断れない委員長、アメリカンなドーベルマンに懐かれる

 一瞬、俺も、と言葉が出そうになった。でも、胸が苦しくなってぐっと言葉を呑み込む。
「……でも、ノアはアメリカに帰っちゃうじゃん」
 言葉に出すと涙が出そうになって鼻を啜る。
「卒業したらバイバイしなきゃいけないじゃん。それなのに、特別とか言われても」
 するとノアは目をぱちぱちさせた。
「アメリカには帰るよ。一回」
「……一回?」
「四月から日本の大学に通うから、また日本に戻ってくる」
「は!?」
 思わず素っ頓狂な声が出た。
「聞いてないんだけど!?」
「オレは言おうとした!」
「いつ!」
「帰り道! 春休みの話をしようとしたら涼介が遮った!」
 ノアがやけっぱちになったみたいに大声を出す。
「教室でも、大学の話をしようとしたら、涼介は廊下に出てった! 放課後、英語のスピーチを考えたときだってちゃんと言おうとした! オレの話を聞かない涼介が悪い!」
 ……なに、それ。俺、ずっと勘違いしてひとりで悩んでたの?
 急に足の力が抜けた。よろよろと座り込んで膝をつくと、ノアまでしゃがみ込む。
 すると、顔がさっきより近くなった。ふわふわの前髪がこっちにつきそうだ。不満そうに口をとがらせたノアが言う。
「涼介、なんで話を聞いてくれなかったの」
「……三月に帰っちゃうとか聞きたくなかったんだよ。寂しくなるから!」
「なんで寂しいの」
「そんなの、ノアが好きだからに決まってるだろ!」
 一気にぶちまけたら、はあっと息が漏れた。なんかもう、ぐっちゃぐちゃだ。今日、こんなことを言う予定じゃなかったのに。
「でも、涼介はオレを最高の友達って言った」
「いつ!」
「終業式のスピーチで」
「全校生徒の前で好きだなんて言えるわけないでしょ! それに、三月で帰るなら、好きだって言ったって意味ないと思ったんだよ。だって、時差があるし、新しい大学生活に忙しくなるかもしれないし、そもそもアメリカと日本なんて簡単に会えないし、それに」
「あーはいはい」
 ノアが眉を八の字にして笑った。
「涼介、いつも言い訳が多い」
「うるさい!」
「でも聞かなかった涼介が悪い」
「ノアだって告白してこなかったじゃん!」
「だから今ちゃんと言った!」
 俺の叫びにノアが言い返してくる。そしてまた口をとがらせた。
「……涼介、それで、返事は?」
「……返事?」
「オレ、付き合ってって言った」
 ノアのグレーがかった瞳を見たら、急に顔が熱くなった。顔が真っ赤になっているのが分かる。
 ぐいとノアが手を引っ張る。
「オレはちゃんと言った。涼介もちゃんと言って」
 でも、言葉が出てこなかった。口を開いたのに、喉のところで声が引っかかる。ようやく出てきた声は、呟きのように小さかった。
「……付き合ってください」
「なに? 声ちっちゃい」
「だから、付き合ってください!」
 急に抱き寄せられて、ぎゅうっと抱きしめられた。心臓が一拍飛ぶ。耳にノアのやわらかい髪がくっつく。あったかい。ドーベルマン、あったかすぎる。
「ちょっ……ノア、放して!」
「やだ」
「やだじゃない!」
「ダメ」
 ノアが俺の肩に顔をうずめる。
「今、オレすごい顔してると思うから、ダメ……」
 すごい顔って、なんだよ。こっちのセリフだよ。今見られたら、顔が真っ赤で、口がにやけてて、絶対ひどい顔をしてる。でも。
 そろっと手を伸ばし、ノアの背中に触れた。いつか、ノアに抱きしめられたらって想像した。それが現実になる。
 急に部屋がしんとした。自分の心臓だけ、どくっどくっと大きな音を立てている。ノアに回した手に、少し力を込めた。
 はあとノアが大きな息をつく。そろっと顔をあげた。見れば、本当にノアらしくない真っ赤な顔。余裕のないドーベルマン、そんなノアも好き。
「……涼介、顔赤い」
「人のこと言える?」
「オレはいいの」
「都合よすぎ」
 視線が交差して、思わずぱっと目を伏せた。
 近い。きらきらした目がこっちを見ていて、ノアの髪の毛一本一本がはっきり見えた。鼻筋がスッと通って、その下にある薄いくちびるに目が止まった。
「涼介」
 視界の端でくちびるが動いた。
「……キス、していい?」
 肩がびくっと跳ねる。ノアが俺の手を取った。今度はあったかい。
「……それ、許可制なんだ」
「涼介が嫌だったらやだ」
「許可なく手握ってきたくせに」
「それは若気の至り」
「その日本語は間違ってる」
 ノアがちょっと笑った。俺の口元も緩む。
 目が合う。睫毛一本一本が上下に動いた。
「……していいの?」
「…………して」
 自分でも驚くくらい小さな声だった。でも、ノアが微笑して顔を近づけてくる。
 空気越しに熱を感じる。また視線が交差したけど、すぐに目を伏せた。部屋の空気がぴたりと動かなくなった。目を閉じて、息を止める。ノアの前髪が俺の前髪に触れた。ふわっとした毛先がくすぐったい。ノアの漏れる息がくちびるにかかる。
 ぽっと口元に熱が灯る。ノアのやわらかいくちびるだった。
 目を開けると、ノアがまた顔を赤くしてははっと笑った。俺まで一気に顔が熱くなる。つい、くちびるを触ってしまう。まだノアが残っている気がする。ファーストキスってこんな感じなんだ。
「涼介、もう一回」
「また!?」
「もう一回」
「……押しが強い」
「もう一回」
 ノアが俺の両腕に手を添え、そっと引き寄せる。近づいてくる顔に目を瞑ると、ふにっとやわらかいくちびるが重なった。心臓がばくんと大きな音を立てる。でも、ノアの両手は俺の腕から離れない。息が、続かない。
 次の瞬間、ノアのくちびるがはむっと俺のくちびるを食べた。思わず胸を押しやって、ノアを引き剥がす。
「なにすんの!」
「キスだけど」
「日本人、いきなりこんなキスしない!」
「オレ、アメリカ人だから」
「そういうときだけアメリカ人を言い訳にするな!」
 ノアは俺の額を「かーわいっ」と指で弾いた。にかっと白い歯を見せるドーベルマンの笑顔が嬉しそうで、くちびるを両手で押さえる。もう、感動で泣きそう。
 今朝、こんなことになるなんて思ってもなかった。三月でノアとバイバイしなくていいって分かっただけでも嬉しくて仕方ないのに、付き合ってキスするとか、本当に夢のようだ。
 ……ほしいものが、手に入った。ずっと、自分の欲しいものは手に入らないと思ってた。でも、違った。
 ノアが突然明るい顔つきになって、ぴんと人差し指を立てた。
「涼介、いいこと思いついた」
「なに?」
「大学生になったら一緒に住もう」
「は!?」
「ひとり暮らしよりルームシェアのほうが絶対楽しい」
「展開早すぎでしょ!」
「階段はスキップで飛ばしてのぼってくもの」
「デートとか段階を踏んでよ!」
「じゃあ明日デート」
「……ノア、明日は部活でしょ」
「……今日イチ悲しい発見だよ」
 ノアが頭を掻いて笑う。俺も気づいたら笑ってた。……ノアって付き合っても、やっぱりこんな感じなんだ。なんか、それが一番嬉しいかもしれない。
 繋いだ手があったかい。ノアが笑ってる。それだけで、胸がいっぱいになる。幸せだ。
 そのとき、ノアのお腹がぐうと音を立てた。
「……お腹が空いた」
「なにか食べる?」
 するとノアが俺の手を引っ張って立ち上がった。
「涼介、外に行こう! 初デート!」
「クリスマスだからどこも混んでるよ」
「それでいい! 日本のクリスマスはカップルが過ごす日!」
 その言葉に照れ笑いする。俺がコートを着ると、ノアも羽織った。そして俺のマフラーを取って、俺の首にぐるぐると巻いてくる。……あったかい。
「涼介」
 ノアが俺の額にちょんとキスをした。
「大好き」
 俺は返事をするためにノアの首に手を回した。ノアの耳元に口を寄せる。
「……俺も、大好き」
 ノアの温かい両腕がぎゅっと俺を抱きしめてくる。
 ドーベルマンと飼い主は両思いらしい。まったく、困ったもんだ。