そこでノアのスマホがぽんと音を立てた。シンプルなブラックのスマホを長い指がタップする。
「ホストマザーだ。夕食は冷しゃぶだって。冷しゃぶってなに?」
うっ。料理を説明するのは難しい。俺は料理のことは分からない。
「薄い豚肉。味をつけて食べる」
「……涼介、説明が下手すぎる」
「ホストマザーに聞いて。料理はムズい。あ、ムズいは難しいの意味」
するとノアがメッセージを開いた。下に出てきたキーボード画面をぽちぽちと打ちながら言う。
「涼介、あれできる?」
「なに?」
「みんながやってる、指をシュッて動かすやつ」
「フリック入力?」
「それ! あれができるようになりたい」
ノアがそこで顔をぱっとあげてこちらを見た。
「涼介、文通しよう」
「ぶ、文通?」
「そう! スマホで」
「それ、文通って言わないよ」
「じゃあなんて言うの」
「……メッセージを送る」
そこでノアはにやりとした。
「涼介にメッセージを送ろう。フリック入力だけで送る」
「待って。俺を練習に使うってこと?」
「相手がいなきゃ練習できない」
この犬は待てができないのか。……俺の日本語教室、家にまで出張してくるの?
「俺の連絡先なんて知らないじゃん」
「クラスのグループメッセージがある。あそこから探せば分かる」
「あっそうだった」
クソ、一瞬でも逃げられると思ったのが間違いだった。がくりと肩を落とす。
「難しい質問は送ってこないで」
「ホストファミリーがいたら涼介に質問しない」
いや、お前はやりかねない。ドーベルマンが質問を俺のところに拾って持ってくるのはこの数日で身に染みた。お前は質問してはすぐに使ってみせて、にやにやと笑うんだ。もうパターンは分かってるんだぞ。
「……まあ、いいけど」
「Thanks! 最高。帰ったらすぐ送る」
ノアが嬉しそうにスマホを見たので、嫌な予感が加速した。
家に帰り、夕飯を食べて、自室に戻る。
さあ、ドーベルマン、いつやって来るんだ。
どきどきしながらスマホを見ていると、しばらくしてからぽんぽんと音が鳴って次々とメッセージを受信した。
『り』
『りよ』
『りょう』
『りょうすけ』
『涼介。漢字にてきた』
『嬉しい』
『点々とこ』
いきなりの大量メッセージ。やめろ。迷惑メッセージとしてブロックするぞ。
放っておくとまたどんどん送られてきそうだったので、急いで返事を打つ。
『おめでとう。゛は慣れればできる』
ところがそれでは終わらなかった。またもメッセージを受信する。
『夕飯、薄い豚肉たつた』
『涼介の言うとおりだつた』
『点々と小さいっが難しい』
『涼介、夕飯なに食べた?』
一つひとつに時間がかかるからか、間隔が一分くらい空く。その絶妙な時間が最初は微笑ましかったのだが、ぽこぽこと受信するうちにイライラしてきた。ドーベルマンめ、いつまでやる気だ。急いで返事を打つ。
『充分できてる。今日は終わり』
だが一回送れば大量に返ってくる。
『嫌だ。終わらない』
『オレはもっと送る』
『涼介も返事置くってほしい』
誤変換。まあ、許容範囲内。分かるからな。って、なに慣れてんだ俺は。
またもぽちぽち返事を打つ。
『これから予習をやるから、メッセージのやり取りはあまりできない。図書室でやっただけでは終わらなかったから』
『涼介、返事作るの早い』
『さがってどの漢字?』
『涼介は変換先に出てきた』
『スマホも涼介に慣れた』
俺が普通の名前でよかったな。キラキラネームだったら大変なことになってたぞ。
時計を見る。……三十分。
待て。俺、こいつと三十分もメッセージやってんの? アメリカ人って遠慮ってものを知らないのか。
ため息をついてベッドに倒れ込む。犬の手綱は遠隔操作できない。予習なんてなかった俺は、ぽこぽこスマホがメッセージを受信するのを無視して目を瞑った。
「兄ちゃん」
ノックの音が鳴って、弟が部屋を覗き込んでくる。
「古文教えて、って、夕飯食べた直後になに寝てんだよ」
ああああめんどくさい。枕に突っ伏する。
「……? スマホがメッセージ受信してるけど」
弟の指摘にはあとため息をつく。
「うちに来た留学生に懐かれた。スマホの練習台にさせられてる」
「兄ちゃん、面倒見いいじゃん。見抜かれてんじゃねえ?」
「俺、面倒見いいっけ?」
「いい。だって聞けば勉強教えてくれるだろ」
古文よりスマホのほうがめんどくさい。俺は仕方なく「なにが分かんないの」と立ち上がった。
翌日、ノアはぶーたれていた。俺が途中から返事を送らなかったからだ。
「涼介は薄情だな。まあいいって言ったくせに、全然返事くれなかった。オレ、返事来るのが楽しかったのに」
「なんで俺だけに送るの。クラスのグルチャに送ってみればいいじゃん」
「涼介に送りたかった」
「……」
ダメだ、本当に懐かれている。なんで俺なんだ。
「涼介?」
「なんでもない」
ドーベルマンがやってきてまだ数日。なのに俺の休み時間も、放課後も、スマホも騒がしい。適当にクラスメイトとしゃべって過ごしていた俺の平穏を返してほしい。
「ホストマザーだ。夕食は冷しゃぶだって。冷しゃぶってなに?」
うっ。料理を説明するのは難しい。俺は料理のことは分からない。
「薄い豚肉。味をつけて食べる」
「……涼介、説明が下手すぎる」
「ホストマザーに聞いて。料理はムズい。あ、ムズいは難しいの意味」
するとノアがメッセージを開いた。下に出てきたキーボード画面をぽちぽちと打ちながら言う。
「涼介、あれできる?」
「なに?」
「みんながやってる、指をシュッて動かすやつ」
「フリック入力?」
「それ! あれができるようになりたい」
ノアがそこで顔をぱっとあげてこちらを見た。
「涼介、文通しよう」
「ぶ、文通?」
「そう! スマホで」
「それ、文通って言わないよ」
「じゃあなんて言うの」
「……メッセージを送る」
そこでノアはにやりとした。
「涼介にメッセージを送ろう。フリック入力だけで送る」
「待って。俺を練習に使うってこと?」
「相手がいなきゃ練習できない」
この犬は待てができないのか。……俺の日本語教室、家にまで出張してくるの?
「俺の連絡先なんて知らないじゃん」
「クラスのグループメッセージがある。あそこから探せば分かる」
「あっそうだった」
クソ、一瞬でも逃げられると思ったのが間違いだった。がくりと肩を落とす。
「難しい質問は送ってこないで」
「ホストファミリーがいたら涼介に質問しない」
いや、お前はやりかねない。ドーベルマンが質問を俺のところに拾って持ってくるのはこの数日で身に染みた。お前は質問してはすぐに使ってみせて、にやにやと笑うんだ。もうパターンは分かってるんだぞ。
「……まあ、いいけど」
「Thanks! 最高。帰ったらすぐ送る」
ノアが嬉しそうにスマホを見たので、嫌な予感が加速した。
家に帰り、夕飯を食べて、自室に戻る。
さあ、ドーベルマン、いつやって来るんだ。
どきどきしながらスマホを見ていると、しばらくしてからぽんぽんと音が鳴って次々とメッセージを受信した。
『り』
『りよ』
『りょう』
『りょうすけ』
『涼介。漢字にてきた』
『嬉しい』
『点々とこ』
いきなりの大量メッセージ。やめろ。迷惑メッセージとしてブロックするぞ。
放っておくとまたどんどん送られてきそうだったので、急いで返事を打つ。
『おめでとう。゛は慣れればできる』
ところがそれでは終わらなかった。またもメッセージを受信する。
『夕飯、薄い豚肉たつた』
『涼介の言うとおりだつた』
『点々と小さいっが難しい』
『涼介、夕飯なに食べた?』
一つひとつに時間がかかるからか、間隔が一分くらい空く。その絶妙な時間が最初は微笑ましかったのだが、ぽこぽこと受信するうちにイライラしてきた。ドーベルマンめ、いつまでやる気だ。急いで返事を打つ。
『充分できてる。今日は終わり』
だが一回送れば大量に返ってくる。
『嫌だ。終わらない』
『オレはもっと送る』
『涼介も返事置くってほしい』
誤変換。まあ、許容範囲内。分かるからな。って、なに慣れてんだ俺は。
またもぽちぽち返事を打つ。
『これから予習をやるから、メッセージのやり取りはあまりできない。図書室でやっただけでは終わらなかったから』
『涼介、返事作るの早い』
『さがってどの漢字?』
『涼介は変換先に出てきた』
『スマホも涼介に慣れた』
俺が普通の名前でよかったな。キラキラネームだったら大変なことになってたぞ。
時計を見る。……三十分。
待て。俺、こいつと三十分もメッセージやってんの? アメリカ人って遠慮ってものを知らないのか。
ため息をついてベッドに倒れ込む。犬の手綱は遠隔操作できない。予習なんてなかった俺は、ぽこぽこスマホがメッセージを受信するのを無視して目を瞑った。
「兄ちゃん」
ノックの音が鳴って、弟が部屋を覗き込んでくる。
「古文教えて、って、夕飯食べた直後になに寝てんだよ」
ああああめんどくさい。枕に突っ伏する。
「……? スマホがメッセージ受信してるけど」
弟の指摘にはあとため息をつく。
「うちに来た留学生に懐かれた。スマホの練習台にさせられてる」
「兄ちゃん、面倒見いいじゃん。見抜かれてんじゃねえ?」
「俺、面倒見いいっけ?」
「いい。だって聞けば勉強教えてくれるだろ」
古文よりスマホのほうがめんどくさい。俺は仕方なく「なにが分かんないの」と立ち上がった。
翌日、ノアはぶーたれていた。俺が途中から返事を送らなかったからだ。
「涼介は薄情だな。まあいいって言ったくせに、全然返事くれなかった。オレ、返事来るのが楽しかったのに」
「なんで俺だけに送るの。クラスのグルチャに送ってみればいいじゃん」
「涼介に送りたかった」
「……」
ダメだ、本当に懐かれている。なんで俺なんだ。
「涼介?」
「なんでもない」
ドーベルマンがやってきてまだ数日。なのに俺の休み時間も、放課後も、スマホも騒がしい。適当にクラスメイトとしゃべって過ごしていた俺の平穏を返してほしい。


