断れない委員長、アメリカンなドーベルマンに懐かれる

 翌日からも、ノアは相変わらず教室中であちこち盛り上がっていた。でも、なぜか一日に何度も俺のところへ戻ってくる。
「オレが今のなにって思ってる間に会話が進んで、早口が聞き取れなくなる」
「俺もノアに聞かれてから会話って難しいんだなって思うようになった」
「やばいが一番やばい。いいのか悪いのか判断するのが難しい」
「……使えてるじゃん」
「自分が使うのと人が使ってるのを聞き分けるのじゃ違う」
「その場でみんなに聞けばいいじゃん」
 するとノアはにやりと笑う。
「大勢が楽しそうにしゃべってるのに遮ったら悪い。涼介は聞いたら答えてくれる」
「……俺に悪いとは思わない?」
「涼介がひとりのときにしゃべりかけてる」
「ぼっちみたいな言い方するな」
「ぼっち?」
 やっちまった。ひとつ答えると、質問が増える。
「独りぼっち、の略。だいたい悪い意味で使う」
 ノアがにやにやと顎を触る。
「一緒にいてあげようか?」
「上から目線、やめろ!」
「上から目線ってなに?」
 また質問が増えた。日本語教室ってこんなに忙しいの?
 俺が説明すると、ノアは「I see.(なるほど)」と言ってからまじまじとこちらを見た。
「涼介は本当にちゃんと答えてくれる。涼介は最高の日本語教師だよ」
 ノアの表現、本当にアメリカン。恥ずかしくなるくらい褒めてくる。
「大袈裟でしょ」
「大袈裟じゃない。涼介がいなかったらオレの日本語生活は終わってた!」
「他のみんなにも聞いてみなよ」
「聞いたけど、『そういう言い方もある』とか曖昧な説明で分からないことも多い」
「あれ、そうなの?」
――大勢が楽しそうにしゃべってるのに遮ったら悪い。
 そっか。みんなに聞いてないわけじゃないのか。その上で、こいつは俺のところに戻ってきてるらしい。
 なんだかんだノアは毎日楽しそうだった。昼休みに一緒にご飯を食べていると、ノアが嬉しそうに言う。
「日本に来る前、いろんな動画で日本の学校生活を見てたけど、その中に自分が入り込んだって感じがする」
「たとえば?」
「制服を着るのが憧れだった。ネクタイ、早くつけてみたい」
「夏でもつけてもこの学校はオーケーだよ。暑いからみんなやらないけど」
「二人ともネクタイする季節になったら一緒に写真を撮ろう。オレ、楽しみ」
 ノアが想像したかのようににんまりとして頬杖をついた。
「絶対いい写真になる」
「なんで撮る前から分かるの?」
「涼介が写ればいい思い出になる」
 やめろやめろ。なんかくすぐったい! 大袈裟!
「……まあ、いいけど」
「嫌そうだな」
 ドーベルマンの隣に並ぶと俺が小さく見えるだろ。俺だって日本の平均身長くらいあるんだぞ。……一センチちょっと足りないのは誤差の範囲内。
 ミニハンバーグを頬張りながらノアが言う。
「涼介、今日一緒に帰ろう。オレ、それもやってみたい」
「一緒に帰るのをやってみたい……?」
 え、誰かと帰るなんて普通じゃない?
 俺の気持ちが顔に出たのか、ノアが言葉を重ねてきた。
「アメリカじゃ、授業が終わったらスクールバスに乗るか、家族が車で迎えに来るかだよ。学校の誰かと寄り道して帰るとか、絶対にない」
「ああ、そうなんだ。でも、他の人と帰ったら。俺、いつも図書室に寄ってから帰るし」
「図書室?」
 ノアが手を止めた。
「図書室に用があるの? 涼介は読書家?」
「いや、違う。図書室には自習スペースがあって、そこで静かに勉強ができる。宿題とか予習してから帰る。……学校のことは学校で済ませたいっていうか」
 部活を引退してからも、俺はすぐには家に帰らなかった。図書室で宿題をしたりして、夕飯の時間ぎりぎりまで学校に残る。
 別に勉強が好きなわけじゃない。なんとなく、そのほうが落ち着くだけだ。
 ノアが「I see.(そう)」と相槌を打つ。
「図書室、オレも行ってみたい」
 じゃあ、とその日の放課後は図書室へ行った。
「自習スペースはあっち。飲食は禁止」
「Okay. (オーケー) ハリーポッターはあるかな。日本語で読んでみたい」
「司書の先生に聞いてみたら?」
 円卓の席を確保して教科書などを広げていると、ノアが本を見つけて斜め向かいに座った。黙々と読み始め、たまにスマホをかざす。訳を調べているらしい。
 俺は翌日の英語の予習をした。長文読解は苦手だ。一瞬、日頃の見返りにノアにやらせてやろうかなんて思った。
 二カ国語しゃべれんの、ずるすぎ。
 しん――。図書室で聞こえてくるのはページをめくる音と、シャーペンの走る音、たまに「貸し出しをお願いします」という小さな声だけ。
 とんとん。向かいの長い指が俺のノートの端を叩いた。
「I'm thir……オレ、喉が渇いた。涼介、外に出ない?」
 スマホを見たら一時間以上経過していた。スマホと財布だけ持って図書室を出る。
「オレ、自販機でなんか買お」
 ノアがそう言って断りもなく歩きだした。自分勝手なやつだな! 一瞬そう思ったが、昼休みの会話を思い出して言葉を引っ込めた。
 もしかしたら、自販機でなにか買って誰かとしゃべりながら飲むというのも、ノアの憧れのひとつなのかもしれない。
 自販機の前に行くと誰もいなかった。遠くから部活をやる生徒の声が響いてくる。
「涼介、なに飲む?」
「これ。白ぶどうジュース。俺のオススメ」
「オレもそれにしよう」
 ピッ。ゴトン。落ちてきた紙パックのジュースにストローを差して、壁にもたれてちゅーっと啜る。