「兄ちゃん、自宅学習期間なにすんの」
夕食中、航平がご飯を頬張りながら尋ねてきた。学校は明日から終業式まで自宅学習期間で休みだ。
「……適当に」
嘘。英語のスピーチ原稿だけはやらなきゃいけない。ただ、やりたくないだけ。
「ふーん?」
航平が納得いかないみたいな声を出す。
……なんだよ。思ってることを全部口に出せるやつばかりだと思うなよ。こっちだっていろいろ事情があるのに。
「兄ちゃん」
夕飯を終えて自室に戻ろうとしたところで、航平がまた話しかけてきた。こちらをじろじろと見ながら言う。
「ノアと喧嘩してんの?」
ぎくっとした。言葉が出ない俺に、航平がまた「ふーん」と言う。
「ノア、全然兄ちゃんの話をしなくなった。前は『涼介が』ってすっごくうるさかったのに。家でどうだとか、いろいろ聞いてきたし」
そんなに話してたのに、俺の話をしなくなったのか。……今日で戻れたかもしれなかったのに。思わずこぶしを握りしめる。
「……なんか」
気づいたらしゃべり始めていた。
「ノアに友達だろって言ってから、なんか前と違うんだよ。理由はよく分かんない」
「……ふーん?」
航平は肩をすくめた。
「じゃあ、ノアは兄ちゃんと友達でいようって思ったんじゃない?」
「……友達だったよ。前から」
「じゃあいいじゃん」
「よくない」
思わず大きな声が出た。航平が目をぱちぱちさせる。
「……なにがよくないのさ」
航平の言葉に溜まっていた不満が噴き出した。
「だって、前は朝から涼介涼介ってうるさかったのに急に呼ばなくなったし、毎日一緒に帰ってたのに先に帰るし、メッセージだってマシンガンみたいに送ってきたくせにピタってなくなったし、今日は嫌なことばっかり言うし、なんか、なんか」
言葉が急にしぼむ。
「……なんか、前と違う」
「前のほうがいいって言ってんの?」
「……そう」
「じゃあ前みたいに戻りたいって言えば?」
「それは、無理」
「なんで?」
「……だって、ノアがどう思ってるか分かんないし、そもそもノアは三月には」
「あー分かった分かった」
航平が俺の言葉を遮った。腰に手をやって言う。
「つまり、兄ちゃんはいつも通りってわけだ」
「……いつも通りって?」
「自分がどうしたいかを言わないってこと」
ぐっ。痛いところを突かれて言葉に詰まる。航平は不満そうに口をとがらせた。
「兄ちゃんって昔からそうじゃん。前に誰かがお土産にサッカーボールとおもちゃくれたときもさ、どっちがほしいとか言わなかったじゃん。俺がサッカーボールを奪ったくらいに思ってんだろ」
それは航平がギャン泣きしてほしがったからじゃん。むっとすると、航平はまた不満そうに言う。
「俺が泣いたからみたいになったけど、兄ちゃんはどっちがほしかったわけ?」
「……」
「俺、兄ちゃんがほしいって言ってんの聞いた覚えないんだけど」
航平がじっとこちらを見る。
「兄ちゃんはノアとどうしたいんだよ?」
ノアとどうしたいのか。……分からない。いや、考えたくなかった。どうせ三月にはいなくなるからって、ずっとそこで考えるのをやめていた。
俺が黙り込むと、航平はちょっと笑った。
「兄ちゃんが追いかけないと、ノアはいなくなっちゃうよ」
航平はそれだけ言って、「じゃ」と自分の部屋に入ってしまった。
寒い廊下に身震いして、自分も部屋に引っ込む。だが、航平の「兄ちゃんが追いかけないと」という言葉が頭をぐるぐるした。
机にしわくちゃになったスピーチ原稿を手で伸ばす。新しい紙を出して書き写し、ちょっとだけ日本語を書き足して終わらせた。あとはそれを英語にするだけ。
……これでいいんだ。俺が思ったことを書けばいいんだから。
終業式まで、家でひとりで練習した。ノアから連絡はなかった。俺も送らなかった。ただ意固地になってると分かってる。でも、ノアが悪いんだと頭のどこかで思っている。どっちつかずで、ぐずぐずと日付だけ消化した。
「それでは終業式を始めます」
体育館で終業式が始まったとき、俺は舞台袖にいた。演台の前で校長先生が挨拶をする。緊張してきて、持ってきた原稿用紙が汗でちょっとぐにゃりとした。喉元のネクタイを何度も直す。
「続いて、交換留学生との異文化交流について、生徒代表の嵯峨涼介君から発表してもらいます」
名前を呼ばれた。一度深呼吸し、演台の前へ行く。キィン。マイクにノイズが走った。慌ててマイクを押さえ、前を見る。
……多い。思ったより、全校生徒って多い。生徒の列から離れたところにもたくさんの先生がいて、みんなこっちを見ている。
ぺこりと頭を下げ、原稿をマイクの前で広げる。
「Hello,my name is Ryosuke Saga.“今回、留学生の新見君と交流して、国が違っても仲良くなれると知りました。”」
よし、いい滑り出しだ。口も回る。
「“最初、僕は新見君に日本語を教える役になりました。でも、僕も新見君から多くのことを教わりました。言葉や文化の違いを知ることで、相手への理解を深めることができるのです。” Because……」
原稿を読み上げる。練習してきた言葉がすらすらと口から出てくる。
でも、ふと顔をあげた。三年生の端の列、一番後ろにくるっと跳ねたくせっ毛。ぴょこんと背が飛び出ているノアがいる。
ぱちり。遠くだったけど、目が合った気がした。
瞬間、ノアとの思い出が次々に蘇った。
ノアのバッシュとボールの音、ひとり負けたじゃんけん、一緒に撮ったツーショット、二人で回れなかった文化祭、隣に並んで歩く帰り道。――またやりたい。
夕食中、航平がご飯を頬張りながら尋ねてきた。学校は明日から終業式まで自宅学習期間で休みだ。
「……適当に」
嘘。英語のスピーチ原稿だけはやらなきゃいけない。ただ、やりたくないだけ。
「ふーん?」
航平が納得いかないみたいな声を出す。
……なんだよ。思ってることを全部口に出せるやつばかりだと思うなよ。こっちだっていろいろ事情があるのに。
「兄ちゃん」
夕飯を終えて自室に戻ろうとしたところで、航平がまた話しかけてきた。こちらをじろじろと見ながら言う。
「ノアと喧嘩してんの?」
ぎくっとした。言葉が出ない俺に、航平がまた「ふーん」と言う。
「ノア、全然兄ちゃんの話をしなくなった。前は『涼介が』ってすっごくうるさかったのに。家でどうだとか、いろいろ聞いてきたし」
そんなに話してたのに、俺の話をしなくなったのか。……今日で戻れたかもしれなかったのに。思わずこぶしを握りしめる。
「……なんか」
気づいたらしゃべり始めていた。
「ノアに友達だろって言ってから、なんか前と違うんだよ。理由はよく分かんない」
「……ふーん?」
航平は肩をすくめた。
「じゃあ、ノアは兄ちゃんと友達でいようって思ったんじゃない?」
「……友達だったよ。前から」
「じゃあいいじゃん」
「よくない」
思わず大きな声が出た。航平が目をぱちぱちさせる。
「……なにがよくないのさ」
航平の言葉に溜まっていた不満が噴き出した。
「だって、前は朝から涼介涼介ってうるさかったのに急に呼ばなくなったし、毎日一緒に帰ってたのに先に帰るし、メッセージだってマシンガンみたいに送ってきたくせにピタってなくなったし、今日は嫌なことばっかり言うし、なんか、なんか」
言葉が急にしぼむ。
「……なんか、前と違う」
「前のほうがいいって言ってんの?」
「……そう」
「じゃあ前みたいに戻りたいって言えば?」
「それは、無理」
「なんで?」
「……だって、ノアがどう思ってるか分かんないし、そもそもノアは三月には」
「あー分かった分かった」
航平が俺の言葉を遮った。腰に手をやって言う。
「つまり、兄ちゃんはいつも通りってわけだ」
「……いつも通りって?」
「自分がどうしたいかを言わないってこと」
ぐっ。痛いところを突かれて言葉に詰まる。航平は不満そうに口をとがらせた。
「兄ちゃんって昔からそうじゃん。前に誰かがお土産にサッカーボールとおもちゃくれたときもさ、どっちがほしいとか言わなかったじゃん。俺がサッカーボールを奪ったくらいに思ってんだろ」
それは航平がギャン泣きしてほしがったからじゃん。むっとすると、航平はまた不満そうに言う。
「俺が泣いたからみたいになったけど、兄ちゃんはどっちがほしかったわけ?」
「……」
「俺、兄ちゃんがほしいって言ってんの聞いた覚えないんだけど」
航平がじっとこちらを見る。
「兄ちゃんはノアとどうしたいんだよ?」
ノアとどうしたいのか。……分からない。いや、考えたくなかった。どうせ三月にはいなくなるからって、ずっとそこで考えるのをやめていた。
俺が黙り込むと、航平はちょっと笑った。
「兄ちゃんが追いかけないと、ノアはいなくなっちゃうよ」
航平はそれだけ言って、「じゃ」と自分の部屋に入ってしまった。
寒い廊下に身震いして、自分も部屋に引っ込む。だが、航平の「兄ちゃんが追いかけないと」という言葉が頭をぐるぐるした。
机にしわくちゃになったスピーチ原稿を手で伸ばす。新しい紙を出して書き写し、ちょっとだけ日本語を書き足して終わらせた。あとはそれを英語にするだけ。
……これでいいんだ。俺が思ったことを書けばいいんだから。
終業式まで、家でひとりで練習した。ノアから連絡はなかった。俺も送らなかった。ただ意固地になってると分かってる。でも、ノアが悪いんだと頭のどこかで思っている。どっちつかずで、ぐずぐずと日付だけ消化した。
「それでは終業式を始めます」
体育館で終業式が始まったとき、俺は舞台袖にいた。演台の前で校長先生が挨拶をする。緊張してきて、持ってきた原稿用紙が汗でちょっとぐにゃりとした。喉元のネクタイを何度も直す。
「続いて、交換留学生との異文化交流について、生徒代表の嵯峨涼介君から発表してもらいます」
名前を呼ばれた。一度深呼吸し、演台の前へ行く。キィン。マイクにノイズが走った。慌ててマイクを押さえ、前を見る。
……多い。思ったより、全校生徒って多い。生徒の列から離れたところにもたくさんの先生がいて、みんなこっちを見ている。
ぺこりと頭を下げ、原稿をマイクの前で広げる。
「Hello,my name is Ryosuke Saga.“今回、留学生の新見君と交流して、国が違っても仲良くなれると知りました。”」
よし、いい滑り出しだ。口も回る。
「“最初、僕は新見君に日本語を教える役になりました。でも、僕も新見君から多くのことを教わりました。言葉や文化の違いを知ることで、相手への理解を深めることができるのです。” Because……」
原稿を読み上げる。練習してきた言葉がすらすらと口から出てくる。
でも、ふと顔をあげた。三年生の端の列、一番後ろにくるっと跳ねたくせっ毛。ぴょこんと背が飛び出ているノアがいる。
ぱちり。遠くだったけど、目が合った気がした。
瞬間、ノアとの思い出が次々に蘇った。
ノアのバッシュとボールの音、ひとり負けたじゃんけん、一緒に撮ったツーショット、二人で回れなかった文化祭、隣に並んで歩く帰り道。――またやりたい。


