【勇者×偽物】~離婚は半年後の予定です~


城下街にあるリックの邸宅は、華美な装飾などのない、堅実な造りのものだった。
門構えで馬車を降り、リックがジノを伴って黒いアイアンのフェンスゲートをくぐる。

「……なんか……"勇者の家"にしては地味だな」

きょろきょろと庭や(やしき)を見回しながら、ジノがそうぼやく。
庭にはトピアリーが数か所、芝は綺麗に刈り揃えられており、花壇は誰かが丁寧に手入れをしているのだろうということが伺えた。門から邸宅の玄関へと延びる白い石畳が、緑の中でひときわ映えている。

「本来はもっとごちゃごちゃとしていたんだが、どうにも"合わなくて"ね。できる限り取っ払ってもらったんだ。どんなに豪奢でも、結局私は平民の出だから……」

そこまで言って、「あ、知ってるか!」とリックがジノに笑う。
いやそんなこと、勇者の情報の中でもものすごく基本的なことであるが……まぁ、にこにこしてるならなんでもいいかと、ジノも指摘を諦めた。

「とはいえ、今日からここが君の家になるのだから、気になるところがあれば言ってくれ!君の頼みなら、庭に銅像だって建てようじゃないか!」
「え、いらねぇ……」

一使用人に、いや、雑用係、小間使い、下働き……?……とにかくわからないが、そんな人間に対する扱いじゃないだろうと、ジノは思った。だがまぁしかし、さっきの御者とのやりとりから察するに、普段から邸の使用人との距離も近い"主人"なのだろう。
生まれが平民といえど、こうも国や国民から認められれば、ある程度は傲慢にもなりそうなものだが……。

(こいつそういうんじゃねぇんだよな……)

ジノが緩く肩を落とす。――集めてきた情報も、全てそうだった。

親しみやすく、勇敢で、爽やかで、そして強い。胡散臭いほどにいいところを集めたような"勇者"。
なにかスキャンダラスな裏の顔でも出てこないかと調べ始めたのが、そういえばそもそもの始まりだったような気もする。

(……それがこんなことになっちまって……)

邸宅に入れば、出迎えの使用人への挨拶もそこそこに、リックはまっすぐに自室へと歩を進めた。もちろん、手に持ったジノの縄はそのままである。
中央の階段を上り、廊下の奥、外の音も聞こえない静かな私室。

「さ、ここだよ、入ってくれ」
「……ここだ、って……あんたの部屋じゃねぇか」

足を止めたジノが、ついに小声で呟いた。
目の前のドアは、廊下の他のどれよりも装飾が控えめで、しかし取っ手や蝶番は上質な金具で整えられている。
何より、リックが手慣れたように開けたことからして、明らかに"主の私室"だ。

「うん!そうだよ!」

そして爽やかな即答。

「いや、ちょっと待て、使用人部屋とかじゃ――」
「えっなんで!?君は"私のもの"なんだから、当然、同じ部屋だよね!」

ぱちんと指でも鳴らすようなテンションで言われ、ジノは目を剥いた。
後ろ手の縄がぴんと張る。リックの手の力が抜ける気配はない。

「頭おかしいだろ!寝首掻かれるかもとか、逃げられるかもとか考えねぇのか!?」
「そういうスリルも含めて素敵だと思ってるよ!」
「いやマジで意味がわかんねぇよ!!」

だがそんな抵抗もむなしく、部屋の扉はすでに開かれ、背を押されて入室――。中には、整然とした室内が広がっていた。
濃い木の色合いで統一された家具、壁際の本棚、柔らかな光を落とすランプ、寝室への扉。

「ちなみに、使用人部屋は邸のあっち側にあるけど、君はこの部屋だからね?」

問題ないよね?といった顔で、もうそれがリックの中では完全なまでに当然になっているらしく、心底嬉しそうな顔で縄を解こうとし始める。

「じゃあ、さっそく縄を――」
「待て待て待て待て!待て!!」
「ん?」
「同室の説明になってねぇ!あとっんな簡単に罪人の縄解いていいのか!!」

声を荒げるジノに、リックが一歩だけ近づいて、……妙に真剣な顔になった。

「……な、縄があるほうが好きなのかい?」

今にも眉根を寄せそうなリックの表情に、……えっ、とジノが固まった。縄が好きな罪人がいてたまるか。妙な認識のずれを感じる。

なぜこうも……無防備な信頼のようなものを、捕まった相手から向けられるのか。
なぜ縄をほどこうとしながら、そんなに目がきらきらしているのか。
ジノが諦観の念で目を閉じる頃には、リックの手はすっかり縄を外し終えていた。

「さ、自由になったところで、まずは……着替えだね!」
「きがっ、着替え!?」
「旅の服じゃ落ち着かないだろう?私のシャツを貸すよ」

間髪入れず背を向けてクローゼットへ向かう後ろ姿を見ながら、ジノがひくりと頬を引きつらせる。

(こいつ……"危機感"ってもんがねぇのか……!?)

「あッ」
「あ!?」

クローゼットの中を覗いていた背中が、急にぴたりと止まってジノを振り返った。何事かを思い出したようなリックは、まっすぐにこちらに歩み寄り、手を伸ばしジノの髪へ触れる。

「なっ」
「先にお風呂に入ろうか?」
「……はっ……?」

つん、とジノの毛先を滑っていったリックの指先には、白っぽい染粉。それをこすり合わせ、リックが性懲りもなく爽やかな笑顔を浮かべた。
ああ、とジノも、自分の頭へ手を伸ばす。そういえば、変装していた時の髪色のままだった。……けれど、なんだろう、リックの言い方に、不穏な気配を感じる。

――入ろうかって言った……?入ってこいじゃなく……?

「今沸かしてくるから、一緒に入ろうね!♡」

……言ってる……!!

ジノは――半歩ほど後ずさった。目の前、ルンルンと私室の奥の扉へ去っていく後ろ姿は、ただでさえ甘いマスクをしているというのに、語尾まで甘かったような気もする。

「あッ」
「あぁ!?」
「逃げちゃいけないよ」

浴室への扉で振り返りざま、(みどり)色の瞳がにこりと細くなり――ぱたんと閉まる濃い木の扉……。

……え、それはこの部屋からという意味でしょうか、それとも風呂からという意味でしょうかとジノが逡巡するが、恐らく両方だ。裏も何もない、素で言っているあの男。

(――これが逃げずにいられるか!!)

鋭い動きで踵だけを返して、けれどそのまま止まる。……もしこれで逃げたら……逃亡犯か……!そんな考えが頭をよぎった。

「……くっ……」

逃亡犯……脱走奴隷……決して穏やかではない立ち位置が脳裏をちらつく。今ならまだ、厩番か……庭師か……御者か……わからないが、なんとかここで使われる人生で済むかもしれない……。
詐欺師として稼いでいたころと比べれば、寝る家とすべき仕事がある環境は…………魅力的だ……!

――逃げだそうとしたジノの足は、動かなかった。