俺を嫌いな君へ。

「優里、そこもうちょっと声出せる?」

「うん、やってみる」

「大丈夫。俺が伴奏合わせるから」

 視聴覚室での出来事から数日間は、歌とピアノの練習に追われた。

 最初は海渡くんと二人きりで練習するだけでも緊張したのに、今では失敗すると顔を見合わせて笑えるくらいには慣れてきた。
 俺が勝ち進めなければ、せっかくの海渡くんのピアノ練習が無に帰すと考えれば、自然と肩に力が入る。
 海渡くんはそんな俺に気づいて、わざとめちゃくちゃな演奏をして笑わせてくることもあった。

 カップルコンテストについては、冬馬くんと長澤から揃って「雰囲気作りは完璧」と及第点をもらって、あとは長澤の台本が完成するのを待つことに。

 十分の出演時間のうち、半分はインタビューで、あとの半分は小芝居をする。
 インタビューは海渡くんが主で答えてくれることになったのと、小芝居についてはくれぐれも壁ドンやそれらしき演出は入れるなと、長澤に釘を差してくれた。
 カップルコンテストは生徒の投票で決まる一発勝負。緊張しないわけにはいかないけど、海渡くんと一緒だと思えば心強い。

 文化祭まで二週間となり、うちのクラスは縁日をすることになった。射的に輪投げ、ヨーヨー釣り、コイン落としなど。
 教室に提灯を飾って制服の上から法被を着ればそれっぽい雰囲気が出るし、当日、着替えだの化粧だのに時間をとられなくていいアイデアだ。

 コスプレ喫茶をするクラスは衣装の用意が大変らしいし、お化け屋敷をするクラスは資材集めに駆け回ってるとか。

 当日、俺はあんまり手伝えないかもしれないから、なるべく事前準備に参加して、海渡くんにはピアノの方に集中してもらうということで長澤と意見が一致した。



 放課後。

 机と椅子を教室のうしろに下げて、各々が作業する中、俺は床に敷いた新聞紙に座り、提灯に絵を描いていた。
 なんの絵でもいいって言われたけど、美術の成績が奮わない俺は、正直苦戦している。

「優里」

「あれ?海渡くん、どうしたの?」

「練習、飽きた。優里がいないと気合入んねぇ」

「え〜!なんだよ、それ」

 あはは、と笑った俺の隣にしゃがんで、海渡くんも小さく笑う。
 最近は海渡くんのこういう笑顔が増えた気がして、嬉しいは嬉しいんだけど、なんだかムズムズする。

「あ、海渡だぁ。今ね、誰が買い出し行くかのあみだくじしてるんだけど、海渡も参加する?」

 黒板の前でクラスメイトに囲まれている冬馬くんが、にこにこしながら振り向いた。

 黒板をめいいっぱい使って、白いチョークで描かれたあみだくじの縦線。
 上部には『当たり』の文字が一つだけあって、下部には長澤と文化祭実行委員、ピアノ練習をしていた海渡くん以外の、全員のクラスメイトの名前がある。
 そこにみんながでたらめな横線を足したり、関係ない落書きで惑わそうとしているから、もうカオスとしか言いようがない。

 ……たぶん誰もゴールにたどり着けない気がする。
 それなのに、冬馬くんが白くなった指先にチョークを挟んで、さらに縦線を追加しようとしていた。

「おい!俺を勝手に参加させるな。めんどくせぇ」

 海渡くんが吐き捨てるように言うと、冬馬くんは笑顔のままで目を細めた。いたずらを思いついた子どもみたいだ。

「ちなみに僕が当たったら、優里くんも一緒に買い出し係だから」

「却下。冬馬が当たったら俺と優里で行く。優里が当たっても俺と優里で行く」

「……は?なんで俺?それだと当たる確率高くなるじゃん」

 買い出し係なんて一番重労働だし、すすんでやりたいやつなんていない。

 抗議する俺の喉を塞ぐように、海渡くんの腕が首に回った。苦しくはないけど、最近やたら距離が近いんだよな。
 これがカップルコンテストの練習のためなのか、それとも違うものなのか、俺にはもう分からなくなっていた。
 今までずっと嫌われていると思ってきたのに、俺を抱きしめる海渡くんの腕の優しさを、なぜか忘れられずにいる。

「やっぱり冬馬が当たったら長澤と行かせよーぜ。監督と監督代理で」

 海渡くんが俺にだけ聞こえるように言って、俺は「だな」と短く返した。

 やっと始まったあみだくじは予想した通りの展開で、ドア近くで静観していた長澤がようやく黒板の前に躍り出る。

「遊びはこれくらいにして、そろそろ本気で決めよう。じゃんけんでいいか?」

「「「はーい」」」

 冬馬くんと同じく、指先を白くしている面々が一斉に手を上げた。先生と小学生みたいなやりとりに、みんなで笑う。

 白熱したじゃんけん大会の結果、買い出し係は白石さんに決定した。
 白石さんはちょっとギャルっぽくて目立つ女子だ。
 時々、海渡くんや冬馬くんをおしゃべりに誘ったりしているけど、俺は一度も話したことがなくてたぶん存在すら認知されていないじゃないだろうか。

 そんな白石さんは泣きそうな声で「やだぁ〜」と叫んでいて、白石さんの友達数人が「うちらも一緒に行くから」と慰めている。
 そんな様子を見ていると、当たらなくてちょっと残念、なんて思ってしまった。
 面倒な買い出しも、海渡くんと一緒なら楽しかったかもしれないな。

 騒ぎが少し落ち着き、俺の急所を解放した海渡くんがじっと手元の提灯を見つめてきた。

「優里、それなに描いてんの?」

「え?えーと、なんだと思う?」

「うーん、筋斗雲か?いや、目みたいなのがあるから……いもむしか?」

「惜しい!答えは龍だよ」

「ふははっ!どこが惜しいんだよ。かすりもしてねーだろ」

 自分の口に手の甲を当てる海渡くんと、思わず吹き出してしまった俺の笑い声が重なる。

 いもむしと言われれば、もうそれにしか見えない。

「これさ、ひげがないのが原因じゃね?」

「なるほど!それだ」

 海渡くんの指摘に、俺はさっそくパレットの空いているところに黒の絵の具を絞った。筆の先にとって、ちょんちょんとひげを描くと、海渡くんに見えるように持ち上げる。

「これでどう?ちゃんと龍になった?」

「やばぁ、ウナギにしか見えねー」

 確かに!……いもむしよりは高級になったからいいのか?

 またひとしきり笑い合ってから、苦肉の策として絵の横に『龍』と書いて窓際で乾かす。
 それを見た長澤が、「うちのクラスに龍って名前のやついたっけ?」と首を傾げているのを見て、海渡くんの肩が小刻みに震えていた。

 俺のウナギ提灯の横には、海渡くんの立派な龍が描かれた提灯が並ぶ。手が柔らかくて、指が長くて、ピアノを弾きこなす海渡くんは、筆の扱いまでうまいらしい。

 ……いいやつではあるけど、ちょっとずるい。

 海渡くんと一緒だとくだらないことまでおかしくて、気づけば放課後があっという間に終わっていた。

「よっしゃー、帰るか」

 立ち上がった海渡くんの背中を目で追う。
 楽しかったな。明日もこんな風に、一緒に作業できればいいのにな。