時計を見る。……まずい。五時間目、英語は小テストじゃん。昼休みに勉強しないとやばい。俺なにしてんだ。
若干せき立ててお弁当を食べ終え、ノアを放し飼いにする。案の定ノアはクラスのやつらに話しかけに行った。助かる。
夏休みの課題を見直して、単語を十回ずつ書く。付属大学進学クラスはもう内部受験が終わっている。学力を下げないために小テストや宿題が多い。英語が苦手教科断トツ一位の俺はマジで焦る。
「それじゃあテスト開始。新見はできるから教科書を読んでろ」
はい、と答えたドーベルマンがぺら、ぺらと教科書をめくる。その横で必死に単語を書く俺。やばい。exで始まる単語の多さについていけない。全部同じに見える。
「そこまで。隣と交換して丸つけして」
ふうと息をついたのも束の間、「隣」の単語にばっと顔をあげた。恐る恐る隣を見る。なにをするか周りを見て悟ったドーベルマンが、にんまりとして手で催促してくる。……ガチで最悪。
ビクビクしながらノアが採点しているのを見ていた。教科書も見ずにさっさと赤いボールペンを走らせる。すぐに「ほら」と返ってきた。
……あれ、丸が多い。
ほっとしかけたけど、よく見ると正解にはチェックがついている。丸がついているのは、ノアが間違ったところを囲んだだけらしい。
「ちょっと待って。これ、丸が正解じゃないの?」
「違うよ。チェックが正解」
ああ、そうだ。ゲームのコントローラーで知ってる。アメリカだと丸がキャンセルでバツが決定。感覚が逆だ。
じゃあ、この大量の丸は……やばいじゃん。
「丸がいっぱいでよかったな」
ノアがにやっとして頬杖をつく。こいつ、分かってやってやがる。
「一瞬嬉しかったよ! 一瞬ね!」
「次から日本式にしてあげる」
上から目線ムカつく! ドーベルマンめ、主導権があるのは飼い主だぞ! って、俺は飼い主じゃない!
夏休み明け初日。それだけでも六時間の勉強はうんざりなのに、俺は別の意味でもううんざり。先生、俺、席替えがしたいです。
終礼が終わると、掃除当番の俺は箒を取り出した。夏休み明けだからなのか、なんとなく埃が多い。
「掃き掃除は終わったから丸。拭き掃除、丸、机の位置、丸」
掃除後のチェック表をつけていたら、英語の小テストを思い出した。ムカつく!
職員室までチェック表を出しに行くと、担任が俺を見て「ああ」と言った。
「嵯峨、新見を呼んできてくれないか。新見も掃除当番だろう。まだいるだろ」
先生、俺はあの留学生と離れて卒業まで穏やかに過ごしたいんです。
なんて思ったけど、もちろんそんなことは言わない。こういうときは「はい」、これが正解だ。
物事を穏便に済ませるには決まりがある。流れに逆らわないこと。流れに棹さすってやつだ。国語は俺の得意教科。
ところが、教室に戻ったけど、ノアがいない。机の横に鞄がかかっているから、校内にはいるはずだ。
「ノア、どこにいるか知らない? 先生が呼んでて」
「さっきまで廊下にいたけど」
廊下の左右を見たけど姿が見えない。隣のクラスにも行ったけどいなかった。まずい、あの人懐っこさで放し飼いにするのは間違いだった。
トイレにもいない。三年生の階のどこにもいない。図書室にでも行ったか? 渡り廊下をずかずかと歩いてそちらに向かうと、自販機前で上履きの色が違う生徒と話しているのを見つけた。相手は二年生だ。ジュースを一緒に飲んでいる。
「あ、涼介だ」
ノアがこちらに気づいてぱっと顔を明るくさせた。
「あ、じゃない! 探したんだぞ!」
「えっ探してくれた? 嬉しい」
「探してんのは先生! 職員室に来いって」
じゃあ、バイバイ。二年生に手を振って、ノアがジュース片手にきょろきょろと周りを見回す。
「職員室ってどっち?」
「……こっち」
「そうなんだ。学校内の地図ってどこにある? 迷う」
ノアは俺の隣をすたすたと歩きだした。ちゅー。飲んだ紙パックのジュースがべこっとへこむ。
なんなんだこいつ! 自由か!
俺が無言になると、ノアが「なに?」とこちらを見下ろしてくる。
「涼介、なんか怒ってる?」
「別に」
「そっか。じゃあ行こう」
いや、謝るとか感謝するとか、なんか一言ないのかよ!
内心ぜいぜい言ってたら、ノアがまたちらっと見下ろしてきた。
「さっきの別にってなに?」
「別に?」
「怒ってるのか聞いたら『別に』って言った」
「……なんでもないって意味」
「そっか。それならよかった。オレ、涼介が怒ってたら嫌だから」
「…………」
「なに?」
「……いや、なんでもない……」
吐き出したいため息をぐっと呑み込む。
なんかイライラしてきた。嫌な予感がする。俺、こいつのせいで、残りの高校生活が大変なことになるんじゃないか? 平穏にエスカレーター式で大学受験も済ませたのに、ここに来てとんだ大事件発生じゃん!
渡り廊下の窓から夏の青空と白い雲が見える。外では蝉がまだ元気だ。
「ノア、そっちじゃない。こっちの階段」
「ありがと!」
ようやく感謝の言葉が聞けた。やれやれ。
急に脱力した。ダメだ、こいつに振り回されている。俺の残りの高校生活、本当に大丈夫なんだろうか。
若干せき立ててお弁当を食べ終え、ノアを放し飼いにする。案の定ノアはクラスのやつらに話しかけに行った。助かる。
夏休みの課題を見直して、単語を十回ずつ書く。付属大学進学クラスはもう内部受験が終わっている。学力を下げないために小テストや宿題が多い。英語が苦手教科断トツ一位の俺はマジで焦る。
「それじゃあテスト開始。新見はできるから教科書を読んでろ」
はい、と答えたドーベルマンがぺら、ぺらと教科書をめくる。その横で必死に単語を書く俺。やばい。exで始まる単語の多さについていけない。全部同じに見える。
「そこまで。隣と交換して丸つけして」
ふうと息をついたのも束の間、「隣」の単語にばっと顔をあげた。恐る恐る隣を見る。なにをするか周りを見て悟ったドーベルマンが、にんまりとして手で催促してくる。……ガチで最悪。
ビクビクしながらノアが採点しているのを見ていた。教科書も見ずにさっさと赤いボールペンを走らせる。すぐに「ほら」と返ってきた。
……あれ、丸が多い。
ほっとしかけたけど、よく見ると正解にはチェックがついている。丸がついているのは、ノアが間違ったところを囲んだだけらしい。
「ちょっと待って。これ、丸が正解じゃないの?」
「違うよ。チェックが正解」
ああ、そうだ。ゲームのコントローラーで知ってる。アメリカだと丸がキャンセルでバツが決定。感覚が逆だ。
じゃあ、この大量の丸は……やばいじゃん。
「丸がいっぱいでよかったな」
ノアがにやっとして頬杖をつく。こいつ、分かってやってやがる。
「一瞬嬉しかったよ! 一瞬ね!」
「次から日本式にしてあげる」
上から目線ムカつく! ドーベルマンめ、主導権があるのは飼い主だぞ! って、俺は飼い主じゃない!
夏休み明け初日。それだけでも六時間の勉強はうんざりなのに、俺は別の意味でもううんざり。先生、俺、席替えがしたいです。
終礼が終わると、掃除当番の俺は箒を取り出した。夏休み明けだからなのか、なんとなく埃が多い。
「掃き掃除は終わったから丸。拭き掃除、丸、机の位置、丸」
掃除後のチェック表をつけていたら、英語の小テストを思い出した。ムカつく!
職員室までチェック表を出しに行くと、担任が俺を見て「ああ」と言った。
「嵯峨、新見を呼んできてくれないか。新見も掃除当番だろう。まだいるだろ」
先生、俺はあの留学生と離れて卒業まで穏やかに過ごしたいんです。
なんて思ったけど、もちろんそんなことは言わない。こういうときは「はい」、これが正解だ。
物事を穏便に済ませるには決まりがある。流れに逆らわないこと。流れに棹さすってやつだ。国語は俺の得意教科。
ところが、教室に戻ったけど、ノアがいない。机の横に鞄がかかっているから、校内にはいるはずだ。
「ノア、どこにいるか知らない? 先生が呼んでて」
「さっきまで廊下にいたけど」
廊下の左右を見たけど姿が見えない。隣のクラスにも行ったけどいなかった。まずい、あの人懐っこさで放し飼いにするのは間違いだった。
トイレにもいない。三年生の階のどこにもいない。図書室にでも行ったか? 渡り廊下をずかずかと歩いてそちらに向かうと、自販機前で上履きの色が違う生徒と話しているのを見つけた。相手は二年生だ。ジュースを一緒に飲んでいる。
「あ、涼介だ」
ノアがこちらに気づいてぱっと顔を明るくさせた。
「あ、じゃない! 探したんだぞ!」
「えっ探してくれた? 嬉しい」
「探してんのは先生! 職員室に来いって」
じゃあ、バイバイ。二年生に手を振って、ノアがジュース片手にきょろきょろと周りを見回す。
「職員室ってどっち?」
「……こっち」
「そうなんだ。学校内の地図ってどこにある? 迷う」
ノアは俺の隣をすたすたと歩きだした。ちゅー。飲んだ紙パックのジュースがべこっとへこむ。
なんなんだこいつ! 自由か!
俺が無言になると、ノアが「なに?」とこちらを見下ろしてくる。
「涼介、なんか怒ってる?」
「別に」
「そっか。じゃあ行こう」
いや、謝るとか感謝するとか、なんか一言ないのかよ!
内心ぜいぜい言ってたら、ノアがまたちらっと見下ろしてきた。
「さっきの別にってなに?」
「別に?」
「怒ってるのか聞いたら『別に』って言った」
「……なんでもないって意味」
「そっか。それならよかった。オレ、涼介が怒ってたら嫌だから」
「…………」
「なに?」
「……いや、なんでもない……」
吐き出したいため息をぐっと呑み込む。
なんかイライラしてきた。嫌な予感がする。俺、こいつのせいで、残りの高校生活が大変なことになるんじゃないか? 平穏にエスカレーター式で大学受験も済ませたのに、ここに来てとんだ大事件発生じゃん!
渡り廊下の窓から夏の青空と白い雲が見える。外では蝉がまだ元気だ。
「ノア、そっちじゃない。こっちの階段」
「ありがと!」
ようやく感謝の言葉が聞けた。やれやれ。
急に脱力した。ダメだ、こいつに振り回されている。俺の残りの高校生活、本当に大丈夫なんだろうか。


