俺を嫌いな君へ。

本を片手にお弁当をつつく姿が、こんなに様になるやつなんているのだろうか。
ただし、その手に持っているのがBL漫画である『溺れる放課後』なのはどうかと思うが。

「海渡〜、お行儀悪いよ」

「ん?あぁ……」

心ここにあらずな返事をした海渡くんに、冬馬くんはプクッと頬を膨らませた。
これは、漫画やドラマでしか見たことがない、あざと可愛いってやつだぞ。
海渡くんってば、いいところ見逃しちゃってるし。
いや、きっともう何度も見てるんだろうけど、攻めは受けのこんな顔なんて、いくらでも見たいもんじゃん?
それで、『俺以外のやつに、そんな顔見せるな』とか言っちゃうもんじゃん?
なんて、さすがにそれは重すぎか。

お昼休み。
俺と海渡くんの机をくっつけて、三人でごはんを食べているいつもの光景だ。
二年になって最初のころは、二人の邪魔をしないようにと中庭や階段の踊り場なんかで食べていたが、ある日とうとう冬馬くんに捕まり、それからは半強制的に三人で食べている。
もともと海渡くんは口数が多い方じゃない。
いつも俺と冬馬くんがしゃべっているのを聞き流しているような感じだけど、今日は明らかに聞いていないな。

「海渡、それ三周目なんでしょ?」

「んん」

漫画から目を離さない海渡くんに、俺は思わず身を乗り出した。

「三周?!真面目すぎるよ、海渡くん」

「ん〜」

「ね、勉強より真剣なんじゃない?優里くんは読んだことあるんでしょ?」

「俺も昨日読み返したよ。電子派だから紙媒体はないんだけど。冬馬くんも借りて読んでみたら?」

「そうだね。ねぇ、海渡、次貸してよぉ」

遠くの人に呼びかけるみたいな言い方に、海渡くんは相変わらず「う〜ん」と曖昧な返事を返して、ごはんを一口頬張る。
と、口の端にご飯粒が……。
海渡くんは気づかないまま、本を持った親指で器用にページをめくった。
冬馬くんを見るけど、気づいているのかいないのか。
いや、気づいているな。
ニヤニヤ笑いながら俺に目配せしている。

「冬馬くん、教えてあげなよ」

俺は冬馬くんに顔を寄せて、小声で言った。

「海渡のやつ、言っても聞こえてないっぽいから優里くんがとってあげなよ」

「えぇ〜、それは冬馬くんの役目でしょ?」

「絶対に嫌」

言葉とは裏腹に楽しそうな声音の冬馬くんに、俺は大きなため息をつく。
まさか、こんなところでも練習をさせられるのか。
冬馬くんは完全にアシスタントに徹するつもりらしい。
俺は諦めて箸を置くと、そろりと右手を持ち上げた。
このシーンってBL漫画の定番だったりするよな、そういえば『溺れる放課後』にもあったよな、なんて考えながら、海渡くんの形のいい口にゆっくり手を伸ばす。

「し、失礼しま〜す」

なるべく触れないように、指先だけで、と思うがそれは到底無理な話で。
ご飯粒を摘んだ瞬間、漫画に夢中だった海渡くんの頬がピクピクと震える。
サッと飛び退くように身を引いた海渡くんは、おばけでも見たかのように目を見開いた。

「優里……!なにやって……?」

「ご、ごめんって。ご飯粒がついてて、その……」

焦って立ち上がった俺は、あろうことか指で摘んだそれを自分の口に入れてしまった。

「「「あっ!」」」

三人の声が重なる。
冬馬くんは口角がゆるりと上がって、海渡くんは気色ばんだように顔を赤くしている。
自分の顔は見れないけど、たぶん青くなっているはずだ。

「二人ともごめん!俺、自販機行ってくる!」

どうしたらいいか分からなくなって、とっさに駆け出す。

「優里!俺も行く」

ガタガタという音と同時に、背中に海渡くんの声が飛んできたけど、俺は振り返ることなくひたすら廊下を走った。

海渡くんに手首を掴まれたのは、自販機のある階段の踊り場を通りすぎて、特別教室が並ぶ廊下の中ほどだった。
ほかの生徒は誰もいなくて、荒い息遣いと衣擦れ、靴底がキュッと鳴る音だけが鼓膜を揺らしている。

「はぁ、はぁ、意外と走るの速いんだな」

なんで追いかけてきたんだ?
いたたまれなさすぎるから一人にしてほしい。
俺のことよりも、冬馬くんへのフォロー……はいらないのか?
そもそもけしかけたのは冬馬くんであって。
でも、あそこまでするとはさすがに思わなかっただろう。
あとでちゃんと謝らないと。

「本当にごめん。俺、なんかパニクっちゃって。頭冷やしてから戻るから、海渡くんは冬馬くんのところに行って」

「やだ」

「は?やだって……」

「ふはっ!優里、顔真っ赤」

真っ赤?!
青じゃなくて?
掴まれていない方の手を頬に当てると、確かに熱を持っている。
それに、海渡くんの耳だって赤く染まっている。
二度目の海渡くんの正面からの笑顔は、氷が解けたように柔らかくて、目をそらそうにも俺の眼球が言うことを聞かなかった。
こんな笑顔を向けられたら、ちょっとは俺へのバロメーターも回復してるんじゃないかと勘違いしそうになるほどだ。

「本当にごめん。嫌だったよな」

「嫌じゃないし、謝らなくていい。優里、謝ってばかりだな。あんなの、全然気にしなくていいから」

海渡くん、優しいんだな。
冬馬くんに頼まれたとはいえ俺を守ろうとしたり、放っておけばいいものをわざわざ追いかけてくれたり、海渡くんが人気者な理由がよく分かる。
ただ、その優しさが俺に向けられることは、今までの関係だったらなかった。
確実に、カップルコンテストへのエントリーが決まってからだ。
海渡くんのコンテストへの本気度を再認識して、本当に俺がパートナーでいいんだろうかと少し後ろめたい気持ちになる。

「あの漫画じゃ、攻めが受けのご飯粒とってやってたよな」

「う、うん」

「これじゃ逆だろ」

「俺って受けなの?」

「まぁ、俺にとっては」

走ったせいで早くなった俺の心臓は、呼吸が整ってもまだ落ち着きそうにない。
胸に手を当てて、大きく深呼吸する。

「ジュース買うんだろ?自販機行こう」

「……喉、渇いてない」

「じゃあ、戻ろう。そろそろチャイムが鳴る。その顔、教室に着くまでに直して」

海渡くんは俺の手首を離して、ゆっくりと歩き出す。
すうすうと冷えた空気に晒された手首をそっとなでて、俺は海渡くんの背中を追いかけた。

教室に入る前、海渡くんが俺を振り返って、いきなり俺の頬をつねってきた。

「いひゃいよ」

「まだちょっと赤いな」

いやいや、今つねったから赤いんじゃないの?!
チリチリする頬をなでながら、海渡くんを恨めしげに見つめると、ふっと力が抜けたように笑う。
なんだか今日は、めずらしい顔をいっぱい見てるなぁ。

「赤くたっていいよ。冬馬くん待ってるだろうし、早く入ろう」

「だめ。こんな顔、誰にも見せたくないし」

「は?それって、『溺れる放課後』のセリフじゃん。さすが三周するだけあるね」

「……そうだったな」

動こうとしない海渡くんの横を通り抜けて、さっさと教室のドアを開けると、冬馬くんの「おかえり〜」という明るい声に迎えられた。