、俺、勝手に断っちゃって」

「なんで?嬉しかったよ」

 海渡くんの優しい笑顔に、俺はホッと息をつく。
 ほとんどは俺のわがままだったけど、どうやら間違ってなかったみたいだ。

「あのときもカップルコンテストに誘われたんだよね」

「え?」

「だから冬馬と偽装カップルやってた」

「じゃあ、カップルコンテスト出たのって」

 海渡くんが小さく頷いた。

 やっぱり、二人はそこから始まったのか。それで、お互いに大事な存在だって気づいて……。

 口を噤むと、遠くの方から喧騒が聞こえてくる。

「冬馬とは利害が一致してたから、そのまま続けるつもりだったんだけど、でも……誤解されたくなくてやめた」

「利害って?」

「告白を遠ざけるため。気まずくなんの、嫌じゃん」

 なるほど。

 海渡くんも冬馬くんもたくさんの人から告白されているし、断っても普通に話せる人もいるだろうけど、それができない人だっている。
 相手が気まずそうにしていたり、変に避けられたりしたら、そんな人がたくさんいたら、きっと居心地が悪いだろう。
 下手したら逆上されるなんてこともあるのかな。それなら、確かに偽装カップルは理にかなっている。

 でも、なんでやめたんだろう。

 誤解って?

 冬馬くんと本当の恋人同士になったから、偽装だと思われたくない、とか?だったら、なんでカモフラージュしようとするの?

 考えてみても分からなくて、俺は考えるのをやめた。

「海渡くんすごいね。あんな人に好かれるなんて。俺は誰かに好意を向けられたことないから、すごい喜んじゃうかも」

「優里はさ、よく知らない人でも好きって言われたら付き合うの?」

「うーん。嬉しいけど……たぶん付き合わないと思う。うまくいかない気がするし」

 漫画じゃよくある話だけど、俺は主人公じゃないし、引っ張ってあげられるタイプでもないから、すぐに呆れられるだろうな。魅力もないし、かっこいいことも言えないし。

「こんな俺でもいいって思ってくれて、お互いに好きになってから付き合いたいかな」

 一方的に好かれるより、俺もちゃんと相手を好きになって、それから付き合うのが理想だ。 その上で、溺愛なんてされたら最高だと思う。
 といっても、俺にそんな日は来ないだろうけど。
 誰かと友達以上の関係になるなんて、全く想像できない。

「それならよかった……」

 海渡くんの小さな呟きに、俺はしばらく黙ったまま横顔を見つめた。

 海渡くんと冬馬くんは、幼いころから知っていて、いつも一緒にいて。そんな二人はきっと、自覚はしていなくても『両片想い』だったんだろうな。
 その結果の『今』なわけで、俺には険しい顔をしていても、冬馬くんには柔らかく笑いかける。肩をぶつけるなんてことしないで、どこまでも優しく守ってあげるんだろう。
 俺が二人の間に入り込む余地なんてあるわけない。

 ……って、なに考えてるんだろう、俺。
 なんだよ、間に入り込むって。俺は最初からただの背景のはずなのに。

 思考を払うように頭を振ると、なぜか胸がチクチクした。それをごまかしたくて、俺は口を開く。

「ほら、音楽室行こう。歌聴きたいんだろ?」

「聴きたい」

 海渡くんが弾かれたように立ち上がって、俺たちは階段を下りていった。