断れない委員長、アメリカンなドーベルマンに懐かれる

 夜、夕飯を食べると、俺はそそくさと自室にこもった。ベッドに倒れ込み、スマホを掴む。
 ノアから送られてきた画像を見る。ブレザーとネクタイをつけて撮った写真。クレープを食べに行った写真。その他にも、ノアが日常のあちこちで写真を撮ろうと言って撮ったものが残っている。じっくり眺め、ため息をついてスマホを胸にのせた。
 ぽん。スマホが音を立ててメッセージを受信する。
『スピーチ原稿は進んだ? まずは日本語で考えてみて』
 ノアからだった。ぽちぽちと返事を打つ。
『日本語でもまだ考え中』
『今日オレがたくさんヒントを出した』
『どこが』
『オレ、たくさんしゃべっただろ』
『俺の意見にダメだししただけ』
『だって涼介の原稿はつまんない』
『つまんないって言うな』
 ノアからいつも通りのなんてことのないメッセージが届く。……これも、あと三ヶ月で終わり?
 ごろんと寝返りを打つ。
 もう十一月も中旬。ノアと過ごすのが楽しくて、これが終わりになるかもなんて考えたことがなかった。文化祭前に突然いなくなったとき、心がぽっかり空いた気がした。それなのに、二度と埋まらない穴がこれから空くことになるの?
 ベッドに縮こまって目を瞑る。
 三月になったら、ノアはいなくなる。
 隣の席にもいない。
 一緒に帰れない。
 コンビニにも寄れない。
 「涼介」って何度も呼ばれることもなくなる。
 嫌だ。「あと三ヶ月」――ノアといられるの、あと三ヶ月だけなんだ。
 スマホのメッセージ画面を開く。
『明日の英語が分かんない。教えて』
 ぽんと送信すると、すぐ既読の印がつく。
『どこが分かんないの』
 俺は適当に予習分をスマホで撮って送信した。
『訳が難しい』
『これは――』
 ノアから返事が返ってくる。
 時差があったって、メッセージは送れる。でも、こんなふうにリアルタイムでおしゃべりできることなんて滅多になくなるのかもしれない。
 それより、お互い自分の人間関係のほうが忙しくなって、ノアも昔の友達になってしまうのだろうか。
『分かった。ありがと』
『涼介、また明日。おやすみ』
『おやすみ』
 やり取りしたメッセージを眺める。また明日。まだ明日がある。
 ほっと息をついて、体から力を抜く。ベッドがぬくぬくとしてくる。でも、空気が冷たい。
 くしゅん。くしゃみが出た。
 翌朝、俺は寝不足だった。もう覚えていないけど、夢見が悪かった。今年初のコートを脱ぎながら、しょぼしょぼの目をこすって「おはよ」と教室に入る。
 一瞬、足が止まった。ノアの席が空っぽだ。……いない。
 ところが、後ろからどんっとなにかがぶつかってきて、「わっ」と声が出た。
「涼介おはよー!」
 ぎゅうっ。後ろからハグされて心臓が飛び跳ねた。
 俺の前で交差した腕は、ウールのコートに包まれていた。ノアも今日からコートを出してきたらしい。ノアのコートが頬に触れる。体がぬくい。逃げなきゃいけないのに、一瞬だけ動けなかった。急に顔がかーっと熱くなる。
「もう、朝から! 放せ!」
「やーだー」
 抵抗したらますますノアがぎゅうぎゅうにしてきて、顔から火が出そうになる。
「まーたノアが委員長にじゃれてる」
「朝からいちゃいちゃすんな」
 いちゃいちゃのセリフに顔が赤くなるのが分かった。
「大型犬がじゃれついてきてるだけだから!」
 急いでノアの腕を振り切って、睨み上げる。ノアはいつも通りふふんと生意気そうな笑みを作った。
「涼介、あったかい」
「人をカイロ代わりにするな!」
「はいはい」
「はいは一回!」
 俺が訂正しても、ノアはまた「はいはい」と言って席に着いた。まだ体が熱い。朝から調子が狂う。こっちは昨日しんみりしてたのに、なんで元気そうなんだよ。
 授業中も休み時間も、ノアはいつも通りだった。クラスメイトに囲まれて、なにか分からないと俺に聞いてきた。俺もいつも通り過ごす。
 でも、お昼ご飯になるとちょっと違った。向かいに座るノアを見て、胸の奥がぎゅっとなる。
「涼介」
 ノアがこちらを見た。
「コロッケ食べる?」
「卵焼き狙ってるんでしょ」
「正解」
「俺んちの卵焼き、もれなくノアが食べてるじゃん」
「だってすごくおいしい。涼介はもっと感謝すべきだよ!」
 ノアの箸が卵焼きを摘まみ、ノアの口へ運ぶ。ノアは「おいしー」と言って、白飯を頬張った。いい食べっぷり。
 その日はノアが部活だった。俺は図書室でスピーチ原稿にうんうん唸ったけど、結局全然進まなかった。
 とりあえず日本語で書いて、それを英語に直せばいいよな? いや、その英語が分からないんだけど。翻訳アプリを使ってみても、出てきた英文が合っているのかすら分からない。
「……めんどくさ」
 シャーペンを置く。昨日のことを思い出そうとすると、夕日の中にいたノアを思い出してしまう。
 なんで、あのときノアに目が行ったんだろ。いつもの放課後で、いつものように話をして。……ノアが、「そういう涼介、嫌いじゃない」って言ってくれて。
 ノアみたいになんでも積極的にやっていけるわけじゃない。人に合わせて、ぶつからないほうを選んでばかりの俺。俺自身はあんまり俺を好きじゃなかった。
 そんな俺を優しいって言ってくれた。嫌いじゃないって言ってくれた。それが、嬉しかった。ノアはいつもそうやって俺を喜ばせてくる。