断れない委員長、アメリカンなドーベルマンに懐かれる

 原稿に書いてある、“新見君と過ごした時間は、僕の高校生活の大切な思い出になりました。”の英文。
――違う。
 原稿を見る目が止まった。
 この原稿は、違う。本当はこれからノアと過ごす時間だって、いい思い出を作れたはずなんだ。それなのに口喧嘩して、冬休みになってなにもせずにさよならするのか?
――涼介は残りの高校生活でなにがしたい?
 やりたかったのは、簡単なことだ。なんでもないことをしゃべって、隣で笑って、これまでと同じように過ごしたかっただけ。あと少しでバイバイする関係だったとしても、残りの時間を大切にしたかったんだ。
 俺の沈黙に、少し体育館の空気が揺れた。慌てて顔をあげる。
「えっと――」
 視界の端にドーベルマンの姿がちらつく。気づいたら、原稿をひっくり返していた。真っ白な裏の紙。なにも書かれていない。だったら、今考えるしかない。
「“……僕が一番感じたのは、かけがえのない友達が増えたということです。”」
 頭の中にある辞書をひっくり返して単語を拾う。
「“僕が思ったのは、アメリカ人か日本人かは関係ないということです。最高の友達ができたことが大事だと思います。”」
 ああ、英語が出てこない。中学生みたいな簡単な言葉でしかしゃべれない。でも、俺が言いたいのはこれだ。
「“新見君が来てから、僕の学校生活は前よりもっと楽しくなりました。だから、これからも新見君とたくさんの時間を過ごしたいと思います。新見君にありがとうと伝えたいです。” Thank you.」
 ぺこりと頭を下げると体育館中に拍手が湧いた。袖へ引っ込み、息をつく。手が震えている。咄嗟にしゃべった英語、間違ってなかっただろうか。
 そこへ担任がやってきた。笑顔だった。
「よく頑張ったな」
 そう言って、俺の肩をぽんぽんと叩いてくる。不意に涙が浮かびそうになった。
 終業式が終わり、みんなでぞろぞろと教室へ戻る。廊下のロッカーにスピーチ原稿をしまっていると、俺の足元に影が落ちてきた。顔をあげる。ノアだった。
「……いいスピーチだった」
 ノアがちらりと白い歯を見せる。思わず照れた。
「途中から原稿をほったらかしちゃった。昨日まで練習したのに」
「途中から涼介っぽくなった。そこがすごくよかった」
 言葉がじんと胸に染みた。ノアに認めてもらえた。
 ノアが続けて言う。
「『アメリカ人か日本人かは関係ない』ってところ、嬉しかった」
「なんで?」
「オレ、父親が日本人だから、アメリカにいると日本人だって言われることがある。でも、ここにいるとアメリカ人とか留学生だって言われる。涼介にも前にそう言った」
「……うん」
「高校ではそもそも年下だし。どこへ行ってもオレはちょっと違う。でも、涼介といるときはそれを忘れるよ」
 ……そんなふうに思ってたんだ。なんでもできて、悩みと無縁で暮らしてそうなんて思ってたのに。
「ノアは、ノアだよ」
 俺が言うと、ノアは「そっか」と笑った。久しぶりに見るやわらかい笑顔。
 ノアの大きな手が俺の頭をぽんぽんした。……あったかい手。
「スピーチ、よく頑張りましたー。涼介、偉い!」
「あっ、馬鹿にしたでしょ! もっと褒めろ!」
「Okay! 涼介、最高だった! 今日のスピーチは百点。全校生徒に自慢していい!」
「もう全校生徒の前でしゃべったんだよ!」
「はいはい」
「はいは一回!」
 お互いぷはっと噴き出した。笑いが込み上げてきて仕方ない。
 あれ、冬の廊下なのに体があったかい。なんだろ、腹の底に貼りついていたなにかが剥がれて落ちた感じだ。
 ノアが腕組みをしてロッカーに体を預けてふふんと笑う。
「それで? 明日のクリスマスは何時集合?」
「あとで全員にメッセージを送る。十時集合」
「Okay. 明日は絶対寝坊しない。クリスマスを寝て潰したら、一生後悔する」
「目覚ましのメッセージを送ってあげようか?」
「いらない。オレが涼介を起こす。絶対寝坊させない」
「マシンガンみたいに送ってこないでよ」
 そこへ先生がやってきて、「嵯峨、新見、教室の中に入れ」と声が飛んできた。慌てて二人で席に着く。
 終礼後、ノアが鞄を持って言った。
「今日、オレは部活に行く。涼介は?」
「……図書室に行ってる」
「じゃあ終わったら昇降口」
「分かった」
 ノアが「今日はスリー決めてくる!」と笑顔で手をあげる。そんなノアを見送りながら、ぎゅっと自分の手を握りしめた。
 胸の奥がいっぱいになる。なくしたものを取り戻した気持ちだ。
 今日、ノアと一緒に帰れる。それがすごく嬉しかった。