クールな彼は嘘をのむ

――ピリリリリリ……。

 芦澤は着信の表示を見て、深く息を吐いた。
 その電話は、バイト先の上司の奥さんからだった。
 胃が、いや……胸の奥が、痛む。

 芦澤は大教室の廊下にいた。授業のない空き時間に、可愛い後輩たちを眺めることが日課になっていた。癒やしだった。

 芦澤は大きく深呼吸してから、落ち着いた声で受け答えしはじめた。

 竹下はまた廊下の隅に隠れ、芦澤の様子を伺っていた。
 相手の声までは聞こえない。ただ、芦澤の声だけは、廊下によく響いていた。

――どっちがストーカーだか……。

 竹下は苦笑しながら耳を澄ませた。
 いつもと違う、わずかに震える低い声で芦澤は話していた。

「――自分は、同じ職場のバイトでお世話になっています。主任からは、よく奥さんのノロケ話を聞かされますよ。……あのライン?よくあるオフザケですよ」
 芦澤は笑う。
「――真面目だけど、たまに変にふざけるのは、奥さんの方がよく知ってるんじゃありませんか?」
 また、笑う。
「――全然、そんなんじゃありません。大丈夫ですよ……はい。はい。では」
 
 芦澤はバイト先の上司と付き合っていた。妻子持ちだとは、二週間前までは知らなかった。それを知った時、付き合いをやめた。バイトも辞めた。

 さっきの会話は全部、上司を守るための、芦澤全力の、嘘だった。はじめて、ありのままの自分を、受け止めてくれた人だったから。

 電話を切った芦澤は、涙と鼻水で顔がグチャグチャだった。

 芦澤はふと気づいた。隣に、竹下がいる。

――だからなんだ……。

 今は何も考えられなかった。
 
 竹下はぼさついた髪を掻きながら芦澤を見た。
「……先輩、この後、授業ないっしょ?ちょっと、一緒に、付き合ってもらえません?」
 竹下はバッグを探る。ポケットティッシュは持っていなかった。
「おまえ、講義は?」
 芦澤は目を擦り、鼻をすすりながら尋ねる。
「サボります。大教室だし……桜井に出席カード頼んであるし」
 ティッシュの代わりに除菌ティッシュを差し出しながら、竹下は言った。
「……どこ行くつもりだ?」
 芦澤は、除菌ティッシュで鼻をかみ、顔をしかめて鼻筋にシワを寄せた。
 竹下は、にやっと笑った。
「夢の国、とか」
「は?……俺、そんな金ないぞ。バイト辞めたばかりだし……」
 芦澤は眉をしかめた。
「たまには後輩にタカってみても、いいんじゃないんすか?」
「……良くないだろ」
「俺、口は悪いけど、こう見えて、いいところの坊ちゃんなんですよ」
 竹下はひょいと肩をすくめた。 

「さ、行きましょ」
 竹下は芦澤の背を軽く叩く。
「可愛い後輩のわがままに付き合うと思って――」

 芦澤は、竹下に連行されていった。