学校では秘密だからね。もちろん家族にも内緒。約束、できる?
そうやって僕が聞いたら、長谷川朔はがくがくと首を縦に振って即答した。
できる!!
それが七月のはじめで、いまは十月の終わり。
告白されて、付き合った。簡単に言えば、それだけ。
僕、白井守生と、長谷川朔はいま、付き合って四ヶ月を迎えようとしている。
何にも進展ないけど。
「しゅう先輩、今日、予備校ある?」
「うん。ある」
「じゃあ放課後、予備校までついてっていい?」
「だめに決まってるだろ。部活行け部活」
電車を降りて歩いて学校まで数分。
並んで歩きながら、その数分間を僕と朔は共有している。
通学におなじ電車を使っていることもあって登校時間が一緒になることが多い僕と朔は、ある意味、平日はそこしか接点がないとも言えた。昼休みはお互いの友達と過ごすことが多かったし、放課後はお互いに部活とか予備校とかがあるから。休みの日は休みの日でふたりで会う理由がない。
「いつになったら、しゅう先輩といちゃいちゃできるのかなぁ」
「永遠にないんじゃない」
「なんで!?」
「だって僕ら春から別々だし。それまでは忙しくてなかなか会えなさそうだし」
僕は冬には大学受験を控えていて、朔はまだ高校一年生で、きっとあと半年もすれば離ればなれになる。わかっていても、僕は朔の何度躓いても何度泣いても諦めない真っ直ぐなところに、折れた。
なにもないところで躓くのは当たり前。前を見てなくて物にぶつかるのも日常で、転んでは泣いて、泣いては起き上がる天真爛漫な朔。朔は僕に一目惚れをしたときから真っ直ぐに突っ込んできた。
白井先輩、好きです。
その言葉を百回は聞いた。
いや、僕、君のこと、よく知らないし。
その言葉を百回は言った。
それでも登校時、昼休み、放課後、隙さえあれば、好き好き言ってくる朔に、僕は折れた。ほだされたといってもいい。同級生とか下級生の目が気になったとかじゃない。朔は無鉄砲に見えて、ちゃんとふたりきりのときだけ、僕に想いを伝えてきた。
「しゅう先輩、地元の大学行くんじゃなかった?」
「受かればね」
「家から通う?」
「たぶんね」
「じゃあ大学行っても週末は会えるよね」
「はじめ、前見て歩け」
前から自転車が来ているのに気がついていない朔の腕をひっぱって、こちら側に寄せる。歩道を歩いていた僕らだけど、ここは自転車通行可エリアだ。前方不注意は危ない。
「ごめん。すみません。またぶつかるところだった」
僕に腕を抱きしめるようにされて、朔は平謝りする。
そして気づく。僕との距離に。
「うっわ。ごめんなさい」
「なにそれ嫌なの?」
「嫌じゃない嫌じゃない嫌じゃなくて」
右腕を掴まれたままの朔がぶるぶると頭を振る。
その仕草が面白くて僕は笑ってしまう。
かわいい。
「しゅう先輩、それ反則です!」
照れている。かわいい。
最初は押しに負けただけだと思っていた。だけど、いまは違うかもしれない、と思う。朔は男だし、僕も男だし、かわいい、とか、好きだ、とか、朔はともかく、僕は簡単には言えない。朔はどうか知らないけど、僕はいままで誰かと恋をしたこともない。そんな僕が同性の朔にかわいいとか思ってしまうのだから、もう好きに近いんじゃないかって。
付き合ってるのに、好きじゃないとか、そのほうが人としてどうなのか、って話にもなるし。
「わざとだけど」
いちゃいちゃしたいって言ったのは朔じゃないか。
僕はなりゆきで朔の腕をひっぱるふりをして、朔との距離を詰めた。
でももう放す。あんまり長くくっついていると変に思われるから。
「じゃあまた明日」
校門に着いたところで僕はそっけなく言った。
「はい。また明日」
思いっきり爽やかな笑顔で朔が答えた。
てっきり「離れたくない」とでも言うかと思っていたから、ちょっと拍子抜けしながら僕は朔と離れて、三年二組の教室に向かう。そうか。まわりに人がいるからか、と気づく。そういうことに気づくのはいつも僕のほうが遅い。「離れたくない」のは、自分のほうなのかもな、って思いながら、自分の席について朔のことを想う。
背筋がぴんと伸びていて、凜とした雰囲気をまとっていて、背も高くて、顔立ちだって誰が見てもかっこいいって言うような、シャープなイケメン。外見だけで言えば、朔はモテる。礼儀正しいし、優しいし、真っ直ぐで素直だし、一度、隠れて弓道部を覗きに行ったら、女子がきゃあきゃあ騒ぎながら朔を見ていた。
ただ朔には落ち着きがない。どうしてあんな風に弓道で的を射られるのかがわからない。部活以外のときの朔はとにかく落ち着きがない。
僕と知り合ったのだって、何に慌てていたのか朔が何にもない廊下ですっころんで、ちょうど前を歩いていた僕の背中にぶつかって、平謝りされて「大丈夫だよ」って微笑みかけたのが、きっかけだった。
今日は怪我してないかな。階段を踏み外したりとか。教室の扉にぶつかったりとか。どうしてあんなに不器用で不注意なのに、弓道部ではほとんど怪我なくできているのかわからない。集中力があるようで、ない。ないようで、あるのかもしれない。僕のことしか見てないって言ってた。僕のことしか見てないから、まわりが見えなくなってしまうのかもしれない。
そのわりに空気読めるけど。
「はじめ」
声に出すと恋しくなる。
明日まで待てない。そんな気持ちになってくる。
僕はどうかしているのかもしれない。
その日の夜。
「お疲れさまです、しゅう先輩」
予備校を出たところで、朔が待っていた。
え? と一瞬思って、立ち止まり、その笑顔に毒気を抜かれる。そのあと朔の右頬に絆創膏が貼ってあることに気づく。
「右頬、どした? 部活で怪我した?」
僕は思わず左手を伸ばして、朔の頬の絆創膏をそっと撫でる。ぴくんと震える朔がかわいい。僕の手に身を任せるように頬を擦りつけて、目を閉じる。かわいい。朔かわいい。いとおしい。
っていま何考えた僕。
ていうか、こんな予備校のそばで、朔と触れあってる場合じゃないし! 誰かに見られたら、誤解される。誤解っていうか、事実なんだけど。
「ご、ごめ……はじめ、痛くないのかなって」
ぱっと手を放した僕に未練がましい目を向けながら、朔が答える。
「ちょっとかすっただけだから大丈夫。心配してもらえて嬉しい」
「でも普段そんなに部活で怪我したりしないのに」
「しゅう先輩のこと考えてたら失敗した」
「僕のせいか」
「俺のせい。先輩をぎゅってしたい。そればっか考えてる」
朔の切実な表情、切なげな声音に僕は、う、となる。
僕だって我慢してる。僕だって我慢してる。僕だって我慢してるんだ!
言わないだけで、言えないだけで、僕だって朔のことをぎゅってしたい。甘えたい。甘えて欲しい。どうしたら僕の気持ちが伝わる? どうしたら他に誰もいないところで朔と抱き合える? 受験生の僕と、後輩の朔が。
「僕もだよ」
それだけ言って駅に向かって歩き出す。
「え。待って。どういう意味」
すぐにとなりに並んで朔が言う。いつも車道側を歩いてくれる。不注意で怪我をしやすい朔だから、本当は僕が守ってやらないと駄目なんだけど、朔は僕を守ってくれようとする。そんなところも好きだった。
「そういう意味」
朔は知らない。僕がどれくらい朔のことを好きなのか。
いま会えたことがどれくらい嬉しいのか朔は知らない。
「何時くらいから待ってたの」
「んー、部活終わってからだから、七時くらいから?」
「一時間以上待ってるし。もうこういうのやめて」
「うん。ごめん。どうしてもしゅう先輩に会いたかったから」
「なんで。いまじゃなくても、明日の朝、会えるよね」
「あんなんじゃ足りない!」
朔が駄々をこねるように言う。
「ほんとは昼休みも一緒にいたいし、休みの日だってふたりでいたい!」
同感。
朔は素直だ。
僕もそんな風に素直になりたい。
「受験終わったら、どっかふたりで遊びに行こ」
僕が思いきって言うと朔が驚いたような顔でこちらを見た。
すぐそばの街灯の光がスポットライトみたいに僕らを照らしていた。
すこし冷たさを感じる夜風が朔のさらさらの前髪を揺らす。
朔が笑った。どうしようもないくらい嬉しそうに。それを見て僕もどうしようもないくらいに嬉しくなる。かわいい。朔かわいい。
それは言葉にしないで歩き出す。
すぐに駅に着く。電車はすぐ来る。おなじ方向だからおなじ電車に乗って、朔のほうが先に降りる。名残惜しかった。朔に触れた左手が熱かった。手をつないだり、とかしたら、もっとたぶん幸せなんだろうな。
「しゅう先輩、また明日」
「うん。また明日」
朔が心なしか晴れ晴れとした顔をしている。
腕をひっぱって、こちら側に引き寄せて、それから抱き寄せて、ぎゅってして、大好きだよ、はじめ、って言いたかったけど、我慢して、手を振った。
考えすぎて眠れないとかそんなことしている場合じゃないけど、でも考えすぎて眠れなかった。ベッドの上、朔の頬に触れた左手を見ては、触れた頬の温かさを思い出して、僕はぎゅーっと枕を抱きしめる。この枕が朔だったらいいのに。
いつの間に僕は朔のことをこんなにも好きになっちゃったんだろう。
毎日、好きって言われただけで。
よく考えたら、朔が僕のどんなところがそんなに好きなのか、聞いたこともない。
それでも好きだ。朔が好き。抱きしめたい。この気持ちどうしたらいい。
どうにもできない。この熱を抱えたまま朝を迎えて。
電車のなかで朔に出会った。
「おはようございます」
開かない方の扉のそばに立っていた僕を見つけた朔が嬉しそうな笑顔で挨拶した。
「おはよ」
ぎゅうぎゅうの車内だったから、自然と僕は電車の扉と朔の長身の身体のあいだに挟まれるかたちになる。学校まであと二駅だけど、この距離感で数分を過ごすと思うと居心地が悪い。朔から漂ってくる爽やかな匂いにくらくらする。柔軟剤かシャンプーか。
こうなるからおなじ車両には乗らないようにって言ってあったのに、なんで今日に限っておなじ車両に乗って僕をその他大勢から守るみたいにしてくるんだ。まるで壁ドンじゃないか。
「先輩、苦しくないですか」
なんで敬語。いつもくだけた口調で絡んでくるくせに。
「大丈夫」
朔がかばってくれているから。
電車が駅に停車して、扉が開いてまた乗客が増える。ほぼ学生だ。
通学用リュックを前に抱いた僕と朔の距離が詰まる。朔のリュックは大きいけど背中に背負ったままだから、僕と朔のあいだの隙間がほとんどない。押されてもみくちゃにされるように僕との距離がさらに接近する。僕と朔は密着するようなかたちになる。朔の匂い。体温。ドキドキする。
もう。いっそ抱きしめて欲しい。僕からぎゅってしたい。
耐えろ。僕。ぎゅってしたい、ぎゅってされたい欲から離れろ。僕。
高校の最寄り駅に着いて、なだれるように電車の外に吐き出された僕と朔は並んで歩き出す。助かった、と僕は思う。あのまま一緒にいたら、どうにかなりそうだった。
「はじめ」
僕よりすこし背の高い朔を見上げて僕は問う。
「僕と一緒にいて苦しくない?」
僕は苦しい。触れられそうで、触れられない距離に朔がいることが、とても苦しい。
「苦しいっていうより、嬉しいかな。しゅう先輩が俺を拒まないのが嬉しい。先輩が三両目に乗るって知ってて俺も三両目に乗った。長く一緒にいられるかと思って」
朔はポジティブにそう言うけど、僕は嬉しいより苦しい。
こんな場合、どちらの好きが重いのだろう。
いつの間にか僕は朔から向けられる好意以上の気持ちを朔に対して持っているのかもしれない。
いまだって朔の右頬に貼られた絆創膏が気になって、昨日のことを思い出して、もっと触れたい、という気持ちになっている。駄目だ駄目だ駄目だ。
「先輩、今日、寝ぐせついてますね、髪の毛」
「あー……今日は寝坊して直す時間なくて」
「夜更かししたんですか?」
朔のことを想って眠れなかったとは言えない。
「べ、勉強してた」
「俺はしゅう先輩のこと考えて眠れなかったけど」
朔は素直だ。真っ直ぐだ。ごまかしている僕とは違う。
眩しかった。僕への好き、が輝いていた。だからこそ僕は朔に惹かれるのだ。
臆病でひねくれていて好きなものを好きだって正直に言えない僕だからこそ、正反対の朔に惹かれる。どうしようもなく。
僕と朔は並んで歩く。それ以上は何も言わず。今日は無事に校門までたどり着きそうだ。
と油断した瞬間。
朔が何もないところで躓くから、僕は慌てて腕を引いて支えようとしたけど、間に合わず、朔が思いっきり転ぶ。
「いったぁ……っ」
絶対、膝とか手とか擦りむいてる転び方!
助けられなかった自分がふがいない。
一緒に転ぶよりも良かったかもしれないけど、でも、朔が……弓道部なのに、手を怪我してしまったら、どうしようもないじゃないか。僕が下敷きになればよかった。
「はじめ、大丈夫……じゃないよね」
焦る気持ちを抑えつけながら、朔の横にしゃがむ。
派手に転んだ朔のまわりにそばを歩いていた人たちが集まってくる。大丈夫。問われて朔は爽やかに大丈夫ですと答えているけど、大丈夫じゃない。絶対、大丈夫じゃない。保健室。保健室に連れて行かなきゃ。それとも病院? 病院のほうがいいかな? 先生に、保健室の先生に聞かないと。
「しゅう先輩、俺はいつもみたいに転んだだけだから、そんな慌てなくていいですよ」
笑っている。朔は笑っている。恥ずかしそうに。
僕はそんな素振りを見せただろうか。慌てているように見えただろうか。隠しているつもりなのに。
「はじめ、保健室、行こ」
そう言って保健室に引っ張ってきたのはいいものの、保健室の先生に応急処置をしてもらって、たいしたことないよ、受け身できてるね、って言われて、それで安心したのもいいんだけど。「手を怪我してるから今日は部活は休んでね」と先生に言われてしまった。
朔、ごめん。助けられなくて。
そんな思いが放課後までずっとつづいて。
僕はいつもなら学校が終わったら予備校の自習室で勉強をしているけど、今日は、今日だけは朔のそばについていたくて。
放課後、朔を教室まで迎えに行った。
もう帰っているかもしれない、とも思ったけど、朔は一年一組の教室で帰り支度をしているところだった。友達と会話しながら。その会話をすこし聞いてしまう。
「長谷川、今日は部活行かねーの?」
「怪我したから休み」
「また転んだとか?」
「そう転んだ」
「でも長谷川ってすぐ転ぶから、転んでも受け身取れるようになったんじゃなかったっけ」
「先輩が助けてくれようとしたから受け身取りづらくて」
教室に入れなかった。
僕は朔に気づかれないようにその場をあとにした。
予備校に行こう。そう思った。そう思ったけど、集中できそうになくて、やめた。
じゃあ僕はどこに行けばいいんだろう。
朔を助けられなかった。そればかりか受け身を取りづらくさせてしまった。僕が朔に怪我をさせてしまったも同然だ。
つらい。
涙で視界がにじむ。
泣くな。と自分に言い聞かせる。
言い聞かせても溢れてくる涙をとめられなくて、僕は必死に両手で拭った。
そして行き着いた先は学校を見下ろせる丘にある公園だった。
どのくらい公園のベンチでぼんやりしていたかわからない。
あたりには人気もなくて、夕暮れ時で、そうだ、予備校行かなきゃ、と思う。思うけど、立てない。泣きすぎて身体に力が入らなかった。
「捜しました。しゅう先輩。こんなところに来てたんだ」
背後から声をかけられる。呆れたような安心したような優しい声。そしてその声の主に後ろから抱きしめられる。
僕の胸元にまわされる両腕。怪我をした左手。絆創膏が貼ってある。
「綺麗ですよね。夕焼け」
耳元でささやかれて僕は気づく。
目の前にオレンジ色の夕陽に照らされた町並みが広がっていることに。
それがどこまでもキラキラして美しいということに。
「どこからどこまで聞いてたんですか」
なんの話をしているんだろう。
「クラスメイトが教えてくれました。先輩が黙って教室から出て行ったって」
僕を抱きしめる腕に力がこめられる。
「迎えに来てくれたんですよね。気づかなくてごめん。後ろ見えてなかった」
確かに僕は教室の後ろの出入り口から朔を迎えに行った。
「しゅう先輩は自分のせいで俺が怪我したと思ってますよね」
沈黙。僕は何も言えない。
「転ばないように助けてくれようとした先輩の優しさ、嬉しかったです。先輩を巻き込みたくなくて、とっさに先輩の腕を振り払ったから受け身を取りづらかった。それだけです。先輩のせいじゃない」
また溢れ出す涙に綺麗な町並みがにじむ。
「ご、ごめ……僕、はじめのこと、守れなくて……」
「先輩のそういうところ、好き。大好き。優しい。俺のこと考えて泣いてくれて嬉しい」
「ぼ、僕、ふがいなくて……はじめのそばにいたのに、何にもできなくて……ごめん」
うー、と抱きしめられた腕に顔をうずめる。涙で朔の制服のブレザーが汚れる。わかっていたけど、止められない。
「先輩、かわいい」
「かわいくない」
「かわいいです。どれだけ俺が我慢してると思ってるんですか」
「僕だって我慢してる!」
売り言葉に買い言葉みたいになってしまった。
「僕だってぎゅってしたいの我慢してる、ん……だ……」
言った途端に抱きしめていた腕をほどかれた。
不安になる。絶望に似た感情が胸をしめつける。待って。朔、行かないで。
「知らなかったです」
朔がリュックを地面に下ろして、僕のとなりに座る。
鮮やかな夕陽が朔のシャープな横顔を浮かび上がらせる。
公園のフェンスの向こうの町を見下ろして。
「ロマンチックですね」
はにかむように笑った朔がこちらを向く。
「ぎゅってしてもらえませんか」
瞬間、なにもかもを忘れた。
我慢しなきゃとか、受験生だから羽目を外しちゃいけないとか、怪我をさせてしまったこととか、誰かが見ているかもしれないとか、そういうこと全部、忘れた。
ぎゅって。
ぎゅってしたい。
「はじめ、好き」
言って僕は立ち上がって、座ったままの朔の頭を抱えるようにぎゅっとする。
朔のさらさらの髪の毛。体温。朔の匂い。ぜんぶぜんぶいとおしくて。
ぎゅっと。ぎゅっと。ぎゅーっと。抱きしめる。
鼓動が高鳴る。ちょうど僕の胸に顔を押しつけられている朔にも聞こえているだろうか。僕のドキドキ。
「僕、強くなるから。はじめを守れるくらい」
「それは俺のセリフなんだけど……」
「離ればなれになったとしてもはじめのこと離さないから」
「うん」
「はじめ」
「うん」
「好き」
「俺も」
僕の腰にまわされる朔の腕は温かくて、そのぬくもりに泣いてしまいそうになって。
「しゅう先輩のぜんぶが好きだよ」
朔の何度目かわからない「好き」にときめきながら。
ぎゅっと。夜が来るまでずっと。ぎゅっと。ぎゅっとしつづけた。
そうやって僕が聞いたら、長谷川朔はがくがくと首を縦に振って即答した。
できる!!
それが七月のはじめで、いまは十月の終わり。
告白されて、付き合った。簡単に言えば、それだけ。
僕、白井守生と、長谷川朔はいま、付き合って四ヶ月を迎えようとしている。
何にも進展ないけど。
「しゅう先輩、今日、予備校ある?」
「うん。ある」
「じゃあ放課後、予備校までついてっていい?」
「だめに決まってるだろ。部活行け部活」
電車を降りて歩いて学校まで数分。
並んで歩きながら、その数分間を僕と朔は共有している。
通学におなじ電車を使っていることもあって登校時間が一緒になることが多い僕と朔は、ある意味、平日はそこしか接点がないとも言えた。昼休みはお互いの友達と過ごすことが多かったし、放課後はお互いに部活とか予備校とかがあるから。休みの日は休みの日でふたりで会う理由がない。
「いつになったら、しゅう先輩といちゃいちゃできるのかなぁ」
「永遠にないんじゃない」
「なんで!?」
「だって僕ら春から別々だし。それまでは忙しくてなかなか会えなさそうだし」
僕は冬には大学受験を控えていて、朔はまだ高校一年生で、きっとあと半年もすれば離ればなれになる。わかっていても、僕は朔の何度躓いても何度泣いても諦めない真っ直ぐなところに、折れた。
なにもないところで躓くのは当たり前。前を見てなくて物にぶつかるのも日常で、転んでは泣いて、泣いては起き上がる天真爛漫な朔。朔は僕に一目惚れをしたときから真っ直ぐに突っ込んできた。
白井先輩、好きです。
その言葉を百回は聞いた。
いや、僕、君のこと、よく知らないし。
その言葉を百回は言った。
それでも登校時、昼休み、放課後、隙さえあれば、好き好き言ってくる朔に、僕は折れた。ほだされたといってもいい。同級生とか下級生の目が気になったとかじゃない。朔は無鉄砲に見えて、ちゃんとふたりきりのときだけ、僕に想いを伝えてきた。
「しゅう先輩、地元の大学行くんじゃなかった?」
「受かればね」
「家から通う?」
「たぶんね」
「じゃあ大学行っても週末は会えるよね」
「はじめ、前見て歩け」
前から自転車が来ているのに気がついていない朔の腕をひっぱって、こちら側に寄せる。歩道を歩いていた僕らだけど、ここは自転車通行可エリアだ。前方不注意は危ない。
「ごめん。すみません。またぶつかるところだった」
僕に腕を抱きしめるようにされて、朔は平謝りする。
そして気づく。僕との距離に。
「うっわ。ごめんなさい」
「なにそれ嫌なの?」
「嫌じゃない嫌じゃない嫌じゃなくて」
右腕を掴まれたままの朔がぶるぶると頭を振る。
その仕草が面白くて僕は笑ってしまう。
かわいい。
「しゅう先輩、それ反則です!」
照れている。かわいい。
最初は押しに負けただけだと思っていた。だけど、いまは違うかもしれない、と思う。朔は男だし、僕も男だし、かわいい、とか、好きだ、とか、朔はともかく、僕は簡単には言えない。朔はどうか知らないけど、僕はいままで誰かと恋をしたこともない。そんな僕が同性の朔にかわいいとか思ってしまうのだから、もう好きに近いんじゃないかって。
付き合ってるのに、好きじゃないとか、そのほうが人としてどうなのか、って話にもなるし。
「わざとだけど」
いちゃいちゃしたいって言ったのは朔じゃないか。
僕はなりゆきで朔の腕をひっぱるふりをして、朔との距離を詰めた。
でももう放す。あんまり長くくっついていると変に思われるから。
「じゃあまた明日」
校門に着いたところで僕はそっけなく言った。
「はい。また明日」
思いっきり爽やかな笑顔で朔が答えた。
てっきり「離れたくない」とでも言うかと思っていたから、ちょっと拍子抜けしながら僕は朔と離れて、三年二組の教室に向かう。そうか。まわりに人がいるからか、と気づく。そういうことに気づくのはいつも僕のほうが遅い。「離れたくない」のは、自分のほうなのかもな、って思いながら、自分の席について朔のことを想う。
背筋がぴんと伸びていて、凜とした雰囲気をまとっていて、背も高くて、顔立ちだって誰が見てもかっこいいって言うような、シャープなイケメン。外見だけで言えば、朔はモテる。礼儀正しいし、優しいし、真っ直ぐで素直だし、一度、隠れて弓道部を覗きに行ったら、女子がきゃあきゃあ騒ぎながら朔を見ていた。
ただ朔には落ち着きがない。どうしてあんな風に弓道で的を射られるのかがわからない。部活以外のときの朔はとにかく落ち着きがない。
僕と知り合ったのだって、何に慌てていたのか朔が何にもない廊下ですっころんで、ちょうど前を歩いていた僕の背中にぶつかって、平謝りされて「大丈夫だよ」って微笑みかけたのが、きっかけだった。
今日は怪我してないかな。階段を踏み外したりとか。教室の扉にぶつかったりとか。どうしてあんなに不器用で不注意なのに、弓道部ではほとんど怪我なくできているのかわからない。集中力があるようで、ない。ないようで、あるのかもしれない。僕のことしか見てないって言ってた。僕のことしか見てないから、まわりが見えなくなってしまうのかもしれない。
そのわりに空気読めるけど。
「はじめ」
声に出すと恋しくなる。
明日まで待てない。そんな気持ちになってくる。
僕はどうかしているのかもしれない。
その日の夜。
「お疲れさまです、しゅう先輩」
予備校を出たところで、朔が待っていた。
え? と一瞬思って、立ち止まり、その笑顔に毒気を抜かれる。そのあと朔の右頬に絆創膏が貼ってあることに気づく。
「右頬、どした? 部活で怪我した?」
僕は思わず左手を伸ばして、朔の頬の絆創膏をそっと撫でる。ぴくんと震える朔がかわいい。僕の手に身を任せるように頬を擦りつけて、目を閉じる。かわいい。朔かわいい。いとおしい。
っていま何考えた僕。
ていうか、こんな予備校のそばで、朔と触れあってる場合じゃないし! 誰かに見られたら、誤解される。誤解っていうか、事実なんだけど。
「ご、ごめ……はじめ、痛くないのかなって」
ぱっと手を放した僕に未練がましい目を向けながら、朔が答える。
「ちょっとかすっただけだから大丈夫。心配してもらえて嬉しい」
「でも普段そんなに部活で怪我したりしないのに」
「しゅう先輩のこと考えてたら失敗した」
「僕のせいか」
「俺のせい。先輩をぎゅってしたい。そればっか考えてる」
朔の切実な表情、切なげな声音に僕は、う、となる。
僕だって我慢してる。僕だって我慢してる。僕だって我慢してるんだ!
言わないだけで、言えないだけで、僕だって朔のことをぎゅってしたい。甘えたい。甘えて欲しい。どうしたら僕の気持ちが伝わる? どうしたら他に誰もいないところで朔と抱き合える? 受験生の僕と、後輩の朔が。
「僕もだよ」
それだけ言って駅に向かって歩き出す。
「え。待って。どういう意味」
すぐにとなりに並んで朔が言う。いつも車道側を歩いてくれる。不注意で怪我をしやすい朔だから、本当は僕が守ってやらないと駄目なんだけど、朔は僕を守ってくれようとする。そんなところも好きだった。
「そういう意味」
朔は知らない。僕がどれくらい朔のことを好きなのか。
いま会えたことがどれくらい嬉しいのか朔は知らない。
「何時くらいから待ってたの」
「んー、部活終わってからだから、七時くらいから?」
「一時間以上待ってるし。もうこういうのやめて」
「うん。ごめん。どうしてもしゅう先輩に会いたかったから」
「なんで。いまじゃなくても、明日の朝、会えるよね」
「あんなんじゃ足りない!」
朔が駄々をこねるように言う。
「ほんとは昼休みも一緒にいたいし、休みの日だってふたりでいたい!」
同感。
朔は素直だ。
僕もそんな風に素直になりたい。
「受験終わったら、どっかふたりで遊びに行こ」
僕が思いきって言うと朔が驚いたような顔でこちらを見た。
すぐそばの街灯の光がスポットライトみたいに僕らを照らしていた。
すこし冷たさを感じる夜風が朔のさらさらの前髪を揺らす。
朔が笑った。どうしようもないくらい嬉しそうに。それを見て僕もどうしようもないくらいに嬉しくなる。かわいい。朔かわいい。
それは言葉にしないで歩き出す。
すぐに駅に着く。電車はすぐ来る。おなじ方向だからおなじ電車に乗って、朔のほうが先に降りる。名残惜しかった。朔に触れた左手が熱かった。手をつないだり、とかしたら、もっとたぶん幸せなんだろうな。
「しゅう先輩、また明日」
「うん。また明日」
朔が心なしか晴れ晴れとした顔をしている。
腕をひっぱって、こちら側に引き寄せて、それから抱き寄せて、ぎゅってして、大好きだよ、はじめ、って言いたかったけど、我慢して、手を振った。
考えすぎて眠れないとかそんなことしている場合じゃないけど、でも考えすぎて眠れなかった。ベッドの上、朔の頬に触れた左手を見ては、触れた頬の温かさを思い出して、僕はぎゅーっと枕を抱きしめる。この枕が朔だったらいいのに。
いつの間に僕は朔のことをこんなにも好きになっちゃったんだろう。
毎日、好きって言われただけで。
よく考えたら、朔が僕のどんなところがそんなに好きなのか、聞いたこともない。
それでも好きだ。朔が好き。抱きしめたい。この気持ちどうしたらいい。
どうにもできない。この熱を抱えたまま朝を迎えて。
電車のなかで朔に出会った。
「おはようございます」
開かない方の扉のそばに立っていた僕を見つけた朔が嬉しそうな笑顔で挨拶した。
「おはよ」
ぎゅうぎゅうの車内だったから、自然と僕は電車の扉と朔の長身の身体のあいだに挟まれるかたちになる。学校まであと二駅だけど、この距離感で数分を過ごすと思うと居心地が悪い。朔から漂ってくる爽やかな匂いにくらくらする。柔軟剤かシャンプーか。
こうなるからおなじ車両には乗らないようにって言ってあったのに、なんで今日に限っておなじ車両に乗って僕をその他大勢から守るみたいにしてくるんだ。まるで壁ドンじゃないか。
「先輩、苦しくないですか」
なんで敬語。いつもくだけた口調で絡んでくるくせに。
「大丈夫」
朔がかばってくれているから。
電車が駅に停車して、扉が開いてまた乗客が増える。ほぼ学生だ。
通学用リュックを前に抱いた僕と朔の距離が詰まる。朔のリュックは大きいけど背中に背負ったままだから、僕と朔のあいだの隙間がほとんどない。押されてもみくちゃにされるように僕との距離がさらに接近する。僕と朔は密着するようなかたちになる。朔の匂い。体温。ドキドキする。
もう。いっそ抱きしめて欲しい。僕からぎゅってしたい。
耐えろ。僕。ぎゅってしたい、ぎゅってされたい欲から離れろ。僕。
高校の最寄り駅に着いて、なだれるように電車の外に吐き出された僕と朔は並んで歩き出す。助かった、と僕は思う。あのまま一緒にいたら、どうにかなりそうだった。
「はじめ」
僕よりすこし背の高い朔を見上げて僕は問う。
「僕と一緒にいて苦しくない?」
僕は苦しい。触れられそうで、触れられない距離に朔がいることが、とても苦しい。
「苦しいっていうより、嬉しいかな。しゅう先輩が俺を拒まないのが嬉しい。先輩が三両目に乗るって知ってて俺も三両目に乗った。長く一緒にいられるかと思って」
朔はポジティブにそう言うけど、僕は嬉しいより苦しい。
こんな場合、どちらの好きが重いのだろう。
いつの間にか僕は朔から向けられる好意以上の気持ちを朔に対して持っているのかもしれない。
いまだって朔の右頬に貼られた絆創膏が気になって、昨日のことを思い出して、もっと触れたい、という気持ちになっている。駄目だ駄目だ駄目だ。
「先輩、今日、寝ぐせついてますね、髪の毛」
「あー……今日は寝坊して直す時間なくて」
「夜更かししたんですか?」
朔のことを想って眠れなかったとは言えない。
「べ、勉強してた」
「俺はしゅう先輩のこと考えて眠れなかったけど」
朔は素直だ。真っ直ぐだ。ごまかしている僕とは違う。
眩しかった。僕への好き、が輝いていた。だからこそ僕は朔に惹かれるのだ。
臆病でひねくれていて好きなものを好きだって正直に言えない僕だからこそ、正反対の朔に惹かれる。どうしようもなく。
僕と朔は並んで歩く。それ以上は何も言わず。今日は無事に校門までたどり着きそうだ。
と油断した瞬間。
朔が何もないところで躓くから、僕は慌てて腕を引いて支えようとしたけど、間に合わず、朔が思いっきり転ぶ。
「いったぁ……っ」
絶対、膝とか手とか擦りむいてる転び方!
助けられなかった自分がふがいない。
一緒に転ぶよりも良かったかもしれないけど、でも、朔が……弓道部なのに、手を怪我してしまったら、どうしようもないじゃないか。僕が下敷きになればよかった。
「はじめ、大丈夫……じゃないよね」
焦る気持ちを抑えつけながら、朔の横にしゃがむ。
派手に転んだ朔のまわりにそばを歩いていた人たちが集まってくる。大丈夫。問われて朔は爽やかに大丈夫ですと答えているけど、大丈夫じゃない。絶対、大丈夫じゃない。保健室。保健室に連れて行かなきゃ。それとも病院? 病院のほうがいいかな? 先生に、保健室の先生に聞かないと。
「しゅう先輩、俺はいつもみたいに転んだだけだから、そんな慌てなくていいですよ」
笑っている。朔は笑っている。恥ずかしそうに。
僕はそんな素振りを見せただろうか。慌てているように見えただろうか。隠しているつもりなのに。
「はじめ、保健室、行こ」
そう言って保健室に引っ張ってきたのはいいものの、保健室の先生に応急処置をしてもらって、たいしたことないよ、受け身できてるね、って言われて、それで安心したのもいいんだけど。「手を怪我してるから今日は部活は休んでね」と先生に言われてしまった。
朔、ごめん。助けられなくて。
そんな思いが放課後までずっとつづいて。
僕はいつもなら学校が終わったら予備校の自習室で勉強をしているけど、今日は、今日だけは朔のそばについていたくて。
放課後、朔を教室まで迎えに行った。
もう帰っているかもしれない、とも思ったけど、朔は一年一組の教室で帰り支度をしているところだった。友達と会話しながら。その会話をすこし聞いてしまう。
「長谷川、今日は部活行かねーの?」
「怪我したから休み」
「また転んだとか?」
「そう転んだ」
「でも長谷川ってすぐ転ぶから、転んでも受け身取れるようになったんじゃなかったっけ」
「先輩が助けてくれようとしたから受け身取りづらくて」
教室に入れなかった。
僕は朔に気づかれないようにその場をあとにした。
予備校に行こう。そう思った。そう思ったけど、集中できそうになくて、やめた。
じゃあ僕はどこに行けばいいんだろう。
朔を助けられなかった。そればかりか受け身を取りづらくさせてしまった。僕が朔に怪我をさせてしまったも同然だ。
つらい。
涙で視界がにじむ。
泣くな。と自分に言い聞かせる。
言い聞かせても溢れてくる涙をとめられなくて、僕は必死に両手で拭った。
そして行き着いた先は学校を見下ろせる丘にある公園だった。
どのくらい公園のベンチでぼんやりしていたかわからない。
あたりには人気もなくて、夕暮れ時で、そうだ、予備校行かなきゃ、と思う。思うけど、立てない。泣きすぎて身体に力が入らなかった。
「捜しました。しゅう先輩。こんなところに来てたんだ」
背後から声をかけられる。呆れたような安心したような優しい声。そしてその声の主に後ろから抱きしめられる。
僕の胸元にまわされる両腕。怪我をした左手。絆創膏が貼ってある。
「綺麗ですよね。夕焼け」
耳元でささやかれて僕は気づく。
目の前にオレンジ色の夕陽に照らされた町並みが広がっていることに。
それがどこまでもキラキラして美しいということに。
「どこからどこまで聞いてたんですか」
なんの話をしているんだろう。
「クラスメイトが教えてくれました。先輩が黙って教室から出て行ったって」
僕を抱きしめる腕に力がこめられる。
「迎えに来てくれたんですよね。気づかなくてごめん。後ろ見えてなかった」
確かに僕は教室の後ろの出入り口から朔を迎えに行った。
「しゅう先輩は自分のせいで俺が怪我したと思ってますよね」
沈黙。僕は何も言えない。
「転ばないように助けてくれようとした先輩の優しさ、嬉しかったです。先輩を巻き込みたくなくて、とっさに先輩の腕を振り払ったから受け身を取りづらかった。それだけです。先輩のせいじゃない」
また溢れ出す涙に綺麗な町並みがにじむ。
「ご、ごめ……僕、はじめのこと、守れなくて……」
「先輩のそういうところ、好き。大好き。優しい。俺のこと考えて泣いてくれて嬉しい」
「ぼ、僕、ふがいなくて……はじめのそばにいたのに、何にもできなくて……ごめん」
うー、と抱きしめられた腕に顔をうずめる。涙で朔の制服のブレザーが汚れる。わかっていたけど、止められない。
「先輩、かわいい」
「かわいくない」
「かわいいです。どれだけ俺が我慢してると思ってるんですか」
「僕だって我慢してる!」
売り言葉に買い言葉みたいになってしまった。
「僕だってぎゅってしたいの我慢してる、ん……だ……」
言った途端に抱きしめていた腕をほどかれた。
不安になる。絶望に似た感情が胸をしめつける。待って。朔、行かないで。
「知らなかったです」
朔がリュックを地面に下ろして、僕のとなりに座る。
鮮やかな夕陽が朔のシャープな横顔を浮かび上がらせる。
公園のフェンスの向こうの町を見下ろして。
「ロマンチックですね」
はにかむように笑った朔がこちらを向く。
「ぎゅってしてもらえませんか」
瞬間、なにもかもを忘れた。
我慢しなきゃとか、受験生だから羽目を外しちゃいけないとか、怪我をさせてしまったこととか、誰かが見ているかもしれないとか、そういうこと全部、忘れた。
ぎゅって。
ぎゅってしたい。
「はじめ、好き」
言って僕は立ち上がって、座ったままの朔の頭を抱えるようにぎゅっとする。
朔のさらさらの髪の毛。体温。朔の匂い。ぜんぶぜんぶいとおしくて。
ぎゅっと。ぎゅっと。ぎゅーっと。抱きしめる。
鼓動が高鳴る。ちょうど僕の胸に顔を押しつけられている朔にも聞こえているだろうか。僕のドキドキ。
「僕、強くなるから。はじめを守れるくらい」
「それは俺のセリフなんだけど……」
「離ればなれになったとしてもはじめのこと離さないから」
「うん」
「はじめ」
「うん」
「好き」
「俺も」
僕の腰にまわされる朔の腕は温かくて、そのぬくもりに泣いてしまいそうになって。
「しゅう先輩のぜんぶが好きだよ」
朔の何度目かわからない「好き」にときめきながら。
ぎゅっと。夜が来るまでずっと。ぎゅっと。ぎゅっとしつづけた。

