断れない委員長、アメリカンなドーベルマンに懐かれる

「あっ、涼介、信号が青に変わった!」
 はっと前を見ると、いつも通る横断歩道の信号がぱっと青に変わった。突然ノアが俺の手を掴んで、たっと駆け出す。
「ここはすぐ赤に変わっちゃうから走る!」
「えっ」
 ぐん。手を引っ張られた。慌てて俺も走る。渡りきると、ノアが満足げに「渡れてよかった」と言った。でも、俺の手を放さない。
「えっと、ノア」
「走ってよかった。赤になると長い」
「いや、そうじゃなくて、手」
「うん」
「うん、じゃなくて」
 ノアが子供のように繋いだ手をぶんぶんと振り回した。
「いいからいいから」
 ……いいから。いいから? え、アメリカって友達同士で手を繋ぐもんなの? いや、ここは日本だけど。
 でも、手のあったかさがどんどん移ってきて、秋の空気にちょうどいい。
 これ、どうしたらいいんだろう。そんなことを考えているうちに分かれ道に来た。ノアが自然と手を放す。すっと手が冷たい空気に触れた。
「涼介、また明日ー」
 ノアはいつも通り帰っていく。俺は自分の手を見つめた。……手、繋いじゃったけど。
 なんとなく手をひらひらさせて熱を逃がそうとする。でも、ノアの体温は手の内側に残ったままだった。
 翌朝、ノアはいつも通りだった。朝から「涼介涼介ー!」って呼んでくるし、「これってどういう意味?」と聞いてくる。
 ……なんだよ、こっちだけが意識してるみたいじゃん。
 ちょっとむくれる。ノアってずるい。マイペースに俺のことを掻き乱していく。
「嵯峨」
 終礼のあと、先生に職員室に呼ばれた。
「終業式の日に全校生徒の前で代表スピーチがあるんだが、嵯峨ならやってくれそうだと思ってな」
「スピーチ、ですか?」
 全校生徒の前で? 俺が驚くと、先生は笑った。
「留学生を受け入れるのは初めてだ。嵯峨が一番新見と話してるだろう。異文化交流を通じてなにを学んだか、発表してほしい」
 一瞬迷った。全校生徒の前で話すなんて、できればやりたくない。でも、先生は俺の返事を待っている。
「どうだ? 英語のスピーチだ」
「英語ですか!?」
 思わず声をあげる。いやいや、俺が英語をしゃべるなんて絶対無理!
「いい機会だろう」
 ……そう言えば、道案内で英語が咄嗟に出たとき、ちょっと楽しかった。楽しかったけど。さすがに全校生徒の前では難しくない?
 ノアの顔がちらっと浮かんだ。クラスでスピーチしていたときのことや、文化祭のインタビューを一緒に考えたときのことを思い出す。ノアは一生懸命取り組んでいた。
 ……ノアに聞くしかない。
「……分かりました。やります」
 渋々そう答えると、先生が「期待してるぞ」と肩を叩いてくる。ため息をつきたかったけど、職員室では呑み込んだ。
「あ、涼介が戻ってきた」
 教室へ戻ると、他の生徒は帰っていてノアだけがそこにいた。ドーベルマン、リードがついてないのに大人しく教室にいる。
「あれ、まだいたの?」
「涼介を待ってた」
「なんで?」
「オレ、涼介と一緒に帰りたい」
 涼介と一緒に帰りたい。
 なんでもないことみたいに言って、ノアがこちらを見る。
「先生の用事、なんだって?」
「俺、終業式にスピーチすることになった」
「スピーチ?」
「異文化交流で学んだことを代表で発表しろって。留学生を受け入れてどうだったか、話してほしいって」
 ……ノアと一番しゃべってるだろ、なんて言われたのは内緒。
「オレについてしゃべるってこと?」
 ノアが頬杖をついてにやりとした。なんで得意げなんだ。
「そういうことじゃない?」
「なに話す?」
「どこから手をつけていいか分かんない。英語のスピーチなんだよ」
「えっ、英語で話すの?」
「そうなんだよ」
「それなのに、引き受けたの?」
 だって、断れなくて。俺が渋い顔になると、ノアが察したようにははっと笑った。
「先生も涼介のことを見抜いてる」
 ため息をつきながら椅子に腰かける。
「多分、『言葉や文化の違いを知り、互いに理解し合うことの大切さを実感しました』みたいな感じだと思うんだけど」
 するとノアは嫌そうな顔で頬杖をついた。
「それ、つまんない」
「は?」
「だから、つまんない」
「二回言うなって。先生が求めてるのはそういうことだと思う」
「でも、涼介がしゃべってる感じがしない」
「俺がそう書いてそうしゃべるの!」
「でも、普段涼介はそんなこと言わない」
 それは、そうだけど。
 真正面から否定されて戸惑った。試験で答えるような解答を書けば間違いないと思ったのに。