翌日、「おはよ」と言って教室に入ると、ノアはもう登校していていつものように周りを囲まれていた。
「おはよ」
コートを脱ぎながら席に着くと、ノアが「おはよ」と返してくる。でも、すぐにクラスメイトとの話に戻った。
「もうすぐ試験なのに宿題が多すぎる」
「それな」
「高校最後の試験くらい簡単に受けさせてほしいわ」
なんか、変だった。いつも通りおしゃべりでわいわい話してるんだけど、静かに感じる。
なんだろう。
そう思いながら授業を受ける。昼ご飯はいつものメンバーで机をくっつけた。ノアが言う。
「涼介、卵焼きちょうだい」
「えっ? あ、うん、どうぞ」
「涼介のお母さんの卵焼きは絶品! 神様に感謝したいくらいだよ」
卵焼きを食べるノアはいつも通りに見えた。なのに、なんでこんなに腹の底がざわざわするんだろう。
なんだかよく分からない焦りで手のひらに汗を掻く。弁当を終えて机を元に戻すと、ノアに尋ねた。
「ノア、今日は部活?」
「いや、もう試験前だからない」
「えっと、じゃあ」
一緒に教室でスピーチを考えてほしい。そう言う前に、ノアが言った。
「寒いし、早く帰って勉強する。さっきみんなでコンビニに寄っておでんを食べる約束をした」
――えっ? 一瞬思考回路が停止する。ノア、先に帰っちゃうの?
そこへクラスメイトがやってくる。
「ノアー。ここの英語、分かんねえ。教えて。試験がやばい」
「どこ?」
ノアとクラスメイトが楽しそうにしゃべり始めた。
椅子がぐにゃっとへこんだみたいに座りにくい。何度も手を拭って椅子に座り直す。でも、落ち着かない。
授業にも身が入らない。ちらちらとノアの様子を探ってしまう。授業を聞いているノアは真剣だ。長い指が電子辞書を叩き、ノートの端になにかをメモする。五時間目が終わっても、休み時間の間、ノアはノートになにか書き込んでいた。勉強を邪魔するのは気が引けて、話しかけられない。
終礼が終わると、ノアはすぐに席を立った。
「コンビニのおでんって何個くらい食べるの?」
「人によりけりじゃねえ? 俺は四つって決めてる」
「数を決めてると、選ぶときにわくわくしそう」
ノアとクラスメイトはそんなことを言いながら「また明日ー」と教室を出ていった。その大きな背中を呆然として見送る。
……俺、今日何回ノアと目が合った? いつもより少なくない? そう言えば、涼介って呼ばれる回数も少なかった。なんで?
図書室に寄っても全然集中できなくて、四時過ぎにはコートを羽織って学校を出た。……この道をひとりで歩くの、いつぶりだろう。
翌日も、その翌日も、ノアはそんな調子だった。ちゃんと話しかけてくるし、話せば返事もくれる。でも、「おはよう涼介ー!」と名前を呼んでくれたドーベルマンはどこかへ行ってしまった。俺のことを忘れたように他のクラスメイトのところへ行って、学校から帰っていく。
俺、ノアになにかした? ノア、なにか怒ってる? ……俺、ノアにとって特別じゃなかったの?
夜、メッセージの来ないスマホを抱きしめて、ベッドの上でのたうち回る。
苦しい。好きって分かった途端、どうしてこんなことになった? 俺、なにを間違えたんだろう。俺、ノアになにをしちゃったんだろう。
「嵯峨、終業式のスピーチ進んでるか」
翌朝、先生に声をかけられてぎくっとした。ノアのことが気になって、全然手をつけられていない。
「嵯峨は真面目にやろうとしすぎるから少し気楽に考えろ」
……気楽にって。全校生徒の前で発表するのに、しかも英語なのに、そんな簡単に考えられない。
夜、自室でパソコンを立ち上げて、スピーチ原稿を考える。
『異文化交流で大切なのは、互いの文化の違いを理解し――』
違いを理解し。そこで指が止まる。ノアはこういうスピーチはつまらないって言ってた。でも、多分、先生が求めているのはこれだ。模範解答なら、これでいい。
でも、ノアのことが全然理解できない。おはようと言えばおはようと返ってくるし、昼休みも一緒にご飯を食べている。なのに帰りは「じゃあまた」だった。
じゃあまた、って。いや、普通だ。友達なら普通だろ。毎日一緒に帰らなきゃいけない決まりなんてない。ないけど。……なんで俺、置いていかれたみたいになってんだ。
キーボードに手を戻す。
『言葉や習慣の違いを知ることで、相手への理解を深めることができます。』
打って、読み返す。また手が止まった。
理解。俺はノアのこと、理解しているつもりだった。ノアが分からないと言えば教えたし、ノアが変な日本語を使えば直した。
最後に一緒に帰った日、ノアはなんて言ってたっけ。「涼介、バイバイ」、そう言った。いつもなら「また明日」って言うのに。話しかければ話す。笑いかければ笑う。でも、追いかけてこない。
「なんでだよ……」
ぽろっとこぼれた言葉が、部屋に響いて、消える。寒い部屋で膝にブランケットをかけ、パソコンをカタカタと打つ。
『異文化交流では、言葉の意味を正しく理解し、相手に伝えることが大切です。』
……俺、ノアにちゃんと伝えられてた? 俺はノアと、ちゃんと友達でいられていたと思ってた。それなのに、なんでこんなことになったんだ。
『相手に伝えることが大切です。』
カーソルが点滅している。
「……どの口が言ってんだよ……」
思わず頭を抱える。暖房の風の音がする。涙がにじんだ。
「おはよ」
コートを脱ぎながら席に着くと、ノアが「おはよ」と返してくる。でも、すぐにクラスメイトとの話に戻った。
「もうすぐ試験なのに宿題が多すぎる」
「それな」
「高校最後の試験くらい簡単に受けさせてほしいわ」
なんか、変だった。いつも通りおしゃべりでわいわい話してるんだけど、静かに感じる。
なんだろう。
そう思いながら授業を受ける。昼ご飯はいつものメンバーで机をくっつけた。ノアが言う。
「涼介、卵焼きちょうだい」
「えっ? あ、うん、どうぞ」
「涼介のお母さんの卵焼きは絶品! 神様に感謝したいくらいだよ」
卵焼きを食べるノアはいつも通りに見えた。なのに、なんでこんなに腹の底がざわざわするんだろう。
なんだかよく分からない焦りで手のひらに汗を掻く。弁当を終えて机を元に戻すと、ノアに尋ねた。
「ノア、今日は部活?」
「いや、もう試験前だからない」
「えっと、じゃあ」
一緒に教室でスピーチを考えてほしい。そう言う前に、ノアが言った。
「寒いし、早く帰って勉強する。さっきみんなでコンビニに寄っておでんを食べる約束をした」
――えっ? 一瞬思考回路が停止する。ノア、先に帰っちゃうの?
そこへクラスメイトがやってくる。
「ノアー。ここの英語、分かんねえ。教えて。試験がやばい」
「どこ?」
ノアとクラスメイトが楽しそうにしゃべり始めた。
椅子がぐにゃっとへこんだみたいに座りにくい。何度も手を拭って椅子に座り直す。でも、落ち着かない。
授業にも身が入らない。ちらちらとノアの様子を探ってしまう。授業を聞いているノアは真剣だ。長い指が電子辞書を叩き、ノートの端になにかをメモする。五時間目が終わっても、休み時間の間、ノアはノートになにか書き込んでいた。勉強を邪魔するのは気が引けて、話しかけられない。
終礼が終わると、ノアはすぐに席を立った。
「コンビニのおでんって何個くらい食べるの?」
「人によりけりじゃねえ? 俺は四つって決めてる」
「数を決めてると、選ぶときにわくわくしそう」
ノアとクラスメイトはそんなことを言いながら「また明日ー」と教室を出ていった。その大きな背中を呆然として見送る。
……俺、今日何回ノアと目が合った? いつもより少なくない? そう言えば、涼介って呼ばれる回数も少なかった。なんで?
図書室に寄っても全然集中できなくて、四時過ぎにはコートを羽織って学校を出た。……この道をひとりで歩くの、いつぶりだろう。
翌日も、その翌日も、ノアはそんな調子だった。ちゃんと話しかけてくるし、話せば返事もくれる。でも、「おはよう涼介ー!」と名前を呼んでくれたドーベルマンはどこかへ行ってしまった。俺のことを忘れたように他のクラスメイトのところへ行って、学校から帰っていく。
俺、ノアになにかした? ノア、なにか怒ってる? ……俺、ノアにとって特別じゃなかったの?
夜、メッセージの来ないスマホを抱きしめて、ベッドの上でのたうち回る。
苦しい。好きって分かった途端、どうしてこんなことになった? 俺、なにを間違えたんだろう。俺、ノアになにをしちゃったんだろう。
「嵯峨、終業式のスピーチ進んでるか」
翌朝、先生に声をかけられてぎくっとした。ノアのことが気になって、全然手をつけられていない。
「嵯峨は真面目にやろうとしすぎるから少し気楽に考えろ」
……気楽にって。全校生徒の前で発表するのに、しかも英語なのに、そんな簡単に考えられない。
夜、自室でパソコンを立ち上げて、スピーチ原稿を考える。
『異文化交流で大切なのは、互いの文化の違いを理解し――』
違いを理解し。そこで指が止まる。ノアはこういうスピーチはつまらないって言ってた。でも、多分、先生が求めているのはこれだ。模範解答なら、これでいい。
でも、ノアのことが全然理解できない。おはようと言えばおはようと返ってくるし、昼休みも一緒にご飯を食べている。なのに帰りは「じゃあまた」だった。
じゃあまた、って。いや、普通だ。友達なら普通だろ。毎日一緒に帰らなきゃいけない決まりなんてない。ないけど。……なんで俺、置いていかれたみたいになってんだ。
キーボードに手を戻す。
『言葉や習慣の違いを知ることで、相手への理解を深めることができます。』
打って、読み返す。また手が止まった。
理解。俺はノアのこと、理解しているつもりだった。ノアが分からないと言えば教えたし、ノアが変な日本語を使えば直した。
最後に一緒に帰った日、ノアはなんて言ってたっけ。「涼介、バイバイ」、そう言った。いつもなら「また明日」って言うのに。話しかければ話す。笑いかければ笑う。でも、追いかけてこない。
「なんでだよ……」
ぽろっとこぼれた言葉が、部屋に響いて、消える。寒い部屋で膝にブランケットをかけ、パソコンをカタカタと打つ。
『異文化交流では、言葉の意味を正しく理解し、相手に伝えることが大切です。』
……俺、ノアにちゃんと伝えられてた? 俺はノアと、ちゃんと友達でいられていたと思ってた。それなのに、なんでこんなことになったんだ。
『相手に伝えることが大切です。』
カーソルが点滅している。
「……どの口が言ってんだよ……」
思わず頭を抱える。暖房の風の音がする。涙がにじんだ。


